RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『海の沈黙』ヴェルコール 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

ナチ占領下のフランス国民は、人間の尊厳と自由を守るためにレジスタンス運動を起こした。ヴェルコールはこの抵抗運動の中から生まれた作家である。ナチとペタン政府の非人間性を暴露したこの2篇は、強いられた深い沈黙の中であらがい続け、解放に生命を賭けたフランス国民を記念する抵抗文学の白眉である。


1940年、第二次世界大戦争の初め、攻勢の著しいドイツはフランスへと侵略し、パリを占拠して降伏させました。フランス北部にヴィシー・フランスというドイツの傀儡政権を樹立し、第一次世界大戦争時の英雄フィリップ・ペタンを据えて国民への理解を示そうとします。しかしドイツの支配は勢いを増し、フランス国民に対する締め付けを強化していきました。1942年、ヴィシー政府はドイツの軍需支援を目的とした労働者を募る強制旅行局STO(Service du travail obligatoire)を設置します。フランス人捕虜の代わりにドイツへの労働を目的とした派遣募集でしたが、拒否した者には食糧配給を停止するなど、強制的なものであったため免れることはできませんでした。この義務協力労働から逃れようとした人々は、山岳地帯へと籠って反ヴィシー政府を掲げたレジスタンス(マキ)として組織していきます。その一つの山岳地帯がヴェルコール山塊という場所でした。1943年、シャルル・ド・ゴール将軍などのドイツ支配を拒否した亡命者を受け入れた英国は、レジスタンス側への援助として特殊作戦執行部(SOE)を送り込み、ドイツ軍へと抵抗をより強めていきました。衝突が激しくなり、レジスタンスの勢いが増していくとナチス側も見過ごすことができなくなっていきます。そして1944年7月、全面的なレジスタンスの掃討に乗り出すと、ドイツ軍は上空からの爆撃や機銃掃射などを行い、このヴェルコールの地は民間人の被害を多く出しながら制圧されてしまいました。


一方で、義務協力労働によって若く活力のある人材がドイツへと向かったため、フランス国内では成人に満たない者や歳を重ねた者だけで暮らす家庭が増加しました。これはフランスの戦力を削ぐという意味合いもありました。フランスのパリをはじめ、駐留するドイツ軍人たちは、それらの住む家屋へ住まい、生活を始めます。暴力を振るわれる者、給仕のように扱われる者、性的な被害を受ける者、何もされない者、そこに住まうドイツ軍人の性格によって、様々な扱いを受けました。


作家志望の挿絵画家であったジャン・ブリュレール(1902-1991)は、ドイツ占領下における文学の在り方に憤りを感じていました。ドイツの出版管理によって親独に背く作品は全て禁書として烙印を押され、一切の出版を禁じられました。それに迎合する作家たちが、ドイツ賛歌の作品を生み出すことに対しても疑問を抱き続けます。過去にフランスが生んだ偉大な作家、素晴らしい作品に対する冒涜であると考え、また、それらをも支配しようとするドイツに対抗意識を燃やします。そして彼は「ペンを用いたレジスタンス」を目指します。確固たる意志を築いた彼は、ドイツとヴィシーに対して真っ向から挑む形で、地下出版という手法で出版社を立ち上げます。文学の国を潰えさせないためにも、フランスの誇りを潰えさせないためにも、彼は絶対的な信念を持って戦います。そして立ち上がった出版社が「深夜叢書」(Les Éditions de Minuit)です。同時に刊行した第一作は彼自身が書き上げた『海の沈黙』でした。ヴェルコールという、レジスタンスたちの聖戦の地、或いはそれらの志を掲げた筆名で出版した本作は、真に命懸けであり、ドイツとヴィシーに対する反抗の姿でした。本作は、ドイツ軍の襲撃を受けて命を落とした詩人サン=ポル=ルーに捧げられています。


本作『海の沈黙』では、正義の心を持った元音楽家のドイツ軍将校エブレナクが、老人とその姪が暮らす家に住み込みます。エブレナクは片足が不自由でした。二人が主に過ごす居間に近付くとき、不規則な足音で彼の訪問がわかります。彼の態度はいつでも紳士的です。彼はフランスを敬い、フランス人を敬い、真に心を通わせようと試み、また彼らに対しても自分の思いを伝えようと弁舌を振います。とても穏やかで、そして熱意を持って、自分の考えを説き、フランスとドイツの親交を信じています。彼らは恐れを徐々に無くし、彼に関心を持ち始めますが、一切、その弁舌に対して返答を見せません。只管に沈黙を守ります。ある時、彼は古くからの友人の元へ会いに行くことを伝えます。期待と楽しみが入り混じった感情を見せながら、軽快に発っていきました。

二週間ほど経って、また不規則な足音が近づいてきました。そして戸口に現れた彼は別人のように打ちひしがれ、不幸を一身に背負った表情でした。彼はドイツがフランスと親交を結ぼうとしているのではなく、懐柔して屈服させようとしていることに気付かされました。彼が抱いていたフランスとの友好的な融合は夢と消え、持っていた希望は一縷も無いことを思い知らされて帰ってきました。

あの人達は焔をすっかり消してしまう。
ヨーロッパはこの光で照らされなくなってしまう。

憤りと諦めと絶望を抱えて、彼は軍に前線への異動を志願しました。「地獄だ。」という言葉は、コンラッド『闇の奥』を思わせる苦悩に満ちており、エブレナクが姿を消したことによる安堵はなく、残された者にも心を抉るような虚無感が残されます。

 

三年以上の間フランスの象徴は沈黙であった。群衆のなかでの沈黙、家庭のなかでの沈黙。真昼間ドイツの衛兵がシャンゼリゼを往来するが故の沈黙、ドイツの士官が隣の部屋に宿泊するが故の沈黙、ゲシュタポがホテルの寝台の下に録音器をかくすが故の沈黙、子供たちが空腹を訴えることができず、毎晩倒れる人質の体のために、翌朝いつも、一日が国民の喪ではじまるが故の沈黙。そしてまたわれわれの思想の沈黙、みずからを表現する力を奪われた作家たちに強制されている沈黙、世界の前での沈黙。

加藤周一 訳『海の沈黙』アメリカ版 序 M・D


ブリュレールは、本作を何よりも同国の作家へ届けようと奔走しました。自覚的、無自覚的に関わらず、ドイツへの協力(コラボラシオン)を助長させる作品を生み出している作家たちに、「文学でも対抗できる」という意思とその姿を見せ、共に同じ方向を向く希望があることを伝えようとしました。占領下の規制の中で生み出すことが「できる」作品は、フランスの文化そのものを崩壊させ、誇りとともに無に期してしまう。それを食い止めようとする強い意志が、本作のなかに何度も感じられます。作中で見られる「沈黙」という戦いは、文化を劣化させる作品を「出版しない」ということに通じ、ブリュレールがそのことに命を懸けたことは尊敬に値します。彼が発した抵抗文学は国境を越え、ロンドンのド・ゴール将軍にまで届き、さらに普及できるように支援を行いました。本作には「文学の誇り」と「人間の尊厳」が共存しています。静かな物語でありながら、読み進めるほどに高まる熱量は、ブリュレールの思いが我々に届いているように感じられました。未読の方はぜひ、読んで体感してみてください。

では。

 

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