RIYO BOOKS

RIYO BOOKS

主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『死に至る病』セーレン・オービュ・キェルケゴール 感想

f:id:riyo0806:20220630203532p:image

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

死に至る病」とは絶望のことである。憂愁孤独の哲学者キェルケゴールは、絶望におちいった人間の心理を奥ふかいひだにまで分けいって考察する。読者はここに人間精神の柔軟な探索者、無類の人間通の手を感じるであろう。後にくる実存哲学への道をひらいた歴史的著作でもある。

セーレン・オービュ・キェルケゴール(1813-1855)はデンマークの思想家であり哲学者です。当時のゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルを中心とした理想主義の席巻は、宗教論にまで派生してデンマークの各教会にまで影響(ぐらつき)を与えるほどでした。これに対抗する思想を立ち上げてぶつかり合ったキェルケゴールは、現在における実存主義の先駆けとして後世に影響を与え続けています。


作品名である『死に至る病』は新約聖書ヨハネによる福音書」から引用されています。病によって命を落とした友人ラザロをイエス・キリストが蘇らせた際、「この病は死に至らず」と発しました。この時の死因が「絶望」であったことから、本作にはこの題名が付けられました。副題は「教化と覚醒のためのキリスト教的、心理学的論述」としており、敬虔なクリスチャンの立場(アンティ=クリマクスという別名で出版)で強い信仰心の元に書かれています。


今ある自己(現自己)が受けた極限的不幸によって自己の精神は変化します。精神が現自己から遠く離れたいが現自己は自己であるために逃れられない状態、また現自己であり続けようとするが不幸の永続性に苦しみ続ける状態、また現自己からあるべき自己(本自己)へと移行したいが肉体や精神が伴わない状態、これらを総括して「絶望」と呼びます。


「絶望」は自己の在り方によって段階的に幾つかに分類されます。

無限性絶望は、自己を世間と比較して立ち位置を定めて、より高みに登ることができたなら、と希望的空想に思いを巡らせて逃避的思考へと移行し、本自己から遠ざかり続けることを言います。それは本来なすべき行為や目の前の問題を放棄することに繋がっていきます。

有自覚的絶望は、世間との自己比較によって見出された否定的差異を理解しながらもそれを受け入れて、且つ、諦めの観念を持ちながら世間との調和のみを求めて過ごすことを言います。騙り取り(かたりとり)と表現しますが、諦めや不貞腐れに近い状態で、これもやはり、なすべき行為や解決すべき問題から目を逸らしていると言えます。

可能性的絶望は、現自己を置き去りにして空想的観測に委ねて現在を見失っている状態です。置かれている状況や危機的問題に目を向けず、妄想に耽って現実から逃避していることを言います。

必然性的絶望は、本自己を見失っている状態です。あるべき、或いは、ありたいとする自己を見ることができず、ただただ目の前の現実に打ちひしがれて盲目的であり、先を見ようとする意欲が湧かず、諦めの観念に包まれています。


キェルケゴールは「絶望」を罪であるとしています。絶望の発端となる思考は、世間の目やその評価からくるものであり、対人間としての価値観から陥る否定的な精神状態です。本自己と現自己の乖離に、俯き、激昂し、諦めながらも受け入れないことは、人間の内における永続性としての精神の停滞であり、そこから快方へ向かおうとする思考の否定です。信仰対象の「神」に肯定的可能性を求め、祈り、救済を願うことを正とし、永続的な否定的精神状態からの解放を望むことこそ必要であるとしています。これを求めず、神の存在を認めていながらも、精神状態を否定的に置き続けることを罪であると唱えています。


信仰は理性の否定とも言えます。現自己の否定であり、自意識の否定であるとも言えます。しかしその上で神という存在を認め、神の持つ可能性へと望みを委ねることこそ「信じる」行為であると彼は言います。

自己自身において、現自己の置かれた否定的状況による否定的精神状態を受け入れること、本自己との乖離を認めてその距離を埋めようと望む可能性を抱くこと、そして神の前でその可能性を祈り願うこと、これらを「信仰」であるとしています。だからこそ、「信仰」の否定は「神」の否定であり、可能性を求めず絶望状態を維持継続し続けることを「罪」であると訴えています。「絶望」という病に処方すべき薬剤は「可能性」であり、それを求めずに打ちひしがれる「罪」を、神への「信仰」により振り払うことが必要なのです。


キェルケゴールは「神の前に」と何度も強調します。神は絶対的な存在であり、何ら論証も必要なく、信心の元に信仰の対象となるべき存在であると唱え続けます。神とは思弁的な対象となるものではなく、論証的に確証されてはならない、人間の思考により生まれる「知」の一部であってはならないとして、絶対的な存在であり、だからこそ人間の救いたり得ると考えています。これはヘーゲル精神現象学における宗教論に対する姿勢です。ヘーゲルの宗教論は、宗教とは人間精神がとる一つの究極的な形であるとして、啓示を通して神が人間に、人間が神に精神を触媒として聖霊的受胎を認め、神が自己に内在するという考え方を説いたものです。この宗教論に対して、「神と人を同等に考えるとは何ごとか!」とキェルケゴールは激昂しました。ヘーゲル無神論者であると断じた上で、本作『死に至る病』の執筆において反証的にヘーゲルの宗教論を否定します。このことが「神の前に」を頻出させる根拠となっています。そして本作においてはイエス・キリスト(神)を否定することが「絶望における可能性の否定」であることとして、永続的に絶望であり続けると述べています。


絶望における可能性への転化を「逆説」的思考と捉えて、池田晶子さんは以下のように述べています。

逆説とは思想の情熱であり、逆説をもたない思想家は情熱をもたぬ恋人、そしてすべての情熱は自身の破滅を欲する、ゆえに理性もまたその極致において。

理性には理解不能な逆説それ自体、逆説が存在するというそのこと自体が、この人にとっては「神」なのである。いや神と「言いたい」のである。神と人とはあくまでも別ものであるべきだという根強い思い込み、じつはそれこそが信仰なのだと言うべきだろう。

池田晶子『人生は愉快だ』


信仰における根拠の有無は非常に現代的な問題とも言えます。中世において無条件に神を崇めることは当然なことでした。しかし時代が進むにつれて、哲学は細分化し、精神研究も複雑化して、あらゆるものの根源に対する疑問が浮かび上がっていきます。信仰に対象が自由であれば、信仰するかどうかという、そのもの自体にさえ自由があります。

人間は誰しもが現自己と本自己に挟まれて生きています。その中で、突如として訪れる大きな苦難が絶望の切っ掛けとして口を開けて道の先で待ち受けています。自己自身が陥る絶望という病に、可能性という薬剤を自身で処方できるかどうかは、その時の信仰の有無によるのかもしれません。


現代における苦悩からの脱却の糸口ともなり得る本作『死に至る病』、随所で考えさせられる素晴らしい作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『お月さまへようこそ』ジョン・パトリック・シャンリィ 感想

f:id:riyo0806:20220624212909p:image

こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

映画『月の輝く夜に』でアカデミー脚本賞を受賞したジョン・パトリック・シャンリィ、初の戯曲集。ニューヨークを舞台にして、人間同士の心のかよいあいを中心にくりひろげられる現代のメルヘン。

