RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

 

優しい夫、よき子供に恵まれ、女は理想の家庭を築き上げたことに満ち足りていた。が、娘の病気見舞いを終えてバグダッドからイギリスへ帰る途中で出会った友人との会話から、それまでの親子関係、夫婦の愛情に疑問を抱きはじめる……女の愛の迷いを冷たく見据え、繊細かつ流麗に描いたロマンチック・サスペンス。


1944年の英国、すでに推理小説作家として文壇に揺るがない立ち位置を築いていたアガサ・クリスティー(1890-1976)は、長年のあいだ構想を続けていた作品の執筆に取り掛かりました。この作品は謎解き小説とは一味違った雰囲気の「ロマンス小説」なるもので、ミステリーを期待する先入観を持った読者には望ましい印象を与えない可能性がありました。そのため、本作『春にして君を離れ』を含む六作のロマンス小説はメアリー・ウェストマコットというペンネームで出版されました。事件を解決するような謎解きなどはありませんが、筆致は間違いなくアガサ・クリスティーであると感じさせる見事な作品です。


語り手であるジョーン・スカダモアは、郊外で代々弁護士事務所を営む夫を持つ、世間的地位としては申し分のない裕福さと幸福を併せ持っていました。本作は、バグダッドに住む娘夫婦を訪問したのち、ロンドンへと戻る道中での一人語りで進められます。悪天候により交通機関が停止してしまい、乗り継ぎ駅のレストハウスで立ち往生してしまうところから物語は始まります。東西南北を見渡しても一面沙漠しか見えず、その真ん中に駅とレストハウスが存在するような場所で、持ち合わせていた幾つかの本は読んでしまい、手紙を書くための紙とインクも無くなり、話し相手になるような人間もいない、ただベッドと椅子があるだけといった環境で時間だけが存分に与えられた状態でした。そこで彼女は思考を逡巡させて、自分の心や幸福に対する自問自答を始めます。直前に出会った落ちぶれた旧友の言葉に引っ掛かりを覚え、そこからジョーンは他者と自分を比較していきます。


彼女は自分の行動と結果に満足しています。愛する夫の人生を狂わせかねない危険な判断の制止、愛する子供たちの教育や人付き合いへの配慮、いずれも世間的地位を築き、それを守り、人生の成功者へと向かう矛先へ熱意を持って取り組んできました。夫は地方の名士たる弁護士事務所の経営、子供たちも幸福な結婚を掴むことができました。そして彼女を取り巻く周囲の人々の落差、法を犯して前科者となった夫を持つ不憫な夫人レスリー、怠惰な男性趣味の為に堕落した女学院時代のマドンナ的存在ブランチなど、比較すればするほど自分の幸福を噛み締めることができます。このような幸福を自らの努力で手にしたという自信が満足となり、改めて自身の行動を賞賛して快い気分に浸っていました。


しかし、回想を繰り返すことで、夫との会話、子供たちとの会話、周囲の発言の数々から、不愉快な連想を呼び起こします。自分の求める幸福のため、家族は夢や幸福を諦めたのではないか。そのような仮定が何度振り払っても思い返されていきました。夫の農業をしたいという夢を弁護士事務所経営と比較して断固反対したという事実、娘の交友関係に介入して関わる友人を選択させたという事実、落ちぶれた旧友から憐憫の眼差しを注がれた事実、周囲の人々には献身的に接しながらも自分には好意をあまり見せない夫の行動など、実際に感じた不愉快な感情が疑問となって次々とジョーンに襲い掛かります。彼女は、幸福であるに違いない自分が不愉快な疑問を抱くのは、沙漠という広大さと暑さを持った恐ろしいものが与える精神的な不愉快であると理解しようと試みます。しかしながら、逡巡の末に辿り着いた夫とレスリーとの愛情の結び付きを想像すると、これは自己本位に行動してきた自分自身の咎であり、他者の幸福を奪い続けてきたのだと自覚するに至ります。そして、夫や子供たちだけでなく、友人や知人、または使用人に対しても自己本位の行動を繰り返してきたことを理解して愕然とし、自責の念に苛まれます。そしてジョーンは回心するため神に祈り、夫や子供たちに罪を償おうと決意をして心を晴れやかにします。神の思召しのように「ちょうどいいタイミングで」到着した汽車に乗り、夫ロドニーの元へと希望を持って向かいます。彼女は、自分の人生についての自分が招いた不愉快な真実を理解したのでした。

ここから終幕、エピローグへと続きますが、人間の醜さと虚しさが映し出される哀しい最後へと展開していきます。人間の心が一日にして再構築され、生まれ変わることが如何に困難かを物語る哀しい結末です。


ジョーンはロドニーを真剣に愛しています。子供たちも愛しています。しかし彼女の思考基盤には、利己的な幸福判断基準が存在しています。善か悪か、賢明か愚鈍か、明か暗か、それらを自分の幸福を優先的な価値基準として、あらゆる分岐を判断していきます。それは打算的なものであっても、ジョーン自身にとっては真剣に相手の幸福を願っての判断であり、決して悪意のもとには働いていません。しかしながら、根本では全ての判断がジョーンの幸福に連なっているものであり、極端に言えば、ジョーンの幸福こそが相手の幸福であると迷い無く考えているうえでの判断であるため、相手は利己的な判断を押し付けられていると感じられます。この利己的な思考を沙漠の真ん中で逡巡により気付かされた彼女は、ロドニーへの愛の深さから強烈な罪悪感を覚えて、悶えながらも受け止めて回心するように神へ祈ります。そして、帰宅して心より謝罪して心を入れ替えようと決意したのでした。


そのような回心ののちではありましたが、帰りの汽車で乗り合わせた貴婦人との会話のなかで、ジョーンは自分が片田舎の弁護士夫人に過ぎないという事実を突きつけられます。満ち足りたと感じていた幸福に不満を覚え、最上の幸福を与えられていたという感情は薄らいでしまいます。また、ジョーンは社会(世界)を自分の利己的な価値観で眺める習慣を変えることはできておらず、ナチスとの戦争を危惧されている最中でも、彼女は戦争が起こるわけがないという自分の価値観から外れた事実を受け止めようとせずに拒絶します。そして、その価値観をさらに強めたのが到着した故郷の空気でした。


1944年の英国の文芸誌「タイムズ・リテラリー・サプリメント」の書評では、「アガサ・クリスティーは、多くの技術的な困難を抱えながら、回想的に語られるこの小説を実に読みやすくすることに成功した。彼女はジョーンを浅薄で粗野な性格にはしていない」と述べられています。自覚の無い利己的な判断の押し付けの善悪を見極めることは困難です。だからこそ、ロドニーや子供たちは、ジョーンに気付かせようと試みず、諦めて耐えることを選んだのだと考えられます。彼女は「少し近視である」という描写は、皮肉めいた比喩として的確に性格を表現していると言えます。


題名にも用いられているウィリアム・シェイクスピアソネットは、本作において重要な要素として存在しています。ロドニーとの会話のなかで引用されている「ソネット116」からは、彼の秘めた心情を汲み取ることができます。

実ある心の婚姻に、許すまじ、邪魔だては。
世は移り、人は変われど、まことの恋は
摘まれて朽つる花のごとく
はかなきものにあらざれば。
そはさながら天の一角に
嵐を下に見て、巌としてゆるがざる、
かの不動の星、荒波に揉まるる小舟の
変わりなき道しるべ、
いと高く輝きて、限りなきものを内に秘む。
まことの恋、そは時の道化にあらず
よし、あえかな唇、ばらのかんばせは、
時の利鎌の一振りにうつろうとも
恋はかりそめならずして
世のきわみまで恋うるなり。
変わらぬ恋は世になしと証しさるれば
わがすべての詩はむなしく
およそ人のすべての愛もまたむなし。

そしてロドニーは、「本当にすばらしいのは、彼も我々同様、悩み多き人の子だってことだろう」という言葉で繋ぎました。レスリーへの想いからソネットの混同(18を思い起こす際に116を連想した)があったことから、ここで引用される「実のある心の婚姻」とはロドニーとレスリーが対象であると受け取ることができます。レスリーの墓碑の上に落ちたロドリーの赤いシャクナゲは、レスリーをしのぶ思いを連想させ、涙や悲しみが表現されているように見えます。ロドリーの心にあるレスリーへの強い想いがソネットの混同を生んだと考えられます。


この物語では、ジョーンが自己本位な心に気付き、それを認めようとする自省的な感情と、愛情から行動を起こしているという自己正当化による煩悶が入り混じりながら、それでも家族を愛するために回心しようという善行的な進み方をします。しかし、本当に大切なものは「勇気」でした。レスリーの勇気を讃えたロドニー、非難したジョーン、ここに根本の相違があったのだと終盤に向けて提示されていきます。ロドニーの寛大な心は幸福に結びつくのか、そこにも何らかの勇気は必要ではないのか、愛する勇気は双方に必要がないのか、読後も考え続けさせられる作品となっています。

謎解きの事件は起こりませんが、最後まで感情を揺さぶられ続ける興味深い作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『アンナ・カレーニナ』レフ・トルストイ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

アンナは兄のオブロンスキイの浮気の跡始末に、ペテルブルグからモスクワへと旅立った。そして駅頭でのウロンスキイとの運命的な出会い。彼はアンナの美しさに魅かれ、これまでの放埒で散漫だった力が、ある幸福な目的の一点に向けられるのを感じる。


