
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

イワン・ブーニン(1870-1953)は地主貴族の家庭に生まれました。由緒ある家系で、「全ロシア帝国貴族紋章集」にも掲載されるほどでしたが、父親の代で大きく没落し、貴族としては非常に貧しい環境でブーニンは育ちました。クリミア戦役後に帰国した父親は、持ち前の情熱と寛大さで家庭を愛しました。そのため、ブーニン自身は貴族としての没落に反し、父親に対して強い尊敬の念を抱いていました。また、母親も慈愛に溢れ、感受性の豊かな女性であり、彼は貧しいながらも幸福な幼少期を送りました。ブーニンは、家庭教師の影響で読書に耽ることが多く、早い時期からホメロスの『オデュッセイア』などに触れ、彼の詩性を刺激していきました。十歳でギナジウムに入ったブーニンでしたが、環境や勉学の内容に肌が合わず、結果的に退学してしまいます。これ以後の家庭教師は兄ユーリに任せられましたが、ここからブーニンの文士人生は始まっていきました。ブーニンが人文や哲学に関心を持っていたため、ユーリはその方面を強化していきます。この教育の影響と、持ち前の詩性が合わさり、ブーニンは僅か十五歳にして小説『情熱』を書き上げました。また、1887年の冬に、詩人セミョン・ナドソン(作曲家セルゲイ・ラフマニノフなどに影響を与えたことで有名)の死を受けて綴った『セルゲイ・ナドソンの墓の上で』という詩が雑誌に掲載されるなど、その詩性は徐々に形を成していきます。
文学の聖地サンクトペテルブルクに居を移したブーニンは、ロシア文壇で活躍する文士たちと次々に交流しました。文学評論家で思想家のニコライ・ミハイロフスキー、自然主義作家ドミトリー・グリゴロヴィチ、社会諷刺作家アレクセイ・ジェムチュジニコフなどと言葉を交わしたのち、ロシア黄金期の代表作家レフ・トルストイの家を訪ねて議論し、戯曲と短篇の旗手アントン・チェーホフとも文学について議論しました。こうしてロシアの文壇の中心へと足を進めたブーニンは、写実主義作家たちによる文芸サークル「水曜会(スレダ)」に参加し、幅広い芸術の交流を叶えます。前述のチェーホフをはじめ、社会を切り取るように描いたマクシム・ゴーリキー、表現主義の先駆者レオニード・アンドレーエフや、ロシアロマン派の代表的作曲家セルゲイ・ラフマニノフといった音楽家も参加し、ブーニンは芸術的な研鑽だけでなく、穏やかな友情も築き上げていきました。
執筆も好調で、作家としての立場を築き上げていったブーニンですが、第一次世界大戦争の勃発によって大きな精神的失望を味わいます。ドイツ帝国によるランス大聖堂砲撃を受け、ブーニンは暴力による世界支配を目指す姿勢を強烈に批判しました。そして、ロシアにおける二月革命、第一次世界大戦争という歴史の流れは、ブーニンにはロシア崩壊の前兆として捉えられ、のちのソビエト連邦による権力を全て否定する態度を貫きました。当時は、「アレクサンドル・ブロークは革命の音楽を、イワン・ブーニンは反乱の不協和音を聴いていた」と囁かれたように、詩人たちによる革命推進に対し、ブーニンは反戦的な意味合いでの保守的な立場を取っていました。この感情が基盤となって、1920年に彼はフランスへと亡命します。黒海を渡るとき、ブーニンは「これまでの人生はすべて終わってしまった」と絶望を露わにしており、失意の底にあった精神による決断の亡命であったことが窺えます。