 

南北戦争第一次世界大戦争を経たアメリカ合衆国は、ヨーロッパ諸国からの移民に溢れます。イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、アイルランドなどから先住民たちを数で凌ぐほどの勢いで移り住みます。軍需だけでなく、イギリスに起こった産業革命の影響として、科学や工業製品の流入を伴いながらやってきました。現代のアメリカ人口の九割がこれらの移民の末裔であるという説もあります。

移民により流入された技術は、鉄鋼業や鉄道開通などの重鉄鋼から、飛行機や自動車、高層ビルや大規模商業施設、出版業を中心としたメディア産業など、国を一から作るほどの文明的変化を起こしました。経済が急速に膨らみ、農業大国を世界一の産業大国へと押し上げました。この経済成長に危険性を持たず傍観していたアメリカ政府に、世界恐慌という経済崩壊が訪れます。安定していた大衆の富は瞬く間にもぎ取られ、貧困生活を余儀なくされます。もちろん移民たちも同様に生活が苦しくなり、荒んでいく心に併せて、彼らの住んでいる地域はスラム化していきます。


アメリ東海岸の中心地ニューヨークにあるブロンクスは移民の街として知られています。地下鉄の急速な開発の影響で移民が移り住みやすい環境であったことが大きな要因です。イタリア系、アイルランド系、ユダヤ系が多く、禁酒法時代にはギャング全盛期となり治安が不安定な地域とされていました。

また、文化的にはヒップホップミュージックの発祥の地でもあり、伝説的DJのグランドマスター・フラッシュや、社会派リリックのラッパーであるメリー・メルなど、苦境生活における娯楽を商業文化に変えた天才たちを輩出した街という側面も持っています。


ジョン・パトリック・シャンリィ(1950-)は、このブロンクスの街で生まれ育ちました。両親ともアイルランド系の移民で、街もアイルランド系やイタリア系の移民たちで溢れていました。ニューヨーク大学へ進学すると劇作に出会い、自身の求めた表現方法が見つかったとばかりに、この時から戯曲の執筆に励みます。本作『お月さまへようこそ』が1982年に発表され、遂に劇作家として認められるようになりましたが、それまではバーテンダーから運送屋まで、さまざまな職に就きながら執筆をしていました。


シャンリィの作品には「月」がモチーフとして用いられることが多くあります。スラム街を行き交う人々の表情や心は荒み、争いが常に視界に入っていた日々の中で、彼にとっての心を表す対象は空にありました。夜の暗闇に星と共に輝く月は、日毎に形を変え、天気によって印象を変え、月の光が消える日には宇宙を直接見るような感覚を得ていました。この神秘性は思考を深く沈め、「人と宙」という視点へと辿り着きます。


孤独を生きる多くの人は繋がりを求めています。しかし、人と人との衝突を恐れるあまり、第一歩の接触を拒んでしまい、人の温もりを得られない孤独者は心が荒み、より一層に孤独の殻で心を覆います。覆われた心は宙の月を希望の光のように眺めて、他者との接触に憧れます。そして互いに切っ掛けを介して、遂に心と心の接触を行います。憧れや希望が先行した感情同士は、夢のような歓喜をそれぞれに与えますが、やがて本当の心と心の接触が行われ、悲嘆や悲哀に襲われて苦悩してしまいます。

孤独の寂しさは感情の壁を何重にも建てているために、真の心へ接触するためには対話を必要とします。このときの会話による理解、触れ合いによる愛情、真の心の交流が成り立ったとき、より大きな歓喜が互いに与えられます。


孤独者たちの媒介となる月、或いは宙は、シャンリィの生み出す作品の希望の光として効果的に演出されています。本作『お月さまへようこそ』に収められた六篇の戯曲は、彼自身の思想、体験、希望、解釈を、出来うる限り曝け出して執筆されています。青春や貧困時代、絶望や希望などの感情が読む者に直接的に伝わります。そして彼は孤独者たちへ希望の媒介を伝えようと試みます。

 

見知らぬ者同士が会話を通してお互いを知っていく。そして、心が通じ合えた時に、あたりは満天の星空になる。それは遠い昔から存在し、これから先も永遠に存在し続けるものなのに、人間はその美しさに気が付かないまま時を過ごしてしまう。愛する者と満天の星空を楽しむ喜びーーこれは人間が生きていく上で最も必要な「愛」と「自由」を象徴しているのではないだろうか。

訳者解説で鈴木小百合さんが、第三話「星降る夜に出掛けよう」に関して述べている箇所ですが、シャンリィの作品全般に言えることで、とてもわかりやすく表現されています。


切なくて美しい読後感は、自然に空を見上げたくなります。それぞれ独立した六篇ですが、一貫した価値観を持っていて、シャンリィの感情が強く伝わってきます。戯曲が得意でない方もぜひ、読んでみてほしい作品です。

では。

 

『夢みる宝石』シオドア・スタージョン 感想

f:id:riyo0806:20220623140536p:image

こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

家出少年のホーティがもぐりこんだのは、普通でない人間たちが集うカーニヴァル。団長のモネートルには奇妙な趣味があった。宇宙から来た不思議な水晶の蒐集と研究だ。水晶たちが夢をみるとき、人や動物や植物が生まれる―モネートルはそれを利用して、己の野望を果たそうとしていたのだ。そのことを知ったホーティやカーニヴァルの団員は、恐ろしい運命の渦に巻きこまれていく。幻想SFの巨匠がつむぎだす珠玉の名品。

 

1840年代のアメリカはサーカス興行が盛んでした。広大な国土は、巡業して各地の民衆を楽しませてまわる業態に適していました。また多くの人種による多様な価値観や境遇が溢れていたことも一因と言えます。当時のサーカスには同行するサイドショーの見せ物小屋が併設されていることが多く、こちらも人気を博していました。自然に異形を持って生まれた人々(freaks of nature)が集められ、観客に向けてさまざまな演目を披露する「フリークショー」です。これは、小人症、多毛症、四股欠損など、現代では障碍と認識されている人々によって提供する娯楽的見せ物でした。


1865年に甚大な被害を出したアメリ南北戦争を終えると、世界の科学、工業の発展に伴い農業大国から工業大国へと変化していきます。その利潤は中流階級の大衆たちの生活を潤わせ、実業家が次々と成功し、アメリカ経済を莫大なものへと膨らませていきます。貧困に追われず、生活にゆとりを持ち始めると、民衆は次第に「娯楽」を渇望し始めます。バスケットボールや野球などのスポーツ観戦、ジャズやカントリーと言った音楽鑑賞、そして1900年代に入ると映画が大きく受け入れられ始めます。これを満たす一つの楽しみがサーカスであり、フリークショーでした。

特に映画の発展は目覚ましいもので、大衆の心を強く掴みます。芸術性を備えた娯楽として一つの文化となり、現代にまでもその熱量は変わらずに受け継がれています。反対に、商業的な影が差し始めたサーカスやフリークショーは、興行を維持するために科学を利用した模造の異形を演出し始めます。過剰な演出や衝撃的光景は一定の支持を得ることができました。この模造演出(フェイク)は、現代のマジックショーなどに影響を与えた文化変遷の一要素として認識されています。