十九世紀ロシアを代表する二人の偉大な作家、フョードル・ドストエフスキーレフ・トルストイ。内なる感情の劇的な興奮やその明暗に渡る高揚を、奥の奥まで突き詰めたドストエフスキーに対し、トルストイは当時の社会そのものを詳細に描きながら思考の流れや意識の動きを初めて読者に提示しました。トルストイは、大作『戦争と平和』の後に生み出した本作『アンナ・カレーニナ』で、主要な登場人物の心の声を通して、置かれた立場から揺れ動く思考を情景描写の流れに合わせて見事に描き出しています。その思考は意識を通して行動に繋がり、心理的な描写を映し出すリアリズムとして完成されています。冒頭に打ち出される「幸せな家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」という言葉から生み出された原則は、1870年代当時のロシアを背景に、上流社会から下層社会まで幅広く描きだして証明されていきます。それぞれの登場人物が置かれた立場から、必要な礼儀、抑えられない衝動、譲ることのできない誇り、守るべき世間体、貫きたい愛などに苦悩し、感情と行動が絡み合う物語は、人間の持つ魂の闘争とも言える様相を呈しています。


本作の主軸となる二人の登場人物、アンナ・カレーニナとレーヴィン(コンスタンチン・ドミートリィチ)は、物語も交互に進行して対比的に描かれています。愛のために家族を捨て、自分と他人の人生を台無しにする世俗的な女性と、家族に愛と真実を求める理想主義的な地主という二人から、社会とは、立場とは、家庭とは、愛とは、といった問題に焦点を当てて様々な要素から切り込んで描いています。これによって作品には、善悪の混沌が渦巻いた道徳的統一性の欠如が現れ、主観と世間という観察眼の相違から、各個人の主眼が社会の断片を映し出させています。また、心の中で繰り広げられる思考の流れが魂の底にまで辿り着き、非常に深い位置での心理的な変化あるいは発達が見えてきます。登場人物たちはそれぞれ象徴的な立ち位置(アンナは破滅的なファム・ファタル、レーヴィンは堅固な意思を持つ地主、ウロンスキイは好色の貴公子)にあるものの、各自の意思や思考によって独自の性格が現れ、一辺倒の社会の典型とは成り得ない個性を持たされています。その効果は彼ら自身にも及び、彼らの思考や意識が魂を形成し(あるいは掘り起こし)ており、その結果がより一層にリアリズムを構築しているところに、トルストイの恐るべき筆致と物語構成力を感じることができます。心理学的見地にまで辿り着いている心象描写は、彼らの自己欺瞞や傲慢といった、人間だからこそ持ち得る醜さが如実に現れ、彼らの衝突から生まれる熱量が物語をより深いものへと昇華しています。特に、場面や対する人々によって移り変わる彼らの態度の変化は、ドレスのように着飾るような見栄や驕りとして表面に現れ、それを受けた側の見透かした接し方に、当時の社交のなかで行われた醜さが描かれ、社会性を浮き出しています。


アンナは良人への裏切りに対して、自分を責めるような思考は持っていません。好きな人を愛すること、そして自分らしくいようとすることに固執し、その行為さえも満たされることがありません。トルストイはアンナを非常に魅力的に描いています。容姿や仕草を、誰もが惚れ込むような形容で、そして登場人物たちは実際に褒め上げています。しかしながら、その自己本位な思考回路は、心理描写を通して読者に疑問と不快感を与えます。トルストイ自身、夫人として求める貞淑さをアンナの行動によって反面的に表現していますが、反対に男性が欲情を抑えられないほどの魅力を持ち合わせていることも同時に表現しています。この矛盾は、彼が抱いていた両面の男性としての感情から出ているもので、良人カレーニンと情夫ウロンスキイがそれぞれ抱く感情として見えてきます。一概に区別できない人間的な感情がリアリズム的であるとも言えます。


アンナを軸にして破壊的な愛、そして積極的な愛の物語を語っていますが、これは当時の家父長制社会における女性にはあまり見られない行動でした。彼女の根源にある「誇り」は魂に根付いているもので、男性に従うべきであるという世間的考え自体は頭で理解していますが、魂では従順になれずに相手を屈服させようと行動します。その意思の強さによる言動が情熱的で燃え上がる欲情を演出し、ウロンスキイを真剣な恋へと導きました。しかしながら、欲情同士が結び付き、苦労も好まない二人は互いに心がすれ違っていきます。諍いが多くなると堅固な魂は憎悪の方へと傾き、アンナはウロンスキイを激しく求めながら激しく憎みます。家族を裏切り、世間から見放され、頼る知人も消え、身を委ねた社交界からは爪弾きにされたアンナは、そのいずれにも屈服したくないという傲慢な誇りを守るため、彼女は自己解放としての死を選びます。そしてこの結末は、アンナとウロンスキイの初めての出会いのときに警備員の礫死体を目撃するという形で提示されていました。


なぜカレーニンは離婚しなかったのか、アンナは離婚を願わなかったのか、という問題がありますが、これには当時のロシアの法律が関係しています。弁護士がカレーニンに説明していますが、離婚が成立するための理由が三種類に限られていました。一つ、配偶者の一方の長期不在。二つ、出産を妨げる身体的障害。三つ、証明された不倫。不倫の証明は、配偶者の一方が三人の証人の前で不倫の事実を文書などを用いて証明しなければなりません。この場合、有罪判決を受けた人間は配偶者の存命中は結婚する権利を失います。カレーニンの場合は、この三つ目の方法のみが可能でした。しかし、このときの彼は聖性に魂が包まれ、妻の名誉と将来の幸福を危険にさらさないようにするため、三人の証人へ彼自身が姦通をしたと偽りの証明を行おうとまで考えてアンナへ離婚を提案しました。しかし、アンナの堅固な魂はこれを「屈服」と受け取り、恵みの提案を放棄してウロンスキイとイタリアへと逃げていきます。これによってカレーニンの不興を買い、離婚の成立は果たせませんでした。


アンナにとってウロンスキイへの欲情は、敷かれた道を歩むような今までの人生から新たに芽生えた「自己の情熱」のようなものでした。何不自由なく、家族、親族、世間、社交界に受け入れられていた生活を放擲してでも手にしたい「本物の自我」でした。これは、抑圧された女性の立場から爆発した悲劇的な情熱であったとも考えられます。社会に対してアンナが大々的に不倫関係を公表していたことは、トルストイによる当時の父権制社会に対する批判的な態度の描写としても受け取ることができます。


もう一方の軸であるレーヴィンは、無信仰でありながらも堅実で生真面目な人間です。1861年農奴解放令後に、農業はどのように発展すべきかと、地主の立場で考えます。歳下の女性キチイに対する純粋な思いや、彼女に手を出そうとするウロンスキイへの嫌悪、彼女の義兄オブロンスキイとの親交など、いずれの行動にも沈思黙考するレーヴィンには、真剣に物事を考えて自己を省みる神経質な精神を感じ取ることができます。彼の心の声の描写は、悲観的で自分を苦しめるような結論へ導くことが多く、その苦しみが感情を昂らせて接する人との口論を繰り返すということもあり、周囲は彼の持つ真剣な心よりも当たり散らす変わり者という見方をしてしまいます。しかし、彼の本質的な自己犠牲と正義に溢れる魂に触れるキチイは、彼を後押しするように、支えるように、自分の意思を奥ゆかしく伝えていき、やがて結ばれます。


レーヴィンは自身を愚かしい存在であると理解し、無信仰であることにごく自然な認識を持っていました。しかし、キチイと結ばれるとき、結ばれたいと願うとき、そこに聖性の欠片を見出します。神という存在を認めないながらも、信仰心が芽生えるという奇妙な感覚に襲われながら、厳粛な結婚式を挙げることになります。式の最中、神父に対してはその信仰心が動きませんでしたが、キチイと視線を交わすたびに何かが脳裡を過ぎっていました。その後、無信仰である自分がキチイと結ばれて暮らすことは認められることなのであろうか、という疑問が浮かびます。そしてキチイは身籠り、出産を迎えるとレーヴィンは只管に救いを願います。「──主よ、あわれみたまえ!ゆるしたまえ、助けたまえ!──」無信仰である彼が熱心に乞う祈りは、彼の全存在を包むものに対してであるに違いなく、故に神への信仰が成ったのだとも言えます。


無信仰のなかの信仰は、崇拝する対象を定めないままに生まれた真の信仰心から生まれたものです。レーヴィンの無信仰な心に「信仰心」を与えたものは「愛」です。キチイへの愛、キチイからの愛、キチイと築く家族の愛、これらの愛が信仰を持たせました。一方のアンナは「恋」を追い求めていました。灰色に染まった景色の結婚生活に鮮やかな欲情を見せたウロンスキイとの出会いが、能動的に自分の人生を謳歌するための恋を与えます。ウロンスキイへの恋、ウロンスキイからの恋、全てを投げ捨ててでも結びつけたい恋、これらの恋が全ての信仰を排除して、神を冒涜した行為に及びます。この対比で明確な違いを挙げるならば、それは「主体が己か、相手か」ということが言えます。レーヴィンが本来持ち得ていた自己犠牲と正義の心が相手(キチイ)を幸福にしたいと真に願い、自らの欲望を抑えつけて大切にしようと努力します。対して、アンナに芽生えた欲情は社会や世間から見た幸福は望まず、己(アンナ)の恋が望むもの(ウロンスキイの心の全て)を強く願います。レーヴィンとアンナは、守りたいという意思と手に入れたいという欲望の対比を「信仰」という題材によって、結末さえも対比的に描かれています。

 

もしこの信仰をもたず、自分の欲得のためではなく、神のために生きなければならぬということを知らなかったら、おれはいったいどんな人間になっていたか、またどんな生活を送ってきたか。掠奪を働いたり、うそをついたり、人殺しをやったかもしれぬ。現在おれの生活の大きな喜びとなっているものなど、一つもおれにとっては存在しなかったかもしれぬ。


