RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『黄金虫変奏曲』リチャード・パワーズ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

たった四つの文字から「畏るべき豊穣」を生む遺伝情報と、バッハのゴルトベルク変奏曲。その二つの構造の不思議なまでの符合を鋳型にして、精巧なロマンスとサスペンスが紡ぎ出される。
1957年、遺伝暗号の解読を目指す若き生化学者スチュアート・レスラーに、一人の女性がゴルトベルク変奏曲のレコードを手渡す。25年後、公立図書館の司書ジャン・オデイは、魅力的な青年フランク・トッドから、奇妙なリサーチの依頼を受ける。夜ごとゴルトベルクを聴きながら凡庸なコンピュータ・アルゴリズムのお守りをしている、恐ろしく知的で孤独な同僚の正体を調べたい、と。長い時を隔てて存在する二組の恋愛が、互いを反復し、変奏しながら二重螺旋のように絡み合う。なぜレスラーは20世紀生物学の最大の発見に肉薄しながら、突如歴史から消えたのか? その謎が解かれていくとともに、芸術、言語、音楽、愛、そして生命の継承の意味までを巻き込んだ語りが縦横に拡がってゆく。

 


全米図書賞、ブッカー賞ピュリッツァー賞、数多くの表彰を受けた現代のアメリカ文学において欠かすことのできない作家であるリチャード・パワーズ(1957-)。科学の知識と芸術の造詣が融合した彼の作品は、全世界を魅了し続けています。

パワーズは、ミシガン湖に近いイリノイ州エバンストンで生まれました。教職にあった父の都合でタイのバンコクへ移り住み、数年を異国で過ごします。言語の違いを繋ぐ翻訳という作業が、彼の思考に染み付いていきました。また、その頃に熱心に取り組んでいた音楽における修練で、弦楽器や管楽器の腕を身につけて芸術への理解を深めていきます。音楽からの思想の翻訳は彼の価値観へ強く影響を与えます。十六歳のときにアメリカへと戻ると、高校を卒業して物理学を専攻します。培った科学の知識と思考は、現在も彼の礎となっています。しかし、知識の単一な専門化、思考や視野を狭めてしまう恐れを抱いた彼は、一念発起してイギリス文学へと転向します。幼少期より手にしてきた古典の叙事詩やノンフィクション作品の読書経験が、彼の決心の後押しをする形になりました。そして卒業後、スタンフォード大学で勤める傍ら、自らも執筆を試みます。

 

1991年に発表された本作『黄金虫変奏曲』(The Gold Bug Variations)は、活動初期に該当する三作目の作品です。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの「ゴルトベルク変奏曲」(The Goldberg Variations)、エドガー・アラン・ポオの『黄金虫』(The Gold Bug)、これらを掛け合わせた作品名となっている通り、作中でも両作品は重要な主題を支えています。作品の構成においてもアリアに挟まれた三十の章で描かれており、主軸には遺伝子という暗号の解読、レスラー博士という重要人物の過去の解明などが随所に散りばめられています。このレスラー博士は第一の語り手となり、第二の語り手オディと並走するように交互に進められます。遺伝子の二重螺旋のように三十章が進んでいきますが、中心となる内容は互いの経験する愛物語です。そして、そこに含められる要素は、音楽、科学、絵画、コンピューター・サイエンスであり、パワーズの膨大な知識量に圧倒されます。また、比喩表現が多彩であり、音楽を語る際には科学を、遺伝子を語る際には芸術を、それぞれ干渉し合うように比喩に用いられて、太く大きな統一性のある作品に仕上げられています。

 

第一の語り手レスラー博士は、1950年代の過去に起こった自身の経験、既婚者の恋愛相手ジャネットへの愛を語ります。第二の語り手オディは、1980年代の恋愛相手でありレスラー博士の部下フランクとの愛を語ります。この二つの物語の核となる四人の登場人物は、音楽や科学で繋ぎ合わされて対比的な位置関係を示し始めます。「ゴルトベルク変奏曲」が、四つの音符、四つのフレーズで奏でられていることに呼応して、四人は四季の中で、四つの風となって物語を駆け巡ります。そして愛を求める表現では、二度と手に入らないほどに失われたものとして、もしくは初めから運命的に定められたものとして、揺るがない結末を代償と共に明示されます。

ジャネットは既婚者で不妊症でした。しかし、その現実が自身に起因することを受け止めることができず、レスラーを対象とした性行為(受精)を求めます。反してオディは自身の決断により不妊手術を行い、子を持つ選択を放棄していました。この生命の突然変異と人工変異は、どちらにも愛を齎してどちらにも代償を強いられます。