しかし、1929年に「暗黒の木曜日」から始まる世界恐慌アメリカを発端に起こります。第一次世界大戦争復興におけるバブル期が弾けた格好でした。工業を中心とした発展は勢いが衰えていきます。そしてそれに伴い、大衆に向けた娯楽文化に変化が起こります。アミューズメントパークやバーレスクツアーの人気に火が付き、華やかな世界を夢みるような演出で溢れていました。大衆は、経済的苦境を跳ね返そうとする熱量を求めていたとも言えます。新たな産業がアメリカ経済を維持していくこととなりました。

またも苦境を強いられたサーカスやフリークショーは、第二次世界大戦争後に、決定的に維持が困難となる出来事が起こります。ハリー・S・トルーマンによるフェアディール政策です。福祉政策を中心とした人権維持の風潮に対して、特にフリークショーは真反対の位置にある娯楽でした。遂には法整備がなされ、フリークショーの存続自体が困難となり衰退していきました。


ニューヨークの作家シオドア・スタージョン(1918-1985)は1950年に本作『夢みる宝石』を発表しました。養父に虐待を受ける主人公ホーティが家出の道中にフリークショーに拾われて物語は進み始めます。赤子の頃から身に付けていた不気味な表情をした玩具は二つの宝石の目を持ち、これに危険が及ぶとホーティ自身にも苦痛が及ぶ不思議な関係を持っていました。この宝石は生命体であり、意思もあり、愛を持っていました。この神秘的な力を悪用しようとする科学者であるフリークショー団長と、その野望を阻止しようとする美しい心を持った異形の者との関係に、ホーティは当事者として巻き込まれていきます。


本作では異形者たちの強く生きる姿勢が前面に見られると共に、苦悩や望みが痛々しく感じられる場面が丁寧に描かれています。しかし同情的な感情よりも、神秘性や美しさが強く前に出されていて、憐れみや悲しみよりも、強さや希望を多く感じることができます。そして物語には愛が込められ、性愛を超えた種族愛へと昇華されていきます。

地球で生まれた生命はすべてひとつの命令にしたがって行動している。それは、「生きのびよ!」という至上命令だ。人間精神はそれ以外の基本原理に思いおよばない。


宝石のみる夢の産物が異形者であるという発想は、当時の社会が抱いていた異形者たちへの憐れみを真っ向から否定するものでした。別の世界、別の価値観を持った美しい生命を肯んじた視点として描かれた思考は、現代のノーマライゼーション思想に通ずる尊重がそこにはあり、個としての尊厳を本質的に守る考え方で描かれたと言えます。

そして本作では美しい心を持った異形の者が、そうではない者たちの世界を守るために自らが犠牲となり、愛する者を救おうとする献身が、読む者に対して強い清らかな印象を残してくれます。


実際にフリークショーの舞台に立っていた異形者たちは、大変な人気だけではなく、活躍に応じた報酬を充分にもらい、観客にいた多くの大衆よりも豊かな生活を送り、社会的にも自立した存在でした。福祉政策による国の姿勢はとても大切なことであり、その政策によって生命を繋ぎ止めることができた人々も多くありました。しかし、そのような異形を持った者の中でも、社会に出ようとして、活躍し、成功した人々がいたことも事実であり、彼らの努力を美しいと感じることは決して間違った感覚ではないと思います。本作は異形者たちに対する社会の風潮や同情心に対して、尊厳的な意味での疑問を投げかけた作品であると捉えることができます。


サイエンス・フィクションとしても読みやすく、次々と場面が展開される物語は、読者を引き摺り込んでいきます。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

riyoriyo.hatenablog.com

『氷山へ』ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ 感想

f:id:riyo0806:20220618142138p:image

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

2008年にノーベル文学賞を受賞したル・クレジオの思考と実践に大きな影響を与えた孤高の詩人アンリ・ミショー。彼の至高の詩篇「氷山」「イニジ」について、ル・クレジオが包括的かつ詩的に綴った珠玉の批評-エッセイ。

 

1963年に『調書』で華々しくフランス文壇デビューを果たしたジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ(1940-)は、ルノードー賞を受賞し、ゴンクール賞にも候補として選ばれました。当時のフランスで中心的な風潮を持っていたアンチ・ロマンとは一線を画す描写で、作家としての立場を確立させました。1966年よりフランスの義務兵役代替としてタイやメキシコなどでフランス語の教鞭を執っていました。フランスを離れて過ごしていくなか、徐々に中南米に対して興味を抱き始めます。


1970年から四年間、パナマで原住民インディオ(エンベラ族)と共に生活しながら執筆活動を行いました。その後、メキシコ文化に傾倒して、ヨーロッパ諸国によるアメリカ先住民への掠奪を研究し、宗教性や信仰性に強く惹かれていきます。魔術的な儀式や独自の信心を学び、実際に体感して、ル・クレジオの精神と価値観に大きな変化を与えます。これは彼の放つ著作にも強く影響しており、作風の変化が明確に表れています。そして非理知性、西欧近代的思考の呪縛から逃れようとする意志は、元来影響を受け続けてきたアンリ・ミショーの詩が大きく開け拡げることになりました。


アンリ・ミショーの詩には相反する孤独が浮かび上がると、ル・クレジオは唱えています。一方は自身を消失させようとする「受動的な孤独」、もう一方は喜怒哀楽を全方位に放つ「積極的な孤独」。ミショーは他者との心の交流を全否定します。しかし、それこそが詩を書く条件であり、外部から影響を受けない真のままの心の放出であると読み手は受け取ることができます。そして、ミショーの詩『氷山』から滲む寒色の感情は二つの孤独に挟まれた生が確かに存在します。


ル・クレジオは非文明的神性への目醒めを、『氷山』から受けた感銘から辿りながら、明確にエセーとして書き記しています。それが、本作『氷山へ』です。

目に映る虚構、いわゆる文明の恩恵や利己に端を発する欲望を覆う社会の表面から、生や心を護るための逃避的な旅立ちを試みます。耳から流れ込む虚飾からの精神的な脱皮、或いは毒に犯された心の救済を目的とした神々への祈りとも言える行為に憧れを抱きます。

天に召すごときの神性を纏った死、神のもとへ帰す行程的で工程的な死、これが生の中心に芯として存在しており、浄化を目的とした憧れを抱きます。現実から真現実へ、自分が存在している虚飾に塗れて作られた社会から、世界の本質的な人間の在りうべき理想とする真現実を夢見るように精神を飛翔させていきます。それは文明社会から〈北〉へ、という表現で終始描かれ続け、白く輝く神々しい極北へと向かって飛んでいきます。

生命の始まりから最期の瞬間まで、ぼくたちは神々の通り道にいる。ぼくたちが詩の声を聞いているとき、あちこちに、極北の楽園は出現する。重たくじめじめした灰色の空を切り開く晴れ間、霧を貫通する白と青の雷光、それらは影のなかで輝きを放つ。生命の中心に、こうして声が戻ってくるたび、ぼくたちの心臓はゆっくり脈打ち、かろうじて呼吸する。


2008年に、新たな旅立ち、詩的な冒険、官能的悦楽の書き手となって、支配的な文明を超越した人間性とその裏側を探究したとしてノーベル文学賞を受賞しました。

どこまでも飛び続ける羽根を広げて、〈北〉へと向かうように読み進めることができる本書の読後感は、二つの寒色の孤独を感じ、白く輝く聖性を纏って帰ってくるような気持ちになります。