この小説は「ロシア報知」(Русскій Вѣстникъ Russkiy Vestnik)誌に掲載されたましたが、最終章は政治的な理由で掲載されませんでした。自費でもって義勇兵として戦争に参加し、セルビアへと向かったウロンスキイに対して、登場人物たちの会話のなかで批判的な意見が交わされていたことが問題でした。この自費で出征する義勇兵は、尊敬されるべき行為であると国が誘導したいという意図があったためですが、平和主義なトルストイはこのような意見に賛同はできませんでした。また、実際に義勇兵たちは「死に場所を求めるようなもの」として認識されていましたが、ウロンスキイは情婦の死による悲しみから逃れるという動機であったため、批判的な意見が出るのも当然であり、当時の社交界では出世も発展も見えないような人々はそのように出征していたという事実もあったからこそ、トルストイはこのような思想のない気紛れとも言える行動を批判したのだと考えられます。

 

アンナ・カレーニナ』は芸術作品としての完成度が高く、現代のヨーロッパ文学においてこれに匹敵するものはない。

フョードル・ドストエフスキー


アンナの激しい性格と行動に目を奪われがちですが、レーヴィンの深い思考と意識の変化、そして信仰への目覚めは読む者に力強い光を当ててくれます。傑作と呼ばれる本作『アンナ・カレーニナ』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『不思議の国のアリス/鏡の国のアリス』ルイス・キャロル 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこの二作品です。

 

 

 

ある昼下がりのこと、チョッキを着た白ウサギを追いかけて大きな穴にとびこむとそこには……。アリスがたどる奇妙で不思議な冒険の物語は、作者キャロルが幼い三姉妹と出かけたピクニックで、次女のアリス・リデルにせがまれて即興的に作ったお話でした。1865年にイギリスで刊行されて以来、世界中で親しまれている傑作ファンタジー金子國義のカラー挿画でお届けするオリジナル版。


ルイス・キャロル(1832-1898)は、軍事や聖職者を多く輩出する家系に生まれ、彼自身も聖公会(Anglican Church)に所属して、幼い頃より裕福な環境で育ちます。熱心な信者でアングロ・カトリック英国国教会を肯定する高教会派)に傾倒し、その運動の基盤となったクライスト・チャーチ(オックスフォード大学)へ通いました。持って生まれた数学者としての才能を存分に活かし、優秀な成績を修め、そのまま数学の大学教員の資格を取得して講義を行いました。また、後にクライスト・チャーチ図書館の副司書を務めるなど、元来関心を持っていた文学にも関わっていたことが認められます。二十六年という実に長い期間をこの場で過ごしました。多くの面で大学に貢献していたキャロルは、大学長を兼ねた学部長ヘンリー・リデル夫人に重宝され、家族ぐるみの交流を毎日のように行います。しかし、彼の数学者としての表情の裏には、想像力豊かな芸術家としての才能が潜んでいました。彼は写真家としての才能も持ち得ており、主に少女を被写体とした作品を数多く撮影し、写真館を開くに至ります。この被写体にはリデル夫人の三人の娘も対象であり、そのなかの一人アリス・リデルに熱意を注いで取り組んでいました。

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アリス・リデル


三人の娘との交流はリデル夫人が不在の場面も多く、撮影も頻繁に行われていました。写真撮影だけでなく、共に草花を愛で、ボートを楽しみ、話に花を咲かせました。このような時にアリスはよく、キャロルへ「創作話」を求めました。即興で物語を求めるという高度な依頼に、キャロルは持ち前の創造力と論理的思考と文才を持って、多彩な物語を繰り述べて楽しみを与えていました。彼は数学者として活躍する傍ら、創作の才能も開花させ、詩や短篇小説を書いては雑誌へ寄稿していました。多くの作品が諷刺を効かせたものでしたが、非常にユーモアに富み、読書にも多く受け入れられていました。このような時期に、例の如くアリスへ創作話を繰り広げていると、彼女はこの話を書き留めて一冊の本にして贈って欲しいと願いました。それを受けたキャロルは、表紙のデザインや装丁、文章や挿絵もすべて直筆で描いた『地下のアリスの冒険』という作品を作り上げました。この頃、深い親交にあった聖職者であり作家であるジョージ・マクドナルドにこの旨を話し、草稿を持って行くとマクドナルドの家族は多いに楽しみ、「ぜひ出版するべきだ」という話になりました。そして未完成な状態であった作品をマクミラン出版社へと持ち込むと流れるように話は進み、加筆と改題を経て『不思議の国のアリス』が誕生しました。


キャロルは幼い頃に重篤な発熱に苦しみ、後遺症で片耳が聞こえなくなりました。さらに十七歳のときに彼は重度の百日咳を患い、これが後年、慢性的に肺を弱めた原因であったと考えられています。また、幼少期より彼には吃音癖が現れ、彼自身はそれを「ためらい」と呼んでいました。そして、彼の生涯を通して晩年まで吃音は残ります。コンプレックスとして捉えていた彼は、自分の名字(本名ドジソン)を発音の難しさに言及して、 『不思議の国のアリス』のドードーとして自分自身を諷刺したと言われています。しかし、三人の娘たちをはじめとして、子供に向けた言葉には吃音は出なかったと話しています。意識は吃音癖に囚われず、存分に空想し、創造することによって、童話作家として流暢な言葉が綴られ、色鮮やかな物語が構築されていきました。そして、キャロルの洗練された論理、社会風刺、純粋な幻想性の組み合わせにより、本作は子供と大人の両方にとって古典的な文学として読み継がれています。


不思議の国のアリス』において、アリスは自分が遭遇する状況には何らかの意味があるとして考えますが、不思議の国で起こる事柄は理解しようとする試みを何度も挫折させられます。アリスは作中で多くの不条理な身体的変化を経験します。身体が大きすぎる、小さすぎる、といった憤慨は、思春期に起こる変化の象徴として現れています。絶え間のない身体あるいは精神の変動は、思春期の成長に伴う不快感として描かれ、自身の力では抑えられない強制的な大人への変化に当惑しているようにも感じられます。また、動物たちの党員集会の発言や、マッドハッターの謎掛け、女王に巻き込まれるクロッケーなども同様に困難で不条理でした。不思議の国でアリスが提示される謎や問題には、明確な目的や解答はありません。このような描写で、キャロルは問題が身近で解決可能であるように見えたとしても、人生や社会がどのように期待を裏切り、解釈に抵抗を見せるかということを、童話的に読者へ訴え掛けています。また、『鏡の国のアリス』では、アリスに「クイーンになる」という明確な目的を持たせ、双子のダムとディー、ハンプティ・ダンプティ、白の騎士などとの会話において、ただ受動的になるだけでなく、自身の意思を固持して主張するという姿を見せています。不条理に負けず目的を果たそうとする一貫した自己主張の姿勢は、これから世を渡る少女たちへのエールとも受け止めることができます。

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狂ったお茶会『不思議の国のアリス』より


キャロルが少女を被写体として写真撮影を行っていたことで、彼の見方を二分する動きがありました。一つは、少女を被写体とした写真ばかりが残存していたこと、そのポーズは裸体が多かったこと、吃音癖が子供の前では出なかったことなどにより、キャロルを「小児性愛者」として見る見方です。もう一方は彼が信仰深く、且つ、ロマン主義に強く傾倒していたことから、少女たちを純粋無垢な存在として見ていたという見方です。そして、これには明確な判断材料があります。当時の大学教員は教会の聖職者という扱いであり、子供と親しいことよりも、大人の女性と親しいことが大きな問題とされていました。キャロルの死後、遺族らが故人の評判に配慮して、成人女性とのあらゆる交際の記録を長年にわたり隠匿したことで、彼は少女にしか興味を持たなかったという誤解が生まれました。当時の遺族が社会的不名誉と恐れたものは、裸体の少女ではなく、露出度の高い年長の女性であったため、該当する写真がすべて破棄されたために、少女の写真だけが批評の対象として残されたという顛末でした。


しかし実際に、キャロルは幼少期の純粋な幸福に対する強い郷愁の念により、接する大人たちの前では強い不快感を感じていました。少女たちと共に過ごす時間は、キャロル自身が彼女たちに理解されていると感じ、大人になってから感じた純真の喪失を一時的に忘れることができました。このような束の間の幸福感情がキャロルの創造を安楽にし、『地下のアリスの冒険』を生み出し、そこに彼の抱く憂鬱と喪失感を吹き込みました。そして、夢から覚めるという結末で喪失を表現し、遠回しに彼女たちへ世の中の不条理に対する心構えを与えています。このようなことから、『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』は少女たちへの応援歌とも言えます。

 

「じゃあ、ひとつきくがね。きみはいくつだっていったっけ?」
アリスはちょっと計算して、「七歳と六ヶ月よ」
「ちがう!」ハンプティ・ダンプティは鼻高々、「そんなことは一言もいってない!」
「きみは何歳かって、きかれたのかと思ったわ」アリスは弁解する。
「それだったら、そういういいかたをしたさ」とハンプティ・ダンプティ
また議論になるのはいやなので、アリスはわざとだまっていた。
「七歳と六ヶ月ねえ!」ハンプティ・ダンプティはくり返して、考えこむふうだ。「どうもやりきれない年頃だなあ。ぼくに相談にきてくれれば、〈七つでやめときなさい〉って忠告してあげたのに。でももう手遅れだ」

鏡の国のアリス


信仰に厳格で、論理的思考に長けており、政治や神学においては頑なに保守的であったキャロルの人生は、ごく若い頃から綿密に計画されていました。作家として大成するという不確定な要素さえも、「いずれ成せる」と自覚的に意識していた彼は、一貫した自己主張によって実現させるに至ります。しかし、彼は富と名声を獲得したにもかかわらず、生涯を形成した何十年も生活を変えず、晩年までクライスト・チャーチで教鞭を振るい続け、亡くなるまでそこに住み続けました。キャロルの数学と論理の鋭い理解力は、持ち前の言語的ユーモアと機知に富んだ言葉遊びにインスピレーションを与えました。そして、少女たちの心に対する彼独特の理解によって、未来を担う幼き人々へ向けて想像力豊かな作品を残しました。書籍情報社版の『不思議の国のアリス』では、『地下のアリスの冒険』のレプリカを手にすることができます。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『生まれいずる悩み』有島武郎 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

