RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『闇の奥』ジョゼフ・コンラッド 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

 

アフリカ奥地の貿易会社出張所にやってきた船乗りマーロウが耳にしたのは、最奥部の出張所をあずかる腕ききの象牙採取人クルツの噂だった。折しも音信を絶ったクルツの救出に向かうマーロウ一向の前に、死と闇の恐怖を秘めた原始の大密林がおおいかぶさる。ポーランド生れのイギリス作家コンラッドの代表作。

 

1877年にロシア帝国オスマン帝国(トルコ)に宣戦して勝利した露土戦争は、講和条約を締結して終戦したものの自治獲得などの面でイギリスとオーストリア=ハンガリー帝国が強い反発を見せて混乱が続きました。更なる紛争を抑えるためにドイツ帝国宰相ビスマルクが調停に乗り出し、ベルリン会議を開きました。フランスを孤立化させる目的のあったビスマルクは、自身を中心としたヨーロッパ強国の同盟外交を維持する目的でした。その中での自治領分配において、エチオピアリベリア以外のアフリカ大陸全土の分割が行われます。イギリス、フランス、ドイツ、ポルトガル、イタリア、ベルギーによって詳細に分けられた領土は実質的な植民地として支配され、資源や国民は各国の所有物として扱われました。ベルギー国王のレオポルド二世が領有したコンゴは彼の私有領として承認され、彼を国王とする「コンゴ自由国」と称されます。この「自由」は自由に取引を行う場という意味であり、象牙やゴムの貿易を目的とした意味合いでした。しかし実態は、原住民への暴力を用いた資源の搾取であり、国ごと奴隷として扱うものでした。列強国に配慮してベルギーの植民地ではなくベルギー国王の領有地としたことで、国家の関与できない無秩序な地域をビスマルクは生み出してしまいました。

 

コンゴ自治は僅かな白人による絶対的権限をもって猛威を振るわれ、原住民たちを奴隷のように扱って資源を搾取していきました。生命が惜しければ生命をかけて搾取されよ、という銃を突き付ける支配は、実に奴隷的なシステムであると言えます。実際的に自由貿易とは名ばかりで、コンゴが輸入するものは僅かな銃弾のみであり、異常な資源輸出が行われました。資源の一つであるゴムを人頭税として徴収し、対価なく莫大な利益を生んでいきます。この利益に拍車を掛けたのが自動車産業の成長であると言え、数年で世界生産量の一割を占める脅威の需要を満たしました。もう一つの資源である象牙は、まさに反人道主義的に略奪によって確保され、利益を還元することなく原住民たちを抑圧し続けました。アフリカ象から得られる象牙は、死体から剥ぎ取る衛生面の危険、生存個体を襲って得る物理的な危険、この両方を原住民たちは背中に銃を突き付けられ、家族を人質に取られながら生命を掛けて獲得していました。本作『闇の奥』(Heart of Darkness)は、この象牙搾取の世界が描かれています。

 

本作は作者であるジョゼフ・コンラッド(1857-1924)の実体験を元に描かれたフィクションです。本名はユゼフ・テオドル・コンラト・コジェニョフスキーと言い、シュラフタ(ポーランドの地主貴族)である父のもと、ロシア帝国キエフ(現ウクライナ)に生まれました。フランスの七月革命に影響を受けたワルシャワでの「ポーランドの反乱」にて領地を没収された父は、ロシアの支配下にあるポーランド独立運動を指導していました。しかし、摘発されて有罪となり、ロシア北部のヴォログダへ一家全員が流刑されました。コンラッドは四歳でした。やはりポーランドの地主であった母方の伯父の尽力によって流刑を解かれるに至りましたが、父母共に亡くなってしまいます。

父は文学研究者でもあったので、コンラッドは幼少期よりシェイクスピアユゴーなどに触れて造詣を深めていきます。併せてフランス語も身につけて文学的素養を豊かにし、古典を中心に多くの作品を読み耽っていました。なかでも、海洋文学に強い感銘を受けて、自らも海に出る船乗りの職へ憧れ始めます。伯父の理解を得ることができないまま強引にその道を歩みましたが、経済的、精神的に生涯を支え続けてくれたことにコンラッドは後年に深い感謝を述べています。

 

フランスの如何わしい武器商船や密輸船に乗り込み、果ては自殺未遂を行うほどに人生が狂い始めますが、「ロシア流刑の兵役放棄」を指摘されてフランス商船に乗船できなくなったことで運命が変わりました。そのような規制が強くなかった英国商船に移り変えると、英語を身に付ける努力をして石炭運搬などの一般的な商船に乗って経験を積み、航海士と船長の資格を得て英国へ帰化します。この頃から本来持っていた文学の才能が開花し始め、航海中の時間を執筆に充てて創作していきました。