詩の批評ではなく、ル・クレジオの書き方、読み方、飛び方を感じることができる素敵な作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

記事索引

f:id:riyo0806:20240224132658j:image
 
感想記事を第一回から最新までを一覧にしました。
よろしければ、ご活用ください。
 

0201-最新



0151-0200





0101-0150





0051-0100





0001-0050






『壊れた風景』別役実 感想

f:id:riyo0806:20220616203041p:image

こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

食べ物からパラソルに蓄音機まで用意された素敵なピクニックの場に通りがかった他人同士。不在の主に遠慮していたはずが、ついひとつまみから大宴会へ。無責任な集団心理を衝いて笑いを誘う快作。

1930年の日本では、数年前の関東大震災から復興しきれぬ中、畳み掛けられるように世界恐慌の煽りを受け、経済は壊滅的な状況に陥ります。震災手形は支払不能となり、多くの企業が倒産して、国内は失業者で溢れます。日本は自国内での経済回復は困難と見て、大陸へ進出して領土を拡大し、そこを植民地とすることで利潤を得て、大規模な不景気から脱却しようと試みます。侵略対象は日露戦争で譲渡された南満州鉄道のある中国華北でした。

同時期、中華民国では北京政府と国民革命軍が激しい衝突を繰り返していました。奉天軍閥の指導者であり北京政府の政治家であった張作霖満州において強い力を持っていました。北京より進軍する国民革命軍への対抗を関東軍(駐屯している日本軍)が助力する形で恩義を売り、満州侵略の足掛かりにしようと目論みます。しかし敢え無く敗れた北京政府と張作霖に対して、日本は利用価値なしと判断します。国民革命軍の起こしたものと見せかけて、張作霖の乗る南満州鉄道車両を爆破します。


その後、国民革命軍は中国国民党となり国家の実権を握り、行政に着手し始めます。張作霖の子である張学良は関東軍からの脅迫を受け続けながらも、中国国民党へ属して軍を率いるようになります。そして、日本への利潤を政治的に減少させようとする意図を含んだ新鉄道建設計画を打ち立てます。関東軍はその意図を崩すために一計を案じます。南満州鉄道が通る柳条湖付近で、自作自演の鉄道爆破を行いました。これを張学良率いる中国国民党の仕業であると断定し、関東軍武力行使を開始します。この満州事変で一帯を占拠した日本は傀儡国である満州国を建国します。

この不当な侵略を中国国民党国際連盟へ提訴します。リットン調査団の報告に関する審議を終えぬまま、関東軍は侵略を継続していきます。いつまでも対抗する形で応戦していた中国国民党でしたが、1937年に北京郊外で起こった盧溝橋での発砲事件により、いよいよ日中での全面戦争がはじまります。そしてこの日中戦争は1941年に太平洋戦争へと統合拡大し、第二次世界大戦争における日本の敗北まで争いは続きます。


別役実は1937年に満州国で生まれます。満州国事務官であった父は動乱の満州において1943年に亡くなります。日本が敗戦国となって満州国から引き揚げることになった一家は、高知県にある父方の親族である寺田寅彦の旧宅へと引っ越しました。その後、母方の実家のある静岡県で一定期間を過ごして、長野県で高校卒業までを過ごしました。

上京してからは浪人期間を経て早稲田大学へと入学します。学生劇団「自由舞台」へと入団して、彼の人生を大きく変化させる鈴木忠志と出会います。


この頃は小劇場運動とも言われる「政治と演劇」が密接に交わった演目が幾度も演じられてきました。その背景には安保闘争が大きく影響しています。1960年初頭から激化したこの学生運動は社会現象となり、日本国民の期待と鬱憤が一度に吐き出されたような激しい嵐でした。街頭演説からストライキ武力行使に至るまで、政府と国民の溝が大きく刻まれていた時代でした。この国民の主張の一つとして小劇場演劇が挙げられます。1961年に「新劇団自由舞台」(のちの早稲田小劇場)を創設した鈴木忠志別役実は、小劇場演劇の第一人者と言えます。数年後には追随する寺山修司唐十郎蜷川幸雄などといった小劇場第一世代たちにより、この主張は大きな文化的効力を持つようになります。

小劇場生活を維持するため、別役実は書記事務員として働きながら時間を見つけては戯曲の執筆を続けます。そして1968年に岸田國士戯曲賞を受け、事務員を退職して作家として執筆に専念していきます。


彼が最も感銘を受けた戯曲は『ゴドーを待ちながら』でした。満州国、太平洋戦争、安保闘争において民衆が国家より受ける不条理を強く感じていた中で、サミュエル・ベケットが描く戯曲に心は共鳴し、この影響が執筆作品に盛り込まれていきます。

本作『壊れた風景』は最も強く思想の表れている作品と言えます。「いえ、ちょっとあれしただけです」「だって、しょうがないでしょう、この場合」「いや、よくわからないんですけどね」「いえ、だから、あんまりもう、あれしない方が」など、一見コメディのような不明確な台詞が続き、登場人物たちは「責任を負わないように」言明を避けながら会話が進んでいきます。しかし行動は欲望に正直に、大胆に、取り返しが付かない方向へと突き進んでしまいます。態度は徐々に開き直り、全員で等分に責任を負えば良いではないかという体系論へと摺り替えて、個人の罪悪を感じさせない心情が垣間見えてきます。


これは日本の国家体系に当てはめることができ、責任不在の意思決定を放つ民主主義体系を批判していると言えます。責任を負うことのないように立ち回り、体系としての決定を相互に求めて、罪悪感を持たないように決定のみを前に出す。このような責任不在決定は、満州国関東軍が行った行為を現地での自発的行為と断じて、体裁を守るためのみの内閣総辞職で「個の責任」から逃れた当時の中枢人物たちの言動と照合します。また同様に、安保闘争における民衆の声を武力で押しつぶした政府の責任追求回避行動は、「個の責任」から逃れるための体系決定であったと言えます。これらの「弾圧の果ての虚無」を生んだ責任は、負う者のない罪悪として残り、国家は擦り続け、体系の結果としてのみ国民に押し付ける格好となりました。


本作では大団円や絶望を超えた結果が待っています。読後、或いは観劇後に得られる、もしくは失う虚無感は、体系の在り方を考えさせられるきっかけとなります。


作品自体は然程長くなく、非常に読みやすい作品ですので未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

riyoriyo.hatenablog.com

『雪のひとひら』ポール・ギャリコ 感想

f:id:riyo0806:20220614221822p:image

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

雪のひとひらは、ある冬の日に生まれ、はるばるとこの世界に舞いおりてきました。それから丘を下り、川を流れ、風のまにまにあちこちと旅を続けて、ある日……愛する相手に出会いました。ひとりが二人に、二人がひとりに。あなたが私に、私があなたに。この時、人生の新たな喜びと悲しみが始まったのですーー。永遠の愛の姿を描く珠玉のファンタジーを、美しい挿画でお届けします。

