
こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

二十世紀初頭の日本は日露戦争、第一次世界大戦争と、相次ぐ戦争によって国民は激しく疲弊していました。軍需捻出のために国民の生活は貧困に見舞われ、生活を支える青年たちは徴兵され、国民は各地で苦しい生活を強いられていました。そのようななか、1917年におこったロシア革命の影響が日本にも流れ込み、国内で共産主義運動が活発化していきます。資産を持った一部の富裕層による土地や資本の占有(私有財産制)や君主制の否定を目指すこの運動は、勢いをつけて全国規模で拡大していきました。当然ながら政府は、このように反旗を翻す国民たちに対して武力を持って強引に弾圧していきましたが、それでも各地で頻繁に起こる共産主義運動は、やがて労働者の権利を主張する「労働運動」へと派生し、劣悪な環境下で働かされる労働者たちによるデモやストライキが頻繁に行われました。そして、共産主義運動の影響は文壇にも現れ、葉山嘉樹(1894-1945)、小林多喜二、徳永直といった作家が名を連ね、社会主義文学(のちのプロレタリア文学)として広まっていきました。
社会主義文学は、労働者たちの尊厳を主張するものでしたが、前述の作家たちによる作品は強烈な熱量とともに芸術性も秀でており、この点が国民一般の支持を得た理由でもあり、新たな文芸思潮の創生となった原動力でもありました。こうした文芸運動の先駆けとなったのが、1926年に発表された葉山嘉樹の『海に生くる人々』という作品です。当時は他国からの技術流入によって日本社会の資本主義化が見え始めた頃で、こうした社会の富裕層に向けた批判を込めた横光利一や川端康成らの新感覚派や、苦しい生活に一筋の光を求めた吉川英治や大佛次郎らの大衆小説が隆盛を見せ始めており、葉山のような「労働者の直接的な主張」が文学として歓迎されやすい環境にもありました。作品としては長篇の物語ではありますが、随所で葉山自身の思想論と思われる記述が現れ、鋭い観察眼による社会描写と激しい労働者の人権主張が何度も繰り返されています。ここには、葉山自身の感じた痛みや憤りそのものが表出し、労働者の置かれている立場や環境が目の前に繰り広げられています。
水夫たちは皆、それぞれの嗜好に従って、横浜へ着いてからの行動や、食物について空想に浸っていた。デッキの上では、彼らは陸にさえ上がれば、あらゆる快楽がある、それが待っていると思う。自分たちが縛られ、奴隷扱いにされ、自由を略奪され、労働力を搾取されていることは、陸と、デッキとの間に海が横たわるからであると、無意識のうちに考えていた。それはちょうど牢獄に監禁された囚人が、赤い高い煉瓦塀のかなたには、絶対の自由がある。自分はそこでは自分の好む通りにすることができる。そこは、そのまま天国だと、考えるようなものであった。ところが監獄の塀の外にも、彼の考えたような自由はその影もなかったように、また甲板の上で考えたような自由と幸福とは、決して陸上にもありはしなかった。彼らは、それを、彼らが上陸するたびに味わった。そして、陸上で自分の財布を地面へたたきつけ、自分の着ているその無格好な汚れた着物を引き裂き、労働で荒れた、足の踵のような手の皮を引んむいてやりたく思うのであった。それらが、彼らがせっかくあこがれ切った陸に上がったにかかわらず、彼らから自由と幸福とを追っぱらった。労働者は、自由や幸福や、人間性が、賃銀を得つつある間に自分に与えられ、あるいは自分からそれを得ようとすることが、全然不可能なことであることを知るようになる。人間が牛肉を食うと同じように、人間が人間を食う時代の存続する限り、労働者は、その生命が軛の下にあることを自覚しなければならない。水夫らは、そんなふうなことを感じた。
葉山嘉樹『海に生くる人々』
物語のなかで繰り返されるこうした思想論は、当時の労働者たちの胸を打ち、同情し、同調し、惨憺たる状況に追いやられている立場を自覚させ、労働者たちは一層の「社会を変える意思」を高めました。こうした論説が、自分たちとも重なる労働者の物語に挿話的に繰り返され、自然と自分の置かれた環境と社会の問題を同軸化させ、読者は社会主義運動を肯定的に捉えるようになっていきました。そして、葉山の作品に続くように、小林多喜二の『不在地主』や徳永直の『ファッショ』といった社会主義運動や活動戦略が作品のなかに持ち込まれるようになり、この文芸思潮を「プロレタリア文学」と呼ぶようになりました。いわば、人間が人間らしく生きるための根本思想と、それを実現するための革命運動が、プロレタリア文学の根源として存在していました。人道主義や労働文学などでは主張されなかった「労働者も人間である」という最低限の主張が、描かれる人間像と挟まれる思想論によって、当時の若い作家たちに強い影響を与えたことは事実です。