「私たちの愛はお前たちを暖め、慰め、励まし、人生の可能性をお前たちの心に味覚させずにはおかないと私は思っている」──妻を失った作者が残された愛児にむかって切々と胸中を吐露した名篇『小さき者へ』。ほかに、画家を志す才能ある青年が困窮する家族を見捨てられずに煩悶する姿を共感をこめて描く『生まれいずる悩み』を収めた。

 

有島武郎(1878-1923)は、東京で大蔵官僚として成功を収めた元薩摩郷士である父のもとに生まれました。幼い頃より恵まれた環境で育ち、隅々まで教育を与えられてきましたが、常にどこか心が晴れないような心持ちで日々を過ごしていました。札幌農学校へと進学しましたが、内村鑑三に影響を受けてキリスト教の洗礼を受けると、渡米してハバフォード大学の大学院へ、さらにハーバード大学へと進んでキリスト教とともに西欧の哲学や文学に触れていきます。そこからヨーロッパへと留学して帰国しますが、その頃にはキリスト教区内で受けた人種差別によって信仰心そのものが薄らいでしまいました。帰国後は語学教師として勤めますが、弟の有島生馬の紹介で志賀直哉武者小路実篤と出会い、「白樺派」に参加して文芸作品を生み出し、作家としての道を歩み始めていきます。1909年、文壇に名前が広まり始めたころ、陸軍少将の神尾光臣の娘である安子と結婚しました。若き十九歳の妻を持った有島は三十一歳でした。年子の三人の子に恵まれましたが、安子は肺結核により僅か数年の結婚生活を過ごすと闘病生活へと入ります。そして二十七歳にして安子は病死しました。この苦しみを受けて生み出された作品『小さき者へ』は、本書に併録されています。この若き妻の死が、結果的に文学熱を強めることになりました。『カインの末裔』、『迷路』などが立て続けに発表されました。そして、本作『生まれいずる悩み』も同時期の一つです。


白樺派」は、満たされた環境が全てであるとは捉えず、世を苦しみながら渡る人々に目を向け、鋭く観察し、自身の描く人道主義に則って理想を掲げる文芸思潮持っていました。多くの作品は「人間の肯定」、「自己の肯定」、「個の尊重」が根付き、世の不条理に対して憤りを覚え、それを乗り越えようとする讃歌的な思想を含んでいます。そこには苦悩や憂鬱が多く描かれますが、これらの「個」を肯定的に捉えることで、このような苦悩や憂鬱が普遍的なものであると認め、それを抱えて理想へと目指すという意図があり、志賀直哉武者小路実篤は体現してみせました。弟である画家の生馬がすでに参加していたこともあり、有島自身、そして弟の里見弴も後に参加しました。生馬が残した有島に対する目線は、「健全な精神なり、肉体なりをもった兄」という言葉からも窺えるように、穏和で柔軟な接し方の人柄であったことが理解できます。年齢的にも志賀や実篤よりも上であったことから、よく慕われ、精神的に頼りにされる処遇であったようにも考えられます。しかし彼の作品からは、当然ながら暖かい眼差しと強い理想は感じられますが、明朗で快活な要素はあまり見出せません。心の奥底に潜む、「荒々しい何か」を随所に感じ取ることができます。


本作は、有島と画家の木田金次郎による実際の交流を元にして執筆された小説です。木田は、札幌より西に位置する海岸沿いの漁師町である岩内(いわない)を拠点とした画家です。木田の作品は、自然の持つ力強い生命力を鮮やかな色彩で描き、さまざまな角度から立体的に筆を走らせて圧倒する存在感を表現しています。しかし、貧困に悩む実家の漁暮らしを背負っていたため、思うままに筆を走らせることができず、思い悩むことが多くありました。この悩みを共有し、激励を送り続けた有島は、木田からの経験談から創意を得て物語として仕上げました。とは言え、作中には多くの木田の体験談が描き出されており、漁場の問題や自然の脅威など、迫力のある描写が綴られています。そして、家庭を守ろうとする愛と絵を描きたいという芸術欲に挟まれて、苦悩を続けて涙する画家の姿が胸を打ちます。


終わらない苦悩の根源は「情熱」にあると言えます。内から迸る芸術熱を理性で抑えようとするものの、噴出する勢いを発散するために愛する山を描きます。そこには家庭の者に迷惑を掛けて、実るともしれない画家の道を歩もうとする自分の意思は正しいことなのかと苦悩する心が伴っています。それでも、描きたい、描かなければならないという思いが画家を覆い、二つの生活双方に抱く愛を往復するように心が動きます。荒れ狂う海上での転覆事故では、家族への愛と自然の強大さが極限まで描かれ、その後の画家の生死にまで苦悩が襲いました。双方の両極端に揺れ動く心の動きは画家の持つ情熱の強さにあり、この作用が生死の極端へと悩みを深めることになったと言えます。


これには、有島自身の持つ精神の二極性が表現されています。彼自身、温厚な表面からは想像もできないほどの激しい観念と愛が潜んでいました。悩みは、その悩みを生むことができる観念を持っていることが必要です。同じ事柄でも、その点に関する気付きがなければ悩みに至りません。この気付きを与えるものが観念であり、有島は非常に敏感な観念を持っていました。人間を自然と対比して、人間全て同一の存在であると考え、おしなべて全ての人間を愛すべきであり、外見は如何であれ心は全て同一であるという考えです。そして彼の持つ強い感受性は、接する人の心を汲み取り、苦悩を汲み取り、苦痛を受け止めようとします。一方、その感受性は雄大な自然にも向けられます。隆起する山の生命、荒れ狂う海の生命、或いは風や雲など、超大な存在を自然に認めます。人間の奥底に潜む苦悩から、遥か海の果てまでを受け止めようとする感受性は、当然の如く彼の精神を両極端に揺らします。そして、それでも自分の成したいことを「自我」として持ち、情熱で精神に押し上げようと試みます。

 

人心とは、同じで、ただ一つのものなのだ。人心は、限りなく、凡てに拡がり、凡てに充満して居る。君も我も、この人心を分ち持って居る。伝統と肉の衣を脱し去ったならば、そうしたならば、その時、我等は皆一にして、同じである。

日記「ファニーに捧ぐ」


しかし、有島には揺れ動き続ける精神に振り回されていたことで、真に成したい「自我」を捉えることができませんでした。「自我」を見出さなければならないという自己的強迫観念は、彼に出口の無い苦悩を与え続けます。そのような焦燥感を常に持ち、他者を強く受け入れてしまう感受性は、一見して優柔不断な様子を帯びさせ、掴みどころの無い存在感を見る者に与えます。そのように自身でも心に不調和を感じるような状況で、ひたすらに欲するものが「愛」でした。


婦人公論』の記者である波多野秋子と出会ったのは1923年です。とても美しいことが当時の文壇で話題となり、芥川龍之介などの多くの作家が出会うことを望んだほどに広まっていました。有島と秋子は激しく恋愛感情を高め合って、深い関係を築きます。しかし、関係が世に明らかとなり、秋子の配偶者から金銭などを要求される事態に陥ります。そして二人で失踪した後に、軽井沢の別荘にて心中しました。秋子の強い感情を有島は受け止め、鋭敏な感受性と敏感な観念によって、唯一見出して欲し続けた「愛」によって死を受け入れることになりました。


有島を苦しめ続けた「荒々しい何か」は、観念の目を通した「愛」であると言えます。その愛は、自然にも人間にも向けられ、感受した生命力は彼の情熱を生み出します。キリスト教によって築かれた人道主義の礎が、「白樺派」の理想主義文学へと導き、最愛の死をもって敏感な観念を養われ、「自我」を求めた末の「愛」によって死を選びました。流されるように周囲の影響を受けながら、それでも自我を、愛を、究極的に求めようとしていたその情熱は、どの作品にも込められており、読む者に憂鬱以上の荒々しい重さを感じさせます。

 

余は余自らよく知るが如く人の中最も弱し。余は嘗て人より「汝強し」と云われたる事なし。神は余が弱きを選び給いぬ。.....余は余が弱きに依りて傲らん。人皆我よりも強し。しかも余の如く愛し得るもの幾人ぞや。


有島は、諸国外遊前の日記にこのように書いています。彼は誰よりも弱さを自覚していました。それでも全く消えない根強い情熱は彼の生涯を燃やし続け、苦悩を抱えながらも生を見据え、芸術を讃え、愛を求め続けました。彼の心中と、本作の画家の行動が対比的に相違している点を、有島が描いた理想と現実という受け止め方をすると、受ける感情は感慨深いものがあります。

 

もう自然はもとの自然だった。いつのまにか元どおりな崩壊したようなさびしい表情に満たされて涯もなく君の周囲に広がっていた。君はそれを感ずると、ひたと底のない寂寥の念に襲われだした。男らしい君の胸をぎゅっと引きしめるようにして、熱い涙がとめどなく流れ始めた。君はただひとり真夜中の暗やみの中にすすり上げながら、まっ白に積んだ雪の上にうずくまってしまった、立ち続ける力さえ失ってしまって。


迫力のある船上の描写や、精神の揺れ動きと自然の呼応は、終生の有島の持つ苦悩を予見して描き切っているようにも思えます。本作『生まれいずる悩み』、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『若きウェルテルの悩み』ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

親友のいいなずけロッテに対するウェルテルのひたむきな愛とその破局を描いたこの書簡体小説には、ゲーテが味わった若き日の情感と陶酔、不安と絶望が類いまれな抒情の言葉をもって吐露されている。晩年、詩人は「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ」と語った。