第一次世界大戦争を終え、イギリス全土のあらゆる方面で疲弊が見られました。経済の不安定さが激しく、アメリカへの依存度が高まるに合わせて、世界の指導者としての立場は移行されていきます。インフレ対策も上手くいかず、国民は貧しく苦しい生活を強いられます。その頼みの綱であったアメリカを発端とする世界恐慌が追い打つように波及して、イギリスでは暗い精神に包まれていきます。また、ドイツではナチスが台頭し、不穏な空気が国際情勢を包み始めます。


1936年、新国王となったエドワード八世は独身であったため王妃を迎える必要がありました。恋仲にあったウォリス・シンプソンは夫人であり、諸々の問題を抱えます。王室の反対にも気持ちを変えることはなく、むしろ強固に募らせ続け、遂には夫人の夫であるアーネスト・シンプソンへ離婚するよう強く求めます。頑なにウォリスと共になることを望んだエドワード八世は、イギリス国政を鑑みた首相スタンリー・ボールドウィンから最後通牒を渡されて、僅か325日間で退位させられます。この「王冠を賭けた恋」はイギリス中の話題をさらいました。

「金持ちで、いい男を見つけて結婚するのが夢なの」と常に語っていたウォリスは、遂に夢を叶えるに至ります。王室から離れてウィンザー公の称号を与えられた夫妻は、フランスへと亡命します。イギリス国内では批判の嵐であり、居心地も悪く、暖かく迎えられる場所のなかった夫妻はアドルフ・ヒトラーの甘言に傾きます。イギリス政府の反対を無視して、ドイツによる国賓の扱いに気分を良くして親交を深めていきます。


1939年にドイツがポーランドへ進軍して第二次世界大戦争が始まりますが、ウィンザー公はドイツとの和平をイギリス政府へ唱え続けます。この言動は国内の政治を混乱させるとして、首相ウィンストン・チャーチルは夫妻をイギリスの植民地であるバハマへ送り、ドイツから距離を置かせます。送られた先の原住民に対する差別的な言動や、戦時中にも関わらず高価な身なりでアメリカへ買い物に出かけるといった行動が、ますますイギリス国民を失望させます。そして遂には、連合国側の情報リークや、「ドイツが戦勝国となった暁には、ウィンザー公を再びイギリス国王としての地位を与える」という密約まで明るみになりました。


1940年から数ヶ月にわたって続けられたロンドンへのナチスによる激しい爆撃(ザ・ブリッツ)では、世界恐慌から戦時下も引き続き貧しい生活を過ごしていた四万人を死へと追いやりました。そして百万人ものイギリス国民が家を失い、数百万人が防空壕で暮らしました。この長期間にわたる空襲は、イギリス国民の心身を傷めつけ、生存者のその後の人生にも大きく影響を与えます。市民軍に加わった国民は傷つき、愛する人を失った遺族はやり場のない怒りと悲しみに苦しみ抜きます。

戦後、総選挙により選ばれた労働党クレメント・アトリーはイギリスの復興を目指す二つの大きな政策を打ち立てます。「ゆりかごから墓場まで」と言われる大福祉政策と、鉄道や資源などの基幹産業国有化です。甚大な被害を受けたイギリスの復興は、ここから始まりました。


ポール・ギャリコは、スペイン系イタリア人の父とオーストリア人の母のもと、ニューヨークで生まれました。十歳にして短篇小説を書き上げるほどの文才を持ちながら、抜群の運動神経でフットボールの名選手として活躍する文武両道の人でした。コロンビア大学へと進んだ彼は学業の傍らで執筆を続け、雑誌に掲載されるに至ります。その後、第一次世界大戦争勃発に合わせてアメリカ海軍予備隊へと志願しました。終戦後に復学し、卒業するとニューヨーク・デイリー・ニューズで記者として勤めます。持ち前の運動神経を活かして、スタープレーヤーたちへ文字通りの体当たり取材を試みます。ボクシング、野球など、実際に体感して身体に傷を作って書き上げる記事は、大衆に好評を博して人気ライターへと登りつめます。その忙しい最中でも、彼は執筆を続けて文学の道を歩み続けていました。

1936年、ハリウッドに作品を高額で買い上げられることになった彼は、この機に記者から作家へと転向します。手にした報酬でイギリス南西部にある港町デボンへと移住して、猫24匹とともに執筆活動に専念します。


訪れたイギリスでは「王冠を賭けた恋」の話題で持ちきりでした。そしてナチス・ドイツの不穏な動きと、世界恐慌の煽りとで、民衆の貧しさと不安が渦巻いていました。ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦争が勃発して、イギリスとフランスはドイツへ宣戦布告をします。彼はイギリス空軍の従軍記者として戦争に参加します。

1941年、戦時中に書いた中篇小説「スノーグース」を出版します。戦時下における美しさを描いたファンタジーで、世界的な支持を受けオー・ヘンリー賞を受賞します。このベストセラーにより、ポール・ギャリコという作家を世に知らしめることになりました。その後も愛する猫を題材にした作品や恋愛物語、ノンフィクションや映画脚本まで幅広く執筆し、次々と成功を収めていきます。


本作『雪のひとひら』は1952年に出版されました。女性の一生を雪の一欠片に擬えて描いたファンタジー作品です。生まれ落ちて世界に出会い、伴侶を見つけて子に恵まれ、悲しみを負って、子の旅立ちを見送り孤独に戻る。多くの女性が人生で感じるであろう「精神的経験」を美しい描写とともに語られています。イギリスを覆い続けた陰鬱な空気は、「王冠を賭けた恋」や「世界恐慌」による貧困、戦時下の「ザ・ブリッツ」などにより、長い期間を包み続けました。これらは人間の欲と欲の激しい衝突が起因となっています。しかし、これらは社会全体に齎す不幸であり、簡単に解消できるものではありません。大衆は生きる意味を欲します。

人間はなぜ生を受けたのか、何のために生きるのか、どのように活力を見出すのか、幸せとは何か、美しさとは何か、愛とは何か、この作品では問い続けます。


「雪のひとひら」は感情を持ち、心を持っています。それは肉体から引き離して「精神」に焦点を当てて描かれています。世に生を受けた彼女は好奇心に溢れる目線で世界との出会いに感動します。そして苦難に出会うたびに「なぜこのような目に」と自問し始めます。幸せと苦難が交互に訪れ、その度に「何者か」へ問い、祈ります。祈りは神的存在へ手を伸ばす行為ですが、彼女自身は神を知りません。しかし、祈りが救いとなることを、もとい彼女自身の救いとなることを欲して望みます。

再び孤独となった彼女は「自己の存在意義」を自身へ問いかけます。何のための生なのか、何の意味があったのか。そう思い人生を振り返ると、そこには「愛」が溢れていました。心を占める愛の大きさ、大切さに気付き、その美しさに生の意味を見出します。そして世界との出会いや調和に、自身の生の意味を見つけ、無駄なものは何ひとつないことを悟ります。自己の存在が世界に影響し、世界が自己に影響を与える、何かに支えられて、何かを支えている。与えて与えられる世界の調和に、孤独を消し去り、意義を持つことになります。


元居た場所へと召される描写は輪廻転生の神性、信仰の清らかさが強く表れていて、読む者自身の心に照応させます。祈りは、人という存在から精神を膨らませて対象へと想いを伝えようとする行為です。神的存在へと向かわせる想いは、純粋な清らかさを帯びて自己の魂を浄化させていきます。本作『雪のひとひら』を読むと祈りを捧げたような読後感を覚え、自身の人生を自ずと振り返ることになります。