スコットランドの探検家デイヴィッド・リヴィングストン、その遭難を救ったウェールズの探検家ヘンリー・モートン・スタンリーによってアフリカ大陸の奥地開拓が始まると、コンラッドもまた、その地へ挑戦する思いを抱きます。1890年にベルギーの象牙貿易船の船長となり、コンゴへと向かいました。このときの経験を元に執筆された作品が『闇の奥』です。

 

大密林の最奥へ、電信を絶った象牙採取人クルツの安否を知れぬまま、道中の中継地や出張所で同社の責任者たちと会話を交わして情報を耳にしながら慎重に奥へと進んでいきます。耳にする噂は、生死は一向に不明でありながら悍ましさと恐怖を煽るものばかりで、向かうものの心を不安で覆います。協力する原住民もあれば、襲撃する原住民もあり、主人公マーロウはことの次第を解明できないままに、目的の奥地へと突き進みます。そこで出会ったクルツとの僅かな対話は、人間の深淵にまで及ぶ闇黒の存在を感じさせました。

 

本作の発表は、ポストコロニアル批評(植民地支配による負の遺産に対する批評)の切っ掛けを与えたものとして知れ渡り、イギリス文壇を中心に話題を呼びます。ベルギー国王レオポルド二世によるコンゴを奴隷支配した実態の告発は、世に大きな衝撃を与えました。白人たちによる搾取と抑圧で生活は崩壊し、飢餓と病苦に苛まれ、死と隣り合わせの悲惨な暮らしを余儀なくされていたことが明らかとなり、世界をも動かしてコンゴ自由国は「ベルギー領コンゴ」へと変えられました。しかしながら、ナイジェリア出身の作家チヌア・アチェべも指摘するように、コンラッドはポストコロニアリズムによって『闇の奥』を執筆したのではありません。作中で見られる原住民支配の描写には観察者の苦痛は全く感じられず、ごく当然のこととして理解されて語っています。ここには絶対的な差別意識が備わっており、当時のヨーロッパ諸国における「アフリカ全土の資源視」が如実に現れ、原住民もまた「もの」として扱われていたことが作者の視線から窺えます。あくまで結果的に奴隷支配の実態を告発することになっただけであり、コンラッドは別の意図、思想を込めて作品を描きました。

 

原題「Heart of Darkness」とあるように、「闇黒に染まる心」が主題の一つとして掲げられます。言葉も通じぬ大密林の最奥へ乗り込み、絶対的な暴力と、絶対的な支配力を与えられ、原住民より貴重な資源を生命懸けで差し出されるという立場は、人間の精神に多大な影響を与えることは実に自然であるとさえ言えます。人間が人間を支配し、人間の生命を神の如く扱い、人智を超えた存在のような扱いを受けることで、本来の人間性は闇黒に侵されていきます。快楽を与えられると同時に、人間らしい尊厳は恐怖を抱き、不信、不安、不満などが心を満たしていきます。何のために存在して、何のために生きているのか、横暴によって周囲を抑圧した量と同等の恐怖が自らを襲います。クルツの「地獄だ!地獄だ!(Horror! Horror!)」という言葉は、特殊な環境下で引き起こされた心理侵食を強く表現しています。このような人間の内面を悪魔的な誘惑によって堕落させ、人間心理の腐敗性を浮き彫りにさせる起因となっている原住民支配の環境下は、「闇黒の核」とも捉えることができます。視野を拡大すると、ヨーロッパにおけるアフリカ植民地支配は、諸国の持つ道徳性の腐敗と、資源獲得競争の暴力性、奴隷化を正当化する狂気が具現化したものであったと考えられます。

もちろん人間の中には、道を踏み外すことさえできないほどの馬鹿もいれば、──闇の力の強さを意識することさえしない鈍感者流もいる。僕は思うに、馬鹿が悪魔に魂を売った例はないのだ。どちらだかは知らないが、──馬鹿が馬鹿すぎるか、悪魔が悪魔すぎるか、そのどちらかなのだ。もっとも中には神の姿、神の声以外にはなに一つ見えない、聞えないという、途徹もない人間放れのした聖人もいるのかもしれない。だが、彼等にとっては、もはやこの地上はただ立って呼吸をしているというだけの場所であり、──そうなることが、果して僕等の幸福だか不幸だか、知れたものではない。そして僕等大多数の人間というものは、馬鹿でもなければ、聖者でもないのだ。

 

確かにコンラッドの筆致には人種差別的視野が見られます。しかし他の側面から見ると、「闇黒を生む闇黒」の糾弾が根底にあり、ヨーロッパ諸国の植民地支配を憂う姿勢が窺えます。植民地支配による負の遺産は未だに解決はされていませんが、非人道的常識は覆り始め、道徳性の回復の兆しは昨今の差別撤廃の運動からも見えてきています。現代において本作を読むことは、このような目線を持ちながらであれば、ポストコロニアルな意味合いでも充分価値を持つのではないかと感じました。暗示的に繰り返される「闇黒」の表現の割には、比較的に読みやすい本作「闇の奥」。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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