十八世紀におけるドイツ(神聖ローマ帝国)では、西ヨーロッパでの啓蒙主義の影響を強く受けていました。従来のキリスト教に基く封建的な考え方に対して反発するように起こったもので、人間の理性を重視して合理的な幸福社会を目指そうとするものでした。哲学者イマヌエル・カントなどが提唱し、人間性の解放を促すもので、思想面でフランス革命の基礎を築いたものでもあります。民衆の精神を理想的に導くように考えられたこの啓蒙主義は、その反面で「個の抑圧」を感じる人間を多く生み出しました。理性を重視することによって個の自由感情を抑えつけなければならず、理想を追うが故に息苦しさを感じるという反発感情を持ちます。この「理性に対する感情の優越」を啓蒙主義のアンチテーゼとして作品に込めた文学運動が「シュトゥルム・ウント・ドラング」(疾風怒濤)です。諭すように押し付けられる啓蒙主義から脱却し、「個の感情」を重視し、本来の人間性を解放しようとする運動は、瞬く間に民衆に受け入れられ、激しい隆盛を文壇に見せました。フリードリヒ・マクシミリアン・クリンガーが『シュトゥルム・ウント・ドラング』の中で描いた人物の天才性は個の尊重を突き詰め、それまでの古典的な文芸の在り方を思想から否定するもので、作中で見せる人間性の解放は新たな思想を世に知らしめました。これによって文芸思潮は創造性豊かなものとなり、個の感情を重視する作品が多く生まれていきます。ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテによる本作『若きウェルテルの悩み』はこの思潮の代表的な作品として現代まで読み継がれています。


シュトゥルム・ウント・ドラング」の文学は、若い世代の作家たちによる、古典的な啓蒙主義に対する感情や自己実現への欲求を強調する抗議運動でした。彼らは純粋な合理性を批判し、感情を尊重し、個を解放することが重要であると説きます。ゲーテが本作を書き上げたのは、二十五歳という若さでした。当時の政府は神聖ローマ帝国がライン同盟によって消滅し、ナポレオンの支配下に置かれたのち、プロイセン国制改革を経て、ウィーン会議によってドイツ連邦が成立しました。この慌ただしい政治議会のなかで多くのブルジョワジー中産階級)が働いていましたが、政府中枢部は階級社会を重んじる組織であったため、どの貴族も保守的な規律に従う必要がありました。

ゲーテは帝国評議員の父親に促され、法曹会への道を歩むため、ライプツィヒ大学で法律を学びます。しかし、司法よりも文芸や演劇に対する関心が強かったため、大学では法曹関係ではなく、詩人が行う授業などに参加することが多くありました。そのような生活を送っていたなか、彼は重篤な病気に取り憑かれ、生死の境を彷徨うことになり、大学を去ることになりました。息子の教育に熱を入れていた父との関係はやがて悪化し、母親と妹に看病される生活を送ります。幸い病状がおさまり、法学を修めるためにストラスブール大学へと通います。


法律免許の学位を取得すると、フランクフルトで小さな法律事務所を開業します。彼は依頼者に対して熱意を持ち、法学そのものを人間味のあるものへと変革させたいという野心を持っていました。しかしながら、経験値の少なさと熱量の空回りによって、法曹界から叱責を受けて早々と法律事務所の経営を断念することになります。その頃、文芸への関心も同時に併せ持っていた彼は、ダルムシュタットの宮廷を介する形で作家ヨハン・ハインリヒ・メルクと知り合い、文芸の道へと徐々に歩み始めていきます。その思惑とは知らず、父は改めて法学を学ばせるために、彼を最高裁判所のある都市ヴェッツラーに転居させられました。しかしこの都市は文化豊かな土地で、多くの文学に触れる機会が多く、若い作家や芸術家が集まっている場所でした。ゲーテ自身は法学の勉強もそこそこに、幾つもの作品に耽溺し、多くの才能溢れる若者と交流を持ちます。そのようななかで出会ったのが、弁士ヨハン・クリスティアンケストナーでした。考え方が真逆のようでありながら意気投合した彼らはすぐに近付き、毎日のように交流を深めます。また、彼らは多くの社交の場や舞踏会に参加して、共に楽しみながら人脈を広げていました。そして出会った美しい女性シャルロッテ・ブフに、ゲーテは熱烈に恋に落ちます。何度も熱心に足を運び、秘めた心を伝えようと努めていましたが、やがて彼女はケストナーの婚約者であることを知らされます。絶望しながらも諦めきれず、何度も手紙を届けて気を惹こうと試みますが、決定的な告白をすることなく諦めて故郷へ帰ることになりました。


失意の底にあったゲーテは帰郷しても心を癒すことはできず、絶望に打ちひしがれて命を断とうとまで思い詰めます。そこにヴェッツラーでの友人カール・ヴィルヘルム・エルサレムの訃報が届きました。この人物はゲーテケストナーと面識のある人物で、中産階級出身のブルジョワジーでした。彼もすでに婚約していた伯爵夫人に恋焦がれ、失恋の感情を苦にしたことで拳銃自殺をしてしまいました。このときに使用されたのがケストナーの拳銃でした。この奇遇とも言える巡り合わせを一つに紡いだ悲劇を構想し、「シュトゥルム・ウント・ドラング」の思潮である感情の尊重と解放を詩的に綴り上げたものが本作『若きウェルテルの悩み』です。ゲーテの実体験とその側で起こった拳銃自殺事件を「叶わぬ恋」で紡いだ作品であるとも言えます。


この書簡体小説は若き弁護士ウェルテルについて描かれています。最初の手紙の日付は1771年5月4日で、1772年12月24日となっています。ウェルテルは親族の財産相続の問題を解消するために小さな町に引っ越し、そこで彼はすでに婚約しているロッテ(シャルロッテ)と恋に落ちるという物語です。殆どの事柄における感情の起伏はゲーテ自身の実体験によるものであり、心情の生々しさや激しさが書簡体で記されるため感情がより近くで感じられる効果を生み出しています。また、ウェルテルの精神がロッテの好意に満たされているときは定期的に手紙が書かれている点や、法曹界や封建的な貴族社会に対する冷淡な視線などを記している点は、ウェルテルという人間性如実に描かれ、実存的な感情の激しさを受け取ることができます。


ウェルテルの苦悩が強まり、命を断とうと思い詰めていく切っ掛けには、自身のなかでの猜疑心が存在しています。ロッテとアルベルトが婚約を経て結婚に至ったとき、自分は二人と交友を続けてはいるが、実は障害となっているのではないかと思い始めます。当然、ウェルテルがロッテに対して行う「恋愛としてのアプローチ」が露見していくにつれて、アルベルトはロッテにウェルテルを遠ざけるように指示するほどには障害となっています。そして、その猜疑心が最高潮に達したとき、ウェルテルは身を引いてアルベルトの拳銃を借り、自殺に至ります。ここに、感情が全てに優先し、尊重されるという主張が見て取れます。

また、ロッテは、ウェルテルが拳銃を借りるために寄越した使いの者へ拳銃を手渡したのはロッテ自身だという事実と、直前にウェルテルと二人で過ごした危険な時間に見せた永遠の別れの予感が合わさって、彼女は「罪なき罪」に永遠に苦しめられる不幸を背負うことになります。


本作の強烈な「個の尊重と解放」は時代の思潮に適合していたこともあり、爆発的に受け入れられました。そして、その影響は止まることを知らず、読者を命懸けの共感へと導きます。ウェルテルの感情解放に強く感化された読者が次々と自殺するという「自殺の波」現象を起こしました。また、当時の道徳観念において危険とみなされる書物を好んで読む「読書中毒」という若者が、本作を大きく支持するという現象も起こりました。これらの受容により、ゲーテの名は瞬く間に広がりました。しかし、古典的な啓蒙主義を支持している人々からは「悪書」であるという強い批判と、自殺を肯定するとしてキリスト教徒からも強い反発を受けることになりました。これにより、激しさが強く打ち出された初版に対して、熱量を落とした改訂版が次々に発表され、刺激性が薄らいだ作品が版を重ねて刷られていきました。

しかし、それでも読者の大半はこの小説を熱狂的に支持し、若者の間ではウェルテルを崇拝するような人々も現れ、作中で描かれた彼の服装、真鍮のボタンが付いた青い燕尾服、黄色のベスト、茶色のトップブーツ、丸いフェルト帽がウェルテルファッションとして模倣されました。

 

ウィルヘルムよ、こういうものなのだね。いまさら何を嘆くことがあろう。人生の花は幻にすぎない。ただ一つの痕跡をも残すことなく、どれほど多くの花がうつろいすぎることだろう!とはいえ、熟れた実のいくつかはある。それだのに──おお、友よ!──それを顧みもせず、蔑(な)めし、味わわぬままに腐らせてしまうことが、よもあっていいものだろうか!