お前はどう思う。俺たちが何故死んじまわないんだろうと不思議に思うだろうな、穴倉の中で蛆虫見たいに生きているのは詰らないと思うだろう。全く詰らない骨頂さ、だがね、生きてると何か役に立てないこともあるまい。いつか何かの折があるだろう、と云う空頼みが俺たちを引っ張っているんだよ
葉山嘉樹『淫売婦』
本作『セメント樽の中の手紙』は、葉山を作家として日本の文壇に確立した作品です。しかしながら、本作ではこうした思想論を用いずに社会の悲痛を直截的に訴えかけたもので、短篇という構成からも本作は読者の層を広げ、大きな支持を得ることに成功しました。奇跡派として活躍していた宇野浩二も、本作には労働者の「真実の叫び」が込められていると絶賛しており、当時の文壇に大きな衝撃を与えていたことが理解できます。
過酷な建設現場で働く松戸与三は、セメント樽からセメントを枡で測るという仕事を朝から晩まで勤め上げていました。ある時、開けたセメント樽から小さな木箱を見つけ、忙しい中で取り敢えず手にして作業を続けました。箱が軽いことから金銭は入っていないだろうと考えた与三ですが、開けてみると手紙が入っていました。これは女工が書いた手紙で、セメントを作る工場で働く恋人が、運悪く砕石機のなかに巻き込まれて絶命したという事故が綴られていました。そして、恋人が巻き込まれたセメントがどのような建物に使用されたのか知らせて欲しいという訴えで締め括られていました。与三は向けどころのない憤りと絶望感に苛まれ、何もかも放擲したい気持ちに駆られます。しかし、妻の言葉に現実を見て、また無力を自覚して物語は終わります。
鼻についたセメントを拭う時間すら惜しいという過酷な労働環境は、当時では特別なものではなく、人命よりも効率を優先させる恐ろしい社会でした。建設現場だけでなく、小林多喜二の『蟹工船』でも見られましたが、労働者は人間ではなく資本家の奴隷であり、労働者の生命は非常に安いものでした。砕石機に巻き込まれた際に、稼動を止めずに作業を続けたことも同様の理由にあります。与三が稼ぐ賃金の半分以上は家族の食事に消えてしまい、気を晴らす楽しみも、環境を打破する行動もできない、非常に苦しい生活環境にあることが物語から見えてきます。それでも労働者は人間であり、与三には感情があり、社会の在り方が不自然であることが窺えます。木箱の軽さから金銭が入っていないと感じた与三は、紙幣といった概念そのものが欠落しています。この点も、貧困に喘ぐ労働者層の裏付けとして感じ取ることができます。
手紙は一方通行なもので、書かれた内容を与三は受け取ることしかできません。真偽(手紙が悪戯である可能性)などへの関心以前に、その内容の衝撃と憤りは、同じような非人道的な労働環境にある与三に他人事とは思えない感情を呼び起こさせます。与三は自分の生活、或いは人生を顧みて何もかもを放り出してしまいたい気持ちに駆られました。生きる環境そのものが苦痛に満ち、さらに行き場もなく、逃れる術も見出せないからこそ、与三は生活から抜け出したいと感じたのだと考えられます。しかし、妻の一言により、自分の置かれた現実を目の当たりにして、自分は「この環境で生き続けなければならないことを自覚」し、行き場なく打ちひしがれました。
松戸与三は、湧きかえるような、子供たちの騒ぎを身の廻りに覚えた。
葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』
彼は手紙の終りにある住所と名前を見ながら、茶碗に注いであった酒をぐっと一息に呷った。
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打ち壊して見てえなあ」と怒鳴った。
同情し、手紙に心を動かされた与三は、労働者としての意識が高まり、社会を変えようという革命の意思を抱きましたが、家族に囲まれた自分の現実を再認識させられ、変革の一歩さえ踏み出せない労働者の現実に、激しく絶望させられました。この「労働者の絶望」を思想的議論を用いずに、読者へ直截的に訴えかけた点が、本作の大きな特徴であり、秀でた点でもあります。
葉山嘉樹がプロレタリア文学の先駆け作家として、その主張を凝縮した本作『セメント樽の中の手紙』、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。



















