RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『われら』エヴゲーニイ・ザミャーチン 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

エヴゲーニイ・ザミャーチンの代表作にして問題作『われら』です。当時のロシア情勢や政治の変革を風刺し、近年まで世に姿を見せなかった作品です。

20世紀ソヴィエト文学の「異端者」ザミャーチン(1884-1937)の代表作。ロシアの政治体制がこのまま進行し、西欧の科学技術がこれに加わったらどうなるか、という未来図絵を描いてみせたアンチ・ユートピア小説。1920年代初期の作だが、最も悪質な反ソ宣伝の書として長く文学史から抹殺され、ペレストロイカ後に初めて本国でも刊行された。

 

ソビエト国家に対する悪意に満ちたパンフレット」「社会主義に対する敵対」など厳しい記述でソ連の百科事典に載せられていた本作。ザミャーチンはこの作品を執筆したことが理由となりソ連から亡命しました。

 

1902年よりペテルブルグ理工科学校で学ぶ彼は、1905年にオデッサ港での戦艦ポチョムキンの反乱を目撃。血の日曜日事件日露戦争など、ツァーリ専制政治に対する不満を持った「社会主義者」が先導した反乱です。ザミャーチンはここからレーニンが率いる革命派「ボリシェヴィキ党」に関心を示します。革命運動に加入し活動する彼は、逮捕と流刑を繰り返します。1913年、ロマノフ王朝三百年記念の恩赦を受け、1916年に、イギリスに派遣され砕氷船レーニン号)の建造にあたります。これらの経験が『われら』で描かれるサイエンス・フィクションの世界に活かされています。

 

1916-17年のロシア革命期にイギリスに滞在していたザミャーチンは国内に戻ると、執筆活動に専念し、ロシア文壇の中心に立つまでに至ります。1918年、文学活動家同盟や世界文学出版所活動にマクシム・ゴーリキーとともに参加。その後、ザミャーチンのゼミが発端となった「セラピオン兄弟」という文学者組織が形成され、マニフェストを掲げます。

われわれの要求はただ一つ、すなわち芸術作品が有機的、現実的であり、その固有の生を生きることである。問題は自然をコピーすることではなくて、自然と同等の固有の生を生きることなのだ。われわれは文学的空想が一つの固有の現実をかたちづくることを信じ、実用主義を望まない。われわれは宣伝を行うために書くのではない。芸術は生と同等に現実的である。そして生と同じく芸術には目的も理由もない。芸術は存在せずにはいられないから存在するのである。

 

優れた批評家、文学理論家であったザミャーチンは、自身の作風をサンテティズム(綜合主義)と称し、リアリズム(現実主義)或いはプロレタリア作品群を批判します。第一次世界大戦争を背景として成されたロシア革命期において、文学は古典主義や現実主義による奴隷的民衆描写ではなく、自由で主体的な表現であるべきとの「ロシア・アヴァンギャルド初期」(プロパガンダ・アート化以前)と同様の主張を行います。「革命の芸術」は「芸術の革命」でなければならない。これが根源となり、「言語による自由な実験」を試みた作品を書き上げます。

 

本作『われら』は1920ー21年に書かれました。共産主義の勢いが高まる中、ザミャーチンはその中に「個を犠牲とした国家」という印象が見え、悩み憂います。これは後のスターリニズムを予兆していたと言え、事実、他の同時代の作家たちも同じような意見の作品を世に出しています。特にカレル・チャペック『ロボット』は、本作とサイエンス・フィクションという点でも近しい属性を持っており、目線は違いつつも、同様の社会に対する危惧がうかがえます。

 

1922年、レーニン社会主義文化大革命による聖職者大量銃殺をはじめ、共産党政権に非協力的な知識人たちに向けて「反ソヴィエト」とレッテルを貼り付け、国外追放や収容所送りなど激しい粛清を行います。そして、プロレタリア派の革命的リアリズムの主張が強制され、非共産党員作家への中傷が始まります。自殺に追い込まれるなど、文学者に対する粛清を周囲に感じながらも、ザミャーチンは戦い続けました。しかし、ついには出版活動を禁じられたため、スターリンの許可を得て国外に出ます。パリに住み着きますが、その後心労もあり、その地で没します。

 

『われら』は、当時のロシア政治体制が「未来科学の恩恵を受けた」世界を描いています。極限的な国家奴隷制として、守護者(秘密警察)が監視しやすいように壁や床、天井のすべてが透明なガラスで作られており、分刻みで行動が決められ、食事の咀嚼回数も規定されています。国民に名は無く、アルファベットと数字で管理されています。そして婚姻関係はもちろん無く、性行為は「セックス・デー」を申請し「ピンクの切符」を発行し、行為相手は国より設定されており、その相手と行為に及ぶ一時間のみ、部屋のブラインドを閉める許可を得ることができます。

これらの、奴隷のような国民をコンフォーミズム(聖性の順応主義)の象徴として描かれており、当時推し進めていた社会主義の危険性を提示しています。

 

この奴隷のような国民の中に「異端者」が存在します。はるか昔に禁止されている喫煙や飲酒を行い、時間律法表の行動スケジュールを違法に掻い潜り、そして主人公D-五〇三号を惑わす女性。このI-三三〇号が今までの「律された正しい生活」を乱し始めます。彼女が原因となり彼に「感情」「衝動」「俯瞰」といった持ち合わせていなかった本能を呼び覚まします。

「まずいことになりましたね!おそらく、あなたには魂が形成されたのです。」
魂だと?それは奇妙な、古代の、長いこと忘れられていた言葉だ。

魂とは「個」であり、人間の核となるもの。これを排された生活を「律された正しい生活」と信じ込ませていく社会主義プロパガンダの危険性を大いに表現しています。

そして魂を取り戻したD-五〇三号に対抗するかのように、国家は「想像力という悪質な能力を除去」することが可能な手術を発明します。これを国の指示で強制します。
I-三三〇号は革命家でした。そしてこの国家の魔の手を逃れるために、D-五〇三号を革命派に招こうと試みます。

『われら』は日記のような「覚え書」で綴られていきます。現実を一日一日辿るように、D-五〇三号の感情起伏が徐々に芽生えて揺れ動いていく様は、典型的なロマン主義で描かれており、感情の無から有へ変化していく描写が「魂」を鮮明にさせていきます。

 

ザミャーチンは『われら』を警告の書であると話しています。

「この小説は人類をおびやかしている二重の危険ーーつまり機械の異常に発達した力と国家の異常に発達した力ーーに対する警告である」

テクノロジーと国家が国民へ求める力は、想像力でも独創力でも個性でもなく、「生産性」である、と物語でも定義されているように感じます。これらの行く末を正すのが「国家の指導者」であり、偏った独裁者であってはならないという教訓の書にも思えます。

 

この『われら』はペレストロイカ以後、1988年にようやくソ連において出版され、翌年に多くの単行本が刊行されました。約七十年もの間、国は民衆を欺き続けたのです。

 

利便性が高まる中、個性が希薄になっているこの社会に、今一度読んでみてほしい作品です。未読の方はぜひ。

では。

 

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