RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『日々の泡』ボリス・ヴィアン 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

愛を語り、友情を交わし、人生の夢を追う、三組の恋人たち──純情無垢のコランと彼の繊細な恋人のクロエ。愛するシックを魅了し狂わせる思想家の殺害をもくろむ情熱の女アリーズ。料理のアーティストのニコラと彼のキュートな恋人のイジス。人生の不条理への怒りと自由奔放な幻想を結晶させた永遠の青春小説。「20世紀の恋愛小説中もっとも悲痛な小説」と評される最高傑作。


1865年、アメリ南北戦争を終え、黒人奴隷が解放されました。アメリカの南部に位置するルイジアナ州の港町ニューオーリンズでは、政府公認の娼館のある歓楽街で、解放された元奴隷たちは生きていくために酒場やダンスホールへ勤め口を探します。そして彼らは、黒人たちが持つリズム感や音楽の感性を活かして、歌手や奏者として活躍します。戦争直後の市場では、軍楽器として用いられた打楽器や管楽器が格安で流通し、これらを手にして生活の糧を得ていました。しかし、譜面が読めるわけでもなく、曲を全て覚えているわけでもないため、彼らは即興の音で繋ぎながら演奏を披露し、他者の演奏を耳で覚えてそれを真似ながら舞台に立ちました。このような即興フレーズで溢れた演奏の繰り返しが、奏者たちの「自由な表現」を作り上げ、ジャズ(JAZZ)という音楽が根付いていきました。そして第一次世界大戦争へアメリカが参戦することになり、歓楽街が閉鎖されると、ジャズ奏者たちはニューオーリンズを離れてアメリカ全土へと渡り、ジャズ音楽は全国的に広まっていきました。そしてアメリカという国を離れ、全世界でもその音楽性は受け入れられていきます。


第二次世界大戦争下において激しいドイツの攻勢により、パリを占領されたフランスは、中部に位置するヴィシーにドイツの傀儡となる親仏政権を樹立しました。国土は半分以上が支配され、ドイツの政府要人や軍人がパリを闊歩し、レジスタンスが対抗するものの、多くのフランス国民は理不尽な扱いを受けていました。このような環境から国民はヴィシー・フランスに対して反発的な感情を強く持つようになります。その中でも、戦争や占領による苦しい生活環境下であるにも関わらず、道徳や政治に反する文化的趣向を抱いて「自由な精神」を芸術的に示したザズー(Zazou)と呼ばれる人々は、ヴィシー政府に対するカウンターカルチャーとしての運動を確立しました。この「ザズー」という言葉は、フランスで活躍したスイス人ジャズピアニストのジョニー・ヘスの楽曲「Je suis swing」の中の歌詞に由来し、ザズーの人々がジャズ愛好家であったことが起因しています。彼らの態度は投げやりな意味での「無関心主義」であり、政府や戦争に対して諦めを含めた嫌悪を示していました。そこにジャズという音楽の根源的に持つ「自由」という思想と、彼らの蟠りを抱いた思いが合致して、ファッションを用いた全ての人への主義表現へと至りました。丈が長く太いズートスーツに身を纏い、外出禁止令を無視してスノッブのように歩き回る姿は、彼らの強い意思を感じさせました。


ボリス・ヴィアン(1920-1959)はジャズを愛し、ザズーでもあり、フランスの作家でもあり音楽家でした。1932年に設立されたフランスでジャズを普及するという目的の組織ホット・クラブ・ド・フランス(Hot Club de France)に、彼は十代の頃より参加して、自らもトランペットを中心に奏で、ジャズ音楽を支持しました。元々厭世的な考え(ペシミスト)を持っていた彼は、「世界からの解放」「自由な表現」というものを求めており、ジャズの持つ自由性に憧れを持っていたと言えます。

製紙工場の相続人となった祖父の代より、ヴィアン家は使用人を何人も抱える裕福な家系でしたが、1929年の大恐慌によって凋落し、抱えていた庭師の厄介になることになります。父ポール・ヴィアンはこれまで働いていなかったながらも、蓄えた知識を活かして翻訳業に取り掛かります。しかし収入が足りなかったため、他の職を兼ねて働き回りますが、暮らしを大きく変えることはできませんでした。ボリス・ヴィアンは幼少期より度々重い病に悩まされ(リウマチ熱、腸チフスなど)、両親も過保護的に彼を扱います。彼は取り巻く環境などから息苦しさや不条理を感じ、徐々に思考が厭世的になっていきました。その解放と自由を体現していたジャズに出会い、彼の活動は表現者としての生き方へ変化していきます。


