RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

すべてを破壊した〝九年戦争〟の終結後、暴力を排除し、共生・個性・安定をスローガンとする清潔で文明的な世界が形成された。人間は受精卵の段階から選別され、5つの階級に分けられて徹底的に管理・区別されていた。あらゆる問題は消え、幸福が実現されたこの美しい世界で、孤独をかこっていた青年バーナードは、休暇で出かけた保護区で野人ジョンに出会う。すべてのディストピア小説の源流にして不朽の名作、新訳版!

 


オルダス・ハクスリー(1894-1963)は、生物学者、人類学者、動物学者などを輩出したイギリスの著名なハクスリー家に生まれました。親に倣って幼い頃から勉学に励み、医師の道を目指します。イートン・カレッジへと進みましたが、点状角膜炎を患い、殆ど目が見えない状態になります。医学への道を諦めざるを得なくなった彼は、治療に専念すると、拡大鏡を用いてある程度見えるまで視力が回復しました。ベリオール・カレッジへ移ると、彼は英文学と言語学を学びます。彼の文学に対する理解は凄まじく、文芸誌「オックスフォード・ポエトリー」(Oxford Poetry)の編集に携わり、英文学学士号を取得しました。彼自身も早くから執筆し、社会諷刺を込めた作品を生み出していきます。

第一次世界大戦争の期間、ハクスリーは視力の問題から兵役を逃れ、農場労働者として働く傍ら、オックスフォード近郊のガーシントン村にあるオットリン・モレル夫人のカントリー・ハウス(貴族やジェントリの住居とする大邸宅)でも働いていました。そこでは大学時代からの友人D・H・ロレンスをはじめ、T・S・エリオット、E・M・フォースターなどとも時間を共にして親交を深めていきます。この時に感じたガーシントンの生活習慣を諷刺した作品『クローム・イエロー』が世間に大きく受け入れられて、作家としての立場を確立させました。


本作『すばらしい新世界』は1932年に発表されました。第一次世界大戦争による特需を全て国内に還元しようとしたアメリカの失策により、ウォール街株式取引所で起こった株価大暴落を原因として全世界に広まった大恐慌は、資本主義社会を崩壊に至らせ、強大なファシズムを世界に生み出し、第二次世界大戦争へと導いていきます。その波紋が収まらない情勢のなかで描かれた未来の社会は、戦争が無く、人々の苦労の少ない、全人類の幸福を目指した階級社会でした。


2049年に起こった未曾有の最終戦争「九年戦争」を経た未来は「幸福」を第一とした世界の構築を目指しました。フォード・モーター・カンパニーの創始者ヘンリー・フォードを神的存在として崇め、利益重視の合理性、大量生産による効率性、画一性、管理性をもって社会の構造さえも改革した「フォーディズム」に則って世界を構築します。その世界は人間の根源から管理することが徹底され、全ての人間は「孵化調整センター」の人工授精によって生を受け、アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロンの階級に分けられ、瓶詰めの状態から科学的負荷(電磁波、物理的揺さ振りなど)を与えて、階級ごとに能力を調整して「出瓶」されます。親や家族と言った概念が無いため、そのまま国が保育や教育を行い、それぞれの階級に適した人間として育て上げられ、社会へ出されます。保育中に睡眠学習(洗脳)を与え、それぞれの階級こそが最も幸福であるという考えが刷り込まれ、何の疑いも持たずに与えられた階級の職務、及び生活を全うします。アルファは各方面の指導者として、デルタやイプシロンはアルファに使役されるため、明確な階級社会を支えています。彼らはみな、どの階級であっても「幸福感」に溢れています。定められた勤労時間を、自らに適した労働のみに充てられ、私的な時間は用意された数多の「幸福」に費やします。誰もが好む障害物ゴルフ、超現実を体感できる感応映画「フィーリー」、そして家族や愛といった繋がりのない社会であるからこその「快楽としての避妊性行為」などを楽しみます。これらの楽しみは政府より強く推奨され、熱中すればするほど良心的な人間であると世間は評価します。それでも不満や不安といった感情を抱いたときは、政府が莫大な費用をもって発明した快楽促進剤「ソーマ」という合法麻薬を用いて幸福を取り戻します。


アルファ階級にありながら、他者とのコミュニケーションを不得手とするバーナードという青年は、常に劣等感を抱いています。「ソーマ」も好んでおらず、他のアルファたちと比べても、幸福感に満たされていません。「作られた幸福な社会」に違和感を感じる彼は、快楽的な性行為も、自身の劣等感から望みの女性へ積極的にアプローチできずにいます。それとは反対に、彼の友人ヘルムホルツは感応映画「フィーリー」の脚本家として活躍し、政府のプロパガンダを担う傍ら、感情工科大学創作学部の講師を務める優秀な人物です。自ら「詩」を手掛けるほどの才を持ち、浅薄な感応映画に満足できない感情を抱いています。彼らを繋ぐ「社会との疎外感」は、共に出瓶を管理されながらも芽生えてしまった自我同一性に起因して、政府が望まない感受性を育んでしまいました。


世界には彼ら以外にも、彼ら以上に自我同一性を保った人々が存在しています。それは九年戦争後、新たに創られた世界から区分けされた人々、統制社会の外に居る人々です。野人保護区や居留地といった表現で区別され、電磁柵を張り巡らされた地域の中で住んでいます。文化の表現からアメリカの原住民居留地のような印象の人々で、当然のように「家族」を持ち、「出産」によって繁栄しています。新しい世界によるプロパガンダも及んでおらず、「宗教」は存在し、過去の遺物として芸術も僅かに残存しています。そして、元々新世界に居た母から生まれた青年ジョンは、バーナードによって新世界へと導かれます。


