RIYO BOOKS

RIYO BOOKS

主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『クロイツェル・ソナタ』レフ・トルストイ 感想

f:id:riyo0806:20251003181906p:image

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

転換期以後トルストイの最も円熟した時代に於ける代表作。同名の名曲を聴いた感銘を創作上に表現した傑作。嫉妬のため妻を殺した男の告白を通して、この惨劇が如何なる理由で行われなければならなかったかを迫真の筆で描き、性問題に関する当時の社会の堕落を峻烈に描き出す。肉欲を否定するトルストイの性欲小説。


1803年にウィーンで発表され、今なお最高峰として愛されているベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調」。当時ではヴァイオリン助奏つきのピアノ・ソナタが主流であったのに対し、この曲は「ほとんど協奏曲のように、きわめて協奏的に」と題付けられ、ヴァイオリンとピアノ演奏が対等のものとして作曲されています。ヴァイオリンの序奏から導かれる楽曲は、両楽器が高め合うように、一方的とならない相乗的な盛り上がりを見せる美しい曲です。「クロイツェル・ソナタ」の名で知られるこの曲の演奏に、強い衝撃を受けたロシアの文豪レフ・トルストイは、肉欲の衝動に苦しんだ自身の精神を題材として、同名の文学作品『クロイツェル・ソナタ』を書き上げました。


貴族の出身であるトルストイは、精神の持つ敬神の強さと、抑えきれない肉欲の強さに、若い時分から苦しんでいました。1854年クリミア戦争参加時、二十六歳の彼は日記に「欲望は凄まじく、ほとんど肉体的な病気の域だ」と記すほど、自己の肉欲に嫌悪を示します。若い貴族の風習として、娼婦を買う行為や淫行そのものは「成長過程に必要な経験」と見做されることが多く、世間では暗に推奨するようなきらいまであったため、トルストイが肉欲に身を委ねたことは、特別に汚らわしいとは考えられていませんでしたが、彼独自の生真面目で神経質な性格と強い神への信仰が影響し、終生、彼を苦しめ続けることになりました。


トルストイは神への敬意から、人間は精神を清澄に保つことを心掛け、その精神を「肯定的に捉えられる」肉欲を満たし、精神の目指す生活志向と性愛行為が一致するべきである、という考えに至ります。これは不貞を否定し、神が望む人間の心身充足を目標とした合理的な結論でした。この精神はトルストイの実生活に影響し、妻に十三人もの子を産ませたという事実からは、避妊は神が望むものではなく、これに背いて神からの怒りを受けることを恐れたのだと理解できます。また、トルストイは女性の本分が家庭のなかにあると考えていました。この点は『アンナ・カレーニナ』のキチイが見せる「愛と信仰」によって、トルストイの持つ「家庭における女性の理想像」として美しく描かれています。そして対照的に、アンナが「肉欲と破滅」を提示することで、人間の精神と信仰を、幸福へ向けることを促しました。


しかし、この『アンナ・カレーニナ』を発表した頃からトルストイの精神は苦悩で満たされ、人生の無意味さや生き苦しさから自殺さえも考えました。この精神との戦いを経たトルストイは、神を敬う新たな思想を構築し、民衆へ向けた「人間かくあるべし」という啓蒙を行っていきます。作家から説教家として生きる彼は、思想に基づいて私有財産を放棄するという考えから、すべての著作の権利を放棄しようとまで考え、妻と激しく対立することになりました。家庭の反逆は彼に絶望を与え、結婚観や家族観を大きく変化させます。そのような変化を、本作『クロイツェル・ソナタ』で直截的に描き出しました。人間の持つ肉欲の愚かさ、またそれを抑制できない弱さ、そして嫉妬が大きな破滅を招くという要素を、ポズドヌイシェフという貴族による「自身の妻殺し」の告白によって提示します。


発表した当時のトルストイは、文豪の枠を超えた思想的な指導者として国民から見られていました。『クロイツェル・ソナタ』が持つ破壊的な思想はロシア帝国に危機感を与えるとして、当局検閲によって発売禁止とされました。しかし、発表されながらも禁書となったことが更なる民衆の関心を集め、手書きによって広められていき、多くの時代を担う若者たちが貪り読みました。家庭は肉欲とよって築き上げられた、そのような説法を受けた若者は婚姻と出産に幻滅し、自らはそれらを拒否するようになりました。


トルストイは、肉欲の依存性を恐れていました。神が人間に与えた「繁栄」という性行為の目的は、やがて人間の持つ「肉欲」というものに置き換えられ、快楽に溺れる愚劣な行為にすり替えられたとする考えが、彼自身を苦しめていきます。この性行為における嫌悪を、トルストイは「屍」と表現します。人間が肉欲に溺れるとき、精神は死んだ状態にある。このような考えを、彼は隠喩という形で肉欲と嫉妬を「殺し」で表現しました。作中では不倫による直接的な肉体関係の描写は見られませんが、状況的な証拠、そして両名の言動がそれを裏付けていることは明らかです。ポズドヌイシェフが嫉妬による殺害を引き起こした思考の根底には、冒頭の引用句が存在しています。

 

されどわれなんじらに告ぐ。およそ情欲をもちて婦を見る者は、心のうちすでに姦淫したるなり。

マタイ伝第五章第二十八節


ポズドヌイシェフは「繁栄」を否定する性行為、つまり、「肉欲」を満たす性行為を拒否します。避妊をする性行為は神への冒涜である、ならば性行為そのものを断つべきである。そう考えを述べると、聞き手は人類は絶滅してしまうと困惑します。しかしポズドヌイシェフは、繁栄を目的とせずに道徳的に生き、その結果が絶滅を招くのであれば、むしろその方が善であると説きます。これはポズドヌイシェフと重ね合わせたトルストイ自身の発言でもあり、彼の強い敬神が招いた既存の家族観の否定であると言えます。

 

肉の愛がなにか特に高尚なものででもあるように考えることをやめなければならぬということと、人間に値いする目的は、人類に対する奉仕にしろ、祖国に対し、科学に対し、芸術に対する奉仕にしろ(神に対する奉仕は言うにおよばず)、すべてわれわれが人間に値いするものと考えるほどのものである以上、いかなるものであろうとも、結婚ないし未婚における恋愛の対象物との結合によって達せられるものではなく、反対に、恋愛とか愛の対象との結合などは(詩や散文の中でいかにその反対を証明しようとつとめようとも)、けっして人間に値いする目的の達成を容易にするものでないばかりか、むしろ常にそれを困難にするものである

トルストイ『クロイツェル・ソナタ』後語


ベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」はヴァイオリンの序奏で始まります。そして、すぐさまピアノと対等の激しい交わりが繰り広げられるという様子は、トルハチェーフスキイがポズドヌイシェフの妻を誘惑し、彼女がすぐに心を委ねたという想像を自然に補ってしまいます。トルストイが精神の苦しみから肉欲の危険性を描き出した本作『クロイツェル・ソナタ』、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

riyoriyo.hatenablog.com

privacy policy