レスラー博士が遺伝子に関する研究において、科学的要素(構成する四種の塩基、アデニン、チミン、グアニン、シトシン)に含まれている人間の構成要素を暴こうとのめり込むうちに、人間存在の起源に関する非常に多くの謎が見え、そこに干渉するはずの「意識」の解剖に驚異的な難解さを見出して、自身の研究では辿り着けないのではないかという疑念を抱きました。

この場合──秘密文書ではあらゆる場合にそうだけれども──第一の問題は、それが何語で書かれているかということだ。なぜかと言えば、暗号解読の原理は、特に暗号が簡単なものであればあるほど、その国語の特性によるのだし、またそれによっていろいろ変化するのですから。一般的な方法としては、解読を試みる者が知っているあらゆる国語を(蓋然率にしたがって)、どの国語なのかが判るまでいろいろ実験してみるしか手はない。しかし、いま問題にしている暗号に関しては、署名のおかげでこういう苦労が全然ない。『キッド』という言葉の駄洒落は、英語以外の国語では考えられませんからね。こういう事情がなかったら、ぼくはまずスペイン語とフランス語でやり始めたでしょう。

エドガー・アラン・ポオ『黄金虫』

遺伝子の国語はどうかと考えると、神の存在を無視することは困難であると言えます。勿論、現在進行形として遺伝学は進歩しており、科学の躍進は継続しています。しかしながら、個別に存在するであろう遺伝子内に潜む意識の出自を暴くことは想像を絶します。遺伝子を記号論的な手法で解決を試みていたレスラー博士が、果ての無い疑念を抱いたことは実に自然なことであると言えます。そして、突然変異に影響を受ける意識、意識による決定で行われる人工変異、これらの解明の難解さを、読者は追い打ちを受けるように把握させられます。

 

全篇にわたり数多の比喩表現が、本作を構成する要素を翻訳するように繋ぎ合わせています。ポオ、バッハは勿論のことながら、シェイクスピアフランダースの画家、生物学や情報理論、コンピューター・プログラミングから書簡に至るまで、果てない幅の広さと夥しい情報量が超常的な翻訳となって語り掛けてきます。そして双方向的に物語の中に芸術性をも表現され、審善美(aesthetic)の問い掛けを多方面から投げ掛けてきます。継続される形而上的隠喩は、読み手の精神に語り掛け、音楽とは、文学とは、芸術とは何かとパワーズは訴えます。

一体の生物のあらゆる特徴は、一つの文法から生成される生体言語で書かれており、その文法が生み出す個々の文(センテンス)の外貌は明確に異なるものの、どれも深層構造から導き出すことが可能。

深層構造、言い換えれば芸術家が芸術作品に込める根底の芸術性が、形を持って審善美と昇華されると述べています。彼は本作で芸術を語りながら、芸術性を表現しようと試みており、その大きな基盤となっているのがバッハの「ゴルトベルク変奏曲」で、構成もそれに準えていることが裏付けとなっています。

 

作中に入り組んで現れる比喩的な翻訳は、作品の中で起こる生命的変異を思い起こさせます。そして偶発的な繋がりや意識の飛躍によって一つの芸術を構築します。繰り広げられる二重螺旋の愛の物語は、干渉し合って並走する変奏曲となり、大きな可能性を持った結末へと収束します。

つまるところ、『ゴルトベルク』が語っているのは変奏のパラドックス、保存される逸脱、段を重ねていく展開に内在する遷移効果、程度の変化に付随する質の変化にほかならない。いかにして偶然から必然が発生するか。いかにして同じものを増やすことから違いが発生するか。親失格のアリアがセットを閉じるべく戻ってくる頃には、その音楽は、変奏がしまいには自由になれるんじゃないかという、そんな物語になっている。自身を下支えし、また始動させた張本人ながら、経験の試運転から何が生じるかを予期している節はどこにもない、そんな指令からついに身をもぎ放す可能性の物語に。

アリアで終わる変奏曲は、ダ・カーポで初めのアリアに誘導します。全容を理解した読者は再読をすることで数多の翻訳の真意を、より深い理解を持って読み進め、二重螺旋の愛物語に潜む可能性を新たに見出すことをパワーズは促しています。

 

徹底した比喩によって双方向的な翻訳で描かれる二重螺旋の愛物語は、濃密な理解を与えて、根源的な審善美の追求を提示します。注釈からも驚きや文芸性を感じさせる独特の作品『黄金虫変奏曲』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

 

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