ヒソプの枝で私の罪を払ってください
私が清くなるように
私を洗ってください
雪よりも白くなるように

旧約聖書詩編 51:9

聖書において「雪」は、純粋性や清浄さを表現します。雪のひとひらは裸の魂として描かれ、人間の浅はかで醜い欲望を否定します。見つめ続けるべきもの、心を大きく占めている大切なもの、それが「愛」であると訴え、それこそが美しいものであると説いています。


詩的な幻想作品として執筆された『雪のひとひら』は、読む者の心を清らかに洗い流してくれます。生とは何か、人生の意味とは何か、悩むことがあれば、ぜひ本作を読んでみてください。

では。

 

『マクベス』ウィリアム・シェイクスピア 感想

f:id:riyo0806:20220611185921p:image

こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

かねてから、心の底では王位を望んでいたスコットランドの武将マクベスは、荒野で出会った三人の魔女の奇怪な予言と激しく意志的な夫人の教唆により野心を実行に移していく。王ダンカンを自分の城で暗殺し王位を奪ったマクベスは、その王位を失うことへの不安から次々と血に染まった手で罪を重ねていく……。シェイクスピア四大悲劇中でも最も密度の高い凝集力をもつ作品である。

デンマーク王子として「自身はどうあるべきなのか」と悩み続けるハムレットと比較すると、マクベスの小心性は顕著に見られます。大きな性格、性質の違いとしては、「宿命」に生きた前者は生まれ落ちたその日から抱える王者の資質、責任、立場を常に纏いながら考えて行動します。育つ環境が齎した「王の器」が一個人の欲や野心を小さなものとして抑えつけ、「こうあるべき」とする行動理念を持ち続けます。これに対して後者は、手に届きそうになった憧れの立場を魔の預言によって奮い立たせ、人道に反する手段で手に入れます。環境が受け入れてもなおマクベスは罪悪感、背徳感により心を恐怖と悩みで溢れさせ、一向にスコットランド王としての生き方を果たしません。これは白痴であるというだけではなく、「王の器」を持ち合わせていないことから「こうあるべき」の理念が生まれず、自己の心と身体を守ることが中心の思考となっています。

しかし、マクベスは本質的に悪徳を備えていたわけではありません。冒頭に描写される彼の戦における勇猛な働きぶりは、生命を心の前に差し出して恐れを抱かず薙ぎ倒し続ける勇者の如きです。本質的に悪の素質を持ち合わせていないからこそ、悪の所業を成したがために心は苦しみに侵され、「悪の器」を持たない彼は心を病み、自滅していきます。


マクベスが魔女の預言により擡げた野心は、マクベスの妻にも飛び火します。本作の執筆時期は1606年ごろですが、題材となり実在したマクベス王が統べていたのは1040年ごろです。女性の権利は現代のように尊重されてはおらず、夫を支える良き妻として振る舞うことを求められていました。勿論、作中でも誤った支え方とは言え、マクベスを王とさせんとする妻としての熱量はとても激しく描かれています。愛するが故に人道を踏みはずす、と解釈することもでき、そのような研究も盛んになされていますが、底部にはより深い欲が潜んでいます。

ジョン・シンガー・サージェントが描いた「マクベス夫人に扮するエレン・テリー」では顕著にその欲が表れています。女性の立場では何をどのように成しても得ることが出来なかった「王の座」に、マクベス夫人は強く憧れていたと考えられます。ダンカン王の滞在をマクベス以上に千載一遇の好機と受け止め、怯むマクベスに鞭打ち、挑発し、囃し立て、殺戮へと至らせます。主犯とも言える彼女の言動は、当然の如く罪悪感と背徳感が襲い掛かり、「王の器」を持たぬ彼女も精神を壊されて自滅します。

f:id:riyo0806:20220611191839j:image


啓示的に物語を動かし始める怪奇的な存在も『ハムレット』と『マクベス』は対比的です。先代の王の亡霊に「復讐心」を与えられて「どうあるべきか」と悩むハムレットと、魔女たちの預言により「野心」を目覚めさせられて「それを成したい」と心に抱くマクベスは、「善」に悩む前者と「悪」に囚われる後者とに置き換えることができます。

「どうするべきか」を突き詰めようとするハムレットは、己の「宿命」を明確に意識して行動しようと試みます。いま存在している自己(現自己)を、あるべきようにありたい自己(本自己)へと昇華させようとする激しい情熱を持ち合わせています。これに対してマクベスは「宿命」そのものを追い求めています。自分は何者であるのか、何を成すことができるのか、人生に科せられたものは何か、それを明確に捉えることができずに生きています。そこに三人の魔女による預言を聞かされて、それが「自身の宿命」であると受け止めます。だからこそ、王を弑逆する行為に対して義務的な台詞が飛び出します。

やってしまって、それで事が済むものなら、早くやってしまったほうがよい。


王位を強奪したマクベスには安穏は訪れません。猜疑心、背徳感、恐怖心、幻影、そしていつまでも安息の訪れない環境に苛立ちを募らせます。離れていく仲間の一人であるスコットランド貴族マクダフは、暴政に変革を与えるために謀反を企てます。家族をも顧みずに国を憂い、イングランドへ逃亡したダンカンの子マルコムの元へ、命懸けで救いを求めます。一万の兵を率いてマクベスの立て籠る城へと突き進み、遂にはマクベスとマクダフの一騎討ちへと展開します。

まだ死ぬのではないぞ、一太刀あびせぬうちに死なれては、死んだ妻子の亡霊に生涯つきまとわれようぞ。天にたのむぞ、あいつに会わせてくれ!それだけだ、俺の願いは


妻や城、臣下や仲間、何もかも全てを失ったマクベスは、追い詰められたこの一騎討ちにおいて、最後の盾さえも自ら捨ててしまいます。そして遂に彼が持つ本来の勇猛さを取り戻します。

さあ、これが最後の運試しだ。このとおり頼みの楯も投げすてる、打ってこい、マクダフ、途中で「待て」と弱音を吐いたら地獄落ちだぞ


劇中の当時においては下剋上自体は然程に珍しいことではなく、特別な悪行として槍玉に挙げられることはありませんでした。しかし、そのような者が統べる国は総じて衰退の一途を辿りました。本作はその原因を人間の内実に焦点を当てて表現されています。「王の器」を持ち合わせぬものの野心は、殺戮と憎悪を生み出すのみで、全ては不毛に帰すると嘆いているようです。


シェイクスピアの四大悲劇中、最後に書かれた本作『マクベス』は最も短い作品です。しかしながら、劇的に進められる展開は感情を常時ゆさぶられ、どっしりとした読後感を得ることができます。大変読みやすく惹きつけられる作品ですので、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

riyoriyo.hatenablog.com

『脂肪の塊』ギ・ド・モーパッサン 感想

f:id:riyo0806:20220607225533p:image

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

プロシア軍を避けてルーアンの町を出た馬車に、“脂肪の塊”と渾名(あだな)される可憐な娼婦がいた。空腹な金持たちは彼女の弁当を分けてもらうが、敵の士官が彼女に目をつけて一行の出発を阻むと、彼女を犠牲にする陰謀を巡らす――ブルジョア批判、女性の哀れへの共感、人間の好色さを描いて絶賛を浴びた「脂肪の塊」。同じく、純粋で陽気な娼婦たちと彼らを巡る人間を活写した「テリエ館」。

