RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『海賊船』岡本綺堂 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

元は徳川の御家人であり、明治維新ののちに英国公使館で日本語書記を務めていた父親のもとで岡本綺堂(1872-1939)は生まれました。士族らしく彼は漢文や漢詩を習う一方で、父親と同じように英国公使館で働く叔父より幼い頃から英語を学びました。また、父親の人脈や歌舞伎に関心のある母親の影響で在学中より観劇に多く足を運び、彼もまた強い興味を抱くようになっていきます。あるとき、父に連れられて新富座の興行を観た折に楽屋へ向かうと、十二代目守田勘弥に引き合わされました。「團菊左」の時代を牽引した座頭で、当時の界隈で最も重要な一人でした。また、当時の花形である九代目市川団十郎とも接する機会を得ました。綺堂は、団十郎の横柄なもの言いや態度に反感を抱いていると、「あなたも早く大きくなって、好い芝居を書いてください。」と言われ、父親に「わたしはそれをみなさんに勧めているのです。片っ端から作者部屋に抛り込んで置くうちには、一人ぐらいはものになるでしょう。」と言い放った言葉に怒りを覚えて、そのようなものは断じて書かない!と心に決めてしまいます。しかし、繰り返し興行に足を運び、多くの演目を目にするうちに感動を覚えて自らも足繁く通いたいと熱望するようになります。小遣いで暮らす身の上には「團菊左」のような大芝居(格上の興行)には入ることができなかったため、安く多く観劇できる小芝居へと足を伸ばしました。緞帳が降り、廻り舞台も花道も無い小劇場は木戸銭三銭、座布団代一銭、茶代一銭(大芝居は五人詰め桟敷一間四円五十銭、一人当たり九十銭)で観ることができましたが、観客層も当然変わり、緞帳芝居という蔑称で呼ばれていました。家族の腰巾着として大芝居を観て、小遣い銭で小芝居を観ることを繰り返していくうちに、歌舞伎台本にまで関心を持ち始めて自ら芝居を書きたいと強く思うようになっていきます。結果的に団十郎の思惑通りにことが進むことになりました。


明治時代の歌舞伎といえば、何よりも「団菊左」であると言われていました。九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎、初代市川左團次の三人は当時の界隈の花形で、鎬を削って日々観客を沸かせていました。綺堂は劇作家になりたいという志と純粋に観劇したいという思い、そして社会に出て生計を立てていかねばならないという考えから、父親の紹介で1890年に東京日日新聞に入社しました。当時の歌舞伎は民衆の関心が強く、毎日の新聞に劇評が掲載されていました。その劇評家を担うために新聞記者となります。各座頭も新聞での劇評が重要な広告となることは重々に理解しているため、各新聞社へ劇評を書いてもらうために記者用の座敷を設けて招きます。これに綺堂は東京日日新聞の記者として選ばれ、毎日のように観劇しては批評を書くという仕事に就き、社は何度か変わりますがこれを二十四年間続けました。歌舞伎への造詣を深め、文章の書き方を修得し、のちの劇作家として歩む基礎がこの時期に確立したと言えます。


当時の劇作家は「座附作者」と呼ばれており、各座が専属作家を抱えてそれを演じるというものでした。例えば、歌舞伎座福地桜痴団十郎の、市村座河竹黙阿弥菊五郎の、明治座の竹柴其水は左団次の、と言ったように花形へ当て書きをするように作品を生み出す風習でした。これには、座の持つ「色」や「間」、俳優の持つ「柄」や「仁」を理解しておく必要があり、座附作者自身がそれらを理解して書かなければ良いものが生まれるわけがないという考えのものでした。このような世界のなかへ、ただ劇作を生み出したところで受け入れられるわけはなく、歌舞伎の劇作家を目指すということは非常に険しい道であることが綺堂にも理解されました。


しかしこのような歌舞伎界は、明治の文明開化によって流入した西洋の演劇に影響された世論によって「歌舞伎の風潮そのもの」を批判するようになり、筋書きの荒唐無稽さや特異な慣例などが槍玉に挙げられました。そして1872年に、守田勘弥や「團菊左」の代表者たちは東京府庁に呼び出され、道徳的な是正を求められます。さらに1878年には、伊藤博文と依田学海(森鴎外に漢文を教えた『ヰタ・セクスアリス』の文淵先生のモデル、漢学者で文芸評論家)によって演劇改良運動を指示されました。この運動の意図は荒唐無稽で破綻した筋を無くし、西洋でも歌舞伎が通用する演劇を目指すというものでした。しかしながら、この推進された演劇改良運動は、結論的に言えば皇道思想鼓吹や忠孝奨励を強く描いて、忠臣義士の史実を民衆への教養としようとするもので、あくまで政府によるプロパガンダに近しく、「芝居」としては寧ろ破綻してしまっている考えでした。つまり演劇性を消滅させて政府にとって都合の良い思想を押し付けようとするもので、当然ながら良い作品が出来上がることはありませんでした。歌舞伎の持つ独特の魅力、必要な要素は、先に思想が立つものではなく、一座の「色」や「仁」が何より重要であると言えます。

 

歌舞伎において、演技の巧拙はもとより、「仁」ということを重視するのも、姿かたちを第一とすることのあらわれである。仁とは、役柄にふさわしい柄━━体躯、風貌、持味━━をいう。たとえば九代目団十郎にとっては、髪結新三や弁天小僧などは仁にない役で、これらは五代目菊五郎の仁に合う役だ、といった具合に。西洋の演劇や新劇の場合もむろん向き不向きはあるのだが、歌舞伎ほど鮮明ではない。これは歌舞伎において役者の肉体条件(芸風を含めての)が、舞台成果において占めるパーセンテージがはるかに大きいことを物語っている。ということは、劇的内容にもとづく役の内面的性格とか、せりふを介して伝わる論理的内容よりも、声や姿の視聴覚的なイメージのほうがより大切だということにほかならない。これは能で「得たる風体」というのに似ている。つまるところ、その俳優の肉体条件、持味芸風に役柄がぴったり合ったとき、はじめて演技も生きるのだ。役者の魅力の十分な発揮を第一とする、━━これが日本の演技論あるいは俳優術の大前提である。

河竹登志夫『演劇概論』


このような混迷に陥った歌舞伎界に、明治が後期に入ると座附作者とは異なった作家が現れます。西洋の戯曲に影響を受けた翻訳家や、歌舞伎に多く触れ続けてきた劇評家、文壇において既に名声を確立していた小説家などが、演劇改良運動によって歌舞伎界の作家の在り方に変化を与えたことを切っ掛けに歌舞伎芝居を書き始めました。確かに世論が荒唐無稽さに批判を与えていたことには変わりなく、各座も過去の演目を演じ続けることは府庁の意に反することになるため、何らかの手を打つ必要がありました。そして明治座で劇評家の松居松葉が左団次を当て書きにした『悪源太』が上演され、座附作者でないものの台本が初めて演じられました。さらに劇作家の山崎紫紅が真砂座での『上杉謙信』と、明治座での『歌舞伎物語』を、続いてシェイクスピアの翻訳家である坪内逍遥の『桐一葉』が中村座で演じられました。こうして歌舞伎界の風習を破り、座附作者でない者が生み出した作品が大いに受け入れられるようになり、これらを「新歌舞伎」と呼びました。


この時期に綺堂の創作欲も高まっていよいよ書こうかという矢先、歌舞伎座から劇作の依頼がありました。お正月の薮入り連を相手に(当時は盆正月に観劇するのは位の低い者だけと言われていたため)、しかも共作という形ではありましたが、時代の挑戦と受け止めた彼は劇作家の岡鬼太郎とともに『金鯱噂高浪』(こがねのしゃちうわさのたかなみ)を書き上げました。歌舞伎座の座附作者から持ち込んだ際に無理難題を吹っ掛けられましたが、劇場へ迷惑を掛けられないという思いと、劇作家としての志の意地とで跳ね除け、ついに上演となりました。世評はあまり芳しくはありませんでしたが、歌舞伎座芝居の劇作家として歩みを始めた記念すべき作品です。その後、綺堂は劇作を続けて『鳥辺山心中』『番町皿屋敷』『修禅寺物語』などを生み出して新歌舞伎の代表作家の一人に数えられるようになり、彼の生んだ作品は「綺堂物」と呼んで親しまれました。

 

(修繕時物語について)第一には荒唐無稽な在来のプロットに変えるに、ギリシャ劇以来の伝統たる三一致の法則を踏まえた構成上の合理性。第二には空虚な形式美にたよった歌舞伎に、近代的知性にもうけ入れられる内容を導入した思想性。即ち在来の義理と人情、武士道と町人道といった封建的二元対立の世界に、個性尊重の近代的主題をもりこんだこと。第三には歌舞伎とちがった簡明直截で淡雅清純な新しい情緒の創造。このような諸点で、歌舞伎の近代的合理化の役割を果した第一作といってよい。

河竹登志夫『演劇概論』


劇作家としての立場を確立した綺堂は、1913年に新聞記者としての勤めを終え、執筆に専念することになります。生活における時間的な余裕、さらには天性の禁欲主義とも言えるほどの生活(酒、遊興、博打など一切関心を持たない)から、彼は小説という形での執筆にも取り掛かりました。時は明治にして、彼は江戸の語り部という如くにその景色を描き、当時(江戸)における社会の変遷、伝統の変化と伝統固持の共存を、細やかな観察眼と淡々とした語り口で描いていきます。そして1917年に、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」に感銘を受けて執筆した捕物帳の先駆『半七捕物帳』を生み出しました。さらには、1923年の関東大震災の被害で蔵書を全て失った彼は、文献を必要としない元来好んでいた怪談物を自らの創造と記憶の江戸の風景を融合させて、独自の幻想的な哀愁漂う作品をも生み出していきます。当然、この最中にも歌舞伎の仕事は疎かにせず、劇評を含めた執筆を延々とこなしていました。常人では想像できないほどの執筆量であったと考えられます。

 

一旦かうと云ひ出したら、あとへは引かぬ御気性は、奴もかねて呑み込んでは居りまするが、なんぼ大切の細道具ぢやと云うても、ひとりの命を一枚の皿と取替へるとは、このごろ流行る取替べえの飴よりも余り無雑作の話ではござりませぬか。どうでもお胸が晴れぬとあれば、殿さまの御名代にこの奴が、女の頬桁ふたつ三つ殴倒して、それで御仕置はお止めになされ。

岡本綺堂『番町皿屋敷


綺堂の作品は、歌舞伎にしても、捕物帳にしても、怪談にしても、情話にしても、物語の激しさを抑えて江戸の風景描写から心情の哀愁へと繋がるように淡々と描かれており、切ない物語を読み終えたあとには「清涼感のある虚無」がそこには漂います。江戸時代の景色や風俗が驚くほどの臨場感で描かれたのち、幕が閉じるそのときに一切合切が泡のように消えてしまうのは、終えた時代であるためか震災によって失った虚無感が蘇るのか悩ましいですが、それでもさっぱりとした読後感を残すのは一種の江戸の粋人情が齎しているものかと考えてしまいます。

 

作者である綺堂は、物語に溺れず、突き放さず、丹念なる目配りで、描いていく。文体は、かれの立ち姿そのままに、しゃっきりしゃんと背筋が通り、うつくしい。実に冷静な、客観的姿勢なのであるが、学者が対象物を観察分析する作業とは異なり、画家がテーブル上の静物を見詰める目付きに似ている。画家が静物に相対する時、そのテーブルの上に、自己の内面をも見詰めることになる。カンバスに描かれる静物は、画家の分身でもある。テーブルの自己と静物、それらを等距離に見詰め、淡々とカンバスへ映しとる手技。