パリに落ち着いたブーニンは、失意のためか、なかなか執筆活動を始めることができませんでした。いわゆる「創作の貧困」と呼ばれる状況にありましたが、これは亡命後も気持ちを整理できず、変わりゆくロシアの情報を耳にするたびに気持ちが落ちていくという性質のものでした。しかし、その後に『刈り取る人々』を書き上げて話題となり、革命前の作品がパリでも出版され、亡命作家としての活動がゆっくりと本格化していきます。そして1924年に開催された「ロシア亡命者の使命」と題された文学の催しで、イワン・シメリョフ、ドミトリー・メレシュコフスキーなどの亡命作家とともに、ブーニンは「レーニンの命令を拒絶することが使命だ」と宣言し、亡命作家は進みゆく革命の道とは異なるロシアの道を示すことだと訴えました。このような活動の効果もあり、翌年に発表した本作『ミーチャの恋』は、大きな話題となりました。本作以降のブーニンの作品には、革命前まで一貫して込められ続けたロシア社会への啓蒙的な訴えは完全に消滅し、根源的な自然界における生物としての人間の存在が書き上げられています。
物語はミーチャという青年の一人称で進められます。彼は私立演劇学校に通う美しい女性カーチャに恋をしています。カーチャの美しさには目を見張るものがあり、貴族層の若者たちに注目されています。こうした様子を目の当たりにするミーチャは強烈な嫉妬心に駆られ、カーチャへも直接的に訴えるようになっていきました。彼女は、ミーチャの嫉妬心を抑えようと、自分には彼が唯一無二の存在だと伝え、何度も宥めます。嫉妬をするたびに宥められるうち、ミーチャはある時、彼女の心のなかで変化が起きていると感じました。そこからはカーチャに何を言われても嫉妬心がおさまらず、彼は耐え難いほどの苦痛に苛まれていきます。カーチャが演劇に没頭している理由のひとつに、一人の演出家の存在がありました。彼は演劇学校の校長で、カーチャを褒め称え、女優としての輝かしい将来を想像させます。彼女は演出家の言葉と、その情熱に惹かれ、時間を共に過ごすことが多くなっていきました。しかし、この演出家には生徒を誑かすという噂があり、カーチャはまさに標的となっていました。やがて彼女は「心の優しい純真無垢な少女」から「着飾って忙しなく愛想を振り撒く令嬢」へと変化し、ミーチャと恋の言葉を交わしていた時とは別人のようになってしまいました。ミーチャは嫉妬の苦しみから逃れるため、しばらくモスクワを離れて田舎の実家へ帰ることになりました。カーチャは賛同し、二人は療養後にクリミアで再会しようと約束します。
帰郷後、ミーチャはしばらく療養に努めていましたが、環境の変化による嫉妬心の抑制効果は見られず、むしろ一層にカーチャのことを思う時間が増えていきます。そこに居ないはずのカーチャの面影を探し、想いは募り、幸福な時間を思い出すたびに嫉妬心が溢れてきます。ミーチャは彼女に手紙を送りました。返事が来る前に、さらに手紙を送りました。カーチャが筆不精であることを理解しているミーチャでしたが、返事が届かないということは、やはり嫉妬心に繋がっていきます。手紙を待つあいだ、彼は図書館で恋愛誌を読み耽り、恋心を刺激し、また苦悩の渦に呑まれていきます。一向に届かない返事を求めて、ミーチャは毎日、自ら郵便局へと出向くようになりました。しかし、手紙が届くことはなく、新聞だけを持ち帰る日々が続きます。嫉妬の苦悩が心の底に突き当たると、ミーチャは「一週間のうちに手紙が届かなければ自殺するしかない」と決意します。そして彼は、郵便局へ通うこと、愛の手紙を書き送ることを禁じ、自分の苦悩と向き合うことにしました。このような苦悩を見兼ねた村の長は、ミーチャに気晴らしの娯楽を提案します。それは、少額の料金で村の若い女性と二人きりで過ごし、性的快楽を得られるというものでした。アリョーンカという女性が引き合わされ、二人きりで落ち合ったミーチャでしたが、家族の動向や自身の苦悶に心を掻き乱されます。幾つもの感情によって、ミーチャの神経は激しく過敏になっていきます。そして、性的な快楽を得た瞬間に、ミーチャは大きな失望感に包まれました。性行為に求めていた純粋性や幸福がそこにはなく、ただ一面の虚無だけが広がっていました。苦悩と絶望の板挟みとなったミーチャは、一つの大きな決断をします。