1868年、スペイン女王イザベラの悪政に見切りをつけた役人や軍人は、クーデターを決行して国政から追放し、フランスへ亡命させるに至ります。空位となったスペイン王座を利用しようと画策したプロイセン首相ビスマルクは、プロイセンのホーエンツォレルン家血縁のレオポルトを推し、スペインの承諾を得ます。レオポルトカトリックであり、ポルトガル王家の血縁でもあったため説得性は強く、ビスマルクが政治利用するのにうってつけの人選でした。プロイセンとスペインが同盟以上の関係となることは、両国と隣り合わせの位置にあるフランスにとっては大きな脅威であり、当然の如くナポレオン三世はこの承諾に反対を示します。プロイセン王ヴィルヘルムへ大使を送って行われた会談では、王座継承撤回の決定が成されました。しかし、首相ビスマルクはこの会談内容の報告を大きく誇張して印象を操作し、恰もナポレオン三世が理不尽な要求をヴィルヘルム王へ提示したように見せかけた、世に言う「エムス電報」を両国の世論へ打電します。この挑発に憤慨したナポレオン三世は、国内で高まる反プロイセン感情を煽動してプロイセンへ宣戦布告し、1870年に普仏戦争を起こします。


四十万人もの常備兵で固められ、軍備が万端であったフランスは意気揚々と攻め込みます。しかしながら蓋を開けてみると北ドイツ、南ドイツを含めた百二十万人もの徴兵を集めたプロイセン軍が迎え撃ちました。(これにより独仏戦争とも言われます。)約十ヶ月を掛けた戦いは、プロイセン軍の数に物を言わせる形勢となり、ナポレオン三世はこれ以上の兵の被害を出さぬため白旗を掲げました。敗北したフランスは、五十億フランとロレーヌ地方の一部を譲渡することによって講和に至りました。フランス第二帝政が崩壊してプロイセン軍がパリに入城して勝ち誇ります。我が物顔で街を闊歩し、店内を制圧し、邸を我が物とする態度にフランスの大衆は激怒します。抗議の黒旗を街頭に垂らして、受けた屈辱を晴らすかのように新たな労働者政権パリ=コミューンを立ち上げます。団結した民衆の勢いは求心力を持ち、忽ち大きな影響力を持って国政へと介入します。この危険因子をプロイセンドイツ帝国)は見過ごす訳はなく、発足後の僅か二ヶ月で崩壊させ、保守的ないわゆるブルジョワ共和制(第三共和制)の時代が始まります。


ギ・ド・モーパッサン(1850-1893)はノルマンディー地方ブルジョワ階級に生まれます。裕福ではありましたが父母の不和が原因で母と共に別荘で暮らして育ちます。パリ大学へと進みますが、間も無く普仏戦争が勃発して戦地へと赴きます。遊撃隊として実戦を経てナポレオン三世が降伏すると、彼の心には大きな屈辱と敵国への憎悪が生まれます。しかし祖国へと帰り、憎悪の根源は戦争そのものにあるという考えに至ると、戦いそのもの、そして起因となる国の事情、権力者の都合に対して怒りを燃やし始めます。


パリに出て海軍省に勤めだすと母の親友であったギュスターヴ・フローベールと出会い、イワン・ツルゲーネフエミール・ゾラなどの作家と面識を持つようになります。文学へ傾倒し始めたモーパッサンは、自身でもフローベールの師事を受けながら執筆を始めていきます。彼が三十歳のとき、ゾラが中心となって、普仏戦争を題材とした共同執筆作品集「メダンの夕べ」を新進作家と共に発表します。ここに掲載された作品が本作『脂肪の塊』でした。自然主義に描かれた作品群の中でも、モーパッサンの作品は大いに評価され、フローベールからも「間違いなく後世に残る」と太鼓判を押されるほどの力作でした。


主題が明確でありながらも中篇小説という構成が困難なものに描かれた簡潔で隙のない筆致は、読後に強い印象と感情を与えます。フランスにおける上流貴族(商人、伯爵など)と下級民(娼婦、革命家)の対比が、普仏戦争によって振り回された自身の感情を踏まえて、鮮やかに濃淡を持って書かれています。戦後においてもなお、自らの商売や生活を守ることに固執した保守派の貴族たちは、都合の良い解釈や巧みな口車でその場を渡り歩きます。しかし大衆は愛国心から、国政を憂い、行く末を案じながら自らに出来うることは無いかと模索して口論までも行います。本来なら権力者たちが愛国心を持って大衆を改革へと導くべきはずが、腐食したブルジョワジーの思想や生活のため、保守的思考が固まって大衆のことなど眼中から無くなってしまいます。それに反して大衆が持つ愛国心は数を増して力を持ち、やがて革命思想へと変化して民衆が起こす改革が生まれます。


こうした改革は押し潰されることが常です。力を持った保守貴族が、我が身の可愛さから革命の芽を摘み取ります。この縮図とも言える登場人物たちが偶然に乗り合わせた馬車で出会い、向かった宿で共に過ごすこの物語は、大衆が貴族に面と向かって伝えられない鬱憤や悲嘆が存分に込められています。

娼婦エリザベットは強い愛国心を持った情熱的な女性として描かれています。上流階級にも怖気付くことなく、自分の意見を述べて対等に接します。腹積もりの無い施しも快活に、奥ゆかしく、丁寧に振る舞います。貴族たちは助けられたことに感謝し、お礼と共に褒めそやします。しかしもう一人の下級民である革命家コルニュデと口論を交わす場面も見られ、感情を激しく表す性格も備えていることがわかります。

このようなやり取りの感謝や敬意も、宿に着いて状況が変わると完全に掻き消され、貴族の勝手な感情や考えが浮き彫りになります。貴族たちは策を弄して彼女を陥れ、彼らだけに都合の良い結果を齎します。愛国心を弄ばれ、正義的感情で行動に移したエリザベットは紛れもない犠牲者でした。そこへ追い撃つように、貴族たちは彼女を蔑み、穢らわしいものを見るかのように接して、「自業自得よ」と薄ら笑います。ここには大衆を賎民として芯から蔑視していることが描かれており、愛国心や崇高さは全く感じられません。


毅然と在ろうとしながらも涙が流れてしまうエリザベットに革命家コルニュデは革命歌「ラ・マルセイエーズ」を歌ってエールを送ります。これはフランス革命の時に歌われたもので、腐敗したブルジョワに向かって愛国心を叫びつけるものであり、貴族たちはその当て付けに嫌悪します。

祖国を思う清きこころ、
導けよ、支えよ、吾らが膺懲の腕を。
自由よ、いとしの自由よ、
倶に征け、汝が戦士らと。


保守的な上流貴族と愛国心を持つ下級民との対比は、「性」と「食」を巡って繰り広げられます。この二つの欲は貴族たちが重きを置いていた、或いは優先的に発散していた欲であり、貴族の腐敗具合を顕著に表すものと言えます。そして、これらに溺れていた上流階級に支えられていたフランスという国の敗北は当然であると糾弾し、芽を摘まれた小さな革命家たちへの哀歌として「ラ・マルセイエーズ」が響きます。貴族たちが酒を飲みながら楽しむカード「捨て札」のように扱われた娼婦エリザベットに、読者は強く共感して憤ることになるでしょう。