若者をそれ程までに惹きつけたウェルテルの魅力は、等身大の人間でありながら社会に迎合しない自己主張の強さや、自己陶酔と叶えることのできない無力さ、瞬時に沸き上がる反感熱と耐えきれない心の弱さなど、相反する矛盾的感情を持ち得ていることであり、世間から押し付けられる啓蒙主義に対する発散として強く受け入れられたのだと考えられます。現代の社会でも、周囲の世界と自身の力量に乖離を感じることがあるように、時代を超えてゲーテが当時に抱いていた「深い悩み」を直截的に伝えてくれる作品であると言えます。感情の激しい揺らぎが、徐々に読者自身に対して書かれているのではないかという強い感情を持つ本作『若きウェルテルの悩み』。未読の方は、ぜひ読んでみてください。

では。

 

『しんどい月曜の朝がラクになる本』佐藤康行 紹介

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こんにちは。RIYOです。
今回は書籍のご紹介です。

 

 

現代日本の社会において、組織の中に身を投じて働く人々は、少なからず月曜日(もしくは休み明け)を迎えることに憂鬱を感じる人が大多数であると言います。休みにしたいことが多すぎる、趣味の時間をもっと長く持ちたいなど、比較的前向きな悩みで休みを求める人は「憂鬱」とは少し違う不満の感情があると思います。そうではなく、仕事の日々が訪れることに対して「気が重くなる」という人々が本書の対象です。


本書では、仕事が「しんどい」と感じる大きな原因は「人間関係」にあると提言しています。競合や性格の不一致など、明確な不健全さによる息苦しい関係性は当然ではありますが、表面的に良好に見える関係性においても、仕事を「しんどい」と感じると言います。表面上を良好に保つために、気を遣い、話題を合わせ、求められる応対をし、望まれる態度を取ろうと努めます。こういった、周囲への自己評価の維持や、対外的な自己感情の抑制が、職場に紐付いて印象付けられ、目立った問題を抱えずとも仕事を「しんどい」と感じるようになります。


著者は「真我」という考え方を提起しています。本当の自分を開発するというもので、抑圧や欺瞞から解放された真の心の姿を自己認識するというものです。三日月と満月で例えて表現されていますが、外面的に露出している他者の三日月を把握して、これが他者の全てであると判断して性格を確定させることは愚かな行いであると説いています。目に見える部分は確かに三日月ですが、光の当たっていない、つまり表面に出されていない他者のより多くの部分を見ようと努めることが大切であると言います。三日月を見て、相性が悪い、感じが悪い、生理的に受け付けない、などと判断することは軽率であり、自分に何の益も無いとしています。さらに、この三日月と満月は自分自身にも置き換えることができ、自己認識においてまだ把握できていない未知の部分、埋もれている部分を発見することが「真我」に繋がるという考えです。


その実践的な手段を明示しているのが本書です。「美点発見」という手法を中心に実例を交えて説明されていますが、本質は「三日月ではない部分を見ようとする姿勢」を養うことが説かれています。具体的には、対象人物に対して「美点」(優れた点、共感できる点など)を率先して見つけるという行為を真剣に行い、認識の幅を広げて満月の状態を理解しようというものです。心底から悪意に満ちた人などいないという考えのもとで行う徹底した性善説とも言えますが、この行為は最終的に自身の益へと繋がります。


この際の発見は思い込もうとするのではなく、実際にそうであると判断できるものに限ることが重要な点です。憶測や願望が入り混じると、観察力は養えず、事実と違った人間性が対象に構築してしまい、誤った認識を助長させる恐れがあるためです。自身が「こうである」と断定できるものだけを挙げる必要があります。自身の価値観の枠を越えて、対象の三日月の奥の人間性を見抜こうとする意識が求められます。そして、この行為は「褒める」ことではないと言います。「褒める」ことは、相手が必要であること、そして相手を上の立場から評価する行為であることに対して、「美点発見」は一人で行い、一人で完結できることに意義があります。この一人で行うという行為は、自分自身による発見や言葉は「自身の心に最も近しい位置で発せられるため」に、確実な迫真性をもって心に直接響きます。だからこそ、自身の行為が感動を呼び、迫力を与えるのだと言います。そして「美点発見」を繰り返すことによって培われる真意を表現する語彙力、態度、自信、これらが内から外へと伝播して、周囲の人間に影響を与え、居心地の良い美点に溢れた環境となることが最終的な目的となっています。


同様に、自分の中にも素晴らしい本当の自分がいるという考え方のもと、この行為の継続で誰もが本当の自分を見つけることができるとしています。自分が何かをしたいのか、何かをしたくないのか、本当は何がしたいのか、といった内面への問いかけにも繋がっていきます。そして、自分の内面を探るという機会を自らで生み出し、自身の内面に関心を持って「真我」を認識するに至ることを目指します。


現代日本の社会で溢れている心の病は「戦争の後遺症」であると著者は言います。軍事国家から敗戦によって社会がアメリカによって統制されましたが、戦争で勝つことを根本とした軍事的なインプット教育は未だに潰えず、現代にも深く根付いたままにあります。それに対して、「美点発見」という行為は自他を対象とした完全なアウトプットの鍛錬であり、自己の開発へ直接的に影響を与えます。つまり、表面上に現れることのない、汲み取ろうとしなければ見えることのない「意識」という、本来は目に見えない領域に対して、自分の心から心へと働きかけることができる重要な行為であると言えます。そして、美点を発見しようとする意識が、現実の事態を好転させていく行為へと導いて、社会での息苦しさを軽くしてくれます。


言葉には力があり、人生に語り掛ければ、人生に変化を与えることができると言います。そして、幸せになりたい、ではなく、幸せと言い切ることが大切であると言います。そして何より、言葉は自分自身に作用し、心と行動が幸せへと向かうように、自分の意識が発端となって導くことができるようになります。

 

ずっと幸せでいる方法がたったひとつあるとしたら、それは感謝する心を忘れないことです。食事がおいしくいただけること、好きな人に会えること、生きていられること。なんでもよいから、感謝する心があれば、自前でいつでも、いくらでも幸せを調達できます。

美輪明宏『愛の話 幸福の話』


自分が認めたものが現れる世界に、自分の努力で辿り着くことができます。自分は何のために生まれてきたのか、自分の本来の役割は何なのか、自分らしさとは何なのか、著者は問うように「自己の幸福」に対する自問を求めます。自分にとっての幸福は目の前に溢れているのかもしれません。

日々の生活に気疲れを感じているような方には、特に役立つと思われる本書『しんどい月曜の朝がラクになる本』。興味を持たれましたらぜひ、読んでみてください。

では。

 

『バガヴァッド・ギーター』聖仙ヴィヤーサ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

インド古典中もっとも有名な本書はヒンドゥー教が世界に誇る珠玉の聖典であり、古来宗派を超えて愛誦されてきた。表題は「神の歌」の意。ひとは社会人たることを放棄することなく現世の義務を果たしつつも窮極の境地に達することが可能である、と説く。サンスクリット原典による読みやすい新訳に懇切な注と解説をくわえた。


紀元前後に編纂された壮大な叙事詩マハーバーラタ』は、バラタ王族に起こった同族戦争を描いたもので、世界最古の戦記とも言われています。このなかの一章を抜粋したものが本作『バガヴァッド・ギーター』です。「神の詩」という意味が込められ、神クリシュナと王子アルジュナの対話によって綴られます。稀代の武人であったアルジュナは両軍が全面的に激突する直前、なぜ親族と争わなければならないのか、なぜ同族を滅さなけれぼならないのか、同族と争うことは正しいことなのか、といった疑念に捉われ、その場に立ち尽くし、馬車の手綱を持つ御者に問い掛け始めます。この御者に扮していた者が、実は神クリシュナでした。アルジュナの心身が極限にまで緊張と興奮と不安が高まっているとき、神の言葉が染み渡っていきます。


クリシュナは、世界の真理を知識という形で伝えます。苦難をどのように受け止め、行動をどのように自己が理解し、欲望から身を守り、自身の義務は何かということを問いに答えながら諭していきます。そして辿り着くべき、輪廻転生からの解放を意味する「解脱」(モークシャ)を目指すために、誰もが教えを守りながら歩んでいく必要があるとしています。

古代インドでは「ヴァルナ」と呼ばれるカースト規制の考え方が根付いていました。資本主義的な思考ではなく神が与えた「自身の役割」というもので、職に就いているから業務を全うするという考えではなく「いま神が与えた役割を全うしている」という思考を持つものです。この役割を神に対して全うしようと続けることで、魂が肉体を離れるときにより良いヴァルナを神から与えられるという希望となり、現在の生を前向きに進むことができるようになります。これは現代インドでも根強く持たれている考え方で、善行は来世を幸福にすると言われています。本書は、「知識」を蓄えて自分の「義務」を全うし、神の教えを守りながら「善行」を続けて(欲望からの、打算からの、欺瞞からの、固執からの)「解放」を目指す、希望の書として読み継がれています。


クリシュナは、思考、行為、義務が、プラクリティ(根本原質)から生ずる三つの諸要素に分類されると説きます。汚れのない「純質」、激情を本性とする「激質」、無知から生じる「暗質」、という要素があり、純質は知識を生み、激質は貪欲を、暗質は怠慢と迷妄を生み出すとされます。そしてこれら三つの要素を超越することで、主体(個我)は生老死苦から解放されて不死に達すると言います。

アルジュナが抱いた苦悩は、親族と戦うことに対する抵抗でした。そして、その目的は王族の諸問題を武力的に解決することであり、それを成すことによる犠牲と、犠牲の上の勝利は王族の存続として正しいことなのであろうか、という疑問と不安に包まれていました。それに対してクリシュナはダルマ(義務)について説きます。神から王族というヴァルナを与えられたのであれば、王族の義務を果たすべきである、王族の義務は王族を存続させることである、存続させるためには戦う必要がある、ならば戦うべきである、という考え方です。戦いの後の結果や、それに伴う犠牲、その後の王族の向かう先、或いは得られる報酬など、「行為による結果」を考え求めるのではなく、「成すべきであるから成す」という「欲望と乖離した行為」が必要だと強く諭します。


魂は永遠であり、最高位の魂へと導くために純質の心と行為を保つことが必要です。肉体の死後、魂は生前の行為によって様々な魂の種に変化します。神から与えられた役割と義務を、純質に則って遂行し続けることで魂の性質をより良いものへと変化させることができます。その為には、激質や暗質に呑み込まれない意思が必要です。「解放」へと向かうためには、知識が必要です。知識を持てなければ、神への献身という信仰が必要です。神への献身は、純質に則った行為にあたり、必然的に「解放」へと向かうからです。必要なことは、魂の純質性を追求することにあります。


この純質性を追求するために、自身の役割と義務を考え、自分の行為と思考に結び付ける行為を「ヨーガ」という瞑想で行います。智慧のヨーガ、(神への)親愛のヨーガ、行為のヨーガ、これら様々を行い、最終的な「魂の不死」を目的として魂を純質に導こうとすることが重要です。この「魂の不死」は輪廻転生からの解放を意味する「解脱」と言われるもので、純質性を追求した輪廻転生によって浄化された魂は最高位へと登り、自己をこの上ない充足へと辿り着かせます。この境地へとアルジュナを導こうとするクリシュナの問答が本作『バガヴァッド・ギーター』の本質と言えます。

