RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『法王庁の抜け穴』アンドレ・ジイド 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

無償の行為を実践して意味なき殺人をするラフカディオ、奇蹟により改宗したアンティムの破綻、地下室に幽閉されている法王を救い出すためと称して詐欺を働くプロトス……。複雑多岐な事件の発展の中に、人間の行為の底にひそむ偶然と必然の問題が明快に描き出される。近代小説に新たな展開をもたらした作品。一九一四年作。

1947年に「人間の問題や状況を、真の大胆不敵な愛と鋭い心理洞察力で表現した、包括的で芸術的に重要な著作に対して」ノーベル文学賞を受賞したアンドレ・ジイド(1869-1951)。

フランス第二帝政期のルイ・ナポレオン統治下に生まれます。1852年の帝政発足当初、言論・出版の自由などを規制し、権威主義的手法による統治を行いました。しかし1860年ごろから、貿易外交に対する資本家からの反発が、政権の権威を失墜させ民衆暴動を扇動しかねない状況に陥ります。これを避けるために自由主義的手法の統治へと切り替えます。ちょうどこの言論・出版の規制緩和がなされ始めたときにジイドは世に生まれます。


大学の法学部教授であった父親は十一歳のときに亡くなり、母親の以前の家庭教師が同居するという奇異な環境で育てられます。両親と家庭教師は、厳格なプロテスタントで克己主義を基盤とした精神教育を行います。ジイドは極端に臆病者であり、学業で良い成績を残すことができず優柔不断な人物で周囲の期待を裏切りながらさらに過剰な精神教育を受ける悪循環に陥っていました。父親が亡くなってから数年後、書斎の出入りを許可されテオフィル・ゴーティエハインリヒ・ハイネギリシャ古詩などを読み耽ります。二十三歳で兵役に向かいますが肺結核の診断により一週間で除隊させられます。そこから彼は文学の世界に沈み込み、自ら執筆を行う志を抱いていきます。


彼は当時のヨーロッパ全土を実質支配していたキリスト教による道徳観や倫理観から民衆の意識を解放する目的で自由小説を執筆し世に訴えかけました。しかし、これはローマ教皇庁に対する挑戦的な行為と見做され、彼の著作は長きにわたり禁書に指定されてしまいました。このような批判的・諧謔的な作品をジイドは「ソチ」(茶番劇)と分類しています。


フランスにおいてカトリックに対抗する勢力を持った組織がありました。フランス革命時の中心人物が属していた「フリーメイソン」です。ヨーロッパ全土で見ると圧倒的なキリスト教支配でしたが、フランス人権宣言の根本思想と共通する友愛団体に変貌したフリーメイソンは国民の支持を強く得ていました。会員であれば相互に助け合うという考えは心身共に生きづらい人々の救いにもなり得たのでした。この組織活動を良しとしないカトリックは、フリーメイソンを「旧体制からの脱却を図り国家転覆を狙う危険な組織」という印象を流布して警戒します。反対にフリーメイソンは「政教分離」を訴え国務に就いている教職者たちを追放し、対立は激化して二十世紀後半まで続きます。


ジイドは、真実の相対性を主張し、その考えに沿い『法王庁の抜け穴』を執筆しました。ヌーヴォー・ロマンの作家たちは理解同調し、その思考に傾倒していきます。真実は個人の価値観を通して見つめる事になるという思考の作品を生み出していきます。


詩人であり外交官であるポール・クローデルは友人でした。彼は信仰厚いカトリックでした。しかし、信仰による民衆の救済を目指す彼には、ジイドの作品に引っ掛かりを持つことがしばしばあり苦言を呈します。

1909年にジイドが出版し作家として世間に認められた『狭き門』では、「神の在り方における解釈」に対して批判します。「神は与えるものであり、取り上げる存在ではない」と強く悟します。それを受けてもなお、ジイドは本作『法王庁の抜け穴』にて「宗教界やその在り方」を痛烈に揶揄した事にクローデルは憤慨し、2人の不仲は決定的となりました。