杉浦日向子『うつくしく、やさしく、おろかなり』


本作『海賊船』は1919年に発表されたもので、『半七捕物帳』と同時期に発表された情話の一つです。舞台は幕末の安政二年に始まります。四国丸亀の藩中で百二十石の侍である戸崎新九郎は、陽明学を修めていたために突如主君より追放を言い渡されます。これは大塩平八郎の騒動がこの陽明学による禍であると幕府が目を付けていたため、主君も巻き込まれまいとした手立てでした。四十歳の彼と三十四歳の妻千鶴、十五のお房と十一のお俊という娘二人、そして十七になる女中お末とともに四国の地を出て大阪へと船で向かいます。荒れることの少ないと言われる瀬戸内がこの日に限って酷いものとなり、揺れの激しさを乗り越えながら、予定より手前の兵庫の港へ停泊します。船が傷んで修繕が必要になる一方で、千鶴が慣れない船旅で弱り果ててしまい、さらには娘が疱瘡となって旅を進めることができなくなりました。長く宿を取ることになり、僅かの蓄えで遣り繰りしなければならないため、宿を安いものに変えて家族は療養します。容体も良くなりそろそろ発とうかというときに、宿の隣人から快復祝いを受けてともに酒を酌み交わします。大阪まで船旅で行くか陸路で行くか、意見の分かれていたなかで、この客人は船乗りであったため安く安全な船旅を斡旋すると言い出して、それを新九郎は頼むことにしました。しかし、これは悪の手引きで、例の客人は少女を拐引かす海賊に繋がっていました。出航時間が早まったとして新九郎一家を叩き起こし、浮舟のない乗り場へ連れていき、海に濡れないようにと少女をおぶって先の見えない海へと船頭は進んでいきました。船も船頭も見えない闇のなかで新九郎と千鶴は取り残され、不安になって方々に娘らの名を叫びます。海賊船であったと理解したときには既に遅く、そこには荷物も娘らも運び去られてしまった海が漂っているばかりでした。


このような経緯から、女中お末の奮闘が始まります。彼女は足軽であった親を亡くして、新九郎のもとへ奉公に出ていました。ここから山椒大夫を思わせる脱出劇と救出劇が進められます。救われたと思う度に他の困難が襲い掛かるなか、お末は忠臣から新九郎へ娘二人を届けねばならないという思いで、健気に立ち回ります。当時(江戸)の人身売買や旅芸人一座の負の面を随所に溶け込ませて、情景を思い描きながら彼女の奮闘記を読み進めることができます。また、苦しいばかりでなく、うつくしい心を持った人からの救いの手もあり、これは一服の清涼剤のように僅かな晴れやかさを齎してくれます。引き込まれる筋立てや綺堂の筆致もさることながら、何より広範な彼の観察眼と記憶力が情景描写を緻密にして、物語が目の前で繰り広げられるように脳内へ映し出されます。

 

実際、その螢は母の亡き魂であるかのように、三人の行く手を照らして庭口から表門の方へ導いて行った。そうして、どこかへ消えてゆく螢の影を、お末は見送って、手をあわせた。不取締りの屋敷だけに、門番は宵から寝てでもしまったのであろう、門の潜りはさっきのままに明けてあったので、三人はやすやすと門の外へぬけ出して、初めてほっと呼吸をついた。それでも藤太郎のことが気にかかるのであろう、お房は黙って俯向いて歩いた。


語り調子は淡々としていながら、登場人物の持つ感情を鮮明に映し出して読む者を惹きつけます。歌舞伎芝居、捕物帳、怪談などで名を広めている綺堂ですが、このような情話にこそ、彼の持ち味が凝縮されて描かれているように感じました。本書には表題作『女魔術師』という大正時代の旅芸人一座を題材とした作品も収められており、こちらも大変読み応えがあります。岡本綺堂の情話、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

 

『ある奴隷少女に起こった出来事』ハリエット・アン・ジェイコブズ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

好色な医師フリントの奴隷となった美少女、リンダ。卑劣な虐待に苦しむ彼女は決意した。自由を掴むため、他の白人男性の子を身籠ることを──。奴隷制の真実を知的な文章で綴った本書は、小説と誤認され一度は忘れ去られる。しかし126年後、実話と証明されるやいなや米国でベストセラーに。人間の残虐性に不屈の精神で抗い続け、現代を遥かに凌ぐ〈格差〉の闇を打ち破った究極の魂の物語。


1492年のクリストファー・コロンブスによるアメリカ大陸発見から始まったスペイン・ポルトガルによる新大陸の支配は、原住民アメリカン・インディアンへの激しい侵略行為から始まりました。彼らは新大陸を植民地化するため、広大な土地を奴隷化させた原住民に労働を行わせようとしましたが、誇りと命を懸けた反抗を受けたために抑圧し、原住民人口を減少させてしまいます。スペインは植民地を維持させる労働力を確保するために、今度はアフリカの黒人奴隷を船で運び移住させることを始めました。これが大西洋の奴隷貿易となり、多くの黒人奴隷がアメリカ大陸へと渡ります。そして隷属的な労務によって耕された農園は、食糧や商材を生み出して支配国へと供給される大規模な「プランテーション」が構築され、使役するプランテーション奴隷制度が定着します。

しかしながら、西欧諸国がこの新大陸の植民地化を傍観することはなく、イギリスやフランスを中心にこの新大陸へと介入していきます。そして原住民を含めた植民地戦争が頻繁に起き、結果的にイギリスが優位に支配を進めていきました。この怒涛のイギリスの戦争勝利はイギリスの財政を圧迫させていったため、戦争費用の負担を植民地側の徴収負担で賄おうとします。すると植民地側の支配者たちによる強い反発を受けることになりました。植民地側の支配者たちは団結し、大陸会議を開いて支配本国との縁を切って独立国家を目指します。そして1775年のアメリカ独立戦争、翌年の独立宣言を経てアメリカ合衆国が形成されました。


その後、独立したアメリカ合衆国は西部を中心としたフロンティア開拓へと進み、原住民から土地を略奪して領土を拡大していきます。また、国家成長が進むにつれて政党の対立が起き、民主共和党(現民主党)と国民共和党ホイッグ党)の二大政党が政権交代を行う時代となりました。後者のホイッグ党は、政府の強化や最高裁判所の権力維持といった権威主張を主とした政党でしたが、政策のなかに逃亡奴隷法を認めるものがありました。これは南部のプランテーションから逃亡した黒人奴隷を元の所有者へ返還させるというものでしたが、奴隷制度に反対する運動家から激しい反発が起きて、黒人奴隷解放運動を活性化させることになりました。このような奴隷制度批判はアメリカ合衆国全土の問題となり、奴隷プランテーションを経済の糧としていた南部と、国家としての自由成長を望む北部との対立が明確に現れます。そして起こった南北戦争によって北部の主張が通され、産業を中心とした発達を目指す近代国家としての歩みは保たれ、黒人奴隷は法的に解放されました。


この1865年に制定された合衆国憲法修正第十三条によって黒人奴隷制度は廃止され、黒人を含めたすべての人に自由が認められました。しかし、この法律には意図した欠陥がありました。この条文には「犯罪者に罰を与える場合は除く」という例外規定があり、罪人に対しては本人の意思を無視して使役させることができるというものでした。これを悪用するように南部の元支配者たちは、自由を手にした元奴隷の黒人たちをありとあらゆる理由で逮捕して犯罪者に仕立て上げ、法的に刑に服させました。この頃には「囚人貸出制度」というものがあり、受刑者が民間企業に派遣されて労働力となるもので、炭鉱作業や道路整備などの危険な作業を中心とした長期労働を与えられました。

また、実際の生活で見ると、解放された黒人たちは「公的自由」を手にしたものの、保証や福祉がある訳でもなく身体ひとつで社会に投げ出されたため、奴隷としてのプランテーション労務から失業という状態の自由を与えられた状況にありました。綿花を中心としたプランテーションは地主によって維持されていたため、結果的に元奴隷たちは「シェアクロッパー」(利益を分けられる労務者)として出戻ることになりました。このため、元奴隷たちは自由による地代や徴税により貧困は免れず、結果的に彼らが描いた「自由な」生活は与えられませんでした。そして南部の白人たちは、プランテーションが実質的に元の形を取り戻し、社会全体の奴隷解放で盛り上がった風潮も落ち着きを見せたころ、黒人への締め付けをより厳しくしていきます。


1870年ごろに南部で広まった州法「黒人取締法」(ブラック・コード)は、奴隷解放後の混乱を収めるとともに解放奴隷の社会的地位を「規定」するためのものでした。黒人専用車両、黒人専用席、黒人専用居住地など、明確な差別を州が認めて実行し、公共機関だけでなく民間企業にまで派生して社会に定着しました。特に1890年以降はこのような差別的州法が次々に制定され、黒人は職業や居住地、さらには教育などの自由を奪われ、選挙などの権利を実質的に剥奪される状態に陥ります。そして追い打つように、白人至上主義者(クー・クラックス・クランなど)による暴力的な抑圧と、「隔離しても平等」というアメリ最高裁判所の新たな法的根拠によって、二十世紀に入ってもアメリカでの黒人差別は続きました。


第二次世界大戦争後に、世界的な植民地解放の動きに合わせてアメリカ黒人の中に新たな解放運動として始まったのが、1950年代後半から隆盛した「公民権運動」です。これは黒人に対して、選挙権、社会保障、福祉、教育といった合衆国憲法に記されている市民として権利「公民権」を与えるように要求するものでした。これを牽引したのがキング牧師を含む聖職者たちです。そして1964年に公民権法が実現しました。南部諸州の「ジム・クロウ法」(1896年にアメリ最高裁判所が「隔離は差別ではない」という判決を基にした公共機関などでの黒人隔離や黒人の権利剥奪を認める法)は無効となり、政府には黒人を含む全てのアメリカ市民の権利を保護する権限と義務があることが認められました。その後、黒人の参政権も回復され、南部諸州でも多くの黒人が公職に選ばれることになりました。しかしこれには背景があり、特に冷戦下にあった政府による人種差別の社会容認は、民衆あるいは世界各国を共和主義へと傾倒させ、親ソ運動を活発化させる恐れがありました。この時、形式的に国が人種差別を撤廃しようとする姿勢を見せる必要があったため、奴隷解放を認めたという側面があります。

そのため、公民権法を支持した白人の多くは、法的平等を約束したこの法律の成立によって果たされたと考えました。彼らは黒人に対するこれ以上の差別解消は、自らの持つ白人の特権が薄れる可能性を感じ、これ以上の「法的平等」を望みませんでした。つまり、多くの白人は社会における自らの優位性を維持するため、社会、経済、教育、居住、就職などの面での「黒人の立場の向上」を望まなかったと言えます。


このような社会風潮を政府が煽動したため、「実態的な黒人差別」は解消されるどころか助長され、立場の格差はより一層激しく開いていきます。1980年ごろになると、白人は居住地や学校を黒人と明確に区分し、貧困により疾病が蔓延するといった劣悪な環境が構築され、やがて黒人の住む街はスラムへと変化していきます。黒人スラムを取り締まる白人警官は「レイシャル・プロファイリング」(人種を基に嫌疑をかけて捜査する差別行為)によって黒人を多く検挙します。特に黒人の間で流通する固型コカインの使用による刑罰は、他のドラッグの使用よりも重い罪となっており、長期間服役しなければならないという点からも黒人に大して政府が差別を容認しているということが窺えます。また、囚人による労役はアメリカにとって経済的に利潤を多く生みます。囚人が増えて刑務所を建ててそこで雇用を生み出し、刑務所を誘致する州には助成金が与えられ、刑務所の運営に民間企業も参加し、囚人は労役によって国に利潤を与ええています。「産獄複合体」と呼ばれる形態ですが、この利潤に必要な囚人を警察は「黒人を狙い撃ちして」検挙しています。1865年のころと同様に、「犯罪者に罰を与える場合は除く」という条文を、現在でも黒人に対して国そのものが実行していると言えます。奴隷制度によって崩壊した優位な白人の道徳観は、現在にも受け継がれて被害を生み続けています。


本作『ある奴隷少女に起こった出来事』は、このような黒人奴隷制度の被害者であるハリエット・アン・ジェイコブズ(1813-1897)による自伝作品で、1861年に出版されました。プランテーション奴隷制度全盛期から、奴隷解放運動隆盛の時期を描いたものです。自らが体験した「人間を売買する」という嫌悪されるべき行為と、与えられる理不尽な環境での苦しみ、譲ることのできない自らの誇り、苦痛のなかでも繋がり続ける家族の愛が、辿々しい文章ながらも切実に描かれています。