 

活動とその停止、行うべきことと行うべきでないこと、危険と安全、束縛と解脱を知る知性は、純質的な知性である。
その知性により、人が美徳と不徳、行うべきことと行うべきでないことを、不適切に理解する時、それは激質的な知性である。
その知性が闇に覆われて、不徳を美徳と考え、またすべてのものごとを顚倒して考える時、それは暗質的な知性である。
ヨーガによって不動となった堅固さにより、人が意と気息と感官の活動を固持(抑制)する時、それは純質的な堅固さである。
また、人が成果を期待して、その堅固さにより、美徳と享楽と実利を、執着して固持する時、それは激質的な堅固さである。
また、愚者がその堅固さにより、睡眠、恐怖、悲しみ、嘆き、酔い(驕恣)を捨てない時、それは暗質的な堅固さである。


自己の魂を、自身の善の行為で救済するという考えは、現在の人生を前向きに捉えさせる力を持っています。そして、それを明確な言葉で語る「神の詩」は、誰もが感銘を受け、誰もが自分に向けて説いていると感じられるものとなっています。現代社会において抱く苦悩は、その発端や動機が三つの要素のいずれから来ているものなのか、そして、純質的な思考に切り替えるとどのように苦悩が変化するのか、或いは解決に向けて行為が見出せるのか、という考えを持つことができるようになります。

苦悩の質と役割による行為を、自身に当てはめて考える切っ掛けとなる本作『バガヴァッド・ギーター』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『マドゥモァゼル・ルウルウ』ジィップ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

天衣無縫、そして奔放。森茉莉が愛してやまなかった14歳の貴族の少女、おてんばルウルウの大冒険。

 

十八世紀のフランスでは、ルネサンスによって興った人間解放という思想が宗教に及び、永く続いていた封建社会における王権や教皇の絶対的な権威が薄れ始めていきます。時流に後押しされるように生まれたヴォルテールジャン=ジャック・ルソーなどの解放的な思想が直接的に世相へ影響を与え、アンシャン・レジーム(旧制度の階級社会)が行き詰まり、虐げられ続けた第三身分たちによる権利の主張を呼び起こし、フランス革命が勃発しました。この革命の初期を指導したのが大弁舌家オノレ・ミラボーです。元は貴族の出身ですが奔放な生活によって第三身分となり、そこから持ち前の論舌で三部会参加者に選ばれました。議院外で政治を行う「ジャコバン・クラブ」を結成し、立憲君主を掲げ、王権との妥協を図りました。この子孫であり、後にロジェ・ド・マルテル・ド・ジャンヴィルという伯爵と結婚したマルテル・ド・ジャンヴィル伯爵夫人が本作『マドゥモァゼル・ルウルウ』の著者です。


彼女は家系として男児が望まれていたことを理解し、それでも社会的に義務を負った貴族という自覚を持ち、分別を弁えた立派な伯爵夫人として成長しました。置かれた社会的地位は恵まれたものであり、淑やかに、厳粛に、倹しく暮らしていく筈でした。しかし、貴族としての気詰まりや、終わることの無い自制の日々を、彼女は息苦しく感じていきます。その感情を発散させる手段が執筆という行為でした。とは言え、当時の社会では「女性の発言権」は著しく抑圧されており、著書の発表を受け入れられる環境は整っていませんでした。そして彼女は解決策として「ジィップ(Gyp)」という筆名を用いて作品を生み出していきました。


十九世紀後半のフランス社会は、新たに開かれた啓蒙思想の影響で芸術は多彩な変化を見せていました。アヴァンギャルドに見られる前衛芸術や、デカダンス虚無主義、頽廃主義)などが隆盛し、芸術そのものが幅広いものとして広がっていきます。しかし、現実の社会においては封建的で保守的な考えは変わらず、男女の扱いに大きな差が残されていました。そのような社会では、一方では啓蒙による新時代的な価値観が、また一方では封建的な差別のある腐敗社会が広がり、社会そのものが矛盾に満ちていたと言えます。華やかな芸術の都としてベル・エポックが活性化する反面、路地裏では宿無しの少年が非人道的な生活を過ごしているという、両極端な世界が、ジィップの目の前には広がっていました。彼女は双方の世界を、ある時は愛し、ある時は憎みました。思想と腐敗の狭間で、貴族である彼女は社会が持つイデオロギーの不可解さ、不完全さを広い視野で観察し、それを露見させるように執筆します。それらの作品は必然的に諷刺を効かせたものとなり、社会を動かす当事者たちからは非難を、社会の被害者である大衆は称賛を、それぞれ与えることになります。


彼女は自分自身が所属している貴族社会やブルジョワジー(貴族ではないが土地を持つ富裕者など)に対して、社会を是正させようとしない姿勢に憤りを感じていました。政治家はもちろん、報道機関や検閲官といった国政側の人間や、同じ階級の「何もしない」貴族たちに対して、辛辣な筆を持って対抗するように作品を書き上げていきます。これが大衆の同意を得て広く受け入れられていくと、さらに彼女の情熱は湧き上がって次の作品を生んでいきます。彼女は執筆自体は好きではありませんでした。「書くことは涙が出るほどに退屈だ」という言葉を残しているように、積極的な創作意欲では書いていません。しかし、自身の作品を受け入れる人々、待ち続ける人々に対して、少しでも多く届けたいという思いから多作作家となりました。


ジィップの作品は非常に急進的で、革新的でした。そして、根元にある政治思想、持って生まれた芸術性が伴い、読みやすいながら諷刺の効いた作品を作り上げることができました。彼女と家族は、長いあいだヌイイ=シュル=セーヌというパリ西部にあるコミューンに暮らしていました。ここは芸術家、作家、思想家などが多く集まる地で、彼女は毎週「サロン」を開いていました。詩人のアナトール・フランスポール・ヴァレリー、小説家のマルセル・プルースト印象派エドワード・ドガなどが頻繁に訪れ、演劇や芸術、或いは政治などについて語り合っていました。そして夜になると、刺激された創造性をもって、一人で籠って執筆に励んでいました。


彼女が書き上げた作品は、殆どが大衆向けのものでした。ロマンス小説も多く、出版社は多額の利益を生む彼女の作品を挙って手にしようと躍起になっていました。そして、実に130を超える作品が世に出ました。筆致の特徴としては、「仄めかし」の巧みさが挙げられます。鋭い観察力から痛烈なウィットをもって、現実社会の世界を壊さないまま諷刺を効かせるという技巧が見事に昇華されています。

本作『マドゥモァゼル・ルウルウ』は戯曲で書かれていますが、ブールヴァール演劇(大衆向けの商業演劇)として仕上げられています。比較的豊かな階級の人々に、表向きは「上等の気晴らし」を提供しながら、辛辣な観察眼によって込められた「辛辣な諷刺」を随所に散りばめています。


蓮っ葉で生意気盛りの貴族の娘ルウルウは、衝動に任せるように感情で動き、言いたいことを言い、いつでも好きなことをするというお転婆娘です。そして、貴族の娘らしく勉学を詰め込まれたおかげで大人顔負けの知識を持ち、独自の解釈で口達者に誰彼構わず言い負かします。それを嗜めながらも辛抱強く付き合う父親、思考を放棄している母親、父親の社交上の知人の紳士たちが、どの章でも振り回されてしまいます。登場する人物の描写は、どれも見事なまでに笑劇人物として書き上げられ、軽快なテンポと軽妙なルウルウの言動に、読み手は吸い込まれるように物語にのめり込みます。しかし場面の随所で、ルウルウの極端な性格から発せられる社会や政治に対する辛辣な意見が、(女性が)実社会では口に出せない直截的な表現で描かれ、当時の社会の思想と腐敗の矛盾が色濃く伝えています。フランスの政治、因習的な貴族社会、男女の「あらなければならない」姿など、深く根付いた社会の問題を、ジィップはルウルウを通して、明るいブールヴァール演劇に仕上げています。

 

モントルイユ
真実かい、ルネ?ルウルウにバッカロレアを受けさせようとしてるっていうのは?

パパの声
そうさ!真実だとも!これからの女はどうしたって今までの水準から上へ出なけりゃあ

ルウルウ
あたしは……そんな必要ちっとも認めないわ!

モントルイユ
わたしもそう思うな!

ルウルウ
へえ!じゃあんたも大した学問したほうじゃないんでしょう?ええ?