彼が生み出す文学作品は、他者に理解されまいとする非現実的な描写の連鎖で綴られます。本作『日々の泡』では、終始一貫した独特の世界描写で、出来事の理解を非常に困難にさせます。しかし、これを彼の感情を元にした比喩表現であると捉えると、その物語に見える感情の動きや訴えが、ぼやけた輪郭がゆっくりと定まるように、根源的な思いが見えてきます。ヴィアンは、文学におけるあらゆる思想や哲学からの解放を求めていました。不条理に敵対する意思さえも放棄して、全ての束縛からの解放を求めます。しかし、そのような比喩を徹底したことによって、新たな文学思想を構築してしまうというジレンマにも陥り、それを避けようと更なる超常的な比喩表現が生み出されます。裏を返せば、読み手はヴィアンを掴もうとすればするほど擦り抜けられる感覚を与えられます。


作中で描かれる3組6人の恋愛模様は、非現実的な描写でありながら感情は明確に描かれます。相手を愛し、相手を求め、相手を救います。そこに現実的な「結婚」が訪れると、美しかった世界の描写が、腐食するように多湿で陰鬱な描写へと変化していきます。富豪のコラン、その友人のシック、コランの雇い調理師のニコラ、それぞれの友情は固く結びついていますが、恋愛の行末に沿って、それぞれの運命が劇的に畝っていきます。シックは恋人アリーズとの婚姻を望んでいましたが、金銭の欠乏により果たすことができずにいました。富豪のコランは自身の資産1/4を与え、望みを叶えられるように取り計います。コランは恋人クロエと残りの財産を用いて結婚式や新婚旅行を楽しみます。しかし、旅行の終わりを迎えたころ、クロエの体調に異変が生じて、そこから闘病生活へと変化していきました。クロエの肺には睡蓮が咲き始めていました。睡蓮の成長を抑えるために水分摂取を極端に抑え、周囲に他の花々を敷き詰めて睡蓮を脅かせる必要があります。花々の購入や薬剤費などで出費が重なり、遂にコランは働くことを迫られました。勤労などは醜く、勝手もわからない未知な経験でしたが、クロエへの愛のため、コランは身を粉にして働き抜きます。一方のシックは根本的に浪費家であること、そしてジャン=ソオル・パルトルの著作に執心であることから、瞬く間にコランに与えられた資産を使い果たしてしまいます。もちろん、アリーズとは婚姻関係を結んでいません。シックはあらゆるパルトルに関連する品々を買い漁っていました。そこにパルトルが全集の出版に取り掛かっているという情報が入り、アリーズはこのままでは金を持たないシックが本屋を殺害してまでも手に入れようとしてしまうと考え、パルトルへ出版をしないように談判に向かいます。そしてアリーズとシックはこの後、それぞれの非業の死へと向かっていきます。また、クロエにも死が忍び寄り、コランの苦しみが増幅していきます。結果的に、肉欲的な関係のまま恋愛を続けていたニコラとイジスだけが、幸福のまま物語を終えることができました。


ヴィアンは刹那的な美を持つ「恋愛」を尊重します。胸の内に高まる感情が見る景色までも美しくさせるという、「刹那の美」を何よりも美しいと捉えています。永遠の現実を生きる結婚を選択したコランは醜い労働者となり、結婚を突きつけられて逃げたシックは醜い犯罪者として罰せられます。コランが掴んだものは「愛」です。クロエとの愛を大切に思い、苦しみの生活においても不幸は感じません。しかし、ただ逃げ続け、自身の欲望だけを貪ったシックには確実な破滅が襲いました。極端な物言いをするならば、浮かばれる悲劇と浮かばれない悲劇が両者に対比的に与えられています。


恋愛関係という、成就するにせよ破綻するにせよ、「永遠ではいられない関係」は、特別な期間の、特別な感情を抱きます。この有限の関係は儚さを持っており、儚さゆえの非日常として受け止めると美しさが見えてきます。作中における、住居が頽廃していく、生活の美が消えていくといった描写は、恋愛関係の時に輝いていた物事が、結婚生活へと変わったことで輝きが見えなくなった、と捉えることができます。ヴィアンが作中に通底させた思想は、常に美醜の問題であり、幸不幸の目線ではないことが強く訴えられています。

ただ二つのものだけがある。どんな流儀でもいいが恋愛というもの、かわいい少女たちとの恋愛、それとニューオーリンズの、つまりデューク・エリントンの音楽。ほかのものは消え失せたっていい、醜いんだから。

『日々の泡』「まえがき」より


フランス民法では、同性異性を問わず成人二名による共同生活を結ぶ契約「PACS」(連帯市民協約)、いわゆるパートナーシップ制度が導入されています。この関係は、ヴィアンが提示した「永遠ではいられない関係」を、生涯続けることができるということであり、一つの「永遠の美」を叶えているとも言えます。

「解放」と「自由」を求めたヴィアンが生み出した本作『日々の泡』は、恋愛感情が見せる景色に散りばめられた、あらゆる「刹那的な美」を称揚し、泡のように瞬時に消えていく儚さを表現しているように受け取ることができます。読解が困難な場面も多々ありますが、美と愛と幸福が入り混じった物語は、読み手に幾つもの訴えを投げかけてきます。愛と幸福を考え直させられる本作、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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