RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『アンセム』アイン・ランド 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

米国議会図書館の調査で「聖書に次いでアメリカ人に最も影響を与えた本」とされた『肩をすくめるアトラス』の著者アイン・ランドによるディストピア短編小説。集団・平等主義が極限まで推し進められた結果、「私(I)」という概念が排除され「われら(we)」に置き換わってしまった遠い未来。主人公は自由を取り戻す闘いに立ち上がる。


ロシア帝国最終皇帝のニコライ二世政権下で領土拡大を目的とした南下政策が行われました。朝鮮半島から満州までの広範囲を目的とした進軍は、同様に進軍政策を進めていた大日本帝国との衝突を生みます。互いに武力行使が激しくなり、1904年に日露戦争が勃発します。ロシア側は次第に劣勢となり、各戦地で敗北を喫し、苦しい状況へ追い込まれました。軍需や食糧をさらに追加しようと試みますが、その影響で都市部の民衆は貧困と強制労働に苦しめられ、帝政に対する不満が募っていきます。それを嘆いた聖職者であるガポン司祭が、民衆への憂いと帝政への怒りを動力源としてペテルブルクで労働運動を起こします。皇帝、官僚、貴族たちに非があるという訴えは、十万人の集団へと膨らんで巨大な請願行進となりました。あくまで平和的な訴えであるとして一切の武装をせず(軍需に回されたことも理由)、各所を帝政へ強く訴えながら練り歩きます。これを制止するため軍は武装して対抗しますが行進の勢いは止まらず、武力行使を行い、街路は血と死者で溢れました。この事件が「血の日曜日」と言われるものです。国を内外から崩されたロシアは立ち行かなくなり、遂にはアメリカが仲裁に入る形で日露戦争を収束し、朝鮮半島樺太の一部権益を日本に譲ることになりました。

国益を大きく減少されたロシアは国内での復興に励みますが、当然のように大衆からの支持を得ることは困難でした。立て直す見通しがつかないまま、第一次世界大戦争へと雪崩れ込んでいきます。ドイツ、オーストリアの猛攻を直接受けたロシアは軍の抵抗も虚しく各戦地を占領されてしまいます。そして食糧や燃料を軍需に回され、民衆は生きることが困難なほどに経済が悪化します。この苦悩は戦争に反対する意識を高め、帝政批判へと繋がります。武器を手に取った民衆は、帝政を批判的に見る兵士たちと結託して武装デモを各地で起こします。このようにして1917年に始まったロシア二月革命により、帝政は追い詰められて皇帝ニコライ二世は退位します。成り代わった臨時政府の主導者として社会革命党(エス=エル)アレクサンドル・ケレンスキーが就くと、戦争は終わるかに思われました。しかしながら、連合国との国際関係を重視したケレンスキーは、民衆が革命に求めた「戦争の即時講和(戦争中止)」の意に反して、戦争の参加を継続させました。怒りを露わにした民衆と兵士たちは、今度は臨時政府に対して抗議デモを行います。このデモの主導者がウラジーミル・レーニンでした。武装弾圧で対抗した臨時政府は「七月暴動」と言われるこの反旗を押さえ込み、レーニンを筆頭とした活動家たちを亡命に追いやります。しかし、その後すぐに今度は軍内部から反乱が爆発して臨時政府を脅かします。ロシアに戻ったレーニン武装蜂起した民衆と兵士たちを引き連れて再び息を吹き返し、臨時政府を占拠して新たな革命を起こします。これが十月革命です。ブルジョワ共和制(臨時政府)から幾つかの共和国の結集を経て、1922年にソビエト社会主義共和国連邦が成立します。レーニンは国内の経済復興と国際社会での貢献を目指して、生産力向上を目的とした自由的な市場経済活性化を図るNEP(新経済政策)を進めました。しかしレーニンの死後に権力を握ったスターリンはこの自由経済を全面的に否定して、社会主義経済を建設し、民衆を貧困と労苦に落とし込んでいきます。


アイン・ランド(1905-1982)は、日露戦争からスターリン主導政権までを、生を受けてから二十年間でその身に体感します。ランドは中産階級ユダヤ人薬剤師の子として生まれ、帝政の恩恵を受けていました。しかし帝政の崩壊に伴い、経営する薬局はボリシェビキレーニン派)独裁によって取り上げられ強制転居をさせられます。臨時政府に匿われる形でクリミアへと内戦から避難しましたが、革命後にサンクトペテルブルクへと戻りました。女性解放の情勢に合わせる形で大学へと入学すると、ランドは思想と哲学の造詣を深めていきます。アリストテレスプラトンフリードリヒ・ニーチェの著作に影響を受けて、自身でも頭の中で哲学を構築していきます。