本作の中核を成す主題「無償の行為」。ラフカディオという青年の言動で描写され、今なお哲学や精神医学までを巻き込んで研究され続けているテーマです。

ラフカディオは、街で偶然に遭遇した火事で燃え盛る火の中へ飛び込み、子供を救出して名乗りもせずに立ち去ります。しかし一方、汽車に乗り合わせただけの男をさほど強く不快を感じたわけでも無く突き落として殺してしまいます。

後者の「動機なき殺人」にはラフカディオの心中描写もありますが、「実際に出来るのか、自分にできるのか、いやできる」という自己特別視に通じるあまりに身勝手な切っ掛けでした。彼にとって、偶然に殺人を犯す絶好の機会が巡ってきたというだけでした。

この被害者であるフルーリッソアルは法王救出のために編成された「(詐欺の)十字軍」に心身を投げ出しコメディとも思えるほどの滑稽さに塗れ、挙句にラフカディオによる救いのない最期を遂げます。ここに信仰により与えられる不遇が強く揶揄されています。


また、坐骨神経痛を患うアンティムが所属する結社はフリーメイソンであると示唆されており、奇跡の治癒でカトリック信仰へと鞍替えした描写がなされています。実際に苦痛の中にあるものはカトリックの教えに耳を傾けること自体が困難であり、健常なものだからこそ受け入れることができる信仰であると揶揄されています。また深い信心をもったカトリックであるジュリウスはカトリックへ寝返ったアンティムに対し批判的な言葉を投げかけます。

あなたがこの鼠たちに対してしておいでのことを、あなたに対してするのがやはり当然だと、教会にも認めさせたいものです。ともかく、あなたを盲にしてしまったのですから。


上記のような、神や信仰を冒涜した描写がクローデルの琴線に触れ、関係修復不可能な溝を作り生涯不仲となってしまいました。ですがジイド自身は神への信仰に否定的であったわけではなく、「本来的な神の信仰を怠る教会組織の腐敗」に対する嫌悪感を抱いていたように感じ取ることができます。何よりキリスト教が持つ本来の「愛の哲学」は常に描写され続けていたことからも裏付けられます。


本書は夷斎と称される石川淳さんの訳本です。石川淳さんはカトリックではありませんが深い関心を持っていました。その大きな要因のひとつにクローデルの存在があります。

クローデルは駐日大使として来日し石川淳さんと親交を持ちます。クローデルの訪日は第一次世界大戦での勝利に浮かれ世界への視野が広がっていた当時の日本にとって歓迎するものでした。在京フランス研究団体の主催による歓迎会が行われた際、石川淳さんはこれに出席し「フランス文学について」の講演を聴きました。「民衆の為」ではなく「民衆それ自身の立場に」在ってものを言う文学者としての言葉を受け、大きく感銘を受けました。石川淳さんは当時、社会主義思想に強く関心を持っていたため、カトリック思想に含まれる社会主義的側面から徐々にキリスト教へと造詣を深めていきます。


1925年に日本国内で治安維持法が成立し、文部省による社会主義思想に対する圧力が強くなりました。石川淳さんが教鞭を振るっていた高等学校の社会主義研究会も例に漏れず押し潰され、生徒たちを教唆したとの理由で学校側から職を辞するよう強要されます。同時に東京のクローデルも、この時期の文部省の抑圧的な政策について、「共産主義の研究は禁じられるべきものではない」と批判的な姿勢を見せましたが結果は変わりませんでした。左翼活動が叶わず、徐々にカトリックへの探究心は削がれていきます。そして暫くの間、信仰や思想を見つめ直す放浪生活を送ります。その間に手掛けた翻訳作品が本作でした。


この訳本はカトリック精神から距離を置いたからこそジイドの描いた風刺を鮮明に理解して訳すことができたと考えられます。信仰は大切なものですが、深い信心を持つ人ほど信仰における人への影響を俯瞰することは困難であるのかもしれません。


深刻な題材でありながら滑稽な描写が度々あり、読み進ませる筆致は見事と言えます。

機会があればぜひ、読んでみてください。

では。

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