奴隷を主軸にした作品は、身体的な残虐行為やリンチの場面が多く描かれ、読者へ激しい衝撃を与えるものが多くありますが、本作では「精神的な苦痛」に焦点を当てています。ジェイコブズ自身、美しい容姿によって主人フリントに気に入られたため、過酷な肉体労働や理不尽な殴打などは受けません。ですが、彼女はフリントに性的隷属を求められます。そして、他の女性奴隷はそのような隷属を受け入れ、身体的にも奉仕します。もっと言えば、彼女の周囲にいる家族を含む奴隷も、基本的人権はもちろんのこと、法的な人格保護は与えられていません。奴隷である以上、恋愛の自由、結婚の自由などは無く、家族とともに住むことすら幸せで恵まれた環境にありました。それに対して、ジェイコブズは奴隷制度そのものが歪であると理解して嫌悪します。彼女は恋愛の自由を求め、貞操を守り、家族の愛を大切にします。しかし、これらの彼女の守りたいものを、フリントは彼女を手に入れんがために脅かし、精神的な苦痛を与え続けます。理不尽な暴力の代わりに、精神的な隷属をさまざまな手を使って強要してきます。ここには社会から見た「ジェイコブズの人間性」は完全に無視されています。奴隷制度は身体的残虐性だけでなく精神的残虐性も同等に備えていたと感じられます。また、奴隷制度は支配する白人側の思考や倫理を崩壊させるといった面の記述もあり、当時のホイッグ党による逃亡奴隷法を認めた姿勢にも批判を与えていることが理解できます。

 

身内のどんな腐心も徒労に終わったが、神は見知らぬ人々の中で、友をわたしに授けてくださった。そしてその友は、ずっと願いながら得られなかった貴重な恵みを、わたしにもたらしてくれた。友!それはありふれた言葉で、安易に使われすぎる言葉である。世にあるほかの善い、うつくしいものと同様に、ぞんざいに扱うとかがやきを失ってしまう言葉である。だが、わたしがブルース夫人を友と呼ぶとき、それは聖なる響きを持つ。


彼女の堅固な理性と誇りは、結果的に彼女を幸福の光が見える場所へと導きました。しかし、その幸福とは「基本的人権」の範疇にあるものであり、差別が無ければ彼女は生まれながらに手にしていたものでした。

2020年にジョージ・フロイドという黒人男性が、白人警察官によって不適切な拘束方法で殺害されました。解放され、自由を手にしたはずの黒人は、いまだに差別を受け続けています。真の平等社会を求めることが困難なことを改めて感じます。本作は、差別に関して考えなおすきっかけとなる作品でした。『ある奴隷少女に起こった出来事』、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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『にんじん』ジュール・ルナール 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

にんじん色の髪の少年は、根性がひねくれているという。そんなあだ名を自分の子供につけた母親。それが平気で通用している一家。美しい田園生活を舞台に繰りひろげられる、残酷な母と子の憎みあいのうちに、しかし溢れるばかりの人間性と詩情がただよう。


ジュール・ルナール(1864-1910)はフランス西部に位置するマイエンヌで地元役人の父親のもとに生まれました。この父親は一般公共事業の請負業者で、のちに彼の出生地であるブルゴーニュ地方シトリー・レ・ミーヌに移り住んで市長となりました。反聖職者の共和党員であった彼に対し、母親は金物商人の家柄の娘で、敬虔なカトリック信者でした。ルナールが生まれると一家はすぐにシトリーへと向かいます。パリのシャルルマーニュ高等学校で文学の学士号を取得しましたが、高等師範学校の試験は成績が振るわなかったことから断念して、兼ねてより関心を強く持っていた文学サロンやサークル、演劇の劇場などへと通い歩きました。数多くの文学作品を読み耽り、意見を交わし、彼は自身の持つ文芸性を養っていきます。1886年には自費出版で詩集『薔薇』を発表するなど、活動は熱心に行なっていましたが、生活を営むほどの収入を得ることはできませんでした。それでも彼は執筆活動を続け、幅広く読書し、パリの文学カフェに頻繁に通い、そこでコメディ・フランセーズの女優ダニエル・ダヴィルに出会います。彼女によるルナール作品の朗読は大きな効果を生んで、非常な好評で一時の成功を収めます。


1672年に劇評家ジャン・ドノー・ド・ヴィゼが創刊した文芸誌「メルキュール・ガラン」は、ブルジョワの知識人階級に対して、世の学問や哲学、文芸や時事問題を報じることが目的でしたが、ファッションやゴシップなどにも内容は広がり、結果的に商業誌としての大きな成功を収めました。そして古典の芸術研究や宮廷生活など、幅広い記事の内容から多くの支持者が生まれ、民衆へ与える影響が巨大なものになったことで政府からの編集委員が介入し、「メルキュール・ド・フランス」と改称して公的な要素を含む文芸誌と変化しました。寄稿者にはギヨーム・トマ・フランソワ・レナールやヴォルテールなどが参加していましたが、その後、フランス革命による情勢の変化でナポレオンにより廃刊されました。この「メルキュール・ド・フランス」の復刊に尽力したのがルナールでした。象徴主義として括られた詩人たち(ジャン・モレアス、サン=ポル=ルー、アルフレッド・ジャリなど)とともに、1890年に再刊し、大きな成功を見せました。そして1894年に自身の執筆で自伝に脚色した小説『にんじん』(Poil de carotte)を発表します。


「私は自分自身をシトリー・レ・ミーヌ出身としての子供の心を持っていると言える。私の第一印象はそこで生まれたからだ。」という彼の言葉からも窺えるとおり、幼少期を過ごした最も美しい景色と、最も印象的な経験とを、彼は色鮮やかに心に保っていたことが理解できます。本作は、赤い髪とそばかすを備えた「にんじん」と呼ばれる子供の目線で進められます。自分勝手な兄、母に言いつけて憂さ晴らしをしようとする姉、無関心な父、そして常に虐げ続ける母、この4人とともに暮らす少年の短い出来事が次々と繰り広げられます。しかし、完全に迫害されているわけではなく、父や兄と狩りに行き、川へ泳ぎに行き、親戚の家に泊まるといった出来事も含まれています。最も彼に害を与えるのは母親です。兄や姉を愛し、完全に差別化して「にんじん」に接します。家族に愛されないという苦痛は、少年には特に心を傷つけます。母親からの命令は、彼に肉体的な苦痛と精神的な我慢を永続的に与え続けます。なぜ兄や姉は愛されて、自分は迫害されるのか。考えてもわからない問題によって心を閉ざしていき、愛情の欠如を「他への暴虐」として発散します。土竜や猫を嗜虐的に殺め、そこに喜びを感じるという怒りの発散描写は憎悪と悲しみが滲み出しています。


しかし、迫害に対する忍耐はやがて限界を迎え、「にんじん」は遂に母親へ反旗を翻します。母親の指示を拒否して行動を完全に停止します。実に現実的な反抗の描写は読む者へ共感と勇気と緊張を与え、少年の心が最大限に高揚していることが理解できます。それを受けた母親の態度には、戸惑いは見えるものの、反抗の理由や心情を理解しようといった思考には向かわないところに哀れさを感じさせられます。

また、終盤では「にんじん」が父親へ虐待を受けていることを打ち明けます。父親は理解しているような素振りを見せますが、根源的な家族が持つ心情についての関心が無さすぎることから、少年の持つ問題や抱く危険性を理解しません。この点でも同様に哀れさを感じさせ、恵まれない家族への諦めが少年の心に見えてきます。


愛情の乏しい家族に囲まれて生まれる幼少期の挫折と苦悩が、本作には隅々まで敷き詰められています。少年のなかで育まれる屈辱や憎悪は大きく膨らみ、その環境から身を守るための弱者特有の狡猾さが身に付き、それが彼の行動となって周囲へ現れます。このような描写には、ルナールが抱いた家族への感情が懐疑や皮肉となって作中に込められ、胸中を吐露するように「にんじん」の心情へ映し出されています。ルナールの持つ誇張のない客観的な家族への目線と、自らの抱く懐古的な心情を持った思い出とが、シトレーの美しい景色と融合して読む者へ哀愁を共有するような感情を与えます。そして「にんじん」を通して、家族愛を熱心に求めていた心情と、家族愛を一向に与えられなかったことを、ルナールは独白するように描いています。

「誰もが孤児になれるわけではない」という考えが読み進めるほどに強くなり、ルナールの主張が奥から顔を出してきます。子供は家族を選べない、ならば自分で人生の道を切り拓き、自分の人生を見出して歩まなければならない。切ないながらも社会を生きるために必要な、重要な考えです。

 

他の者は他の者で苦労はあるだろうさ。でも、僕あ、明日、そういう人間に同情してやるよ。今日は、僕自身のために正義を叫ぶんだ。どんな運命でも、僕のよりゃましだよ。僕には、一人の母親がある。この母親が僕を愛してくれないんだ。そして、僕がまたその母親を愛していないんじゃないか。


1897年に父親が病を苦に心臓を撃ち抜いて自殺しました。ルナールは、1904年に父親のあとを継いで、共和党員としてシトレー市長に就任します。自分の求める家族愛を与えてくれなかった家族の死は、それでも愛を求めるルナールをシトレーの地へ縛りつけました。大人の世界では、寛大さも誠実さも報われません。狡猾でなければ切り抜けられない場面もあります。「にんじん」の生きた環境は少年には絶望的なものでした。そこから彼は、明晰な狡猾さを持ってそこから逃れようとしました。ルナールは本作で、彼の深い観察力と緻密な描写から生まれる冷淡さと正確性をもって、皮肉や知性のなかに愛を求める優しさを次代に向けて描いたのだとも言えます。


多くの章で細かく区切られており、非常に読み進めやすいジュール・ルナールの代表作『にんじん』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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『デカブリストの妻』ニコライ・ネクラーソフ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

十九世紀、ツァーリの圧政に抵抗し酷寒のシベリアへ流されたデカブリスト。その妻たちの美しい愛情をうたい上げた長篇叙事詩

 

十六世紀より続いた皇帝(ツァーリ)による専横政治によって、ロシアでは上流貴族(ブルジョワ)による封建制と、地主貴族による農奴制が基盤となった社会が続いていました。国家は農奴たちを負担から逃がさないように罰則で土地に縛り付け、法的な土地緊縛を確立させていました。結婚の自由もなく、裁判権は領主に委ねられ、罰則は領主によって執行されるという、まさに奴隷的な処遇でした。また上流貴族(ブルジョワ)は、専横政治そのものに不満を抱き、引き上げられ続ける税徴収などに対して皇帝に反抗する一方、封建的な貴族社会を維持して資本を肥やすことに熱心でした。皇帝と貴族は関係悪化が進みましたが、大帝ピョートル一世によってこの関係は一時的に緩和されました。大帝は、西欧文化や哲学、またはそれによって構築した政治制度の導入によって上流貴族の抱えていた税負担の不満を解消し、(専横政治における)政治官僚制度を整えて国軍を強化しました。そしてロシアは、バルト海黒海支配下に置いて交易ルートを確保したことでヨーロッパ列強国の一つとなるまでに成長し、この十八世紀前半の大北方戦争の勝利によって、ロシア帝国と改めて名乗り、世界的にも力を持つ大国となりました。


堅固な列強国となったロシアでしたが、フランスで起こった自由を求める革命によって大きな政治的動揺が生まれます。破竹の勢いでヨーロッパを駆け抜けるナポレオン軍はロシアにまで侵攻します。軍組織を強靭に整えていたロシアはその侵攻を跳ね返し、防衛するだけでなく引き返すナポレオン軍を追随していきました。血気盛んなロシアの若い将校たちはフランスまで辿り着き、蛮勇を振るおうと勇み降り立ちます。しかしそこで待ち受けていたのは「自由と平等」を掲げた新たな思想の社会でした。イギリスで起こった産業革命の影響や、自由を求める人々の思想に、将校たちの若い感性は強く刺激されて、後進的なロシアの現状と比較したことで変革の眼を開きました。十八世紀末の当時のロシアでは、ウィーン体制(ヨーロッパ列強国が封建主義を推進して専横政治を各国で再度広めようとする体制)に賛同したアレクサンドル一世によって、より一層のツァーリズム(皇帝独裁政治)が進められていました。祖国へと戻った若き将校たちは皇帝による自由主義を弾圧するような圧政に、フランスの「自由・平等・平和」を理念とした反抗心が芽生えていきます。この反抗心はやがて強い結束を生み出し、綱領を掲げた正式な組織を形成して、1825年に皇帝に対して蜂起します。この自由主義を求めた将校たちの反抗を「デカブリストの反乱」と呼びます。