ロシア亡命者に向けたパリの雑誌「ソヴレメンヌイ・ザピスキ」に初掲載された本作『ミーチャの恋』は、大きな反響を呼び、さまざまな書評が寄せられて話題になりました。ブーニン自身の失恋経験が色濃く反映されていながら、自伝的な雰囲気を感じさせない点も一つの特徴です。ミーチャという青年の強烈な個性も理由に挙げられますが、何より嫉妬心の芽生え方の普遍性と焦燥感の表現が強烈な印象を与えています。快活な女性に見られる奔放さは、恋する青年にはもどかしさを生み出し続ける原因であり、恋愛感情の熱量が嫉妬の妄想を膨らませる原因にもなります。そして、このような登場人物の感情を剥き出しにした表現技法が「現代的」であると評価され、また、読者を物語へ没頭させる要素ともなっています。そして、読者が感じ取るミーチャの苦痛や嫉妬は、ブーニン自身が感じたものであり、読者が共感するものでもあります。
ミーチャの持つ「情熱と純粋性」は、彼に悲劇的な終幕を与えます。カーチャが演出家に誑かされる以前、二人は良好で純粋な恋愛感情で結ばれていました。恋の感情は相手を偶像化し、やがて異性の理想像へと昇華させます。この時点でも、カーチャの奔放さには「理想との相違」があり、小さな諍いを生み出していました。しかし、カーチャに変化が見えだすと、理想との乖離は激しくなり、比例して苦悩や嫉妬も激しくなっていきます。このようなミーチャの態度に、現実のカーチャの心は一層に離れていきました。遠く離れて暮らすことで、ミーチャが見るのは理想のカーチャだけとなり、それは絶対的な偶像となって嫉妬心が爆発的に膨らみます。そして会うことができないという事実が嫉妬を絶望へと変化させ、終盤の情事を招きました。
自然描写が緻密で豊富な点も、ブーニンの亡命後の作品に見られる大きな特徴です。人間という存在は自然の一部であり、自然と一体であるという考えから、登場人物の感情の機微は自然描写と共に詳細に描かれます。本作では特に顕著で、モスクワでの生活においては殆ど自然描写は見られず、田舎へ移り住んでからは非常に豊富に描かれています。モスクワでは、ミーチャが抱く嫉妬などの感情はカーチャへ直接的に放たれるため、その瞬間に発散してカーチャに宥められていました。しかし、カーチャと離れて暮らすことでミーチャは抱く嫉妬や苦悩を精神の内へと溜め込み、極度の葛藤という形で苦しみます。こうしたミーチャの感情変化や精神的負荷を、ブーニンは沈鬱な感情を准えるように自然を描写し、読者の心へ刷り込んでいきます。陽の明るさや暗さ、自然の優しさや厳しさ、蝶の舞いは蛾の羽ばたきへ、ミーチャの精神変化を自然描写によって緻密に描いている点が、印象の強さと美しさを本作に備えさせていると言えます。
愛は、情欲は、魂は、肉体は?いったい何なのだろう?いやそんなものはない──存在するのは、何か別のもの、まったく別のものなんだ!まさにこの手袋の匂い──これだってカーチャじゃないのか?愛、魂、肉体じゃないのか?農夫たちも、車内で働いている人たちも、不恰好な赤ん坊を洗面所に連れていく女性も、コトコトと鳴るランプの淡い焔も、春の荒れ野を覆う薄闇も──すべては愛であり、魂であり、苦しみであり、いまだ語られざる喜びなのだ。
イワン・ブーニン『ミーチャの恋』
ブーニンのノーベル文学賞受賞には、確かに当時の「亡命ロシア文学」を活性化しようという世界の文壇が描いた思惑が影響しました。しかし、彼の文学には並外れた熱量と表現技法が作品に込められており、間違いなく芸術性の高い作品が多く発表されていると言えます。本書に収録されている表題作の『日射病』にも当てはまることですが、頽廃文学の要素は備えているものの決して主題がそこにあるわけではなく、人間という存在を追究し、現実と理想における幸福の乖離を、自然を通して描いているところにブーニンの特異な文才が現れているのだと思います。ロシア亡命作家イワン・ブーニンの『ミーチャの恋』、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。