本書の訳者は森茉莉です。ルウルウの言動に熱量を大いに注いで、魅力に溢れる主人公に仕上げています。本作は、与謝野晶子の序文にも見られるように、「一般向きの軽い読物ではありますが、決して俗衆に媚びたものでなくて、作者は一種の新しい自由型の少女を案出して、現代教育に対するいろいろの諷刺を暗示」している作品です。宇野亜喜良の装画も魅惑的な本作『マドゥモァゼル・ルウルウ』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

シェイクスピア作品感想リスト

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シェイクスピアは色彩豊かで多様な作品を数多く遺しました。彼の戯曲は、さまざまな人間関係や文化を交えて、数多の解釈を生み出し、現代でも熱心に研究が進められています。さらには、現代の科学技術を用いて、新たな発見が次々に認められています。そして、彼の戯曲は現在の舞台や映画でも、色褪せない存在感と感動を放ち続けています。ここでは、シェイクスピア作品の感想をまとめました。ぜひ、お楽しみください。

 

「美しく、優しく、真実の」がわが主題のすべてであり、
「美しく、優しく、真実の」をべつの言葉に変えて用いる。
私の着想はこの変化を考えるのに使いはたされるのだ、
三つの主題が一体となれば
実に多様な世界がひらかれるから。
美しさ、優しさ、真実は、別々ならずいぶん生きていた。
だが、この三つが一人にやどったことはかつてない。

シェイクスピアソネット集』

 

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晩年から比較すると演出の未熟さや台詞の硬さなどが見られますが、随所には彼の天才性が光り、のちの傑作を彩る登場人物たちの性質が顔を見せます。また、時流を意識した執筆によって、当時に好評を博して劇作家としての立場を明確に確立した時期でもあります。

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確立した立場と観衆の受け入れる態度が自信となって、シェイクスピアの個性を発揮する作品が生み出されます。劇性の激しさや抒情性の豊かさ、欲望の強さや影を生きる人々など、色鮮やかな作品群で揺るぎない才能を存分に込めた時代と言えます。

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作風に重苦しさが添えられ、悲劇的な描写が増加するようになります。悲劇作品が増えただけではなく、喜劇においても深い傷や清々しさの得られない問題を提起するような作品(問題劇)などが多く生まれました。四大悲劇と呼ばれる作品群が執筆されたのも、この時代です。

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ロマンス劇(悲喜劇)を中心に書き上げられていた時代で、作品が劇前半で悲劇のように歩み、或る転換的な事件によって喜劇的結末へと収束するという形の作品を多く描きました。悲劇性の強さと、宗教的な説得が特徴とも言え、シェイクスピアの天才性が満開に花開いている時代です。

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『タイム・マシン』ハーバート・ジョージ・ウェルズ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

 

時間飛行家は八十万年後の世界からもどってきた。彼が語る人類の未来図は、果して輝かしい希望に満ちたものだったろうか?──文明への苦い批評をこめて描く、ウエルズ不朽の古典的傑作。


ハーバート・ジョージ・ウェルズ(1866-1946)はロンドンで商人をしていた父のもとに生まれました。しかし、立地や商材に恵まれず、父は庭師をする傍らでプロのクリケット選手として不安定な収入を得て暮らしていました。下層の中流階級に位置していた家庭は、決して裕福ではなく、ウェルズ自身も早々に呉服屋や科学者の見習いなどで働くという、厳しい生活を強いられることになりました。このような中で、彼を夢中にさせたものは、図書館に並ぶ書物でした。プラトン、トマス・モア、メアリー・シェリーなど、幅広く読み漁り、彼の文学性を育んでいきます。その頃、彼は科学方面の見習いを繰り返していたことで、後のインペリアル・カレッジ・ロンドンとなった科学師範学校への奨学金を獲得し、独学ではなく本格的に学ぶことが可能となりました。そこで師事したのが生物学の権威であるトマス・ヘンリー・ハクスリーです。ウェルズは卒業後も科学教師として勤め、科学的進化理論を師とともに研究します。ここで学んだダーウィンの進化論は、彼に強い影響を与えます。人間社会と進化論を融合させた彼の思想は、後に生み出される作品の根源となりました。やがてウェルズは非常に保守的な教師の世界が徐々に苦痛となり、教育論などを学び直しますがやはり適さないことを感じ、遂にその世界から離れてしまいます。しかし彼の内には、進化論による人間社会への疑問、全体主義への疑念、社会階層の不幸などが蟠り、やがて自身で執筆するという形で発散させていきます。


ウェルズは書き始めると止まらずに、多くの作品を書き上げていきました。雑誌へ次々と寄稿していきましたが、自身の署名を明らかにしなかったことによって、現在では彼が書いたという初期の作品を確認することはできません。しかしこの、主に短篇であった多くの執筆経験によって彼は長篇小説を書き上げることができました。その最初の作品こそ、本作『タイム・マシン』です。これは世に見せた最初のタイムトラベル(時間の流れから逸脱して過去や未来へと移動する)の物語であり、サイエンス・フィクション(SF)における一つのジャンルを確立させたと言われています。


本作は、時間飛行家(タイム・トラベラー)がタイム・マシンを発明し、それに乗って遥かに遠い未来へ行き、そこで出会う世界を語るという物語です。時間飛行家は空間を移動するように時間を移動する装置を発明し、過去にも未来にも、稼働レバーのみで航行できる機械を作り上げます。彼は、未来へとレバーを傾けると、緩やかに景色が時の経過として動き出し、振動と不快感を覚えます。気分が悪くなって耐えていると、示す時代は遥か未来にまで進んでいました。漸く移動を止めて辿り着いた未来は「紀元802701年」です。見たこともない形状の高層ビルや宮殿、牧草が広がる丘や山々、社会的な活性は見られない牧歌的な空気が、時間飛行家の目の前には映っていました。立派なビルや建物は老朽化しており、退廃的な事物と美しい自然が共存する不思議な世界です。ここには「エロイ」と呼ばれる美しい進化した人間が居ました。働くこともなく、ただ戯れ、据えられた果物を食べ、自然のなかを走り回ります。言語も簡易なものだけで成り立ち、時間飛行家が短期間である程度会話できるようになる程度のものでした。情報を収集するためにエロイと接触を試みていましたが、気付くとタイム・マシンは消え失せていました。

地面から突き出た幾つもの井戸の口は、地下世界に繋がっていました。中では機械が動き、エロイたちの衣服を製造しています。これを管理しているのがもう一つの進化した人間「モーロック」です。彼らは非常に凶暴ですが、身体そのものは軟弱で光に弱い眼を持っていました。そのモーロックがタイム・マシンを隠したのでした。時間飛行家は取り返すためにマッチを片手に奮闘します。


ウェルズは当時のイングランド社会が背負っていた資本主義、或いは共産主義、更には全体主義の側面を風刺しています。当時における利便性を追い求めたあらゆる科学の進歩は、「発明狂の時代」とも言えるほど多くの機械を生み出しました。ジュークボックス、自動香水販売機、自動チョコレート販売機、自動写真装置、自動体重計、自動給水機など、世に発明品が溢れていました。また、自転車の原型もこの頃に完成して、国民の生活に新しい風が幾度も吹いているような時代でした。こうした利便性の追求は、人間をより怠惰にさせて思考を停止させるという危険性を、ダーウィンの進化論から着想を得たウェルズは、エロイという未来の人類で表現しました。科学が進歩し、競合というものが無くなり、怠惰のみを貪るようになった利便性に囲まれた人類は、やがて思考を失い、力を失い、ただ生きているだけの存在となってしまいます。

また、それに対するモーロックは労働者階級の成れの果てとして描き、(エロイよりも)物理的な力を身に付け、食用肉を無くした彼らは反逆的にエロイを飼い始め、食用として扱い始めます。恐らく、元々はエロイの奴隷であった人々が、堕落したエロイに対して逆襲的な立場の転換を見せ、飼い慣らし、闇夜の襲撃者として成り代わったのだと見せています。これは資本主義を追求した結果の社会を危惧したウェルズによる「退化論」とも言える描写です。


本作に限らず、その後に発表された『モロー博士の島』(改造人間)、『透明人間』、『睡眠者が目覚めるとき』、『神々の糧』(合成食品)などには、共通してウェルズの持つ「科学を根源としたサイエンス・フィクション」の考えが通底しています。このような思考は、ダーウィンの進化論と人間社会の関係性といった考え方を元としています。トマス・ヘンリー・ハクスリーにウェルズ同様に師事を受けていた生物学者レイ・ランケスターは、人間社会の生物学的な退化論を展開し、ウェルズも同調していました。このことから、ウェルズは「あくまで科学技術の進展が及ぼす危険性として」のフィクション作品を描いており、物語性を豊かにしようという発想の起点ではなかったことが窺えます。この点は特に、同時代のもう一人の「サイエンス・フィクションの父」であるジュール・ヴェルヌと明確な違いとして見て取れます。そして、このような基盤を宿していながら、現代のサイエンス・フィクションの普遍的に使用される題材を幾つも生み出したウェルズには、いかに想像性が豊かであったかということに驚かされます。


そして前述のように、「発明狂の時代」の最中に居たウェルズは、多くの発明品に感性を刺激されたと考えられます。スティーブンソンの蒸気機関から始まった発明の数々は、イングランド産業革命を齎し、資本主義社会へと傾倒させている激しい時流の波が国内を畝っていました。その波は国内を何処へと導くのか、と言った不安と疑問を抱いたウェルズは、持ち前の想像力で多くのサイエンス・フィクションを生み出すことになります。


ウェルズは各作品に或る一つのサイエンス・フィクション要素を物語の核に据え、現実社会の詳細を盛り込むことによって、説得性を持たせた奇異な世界を作り上げます。その何れもがウェルズ自身の持つ社会を見る政治的な見解や、(当時の)現代社会における矛盾や不安や疑念を含んでおり、各物語の行末が社会への警告的な結末という形で締め括られています。本作で言えば、豊かさを追求するがあまり、階級を維持したまま、一部の人間が怠惰に身を委ねたことが、結果として労使関係の逆転が起こり、本質的な幸福を見失うという頽廃世界を構築したと提示しています。また、本作の終盤では更に先の未来を覗かせますが、そこには惑星規模の頽廃世界が映し出され、宇宙規模の退化論が示し出されます。ここには端的なペシミズム(厭世主義)を訴えるだけではなく、生物学を根元に置いた頽廃論が呼び覚まされ、進化は退化をも引き寄せるということを提示しており、読者は深く考えさせられます。ウェルズは、科学が生み出す明るい希望には、暗い絶望や怠惰、悲哀、破滅などが裏側に存在し、それらに目を背けることなく現実の社会を捉え続けました。こういった点から、ウェルズの現実社会に対する真摯な姿勢を、強く感じ取ることができます。

 

多面的な知性というものは、変化、危険、困難と引きかえに、人類が得たものだという自然法則をぼくらは見のがしている。環境と完全に調和した動物は完全な機械だ。習性と本能が役に立たなくなったときに、はじめて知性が必要になる。変化も、変化の必要もないところに知性は生まれない。さまざまの変化と必要性に、適応しなければならない生物だけが知性を持つのである。


サイエンス・フィクションの父と呼ばれるウェルズの名声を打ち立てた長篇処女作は、未だに新鮮味を帯びて読者を魅了します。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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