野人ジョンは残存していたシェイクスピアの一巻本全集を宝物のようにしており、誦じて台詞を読み上げられるほど理解して、それらの言葉を引用して自らの思いを伝えています。ジョンはバーナードが想いを寄せているレーニナに恋してしまいました。レーニナもまた、ジョンに惹かれていますが、互いの「性の価値観」が全く違うため、当たり前のように身を曝け出す彼女に対して、ジョンは猥雑な印象を持ち、怒りさえも覚えるほど嫌悪してしまいます。原因がわからないレーニナも、彼女なりに混乱して怒るジョンに恐怖を抱きます。母親が何度も褒め称えていた「新しい世界」は、ジョンには猥雑と嫌悪と疑問しかありませんでした。


十人の世界統制官の一人、ムスタファ・モンドも、自我を保つ人間の一人です。強い権限を持ちながらも等しく人々の声に耳を傾ける姿には、絶望的な統制社会の支配者とは思えないほどの寛大さを感じます。彼もやはり新世界の構築においては不適切な思考の持ち主で、研究に熱心で優秀な科学者でした。しかし、彼の研究は新しい世界の統制には不必要であり、危険であったため、研究をやめて支配者を目指すか、異端児たちが飛ばされる島へ流されるかの選択を迫られました。そして彼は「世界の真実」を捨て、「全人類の幸福」を選択して統制官を目指し、現在の地位を得ました。


障害物ゴルフ(sports)、乱交パーティ(sex)、感応映画(screen)、さらには合法ドラッグ(ソーマ)によって満たされた「作られた虚しい幸福感」を、人間の種としての害悪と感じた野人ジョンは、この新世界の人間を目覚めさせようと、仕事の報酬であるソーマの配給を妨害して大騒動を起こします。

「自由になりたくないのか?人間らしくなりたくないのか?人間であること、自由であること、きみたちはそれさえも理解できないのか?」
「僕が教えてやる。望もうと望むまいと、僕がきみたちを自由にする」

そこに駆けつけたヘルムホルツとバーナードと共に、ジョンは統制官ムスタファ・モンドの元へ連行されました。


野人ジョンは人類の自我同一性と自由を取り上げていると主張するのに対し、統制官モンドはそれらよりも社会の安定と幸福が重要であると主張します。そして新世界において、社会安定のために「思想や哲学を表現する芸術」、「真実を追究する科学」、「フォーディズムを脅かす宗教」の犠牲が必要だったと穏やかに説明します。ジョンは、これらの排除されたものが無くては人間の人生に生きる価値を見出せないと抗議しました。

モンドは新世界において優先すべきは社会の安定であり、全てが破壊された九年戦争後の復興時には、ある側面では当然の優先事項でもあるように思われます。恐ろしい戦争を二度と起こさないために「原因となる人間の自我」をどのように統制するのか、それを追究した結果の芸術、科学、宗教の排除でした。そして生きる人間たちに「作られた幸福感」を与え続け、人生に充足感を与えようと多くの快楽を提供しています。しかしながら人間たちは、この理想を目指した新世界では、ジョンの主張する「人間」として本来持つべきであり、持ち得ていたはずのものである「尊厳」「道徳」「愛情」「使命」「崇拝」などが全て排斥され、住まう人間たちは「生かされた社会の歯車」でしかなく、効率的に資本を生み出す国家の道具として生かされています。

知識は最高の善であり、真実には至高の価値がある、他のすべては、それに従属する二次的なものにすぎない、と。たしかに、その当時でさえ、すでに思想が変化しはじめていた。真実と美から、なぐさめとしあわせへ。わが主フォードその人も、この移行に多大な貢献を果たされた。大量生産がこの移行を求めた。社会という車輪を安定的にまわしつづけるのは、万人の幸福だ。真実や美に、その力はない。そしてもちろん、大衆が権力を握ったとき、問題になるのは真実と美ではなく、幸福だった。


ハクスリーは、1931年のイギリスでの大恐慌によって広がる社会の危機に対して、人間が「根本的に社会を安定させる」ことを望んでいるように見えました。大量生産、均質性、単純性、効率性、そういったものを基盤としたフォーディズムこそが、その望みに該当し、その社会を受け入れる人々を思い描きます。そしてフォーディズム社会が生む、利己主義の優先、真実の放棄、さらには快楽による退廃を危惧し、人間の自我同一性に強く影響を与える「尊厳」「道徳」「愛情」「使命」「崇拝」などに関心を抱かなくなることに恐怖していたと考えられます。

 

ああ、不思議な事が!こんなに大勢、綺麗なお人形のよう!これ程美しいとは思わなかった、人間というものが!ああ、素晴らしい、新しい世界が目の前に、こういうひとたちが棲んでいるのね、そこには!

シェイクスピア『あらし』第五幕第一場

本作の作品名にも用いられている『テンペスト』で、シェイクスピアは、個人の尊重、文化の尊重、違いの理解などを、自身の思想を込めて描きました。ハクスリーは、このような芸術における思想や哲学そのものが、国家によって排斥されるわけではなく、sports、sex、screenなどに溺れ、人々自らが関心を無くしていくことに危険性を感じていました。だからこそ、脳を冒されていない野人ジョンにシェイクスピア全集を持たせ、読者に本作をもって警鐘を鳴らそうと試みたのだと言えます。


本作『すばらしい新世界』は、読者の自我同一性と芸術性に対して、直接的に強く訴えてきます。自身が、sports、sex、screenなどに溺れ、審美眼を衰えさせ、芸術や思想、哲学に関心を持たなくなっていないか、資本唯一の思考になっていないか、個人を見失っていないか、そのようなことを波状的に何度も問い掛けてきます。自身を見つめ直す良い切っ掛けとなる本作、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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