蜂起したのは1825年12月14日で、デカブリストは「十二月党員」の意味を持ちます。この日に皇帝アレクサンドル一世の急逝を受けて、新帝ニコライ一世即位の宣誓式が執り行われましたが、そこにデカブリストたちは行軍し、自由主義を掲げて軍事的反乱を起こしました。ニコライは流血を避けるように説得を試みましたが、説得に向かった勅使を銃撃されたことで武力行使を指示して反乱軍を鎮静化させました。僅か一日の出来事ではありましたが、ニコライ一世は蜂起に至った思想と行動の危険性を鑑みて、首謀者たちを絞首刑に処しました。反乱軍の指揮を執ったパーヴェル・ペステリ大佐、勅使を狙撃したピョートル・カホフスキー、詩人コンドラチイ・ルイレーエフ、連隊を指揮したセルゲイ・ムラヴィヨフ=アポストル、最年少の急進派ミハイル・ペストゥージェフ=リューミンの五人は首謀者とされ処刑、シベリアや極東へ送られたのが百六名、有罪とされた人々は五百人以上にも及びました。デカブリストの反乱はロシアだけの特異な事件ではなく、ヨーロッパ全土がウィーン体制による専横政治に反発し、ドイツの学生同盟ブルシェンシャフト、スペインの立憲革命などの運動と同様に、これは民衆の自由を守るための戦いであるとして、ロシアの民衆もまた、この反乱から多くの自由主義の意識を感じ取ることになりました。そして民衆に生まれた皇帝への反発意思は、やがて来るロシア革命へと繋がっていきます。


反乱を鎮圧された活動的中心人物たちは、前述のようにシベリアや極東へと流されました。このなかには妻を持つ将校も多くあり、強制的に引き離されることになりました。残された妻たちは夫を想うがあまり、上流社会の身を投げ出して身体一つで夫の送られたシベリアへと向かいます。ニコライ一世もこのような妻たちの行動を認め、北部へ駆けることを許可しましたが、民衆の涙を誘うこのような行動が反ツァーリズムの意識を助長させるという恐れを感じ、途中から引き返させるように働きかけました。このままシベリアへ向かうならば、上流階級の身分、相続されるべき財産、持ち得るべき名誉の尽くを失うという処分を突き付けて署名を迫ります。しかし、妻たちはそのような処分に屈することなく署名をして、夫が凍えているシベリアの地へと駆っていきました。この愛ゆえの行動をもとに、詩人ニコライ・アレクセーヴィチ・ネクラーソフ(1821-1878)が書き上げた叙事詩が本作『デカブリストの妻』です。


ネクラーソフは、民衆の抱く苦しみや受ける理不尽な扱いなどを「現実的に」見つめて、そこに抒情と諷刺を乗せて熱量の籠った詩を作り上げました。彼が生んだ多くの悲しみを含んだ作品は、アレクサンドル・プーシキンとならんで後世のロシア詩へ強い影響を与え続けています。また特筆すべきは、改革後における当時の虐げられていた農奴を始めとする労働者階級の真の生活を、詩において初めて描いた作家であるという点です。民衆の目線から見たロシアという国の実情と困苦を、希望的に抱かれる自由主義という思想を照らし合わせて書き上げた作品を多く残しています。


デカブリストを称賛する思想や態度は、当然ながら帝政ロシアにおいては認められませんでした。彼らが反乱を起こした動機は、根本的なツァーリズムへの批判と農奴制の否定であったため、デカブリストを擁護するものは反逆者としての烙印を押されました。一切の名誉を剥奪して財産を没収するという強行的な処置も、賛同者に対して少なからず行われました。五人の首謀者と交際をしていたプーシキンまでも、帝政の監視下に置かれ、他の文学作品も厳しい検閲を受けていました。しかし時を経ることでツァーリズムの強行も弱まり、政府と貴族の関係性が鈍色に交わりだすと、ロシア革命の火種となる思想が燻り始め、ロシアの自由主義への期待が水面下で膨らんでいきます。革命という明確な目的こそ見えてはいませんでしたが、一つの機運の芽生えとして民衆の意識に広がっていきます。このような社会の態度をネクラーソフは持ち前の観察眼で察知し、当時に衝撃的を与えた自由主義思想によるデカブリストの反乱を今こそ思い起こすべきだと考え、事件の四十七年後の1872年に本作を発表しました。


彼は人間が抱く苦しみや怒り、そして運命に抗おうとする愛と勇気を社会に向けて打ち出しました。題材となった二人の夫人は、激しい感情がとめどなく背中を押すように、一心不乱に夫が流されたシベリアへと突き進みます。地位も名誉も財産も全てを投げ捨てて、ただ夫に一目会いたいという一心で祈りながら向かいます。ここにはロシア人の持つ精神的な美しさと愛情の深さが込められ、相手への理解と心の絆を信じる強さが描かれています。辿り着き、出会えたとしても何が出来るわけでもなく、共に残りの生涯を過ごすことが出来るわけでもありません。彼女たちを突き動かした望みは、たとえ底のない悲しみであっても、再会するという幸福のなかで悲しみたいという切なく強い感情から生まれたものでした。実に人間的で、実に女性的な愛が描かれていると言え、「デカブリストの妻」という題名に込められたネクラーソフの意図が含まれていることが窺えます。また、作中では、長い旅の途中で現実の夢や空想に浸りながら、現実との区別がつかなくなって再び眠りに落ちるといった「夢と現実の隣接描写」を用いて描かれています。ここには夫人たちの、怒り、悲しみ、憂い、恐怖、希望といった激しい精神状態が表現されており、一縷の望みを辿るような心的緊張感を助長させる効果を生み出しています。

 

旅の途中でも徒刑地でも
いつでも 辛い苦しい時には
おお 民衆よ! わたしは 力にあまる重荷を
けな氣にも お身といっしょにはこんだのだ。
どんなにたくさんのみじめさが
おのが身にふりかかっていようとも
お身はひとの悲しみをわけもった
そして わたしが涙流そうとする場では
お身は もう とっくに泣いていた!……
お身はふしあわせな者を愛す


激烈な愛とその勇気を描いた本作ですが、作中ではネクラーソフが併せて込めたデカブリストたちの「祖国を思う身を賭した反乱」の気高さや、反乱がロシアの民衆に与えた「自由主義という感動」が随所に滲み出ています。本作発表の三十三年後に「血の日曜日」が起こり、民衆蜂起によるロシア革命が始まります。ネクラーソフの民衆を思う心が、革命への一歩を担ったと、そう思えてなりません。非常に激しく美しい気高さを感じることができる本作『デカブリストの妻』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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『深い河』遠藤周作 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

愛を求めて、人生の意味を求めてインドへと向う人々。自らの生きてきた時間をふり仰ぎ、母なる河ガンジスのほとりにたたずむとき、大いなる水の流れは人間たちを次の世に運ぶように包みこむ。人と人との触れ合いの声を力強い沈黙で受けとめ河は流れる。純文学書下ろし長篇待望の文庫化、毎日芸術賞受賞作。

 


第二次世界大戦争を経て、それまで隆盛していた日本の文学は大きく変化しました。空襲によって与えられた凄惨な経験と、戦禍によって与えられた精神への強烈な苦痛は、文学という形を通して新たな思想や哲学となり、第一次戦後派という思潮を生み出しました。その後、復興に伴い流れ込んできた西欧の文化や芸術に感化され、戦争を生き抜いた人間が新たに構築した思想や哲学を打ち出す西欧型の長編小説を量産した第二次戦後派が生まれます。このように西欧化していく文芸思潮から、戦前文学の主流となっていた私小説への回帰を目指そうとする文芸思潮が現れました。これが「第三の新人」と呼ばれる作家たちです。安岡章太郎吉行淳之介庄野潤三らが代表として挙げられ、今回の遠藤周作(1923-1996)もその一人です。


遠藤周作は、カトリックとして生涯を苦悩しながら生きた作家です。銀行員の父親の転勤によって幼少期を満洲で過ごしましたが、両親の離別によって母と日本へ帰国します。伯母(母の姉)の家に身を寄せましたが、カトリックであった彼女の勧めによって教義を学び、洗礼を受けて入信します。灘中学への進学までは順調に進みましたが、その頃から読書や映画に耽溺して勉学が疎かになっていきました。高校受験は苦難の連続で、浪人生活を経てイエズス会の運営する上智大学予科へと進学しましたが、肌に合わずに退学してその後も受験を繰り返して失敗します。精神への負担が起因したのか、その頃から肺を病み始め、その闘病は死ぬまで続きます。受験の失敗が続いて母親に経済的負担をこれ以上与えられないとして、帰国していた父親に頭を下げて同居を願いました。この進言は旧制高校か大学の医学部予科へ入学することを条件に許可されましたが、受験は全て失敗に終わります。そして自分の力量と関心の強さに合わせた慶應義塾大学文学部予科へ、父親に学部を伏せたまま受験を報告して補欠合格しました。しかし真相が明るみになると父親は激怒して、遠藤を勘当してしまいます。生活する場を無くした彼は、友人の利光松男(後に日本航空の民営化に携わる)を頼って宿を借り、縋るようにカトリック学生寮へと入ります。そして、その寮の舎監である吉満義彦の紹介によって出会った堀辰雄の影響で、熱心に勉学と読書に励み、心を入れ替えたように文学者への基盤を構築していきます。


その頃、激化していた第二次世界大戦争の戦局は悪化の一途を辿りましたが、遠藤は肋膜炎の罹患などを理由に兵役に就くことなく終戦を迎えました。戦後は大学に戻ってカトリック作家を中心にフランス文学へと傾倒していましたが、その勉学に励む姿勢を見た父親が、遠藤との関係を緩和させて再び家に招きました。環境の安定と熱心な勤勉によって生まれた初めての評論は神西清の目に留まり、文芸評論を中心に執筆を進めていきます。そして、寄稿していた『三田文学』にて正式に同人作家として歩み始めました。その後、更なるフランス文学の研究として、国内初のフランス留学生として欧州へと渡ります。渡仏中には肺の病が悪化して病院を渡り歩くことになりましたが、それでもルポルタージュを中心に筆を進めて、エッセイや小説などを執筆していました。国内に戻ると作家として本格的に活動を開始し、1955年に『白い人』で芥川賞を受賞します。肺の病が度々悪化して生死を彷徨う経験をしながらも、『海と毒薬』(1957年)、『わたしが・棄てた・女』(1964年)、『沈黙』(1966年)、『イエスの生涯』(1973年)、『侍』(1980年)など、多くの作品を生み出していきました。


遠藤はフランス留学で経験した「日本人でありながらキリスト教徒であるというある種の矛盾」を、生涯にわたって抱えながら生きていました。幼い頃に受けた洗礼は、日本という国の環境で育ち、日本の信仰(主に仏教)の風習を体感して育てられた彼の心に、絶対的なイエスの信仰やローマ教皇の権限に賛同できないながらも賛同しなければならないという苦悩の枷を与えます。背信的な感情は微塵もなくとも、カトリックの唱える、神の存在や信仰の在り方に疑問を抱き続けます。そして、彼が長年この悩みに時間を費やして導き出した持論と、生涯晩年に迫る「死」の存在を意識した「神と転生」という主題を、一つに集成して生み出した作品が本作『深い河』です。


磯辺、木口、美津子、沼田、大津、それぞれの登場人物たちは人生で与えられた苦悩を抱いて、母なる大河「ガンジス川」に導かれます。「愛とは何か」という問いに答えを求めるように、自身の人生を振り返り、過去の出来事に苦しみながら、それでも「愛」を求めて日本からインドへと辿り着きました。遠藤が自身の思考と結びつけたのは、グレアム・グリーンの作品から影響を受けた「人間の哀しさ」でした。

人間の哀しさが滲む小説を書きたい。それでなければ祈りは出てこない。

グリーンの『燃えつきた人間』を読み始める。いかにも壮年、五十代の小説という作品だ。五十代は迷いの多い年齢という意味でだ。ここにはグリーンの人生の、信仰の迷いが叩きこまれている。私の今度の小説だって同じだ。違うのは七十歳近くになっても私の人生や信仰の迷いは、古い垢のようにとれない。その垢で私は小説を書いているようなものだ。

遠藤周作『深い河 創作日記』


第一の登場人物「磯辺」は、信仰を持たない戦後の典型的な日本人男性として描かれており、宗教を持たずに仕事に精を出し、それが家庭への還元であると考える人間でした。しかし、妻の死によって与えられた空虚さはどこから来るのか、生活だけを追っていた自分は人生を失っていたのではないか、といった自問に捉われます。妻が最後に残した「転生」の強い意志に、今まで妻を顧みなかった懺悔の思いを重ね合わせて、できる限りの行動を起こして「妻の転生」の可能性を追ってインドへとやってきます。この「妻の死」から生死を見つめ直し、生活の挫折と人生の再発見に気付き、自身の生を考え始めます。