中篇小説でありながら見事な構成で、風刺や皮肉の切れ味は素晴らしいものがあります。非常に読みやすく、強く惹き込まれる作品ですので、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

riyoriyo.hatenablog.com

riyoriyo.hatenablog.com

『北回帰線』ヘンリ・ミラー 感想

f:id:riyo0806:20220604001109p:image

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

〝ぼくは諸君のために歌おうとしている。すこしは調子がはずれるかもしれないが、とにかく歌うつもりだ。諸君が泣きごとを言っているひまに、ぼくは歌う。諸君のきたならしい死骸の上で踊ってやる〟その激越な性描写ゆえに長く発禁を免れなかった本書は、衰弱し活力を失った現代人に最後の戦慄を与え、輝かしい生命を吹きこむ。

ヘンリ・ミラー(1891-1980)は、アメリカのブルックリンにあるウィリアムズバーグの移民地域で幼少期を過ごします。人種や言語が無差別に入り混じる街中で「人間」に対する観察力が強く養われていきます。文化の統一が見られない街では成長期の価値観に与える影響は大きく、好奇心も強まって育ちます。彼は大学を二か月で辞め、未開の西部へ放浪します。彼の好奇心は、想像力と探究心から多くの文化を持つ世界へと視野を広げていきます。しかし、職について得た初任給「自由にできる金銭」が好奇心を「性」へと方向転換します。奔放な性生活は好奇心を満たすだけでなく、性への執着をも強めていきます。


1917年、第一次世界大戦争にアメリカが参加すると、ミラーは陸軍省で暫く勤め、経済調査局へと移ります。しかし職務に好奇心を持てなかったために職を転々として、なかなか定職に就くことができず、漸く1920年に電信会社に入社しました。仕事に人生を集中させることに拒否感を持っていた彼は、元来愛していた読書に耽ります。ヘンリー・ライダー・ハガード、ヘンリク・シェンキェヴィチ、マーク・トウェインなどを愛していた彼は、フョードル・ドストエフスキーの作品に出会い、強く感銘を受けました。これらが彼の文芸土壌となっていったと言えます。休暇を利用して執筆していた彼は、1922年に処女作『切られた翼』を遂に書き上げます。これを機に執筆に専念するという大義名分で定職から離れます。

 

世間の評価が食べていけるほどのものではなかったため貧困に苦しみますが、大変美しく頭脳も明晰なタクシー・ガール(職業ダンサー)のジェーンという女性が生活を支えました。気性の激しい彼女との生活においては、不和と熱愛を繰り返します。遂には苦悩による死をも考えていた中で、ミラーは「書くことが生きること」という考えを見出すに至ります。そして妻も家も責任も全てを放棄し、1930年に友人に借りた十ドルを片手にロンドンを経由してパリへと移ります。しかし、海を渡ると間も無く世界恐慌の煽りを受け、貧困に輪を掛ける生活を余儀なくされました。

 

1930年代のパリは、耽美と退廃が覆い尽くし、性と娯楽の境界が曖昧な夜を繰り返していました。「夜のパリ」としてこれらの風景を写真芸術として収め、大きく評価されたハンガリーの写真家ブラッサイは、フランスで出会ったミラーの大切な友人の一人でした。友人を作る才能が飛び抜けていたミラーは散財と無心を繰り返しますが、孤独になることはあまりありませんでした。彼の内に秘める芸術家としての血液を感じ取り、才能の端々を見逃さない人たちに生命を繋ぎ止められます。サルバドール・ダリパブロ・ピカソ、アルベルト・ジャコメッティアンリ・マティスなど、フランスに凝集されていた芸術活力の中心地にいた芸術家たちに囲われて文学芸術家ヘンリ・ミラーが存在していたのでした。そして文学においては、友人を介して小説家アナイス・ニンと知り合います。恵まれない生い立ちからの経験によって、性愛に対する哲学的思考が強かった彼女は、性愛に広い関心と探究心を持つミラーに惹かれていきます。


アナイス・ニンの序文を添えて出版された本作『北回帰線』は文筆家たちから多くの批判(小説として成り立っていない、性描写が多過ぎる、など)と、文学者達から輝かしい評価を得ました。ジョージ・オーウェルジョージ・エリオットオルダス・ハックスリーなどが、奇才とも言える作者に大きな賞賛を与えます。詩人ブレーズ・サンドラールはミラーを的確に評価した言葉を残しています。

「ミラーの作品は小説とは言えないかもしれない。しかしそれはまぎれもなく文学とよぶしかないものである」


「虚無の価値観」を持って語られる独白はロストジェネレーション(失われた世代)の血脈を感じさせられます。ニヒリズムが随所に感じられる筆致には、苦悩、苦悶、苦痛、嫉妬、皮肉が溢れています。本作『北回帰線』は、日常の現実的描写から脳内の妄想描写へと変化し、緻密な性描写から観念の探究へと変化して、読む者を独自の世界へと引き摺り込んでいきます。ここにミラーの哲学が織り込まれています。


幅広く使用される語彙から受ける作品に込められた芸術性は、シュルレアリスムキュビズムダダイズムアナーキズムフォーヴィスムなど、パリで活性化され、変遷されていった芸術混沌を内包していると言えます。しかし、彼は随所に「破壊と創造」を込めています。彼が筆致から感じさせる「虚無感」には、対を成すように「再構築」が掲げられます。それは「絶望の先の希望」を決して失わないとする姿勢であり、芸術作品に込めるべき思想という絶対的な信念であると言えます。彼は、生きることは芸術家であること、そして文芸家であることを徹底して追求し、訴え続けます。

「世界は秩序づけられるべきものではなく、実現された秩序である」

芸術とは真実を語ることである、創造ではなく再建であり現実である、と唱えるミラーは、既成概念や日常から精神を解放することで「真現実」に達するというシュルレアリスム的芸術論を文学で体現しようと取り組んでいました。『北回帰線』は顕著にそれを成した作品の一つであると言えます。

われわれの誰もが自分に対して希望をいだけないのかもしれない。だが、たとえそうであっても、最後の苦悶を、血を凍らせる怒号を、反抗の悲鳴を、闘いの雄叫びを、絶叫しようではないか!歎くことをやめよ!悲歌、挽歌を追放せよ!伝記、歴史、図書館、博物館を追放せよ!屍肉は死せるものに食わせろ!われわれ生けるものは、噴火口のふちで踊ろうではないか、最後の絶息の舞踏を!だが踊りは踊りなのだ!


決して逃避でない「脱自己」による文章は、俯瞰以上に自身の観念を眺め下ろして「現実における幸福」を再建しようと思惟します。そこには性愛も存分に盛り込まれ、神仏的な理想以上に「人間の幸福」を突きつけます。

小説とは言えない「文学」に込められた芸術性を、未読の方はぜひ体感してください。

では。

 

riyoriyo.hatenablog.com

privacy policy