木口という人物は、第二次世界大戦争時に同時的に発生していた英国領インド及びビルマが独立を目指した戦争において、日本軍が介入して英国軍や米国軍と激しい衝突を繰り広げた「ビルマの戦い」での生還兵でした。襲いくる連合軍から身を守り、届かない配給を頼りに身を隠し、味方が目の前で飢えながら倒れていく姿を見てきた木口は、塚田という同僚と地獄絵図のなかを彷徨い歩きました。ここに示される「死と救済」や「恐怖と咎」は、当時の復員兵が精神に強い傷として負ったものが描かれ、戦後の日本を生きる困難さが垣間見えます。そこには、肉体と精神の「死」の問題が大きく映り、木口は同胞たちの魂を救済すべく、母なる河を求めてインドへとやってきます。


童話作家の沼田は、遠藤が幼少期を過ごした満洲での背景を背負っています。原住民との出会いと別離、愛犬との出会いと別離が、彼の心の奥底に「後悔的な記憶」として残されます。そして肺を患う点も遠藤と重なり、生死を懸けた手術を行います。身代わりのように亡くなった九官鳥に、神の如き力を感じ、その恩返しをするために母なる河へと向かい、救ってくれた九官鳥(に見立てた別の九官鳥)を救済します。ここには、動物をイエスの象徴として描こうとする遠藤の意図が含まれており、「生死と魂」が沼田と動物の会話を通して神性を表しています。

神は人間の口を通して語りかけると言うが、時として神は鳥や犬や人間がペットとして愛する生きものの口を通しても語りかけるのではないだろうか。

遠藤周作『深い河 創作日記』


それぞれの『魂の問題』を苦悩として抱きながらインドへのツアーに参加して物語は進みます。母なる河へと向かう彼らは、「人間は死後に希望を得られるのか」という「心の救済」を求めています。それは「愛」とも言い換えることができ、特定の信仰のない日本人にとっての救いという問題が本作で主軸となって描かれ、カトリック作家としての遠藤が、主題として苦悩のうえでの一つの答えを示しました。

遠藤は、イギリスの哲学者ジョン・ヒックの宗教多元論に影響を受けています。これは、文化の相違や宗教の相違によって構築された社会的価値観を尊重して、良心に応じて様々な宗教を選択することができるという権利や自由、そして安全を与えられるべきであるという考えです。排他主義的な宗教における「神の在り方の矛盾」に悩まされる人々は、この考えに賛同して支持し、遠藤もまた自身の抱える「神に望む在り方」に理解を示す考えとして作品を通して同調しています。晩年となった彼は、死に向かう焦燥によって魂や転生といったことへ意識が強く向かい、「一日一日、自分の人生が終りに近づきつつあることを感じない日はない」と日記にあるように、差し迫る「死」についての恐怖を抱いていたことで、「神の救いによる死」を望んでいたことが窺えます。


生も死も、善も悪も、すべてを包み込んで流れていく偉大なガンジス川は、インドで雄大に流れています。ヒンドゥー教徒のみではなく、どのような信仰を持っているものでも拒絶することなく、それぞれの人生を清濁合わせ飲むように魂を流してくれる存在です。ヒンドゥー教における河の女神ガンガーの名を持ち、ガンジス川はその化身として人々の魂を浄化すると考えられています。その水には聖なる力があるとされ、河での沐浴によって現世の罪を洗い流して、女神による浄化を受けると考えられています。また、この沐浴によって冥界で苦しむ先祖の霊魂を幸福にし、先祖の魂を浄化させて輪廻転生を促すとも言われています。本作後半の舞台となるヴァーラーナスィは、ヒンドゥー教ジャイナ教、仏教の聖地で、インドの文化的中心地でもあります。ここは、瀕死の状態でガンジス川を目指す人々が望む「救済的な死」を手助けする土地でもあり、死の儀式が頻繁に行われる「死者の都」として知られています。インドの人々はガンジス川に流されることを魂の望みとして抱いています。それは彼らが「ヴァルナ」と呼ばれるカースト規制の考え方を持ち、善行による魂の浄化によって来世を幸福なものとすると信じ、飢餓や病苦に苦しめられても最期にガンジス川に流されれば魂は報われるという強い意識を持っているからであると言えます。このような価値観と目の前に繰り広げられる沐浴と死の儀式に、インドを訪れた登場人物たちは、人生の意義と魂の救済を目の当たりにするように衝撃を受けます。


主題の中心となる大津と美津子は、「人間愛」についての探究が描かれています。「誰かのため」ではなく、「愛のため」に生きている大津の言動を、「自分のために」生きる美津子には理解ができません。ピエロと表現される大津とガストンという介護ボランティアは、場面こそ違いますが同質の存在として描かれています。無力でありながらも懸命に他者の苦悩を受け止めようと「愛」を持って接します。

わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を獻げられた神の子に対する信仰によるものです。

新約聖書』ガラテヤの信徒への手紙 第二章第十九-二十節

大津とガストンの行動はイエスに倣っていると言えます。愚かで醜く、愚鈍と思われながらも、人々の苦しみや悲しみを包み込むように受け止めて、少しでも助力しようとする「無償の愛」が、イエスの在り方と重なって彼らの言動から感じられます。

 

ここで遠藤周作は「担架に乗せられた時、大津は羊のような苦痛の声をあげた」と書いている。私たちはもう「羊」がキリストを表すことを知っている。美津子が何の気なしに拾い読みした「イザヤ書」のすぐ先に、次のように書かれているのだ。

「彼はみずから懲らしめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。
われわれはみな羊のように迷って、
おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を、
彼の上におかれた。
彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、
口を開かなかった。
ほふり場にひかれて行く小羊のように、
また毛を切る者の前に黙っている羊のように、
口を開かなかった。
彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
その代の人のうち、だれが思ったであろうか、
彼はわが民のとがのために打たれて、
生けるものの地から断たれたのだと。」
(「イザヤ書」第五三章五-八節、一九五五年改訳による)

旧約聖書において、イエス・キリストの出現を予め告げているとされるこの個所が『深い河』の大津の生き方(あるいは死に方)の基調低音をなしている、と言って良いだろう。そして「無力なイエス」という主題は遠藤周作の到達した地点であった。

井桁貞義『ドストエフスキイ 言葉の生命』


フョードル・ドストエフスキーの『白痴』におけるムイシュキン公爵を、大津の言動と重ね合わせて読み解く井桁貞義はこのように述べています。ラゴージンの精神が乱れ、奇異な言動を繰り返す生命の最期を見守る場面では、ムイシュキンは何ひとつ彼のためにできることがありませんでした。ただ涙を流して寄り添い、無力な同伴者として傍に佇むのみでした。

奇跡を起こす神的存在のイエスではなく、無力でありながら包み込むような存在のイエスこそ、復活(転生)の意味があり、同伴者としての心的支柱という信仰の根源的な存在足り得るものだと遠藤は考えます。大津、或いはムイシュキンの言動からは白痴的な印象を確かに受けますが、そこには絶対的で無力な同伴者としての人間愛が存在しており、それはイエスの言動とも繋がっているものと考えられ、彼らの言動はただの神の真似事ではなく「真の信仰における深い愛」が込められているということが理解できます。

 

だが我々は知っている。このイエスの何もできないこと、無能力であるという点に本当のキリスト教の秘儀が匿されていることを。そしてやがて触れねばならぬ「復活」の意味もこの「何もできぬこと」「無力であること」をぬきにしては考えられぬことを。そしてキリスト者になるということはこの地上で「無力であること」に自分を賭けることから始まるのであるということを。

エスはその愛を言葉だけでなく、その死によって弟子たちに見せた。「愛」を自分の十字架での臨終の祈りで証明した。

遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子


エスを体現する大津がカトリックに拒絶され、辿り着いたのがヒンドゥーの女神ガンガーでした。無力ながらも愛を持って、ガンジス川まで辿り着くことができない人々を「魂を救済」するために寄り添って連れて行きます。その存在は、多くの人々に理解されませんが、助けられた人々は神を見たように感じるのだと思います。大津は不憫な最期を遂げますが、その姿を見て心に影響を受けた美津子は、やはり「無力なイエス」を彼に見たと考えられます。妻を失った磯辺同様に、亡くしたものは心に生きています。これこそが「復活」であり「転生」であるという解釈も可能だと言えます。神性を受け継ぐように魂を胸に抱き、思い返すたびに転生を感じる、このような考えも一つの信仰であると感じました。


遠藤周作の晩年に発表された本作『深い河』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

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『終わりよければすべてよし』ウィリアム・シェイクスピア 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

前伯爵の主治医の遺児ヘレンは現伯爵バートラムに恋をしている。フランス王の難病を治して夫を選ぶ権利を手にし、憧れのバートラムと結婚するが、彼は彼女を嫌って逃亡、他の娘を口説く始末。そこでヘレンがとった行動は──。善と悪とがより合わされた人物たちが、心に刺さる言葉を繰りだす問題劇。


この作品は1601年から1606年の間とされており、一般的にシェイクスピア作品のなかで「問題劇」と呼ばれる『トロイラスとクレシダ』及び『尺には尺を』などと共に括られています。三作どれもが、暗く苦い笑いと不愉快な人間関係を軸に描かれており、これはシェイクスピアの喜劇時代に執筆された『十二夜』や『お気に召すまま』のような幸福感が表現されている喜劇とは明確な違いが見られます。本作『終わりよければすべてよし』は喜劇でありながら、そのシニカルな心的リアリズムが強調されていることで、当時を含めてあまり上演されることはありませんでした。特に作品前面に出される現実的な性的関係性や、家父長制における身分違いの一方的な恋の成就は、観客が理解して受け入れることが困難であったと考えられます。


国王さえも認める有能な医師の娘ヘレン(ヘレナ)は、父を亡くしたのちにルシヨン伯爵夫人に抱えられ、養われています。この伯爵夫人の息子であるバートラム伯爵はフランス国王の元へと仕えに行きますが、ヘレンは彼に一途な恋愛の感情を抱いています。美しい容姿と闊達な性格で魅力に溢れていたヘレンですが、身分の低い生まれであることから貴族のバートラムは彼女に対して冷淡であり、恋の成就は非常に困難な状況にありました。しかし、国王が病気であるとの知らせが届くと、彼女はフランスへと向かって国王に謁見を願い、命懸けで王の信頼を得て、亡き父親から受け継いだ秘術を用いることで病気を治療します。その貢献の対価として、ヘレンは国王配下の男性を自由に選び結婚することを望みました。名指したのは当然、バートラムです。しかし彼はその婚姻を激しく嫌悪し、急ぎフィレンツェ公の軍へと参加して、実質的に結婚から逃亡しました。そしてヘレンは伯爵夫人の元へと返されると、バートラムからの手紙を受け取ります。彼の指から代々受け継がれる指輪を手にし、彼の子をヘレンが妊娠しなければ、真実の配偶者とはならないという不可能とも言える条件を突きつけられます。伯爵夫人は取り乱し、ヘレンは「巡礼の旅」へと向かうためにルシヨンを出発しました。

フィレンツェでは、バートラムが公爵軍の将軍を任されており、自信も生気も取り戻している様子でした。ヘレンは巡礼の旅の途中に訪れた街で、バートラムが美しい処女の娘ダイアナを熱心に口説いていることを知ります。このダイアナとその母に近付いたヘレンは一計を案じます。ダイアナがバートラムの誘惑に応えて承諾する代わりに、彼の指輪を真実の愛の担保として欲します。そして灯りを落としたダイアナの床でヘレンが待ち受け、バートラムはダイアナと思い込んだまま二人は愛し合います。その後、ヘレンが亡くなったという虚偽の知らせがバートラムへと届き、戦争も終わりに近づいていたために彼はフランスへと帰国します。ルシヨンに到着すると、国王をはじめとして誰もがヘレンの死を悲しんでいました。バートラムは悲しみを越えるための新たな婚姻を持ちかけられ、前向きな思いで同意します。しかしその時、国王はバートラムの指に嵌められたヘレンの指輪に気付き、なぜ嵌めているのかと彼に対して激しく詰問します。それは、国王が治療の例として渡した、他に二つとない贈り物の指輪でした。バートラムは釈明に行き詰まり、言葉が出なくなっているところへ、ダイアナとその母が現れ、全ての話を暴露し、死んだはずのヘレンが登場します。罪を認めて贖罪を求めるバートラムに対して、ヘレンは全てを許して改めて婚姻の契りを結び、喜劇的な終幕を見せます。


本作は、初期ルネサンス文学の代表的な作品であるジョバンニ・ボッカッチョ『デカメロン』の第三日目第九夜から創作されたものです。シェイクスピアは、元となる閨房における人物のすり替わりや、フィレンツェでの戦争などの重要な要素は維持しながらも、ラフュー卿、伯爵夫人、パローレスなどの登場人物を追加して、より豊かな物語を書き上げました。


本作でまず目を惹く点が、老若二つの世代間に明確な対比が見られることです。劇中の年配者たちは死を恐れて悩まされています。伯爵夫人は夫を失い、自分自身も老いています。医師であったヘレンの父親も亡くなっています。ラフューは病弱であり、ダイアナの母親も夫を亡くしています。そして劇が幕を開けると、国王は死の淵に立たされています。対して、闊達なヘレン、若々しい魅力的なダイアナ、生気溢れるバートラムといった若い世代は結婚適齢期を迎えている活力旺盛な時期にあります。子を手放す親たちに迫る死の影が、本作において非常に現実的な要素となっていると言えます。親世代たちは死に悩まされていながらも、知恵と洞察力が優れており、パローレスの打算を見抜き、身分の低いヘレンの真の価値を見出し、バートラムの奔放を非難します。若年世代は、このような知恵や洞察力を持たないことによって、ヘレンの異性を評価する力の無さ、バートラムの冷淡で傲慢な思い上がりなどが露呈して、フランスの時代を担う若者たちの頼り無さを示しています。


また、シェイクスピア作品には屡々見られる「卑猥さ」が、本作では特殊な扱いを受けています。多くの作品においては、恋愛の清潔さを強調するために取り入れられることや、悪党の卑劣さを強調するために使用されることが多く見られますが、『終わりよければすべてよし』では、この「卑猥さ」こそが中心の軸となって描かれています。閨房でのすり替わりは勿論のこと、その計画を赤裸々に話すヘレンの台詞や、バートラムとパローレスの蔑視的な卑猥な表現は、作品の流れの中心の話題となって幾たびも述べられています。主題が恋愛や婚姻にありながら、視点は不快的リアリズムに焦点が当てられており、観客(読者)は醜い現実を突き付けられているように感じさせられます。付随して、男女の関係を流れの中心においていながら「清廉なロマンス」はどこにも見えてきません。中心人物である二人、ヘレンの断固的な一方通行の恋、バートラムの女性蔑視の快楽主義的な性交は、特にこの点が顕著であると言えます。唯一、救いとも言える「月の女神」の名を与えられたダイアナの純潔だけが、一服の清涼剤として輝いています。


さらには、ヘレンは愛すことには熱心ですが「愛し合う」ことには執着していません。どのようにして「バートラムを手にするか」といった行動原理さえも感じさせるほどに相手の感情は無視したまま、国王の権利とバートラムの不可能問題を活用した「栄誉」を手にすることに執着します。ここには家父長制社会で虐げられた「身分の低い女性」の欲望を描いているようにも感じられます。伯爵夫人に愛された環境とはいえ、身分の低さから与えられる貴族からの蔑視、それを受けて芽生える栄誉の欲が、ヘレンが起こす行動の原動力となっているようにも思えます。バートラムの美しさに惹かれたことに違いはないと思われますが、それ以上に、貴族へ嫁いで自らも貴族となるという目的が先行しており、だからこその一貫した行動が、観る者は恋愛感情からは理解できなくとも、ヘレン自身には理に適った一計であると頷けます。裏付けるように、ヘレンは「巡礼の旅」に出ます。キリスト教聖地巡礼を思わせる行動には、俗世からの離脱、即ち家父長制社会被害者からの離脱者となることを暗に示しているようにも取れ、彼女の行動は常に一貫していることを改めて感じさせられます。


終幕にてバートラムは、全てを明かされ国王及びヘレンの言葉に従うことになり(突き詰めれば自身の言葉を遂行しただけとも)、最終的にはヘレンと婚姻の契りを交わして大団円の空気に包まれます。しかしながら、ここまで不快的リアリズムを示してきた以上、その後の(幕後の)二人の関係は歪なものとなることは目に見えています。契りを破らないとしても、円満な家庭を築くという未来はなかなか思い描くことができません。題名『終わりよければすべてよし』というものさえ、諷刺的な気色を覚えさせます。婚姻の喜劇であれば「愛の勝利」である筈でありながら、どこかしら「権力の勝利」のような印象を受けます。このような煙に巻いたような終幕は、国王さえも「終わりがこうもめでたければ、すべてよしらしい」という曖昧な言葉を残しています。そして、このような歪な幸福感の中で実際に「幸福を感じている」人物はヘレンただ一人です。誰にとっての「すべてよし」なのか、という問いを投げるならば、それはヘレンであると言わざるを得ません。

 

人生は、善と悪とをより合わせた糸で編んだ網なのだ。我々の美徳も過ちによって鞭打たれなければ、傲慢の罪を犯すだろうし、我々の罪は美徳によって抱きとめられなければ、絶望するだろう。


シニカルな物語に仕上げられてはいますが、不快的リアリズムを認めるならば、ヘレンの渇望した「栄誉の愛」は一概に悪徳な意味合いは持ちません。原動力となる根源には、人間としての清らかさが虐げられた結果によるものであり、望む幸福に必要なものが栄誉であっただけであり、「真の悪意」からなる奸計ではなかったと言えます。だからこそ、ヘレンにとって「すべてよし」であれば、幕は降り、喜劇と成立するのだと解釈できます。晴々しい幸福感に満ちた喜劇とは一線を画す『終わりよければすべてよし』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『ヴェローナの二紳士』ウィリアム・シェイクスピア 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

本作『ヴェローナの二紳士』は、シェイクスピアが執筆した最初の喜劇と言われています。劇中には、女性の男装や情欲の森など、彼が後の作品に活かす発想が随所に現れています。舞台となるイタリア北部にあるヴェローナは『ロミオとジュリエット』でも知られています。


ヴェローナの紳士であるヴァレンタインとプローテュースは、互いに固い友情を交わし、何事も隠し事のない強い絆で結ばれていました。しかし恋愛についての考え方は正反対で、ヴァレンタインはそのようなものに関心を持つことができず、見識を広めたいという思いからミラノ公爵のもとへと旅立ちます。反してプローテュースは恋人ジュリアのもとを離れる気が起きず、ヴェローナに残ることを決めて遊学を見送りました。しかし、社会を学ばせて立派な紳士とさせるため、プローテュースの父親が計らって強引にミラノ公爵家へと彼を送ります。公爵家に着くと、ヴァレンタインは人が変わったように公爵令嬢シルヴィアに激しく恋をしていました。それを見たプローテュースは憤る感情を抱く間もなく、彼自身もジュリアという恋人がありながら、シルヴィアへ一目惚れをしてしまいます。ヴァレンタインとシルヴィアは駆け落ちの計画を立てており、その助力をプローテュースに依頼します。友情と恋心に挟まれたプローテュースは、友情を切り捨てることを決意しました。駆け落ちを公爵へと密告し、ヴァレンタインをミラノから追放させ、嘆くシルヴィアを慰める役を買い、自分を売り込むために近寄ります。その頃、寂しさで恋焦がれていたジュリアはヴェローナに止まることができず、男装して姿を変え、プローテュースに会うためにミラノへと向かいます。そこには、詩に乗せてシルヴィアへ思いの丈を伝えているプローテュースがいました。男装に気付かない彼はジュリアを小姓として雇い、シルヴィアへの遣いを言い渡します。また、追放されたヴァレンタインは森で山賊と出会って意気投合し、山賊の頭領となって森に住まいます。一方、シルヴィアは公爵に当てがわれた貴族との婚姻から避けるために森へ逃げ込みました。しかし、その後を追いかけてきたプローテュースに捕まり、シルヴィアは襲われますが、そこへヴァレンタインが現れました。

 

オルフェウスの竪琴は
詩人の神経を弦にしたものだ、
その黄金の調べは鉄を溶かし、石をやわらげ、
虎の心をなごませ、巨鯨リヴァイアサンをして
底知れぬ海より出でて砂の上に踊らせたという。

第三幕第二場

このプローテュース(Proteus)の詩に乗せた「リヴァイアサン」という言葉からは、海神プロテウス(Prōteus)を想起させられます。ギリシャ神話において「海の老人」と呼ばれ、ポセイドン以前の大海の統治者であり、預言者であったプロテウスは、その預言の能力を用いることを厭悪していました。この預言を聞くために多くの勇ましい英雄たちは駆けつけますが、プロテウスは獅子や大蛇、樹木や氷河など、様々なものに姿を変えることができる能力を有していたため、捕まえること自体が困難な存在でした。外見を様々に変化させるプロテウスを、内心を次々に変化させるプローテュースと呼応させて、シェイクスピアは一つの個性を築き上げています。


恋愛は「女性上位」という価値観を、シェイクスピアはその作品群へ一貫して描写しています。そして、女性は嫉妬をせず、忍耐強く愛を守るという行為を徹底しています。本作のジュリアもこのような行為を貫くことに苦悩します。小姓の変装をして更に外面から心を覆うという立場は独白によって本心を吐き漏らしますが、プローテュースの前ではひたすらに耐え忍び、直截的に嫉妬の感情を見せることはありません。このような強く逞しい女性の愛は、移り気で身勝手な男性の愛とは大きく異なることを対比的に捉え、より神聖で美しい態度であるということを劇中で訴えています。プローテュースが移り気を起こしているのではないかというジュリアの抱く恐怖の感情は、男性のそのような非道な行動が当時の社会的に許容されていたという事実が根底にあります。本作は、この社会環境を生きる女性の観客が実際に言い寄ってくる男性や付き合っている男性に移り気の可能性があることを示唆し、当時の全ての女性が脅かされていた「欺瞞的な恋人に騙される」という悲劇を未然に防ぐことができるようにと訴えているように感じられます。


暴走したプローテュースが森でシルヴィアを捕まえて強姦しようとする場面は、色欲の情念の恐ろしさが急激に迫る場面です。公爵家では紳士であろうと努めていた彼を変えたものは「森」そのものであると言えます。幾つかのシェイクスピア作品で用いられている手法と違わず、森は恋愛感情を高め、欲情を剥き出しにする効果があり、プローテュースもまた、シルヴィアに触れたことで一線を越えようとするほど気持ちが高まったのだと考えられます。それを山賊に身を落としたヴァレンタインが見事に救いますが、森を棲家とする山賊となっていたがために、ヴァレンタインは正気を保ち、紳士らしく卑劣な行為を制することができたのだと言えます。


ヴァレンタインに制されてプローテュースは我に返り、恋愛の面でも友情の面でも、自分が非道な行為を働いたと恥じてヴァレンタインに心から謝罪します。そこでヴァレンタインは驚異的な寛大さを見せてプローテュースの思いを受け入れます。そして友情の証に、救ったばかりのシルヴィアを譲ろうと言い放ちました。襲われかけていたシルヴィアを思うと突拍子も無い進言です。しかし当時は、いかにロマンスに溢れていたとしても「男女の愛」は社会的に軽視されていました。男性上位である社会においては、男性同士の友情の方が高貴であり、階級社会に有用なものと考えられていました。その中でも「贈与」は、平等な関係にある男性特有の信頼行為であり、最も深い友情の表現でした。そして、ヴァレンタインにとって最も愛するシルヴィアを与えるという行為は、何よりも大切な友人であると証拠付ける意味合いを持っています。しかしながら、「女性上位」の恋愛観を持つシェイクスピアが本心からその台詞を言わせたとは考えられません。強姦未遂という卑劣な行為を目の当たりにした直後、一つの謝罪で全てを許し、未遂被害者を実行犯に与えるという急展開は、観客は当然ながら、シェイクスピア自身も正当ではないと考えていたと思われます。つまり、シェイクスピアは「男性上位の社会」による身勝手な考え方自体を批判しており、女性がこのように虐げられているのだと、本作をもって提示しているのではないかと考えられます。


題名には「紳士」(The Two Gentlemen of Verona)と入れられていますが、ヴァレンタインもプローテュースも、かなり未熟な若者です。口先ばかりがくるくると回り、本心では身勝手極まりないことばかりを独白します。ヴァレンタインも終盤こそ紳士らしさを見せ始めますが、冒頭では恋愛などくだらないと言い放っておきながらシルヴィアに惚れ込んでしまいます。またプローテュースもジュリアと離れることを惜しんで公爵のもとへ出向くことを先延ばしにしていましたが、シルヴィアを見た途端にジュリアの姿は消え失せてしまいます。本作は、若者の愚かな点を全面に打ち出した劇だと言えます。終幕に公爵を登場させて、半ば強引に喜劇へと仕立て上げていることも注目すべき点です。当時、喜劇は比較的堅苦しくない若者も多く観覧する場で演じられました。そこにシェイクスピアの狙いがあったと考えられます。若者の、特に恋愛の絡んだ愚かさを喜劇という受け入れやすい形に乗せて、若者自身たちへ届け、実際に若さゆえの愚かな行為をしないようにと啓蒙していたように思えます。

 

彼があの人のなかに見いだしている美点で、私のなかに見いだせないものがどこにあるの、愚かな恋が盲目の神様でさえなければ?


ジュリアの言葉の通り、若者はより一層に恋をすると盲目になります。欲情が先走り、手段を選ばずに愚かな行為へと突き進みます。男性上位という社会に置かれた若き男性たちは、徐々に自身の置かれた優遇された立場に気付き、欺瞞と傲慢に溺れていきます。次代を担うべき若者に、真に大切なものを見つけて、愚かな過ちを負って欲しくないというシェイクスピアの優しさを本作で感じました。作品としても登場人物が非常に少なく、読みやすい作品となっている本作『ヴェローナの二紳士』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『タイタス・アンドロニカス』ウィリアム・シェイクスピア 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

ローマの帝位継承権を争う前皇帝の息子兄弟。そこにゴート人との戦いに勝利したタイタス・アンドロニカスが凱旋帰国し、市民の圧倒的支持により皇帝に推薦されるが……。男たちの野望に、愛情・復讐心・親子愛が入り乱れたとき、残虐のかぎりが尽くされる……。シェイクスピアの作品では異色の惨劇。

 

ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)は、劇作家として活躍する初期の1588年から1593年の間にこの劇を書いたと考えられています。『タイタス・アンドロニカス』は、彼の作品のなかで最も暴力的で血生臭い作品の一つであり、名誉の力と暴力の破壊的な性質を題材として描かれています。


執筆当時のエリザベス朝時代では、ラテン文学と称されるオウィディウスセネカなどによる古典的な悲劇が非常に人気がありました。復讐、惨殺、残虐行為、幽霊、そして大言壮語な弁舌など、明確な特徴を持った作風は「流血悲劇」(血の悲劇とも)と呼ばれ、現在の劇作家へも影響を与え続けています。当時の作家も当然ながらに影響を受け、多くの凄惨な悲劇を生み出しました。シェイクスピアも同様に影響を受け、この作風で人気を高めていたトマス・キッドの戯曲『スペインの悲劇』は、『ハムレット』の原作として用いられています。これに留まらず、クリストファー・マーロウ『マルタ島ユダヤ人』、フランシス・ボーモントとジョン・フレッチャーの合作『処女の悲劇』など、多くの作品が演じられました。始めから終わりまで、これでもか、という惨劇が続くという凄まじい内容の数々ですが、このような残酷悲劇を受け入れて楽しむという雰囲気が、当時の英国にはあったと言えます。

 

流血悲劇には形式から考へて、單に無數の死が有りさへすればよく、感傷などといふものは場違ひであり、言はば現代の探偵小説の場合に、讀者が毒や彈丸や短劔の犠牲者に憐みを感じたら失敗であるのと同じことだ。流血悲劇の觀客は唯、新しい形の死と復讐の新奇な手段を求めてゐるのである。

M・V・ドーレン「タイタス・アンドロニカス」批評集


シェイクスピアが描いた惨劇『タイタス・アンドロニカス』も、エリザベス朝時代の舞台で最も人気のある演劇の一つとなりました。本作は極めて凄惨で残虐な内容のため、本当にシェイクスピアが執筆したのかと疑われたほどです。描く時代は、恐らく五賢帝が治めたのちに訪れた三世紀の危機や東西ローマの分裂などで衰退を見せていた頃のローマ帝国と思われます。


ローマ帝国の将軍タイタス・アンドロニカスは、ゴート族との戦いに勝利を齎してローマに凱旋します。民衆は喝采をもってタイタスを迎え、空位ローマ皇帝に即位するように要望しますがタイタスは相応しくないとして断り、代わりに先帝の長男サターナイナスを指名しました。捕虜としてゴート族女王タモラとその息子たちを捕えて連れてきたタイタスは、ローマ帝国の慣例に従って、戦いの犠牲となった彼の息子たちの弔いのため、タモラの必死の嘆願にも関わらず彼女の長男を儀式的に恨みを晴らす生贄に捧げました。一方で、新皇帝サターナイナスは、捕虜である女王タモラに惚れてしまい、即座に皇后に迎えました。タモラは、息子の恨みを晴らすため、情夫エアロンや生き残った息子たちと共謀し、皇后という立場を最大限に活かして、タイタス一家を次々と罠にかけ、その名誉と幸福と生命を次々に奪っていきます。悲嘆に暮れて平常心を失ったタイタスは、それでもタモラ一味への復讐を誓い、凄惨を突き返すように謀をめぐらして対抗します。互いの憎悪は復讐の連鎖となって、絶望的な地獄絵図を描き出します。


タイタスの娘であるラヴィニアが凌辱される場面は、オウィディウスの『変身物語』におけるプロクネーとピロメーラーの描写が踏襲されており、無惨で強烈な印象を与えます。彼女はタモラの策中によって行われる狩りの最中に、森の中でタモラの息子二人によって残酷に強姦され、両の手首を切り落とされ、言葉を発することができないように舌を切り取られました。この場面より、彼女は常にステージ上で無言の象徴的な恐ろしい存在となり、父親タイタスがより多弁となって苦しみの表現を助長させ、血塗られた復讐の共犯者となります。あらゆる伝達手段を奪われ、最も重要な貞操を奪われた彼女は、シェイクスピア作品の中で最も無力な被害者の一人に見えますが、彼女が肉体的に欠損することによって、本作の物語と主題の重要性は高まり、舞台上での無言の演技は観客の注意を強く引き付けます。


また、タイタスによる終盤の復讐では、弟のアトレウスによって虐殺され、自分の子供で作られた人肉のパイを知らぬ間に食べさせられた、セネカによる『テュエステス』が踏襲されています。タモラに息子二人の血と骨を用いたパイを食べさせるという憎悪の極みの描写は、タイタスの心情が狂気的なほどに攪拌されたことが伝わってきます。そして、タイタスが登りつめた民衆の英雄としての人生的絶頂から、全ての幸福を剥ぎ取られて奈落へと転落していくさまは、名誉の失墜と憎悪の激しい暴力が両極的に描かれており、観客(読者)へ激しい恐怖を与えます。

また、義があれば殺しも正当化されるという考えのもとで行動するタイタスは、気付かぬうちに自己矛盾に陥っています。タイタスは自分に逆らう息子を自ら一太刀で死に沈めますが、サターナイナスに処刑されると泣いてもがき苦しむという行動を見せます。誰がどのような経緯で死ぬかということで、人の命の価値が変わるという矛盾の引き金は、やはり名誉と愛が関わっており、結果的には伝統を重んじる名誉の尊重が彼に悲劇を与えたという見方もできます。


本作を蹂躙するエアロンの狂気的な残忍性は、タモラの冷酷で打算的な毒婦性と絡み合い、凄惨な描写を数多く生み出すことになっています。登場人物すべてに憎悪を生み出させる彼らの存在は、絶対的な自己尊重をもとに構築しています。しかし、互いの名誉が一人の赤子によって道を違えたために、双方に破滅の隙を与え、タイタスの復讐に呑み込まれていきました。復讐合戦によって地獄絵図と化した最終幕では、唯一とも言える民衆の強い指示を得ていたタイタスの子ルーシアスが光を僅かに見せてくれます。直情的な戦士であった彼は、目の前に広がる凄惨を前にして、それでも皇位を立て直そうと試みます。彼に芽生えた責任と誇りは、残酷な悲劇の末に生まれた僅かな希望として描かれています。

 

私はタイタスにリアの前身を觀た。そしてこれを譯してゐるうちに、エアロンのうちにイアーゴーとオセローを、ルーシアスのうちにコリオレイナスとマルコムを、サターナイナスとタモラのうちにマクベスとその夫人を、詰り後期悲劇の片鱗を幾つか垣間見る想ひがした。

福田恒存『タイタス・アンドロニカス』解題


シェイクスピアが後期に執筆する偉大な悲劇の核となる登場人物の性質が、既にこの段階で芽を出していました。本作は、流行に流されただけでなく、彼独自の天才性の芽生えを随所に滲ませた作品であると言えます。確かに残酷な描写の多い作品ですので読者を選ぶかもしれませんが、興味を持たれた方はせひ、読んでみてください。

では。

 

『幽霊たち』ポール・オースター 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

私立探偵ブルーは奇妙な依頼を受けた。変装した男ホワイトから、ブラックを見張るように、と。真向いの部屋から、ブルーは見張り続ける。だが、ブラックの日常に何の変化もない。彼は、ただ毎日何かを書き、読んでいるだけなのだ。ブルーは空想の世界に彷徨う。ブラックの正体やホワイトの目的を推理して。次第に、不安と焦燥と疑惑に駆られるブルー……。'80年代アメリカ文学の代表的作品!


十九世紀末から二十世紀にかけて隆盛を極めたモダニズム文学は、それまでのリアリズム(写実主義)を否定するように作家の思想や意思を表現していきました。それまで文学として求められていた「あるべき流れ」を否定し、複数の対立意識を双方に存在させ、事物の曖昧性や不確定性を肯定しようとする文学運動で、ジェイムズ・ジョイスフランツ・カフカヴァージニア・ウルフアンドレ・ジイドなどが代表作家として挙げられます。この前衛的な文学運動は世界中に広がりましたが、第二次世界大戦争を迎えると更なる変化が見られました。世界は進歩と発展に向けて突き進んでいたという人間の理想が戦争という破壊と荒廃によって打ち砕かれ、人間や社会の持つ不条理や虚偽性が意識の上に昇ってきます。これによって生まれた新たな思想は文学の「外枠そのもの」を破壊するようになり、矛盾や不条理をさまざまな手法で描こうとするポストモダン文学が現れました。作家のサミュエル・ベケットホルヘ・ルイス・ボルヘスルイージピランデッロなどが挙げられます。また、フランスの哲学者ジャック・デリダによる脱構築の理論は、ポストモダン文学の論理批評に強い影響を与え、実存主義における存在理論をその文芸性の主軸に見出しました。そしてアメリカの作家ポール・オースター(1947-)も、このポストモダン文学における代表的な一人です。


オースターは、本作『幽霊たち』で自伝を比喩と暗喩をもって拡張させた探偵小説として描いています。フィクションのなかに自伝的要素を抽象的な観念として取り込み、彼の抱える焦燥、恐怖、悲観、疑念を物語として構築させていきました。舞台は新旧の建物が混在する緑の多い自然の変化を感じることができるニューヨークのブルックリン・ハイツで、1947年2月3日より物語は始まります。この日はオースターの誕生日で、自伝的要素を込めていることを示唆しています。登場人物には、ブルー、ブラック、ホワイト、ブラウンなど色の名が与えられ、彼らの存在が抽象化されていくとともに、色とりどりであるブルックリン・ハイツの景色が色を失っていく効果をも与えています。

探偵のブルーが、ある人物を監視して欲しいという依頼をホワイトから受けます。対象はブラックという男性で、彼の部屋を目の前から覗くことができる部屋を用意されて、週に一度の報告を求められました。ブルーの使用する部屋は快適で、ブラックの住む建物の向かい側にあり、監視が非常に容易であるように感じました。しかし、ブラックは一向に目立った行動を起こすことはなく、一日の殆どは窓に面した机に向かって紙に何かしらを書き付けることを続けているのみでした。単調なブラックの行動と、単調な自身に求められる仕事にブルーはやがて嫌気が差してきます。状況を打開しようと探偵としての変装に長けていたブルーは、大胆にもその力を発揮してブラックへと直接的に接触しようと行動を起こします。変装のうえでのブラックとの会話は実に自然に行われ、ブラックさえも待ち受けていたように感じられます。このような互いの思考は徐々に近付き、境界線が曖昧となるような同調的一体感に二人は包まれ、互いの意図さえ分かり合う状況に陥ります。そして、不可解な拘束感と疑心暗鬼を生じたブルーは、ブラックと決着をつけるために強引な手口で乗り込んでいきます。


ブルーとブラックは、陣取った部屋のように互いを鏡のように写し合っています。行動描写でも台詞においても、繰り返しのような同様の現象を起こし、合わせ鏡のように反射し合って言動を重ね合わせています。互いの反映が、事象の実存性を失わせ、互いの虚偽性となってブルーの感情を否定的に刺激して心的負荷を与え続けていきます。その感情は鏡に映った鏡のなかのように無限に繰り返されているように襲い掛かり、彼の心情から冷静さを失わせ、意識は鏡のなかに閉じ込められたような閉塞感を抱きます。この閉塞感を助長させているのが互いの部屋です。監視するため、監視されるため、彼らは部屋に閉じ籠ります。やがて、向かい合う二つの箱には鏡像のような実存性の無い二人の人間が収まっているように感じられ、思弁的な文章が二人の存在をより抽象化させ、実在化しない存在「幽霊」のように感じられるようになっていきます。


ブラックの部屋での行動は執筆であることが理解できます。そして、ブルーの強引な行動から、その執筆内容はブルーのことであることがわかります。また、本作が冒頭の日付から自伝的なものであることが窺われ、ブラックはオースター自身であると仮定できます。そして、鏡像のような描写と思弁表現によって同調したブルーもまた、ブラックと同様の存在であるとも繋げられます。ブラックを監視するブルーは執筆者を眺めるもの「読者」であるとも言え、オースター自身の視線とも捉えられます。本作はオースターが、執筆者と読者の両側から苦悶する彼自身の心象を描いているという結論が見えてきます。オースターは「執筆」における実存の懐疑と襲いくる恐怖を感じており、心の内部をブルーとブラックの二人によって分割して物語として書き上げました。


また「幽霊たち」という言葉には、過去に栄華を極めた偉大な作家や、誰もが知る有名な主人公たちを暗喩して、小説というものが抱える虚偽性や執筆による存在の不確定性を表現しています。創作された物語は実存することはなく、また、実存する人間を描いたものでさえ、言葉というもので綴られている以上、そこには「ありのままの存在を映すことは不可能的である」という意図が込められています。また、執筆者としての蟠りと恐怖は、四壁の部屋の存在によって助長されます。ブルーとブラックは、閉じ込められ、閉じ籠り、互いに孤独となり、あらゆる実存から遮断されているような閉塞感を与えられます。そのなかでも顕著な描写は、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『森の生活』をブラックが読んでいるという場面で認められます。如何に生きるべきかという趣旨のもと、人間の本質や社会の在り方、倫理の持ち方などを考慮のうえ、ごく単純な自然を愛する生活へと向かおうという内容です。しかし、この理論は「孤独的な思考」が求められ、ブルーは恐怖と嫌悪を感じます。


また、ブルーとブラックを対比的に切り分けた場合、視点が変わって新たな見え方になります。ブラックは作者であるオースター、ブルーは主役にして読者として分解すると、立場が明確に変化します。読者に注目されたい、されなければ自認できなくなるという恐怖は、執筆という負荷、言葉の不確定性から生まれます。そして読むこと、書くことはそれぞれ孤独ななかで行われ、互いに閉塞感を持つようになります。時代は現代であり、舞台は1947年に始まって、1986年に発行されています。いつ終わるともわからない大著を書き続けたブラックは、実に39年ものあいだ孤独と戦い続けてきました。そして執筆者ブラックには読者ブルーが必要だったという結論に至り、ブラックは物語の終わりを予期していました。自伝の終わりは「死」であり、ブラックは死を受け入れるために女性との関係を断っています。また、読者であるブルーもまた、未来のミセス・ブルーとの別離もあり、ますます与えられた孤独のなかに閉じ込められます。ブラックとブルーの互いの孤独、作家と読者の双方の孤独によって完成する完全なる調和は、主観と客観の境界が曖昧になり、互いの実態の無さ、つまり幽霊たちによる思索の調和が共鳴へと変化して一つの作品を共同的に作り上げようとします。

脳味噌とはらわた、人間の内部。我々はいつも、作品をよりよく理解するにはその作家の内部に入り込まねばならない、とか何とか言っている。だがいざその内部なるものを目のあたりにしてみると、べつに大したものは何もない──少なくとも他人と較べて特に変わったところなんか何もないんだ。


偉大な検屍官ゴールドの脳の実体的な無意味さを、実存という側面から批判する姿勢からも、オースターが「個の存在の所在」を見出す困難さを伝えようとしていることが理解できます。本作では、執筆者と読者の同調と互いの孤独を、スペキュレイティブに描き出し、「本書の読者」をその思索へと引き摺り込もうとする熱量を強く感じさせます。また、当時における「現代」に溢れていた主観的物語の虚偽性と言葉の不確定性を思弁によって解体し、ジャック・デリダの唱える「脱構築」(再構築でも破壊でもない)を体現した作品であるとも言えます。その果てに浮かぶ自己実存を掴むことができないという存在的苦悩は、オースター自身の苦悩とも繋がり、読者への吐露と共鳴の望みを感じ取ることができます。


ニューヨーク三部作と呼ばれる作品群の二作目に該当する本作『幽霊たち』は、前後二作品と物語に繋がりがあるわけではありませんので、単独で楽しむことができます。アメリカン・ポストモダンの旗手ポール・オースターの傑作。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

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『いさましいちびのトースター』トーマス・M・ディッシュ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

だんなさまは、いったいどうしたんだろう?森の小さな夏別荘では、主人に置き去りにされた電気器具たちが不安な日々を送っておりました。ある時ついにちびのトースターが宜言します。「みんなでだんなさまを探しに行こう!」かくしてトースターのもとに電気毛布、掃除機、卓上スタンド、ラジオなどが集結し、波乱に満ちた冒険の旅に出たのですが……けなげでかわいい電気器具たちの活躍を描く、心温まるSFメルヘン!


第二次世界大戦争後、あまり戦禍を被らなかったアメリカでは特需景気が巻き起こり、資本主義的に世界を牽引するようになります。娯楽や歓楽が賑わう一方で、音楽や文学などの文化的発展も著しく成長しました。そのなかでも、娯楽作品として認識されていた「サイエンス・フィクション」という文学区分は、戦争という経験によって大きく進化します。化学と戦争の関連性、空想でしか有り得なかった荒廃的な世界、ファシズムの持つ恐怖など、現実体験によって刺激された想像力が「新たなサイエンス・フィクション」を構築して文学的な作品を多く生み出していきました。異世界的に描かれ続けていた舞台には、主義や思想、哲学や諷刺が織り込まれていきます。戦後から1960年頃までこの成長は続き、サイエンス・フィクションによる社会諷刺が力強い運動となって広まっていきました。しかし、このような破滅や滅亡を題材とした作品群はエスカレートを始め、暗く過激な作風は読み手を辟易させていきます。この倦怠的な風潮を脱却させたのが、「ニュー・ウェーブSF」の筆頭ジェイムズ・グレアム・バラードです。過激性のインフラ合戦になっていたサイエンス・フィクションを見つめ直し、外的な要因ではなく人間の内面に焦点を当てた新しい視点によって描かれる作品は、読者を強く惹きつけただけでなく、作品自体の文芸性をより高みへと導きました。今までの外宇宙から内宇宙(インナースペース)へと視点を移して描き出す作風は、他の文学性を備えた心理描写によって、含まれる文芸性はより幅広いものに進化しました。この「ニュー・ウェーブSF」を代表する一人がトーマス・マイケル・ディッシュです。


1970年代はアメリカにおいて家電製品が目紛しい進化を見せていました。Mr.Coffeeのコーヒーメーカーを皮切りに、ホットドッグ専用トースター、同じ型のクッキーを簡単に並べることができるパーティピストル、卓上に置くことができる小さな冷蔵庫や、コーヒーやソーセージを同時に作るトースターなど、ユニークな製品が数多く生み出されます。このような家電製品を販売する小売業も隆盛を極め、次から次へと販売しては新たな製品が店頭に並びました。しかし、1980年代に入ってから、小型でリーズナブルな日本車がアメリカで受け入れられ始めると、それに伴って日本の小型家電製品も同じように普及していきます。小売店の店頭には日本から輸入された家電製品が並び、アメリカメーカーの品物は影を潜めていきます。このような経済の流れは、アメリカの鉄工業やガラス工業といった車部品を請け負っていた会社、家電製品を任されていた工場などに大きな被害を与えました。そしてこの貿易摩擦によって、ジャパン・バッシングといった反日キャンペーンが行われ、通商に関わる規制が取られていきました。


このような不遇を受けたアメリカのユニークな家電製品は、現代ではレトロ趣味として受け入れられ、デザインや発想を維持したまま、安全な設計によって多くの人々に楽しまれながら愛されています。そして、これらの家電製品が主となる冒険活劇を描いたのが前述のディッシュであり、本作『いさましいちびのトースター』がその作品です。別荘に置き去られた時代遅れの家電製品たちは、主人の不在を慮り、自分たちだけで主人の住まいへと向かおうという、寓話的な活劇が繰り広げられます。


擬人化された家電製品たちは、驚くほどに動き回ります。主人を思う一心で力を合わせて、各々の電源コードを翻しながら森を颯爽と突き進みます。車の予備バッテリーを活用して、キャスターを付けた椅子に乗っかって、雨に降られながら傷つきながらも、懸命にひた走ります。危険なことは人間に見つかることで、その瞬間に身体は固まってしまいます。それを避けるために、見つからないように、ハイウェイを避けて向かっていきました。トースター、掃除機、ラジオ、電気毛布、スタンドライト、彼らは各々に自己を持っており、誇りもしっかりと秘めています。しかし彼らは大きな問題に直面します。川を渡る必要がありました。彼らは立ち止まり、近くに置かれたボートを見つけて意見が分かれました。勝手に用いて良いものか、泥棒と同じ行為なのではないか。意見が割れている間にボートの持ち主がやってきて、彼らの身体は硬直します。そして、彼らはその持ち主に連れ去られてしまいました。そこから寓話らしく、『ブレーメンの音楽隊』を彷彿とさせる展開によって危機を脱して冒険の終わりが見えてきます。


児童文学とも言えそうなこの物語には、当時のアメリカで問題視されていた「資本主義における産業労働者の窮状」を表現しています。日本の家電製品によって目紛しく市場が掻き乱されたことで、アメリカメーカーなどの産業側は大きな被害を被りました。そして、そのもとで労働に励んでいた人々は職を失われて危機的な状況に陥りました。この環境に負けまいとする意思を束ねた「労働者間の結束」を、実に明快で軽快に擬人化された家電製品たちは見せつけてくれます。さらにディッシュは、辿り着く結末で見事な新天地を彼らに与え、窮状脱出の自発的な行為を称賛しています。


このディッシュによる人道主義的な描写は、作中の随所でも感じ取ることができます。ボートを使用するか否かの場面でラジオから流れる「各自の能力に応じて働き、各自の必要に応じてとる」というカール・マルクスの言葉は、自然と心に響きます。また、電気製品たちによる冒険活劇は当然ながら人間たちには知られず、主人も気付かないままに終幕を迎え、彼らは新天地で「主人のために働く幸福」を手に入れることができます。主人への従順さと自己の幸福を誤解しないように、自身が見極めて行動することが必要だと訴えているようにも感じられます。

 

それにしても、なんとたくさんの品物がこのゴミ捨て場にほうりこまれていることか!しかも、ベビー・カーとおなじように(また、それをいうなら、電気器具の一行とおなじように)まだ充分役に立つのにです。ヘアドライヤーや四段ギアの自転車、湯わかし器やゼンマイじかけのおもちゃ、どれもこれも、ほんのちょっと修理してもらえば、まだ何年もはたらくことができたでしょう。それがぜんぶゴミ捨て場にほうりこまれているのです!


本作はサイエンス・フィクションとして世に知られていますが、ディッシュは寓話を意識して執筆しています。このことは『いさましいちびの仕立屋』から捩った題名や、『ブレーメンの音楽隊』のオマージュなどからも、裏付けされています。しかしながら、込められたメッセージには社会を生きる大人にも響くものであり、彼もそのような対象を意識して描いています。組織への帰属意識が持つ危険性と、自己の幸福を見失わないようにという訴えは、現代の我々にも通用すると思われます。読みやすくも考えさせられる本作『いさましいちびのトースター』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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