彼女の中で形成された考えは、やがて一つの思想を作り上げます。1943年に発表した思想小説『水源』で、全面的に表現を試みました。十社以上で出版され七百万部を超えるベストセラーとなった作品には、オブジェクティビズム(客観主義)が表現されて、強固な個人主義者は集団主義社会を凌駕するという訴えが込められています。

オブジェクティビズムの根本は、「絶対的な理性を持って、現実を受け入れ、私欲を見定めて自由を勝ち得る」と言え、自身の行動、自身の価値観、自身の目標を見定める必要があると唱えています。この考えは神への信仰、因習への狂信を否定しています。人間は何かに仕えるために存在しているのではなく、「個」としての尊重を自らで行い、道徳に基づく私欲を満たすために存在すべきであるという主張です。言い換えると「I love you.」を理解してそれを求めるには、「I」(わたし)を主体的に捉えて理解する必要があるという考えです。神の否定は現実の肯定であると言えます。超常的な存在に願いを伝えても叶うわけではありません。願いは自身の私欲として現実に存在し、叶えるために必要な事実を受け入れて、求めるために道徳に基づいて行動しなければなりません。この考えを満たす経済社会は、国家あるいは宗教から分離された「個にとって帰属先のない自由」な環境が必要です。これをランドは「自由放任資本主義」と提唱しています。利益や財産が国家や宗教に帰属せず、自身の私欲を満たすためにあることが可能な社会が、個の人間存在を尊重する環境となり得ると説いています。


ランドは二十一歳で社会主義経済から逃れるように渡米すると、雑多な職を掛け持ちながらも、幸いハリウッドでシナリオライターとして採用されることになりました。また、当時はシナリオと並走する形で作品の執筆にも取り組んでいました。二十六歳で米国市民権取得すると本格的に作品の執筆に取り掛かります。オブジェクティビズムの思想を込めた作品『水源』のプロット構築を綿密に行うものの、困難な作業の中で行き詰まりを感じます。思い悩みながら過ごすなかで手に取った「サタデー・イヴニング・ポスト」に掲載された近未来小説を読んで、サイエンス・フィクションが文芸作品として評価されることを理解しました。そこで、ロシア時代に構想していた戯曲を小説へと作り上げた作品が本作『アンセム』です。

アメリカでは1933年から世界恐慌脱却を目指すニューディール政策が進み、自由主義経済に国家が市場経済に介入するようになっていました。銀行が支配力を持っていた金銀と紙幣の交換制度を廃止して国家に帰属させると、過剰な農作物を海外へ捌いて利益を得る行為を制御し、商工業企業の生産と就労を国家が管理するという、「自由放任資本主義」と真逆な社会が広がっていました。当然のように出版社は難色を示して、思い通りの作品出版には至りませんでした。第二次世界大戦争が終結し、自由主義や解放運動がアメリカ国内で盛んになったことで、ようやく本作が大衆に受け入れられるようになりました。


集団主義、平等主義が突き詰められ、文化レベルが衰退した未来。「わたし」や「あなた」の主体的概念が消滅して「われら」や「諸君」が心身ともに浸透している世界で、「個」を抱いた主人公「平等七-二五二一」が社会から隠れて密かに書き記す独白のように進む物語です。名前が消滅して国家の管理番号のみで呼び交わされ、生涯を命じられた職業から離れることなく、性行為は生産計画に則った交配作業でしかない、毎日のスケジュールを国家の指示に従う生活を、国民は何ら疑いや不満を持つことなく暮らしています。利益を多く望むことは罪であり、他者へ特別な感情を持つことは罪であり、国家に疑いを持つことは罪であり、失われた過去を探ることは罪であり、〈地図に描かれざる森〉に足を踏み入れることは罪であり、国家の指示に従わないことは罪である。全てが管理された社会は利益を均等に分配し、平等による幸福を与えられるという考えのもとで正当化されています。「個」を抱いた「平等七-二五二一」は、自身の気付きを平等社会の貢献に活かそうと試みます。しかし他者との相違や環境の変化は、統制社会が認めません。「個」の制御は、思想、哲学、芸術、開発、経済、福祉、あらゆるものの発展を妨げます。ランドは人間の根源的な原動力として「私欲」を提示します。より良い人生を神に祈るのではなく、「私欲」を理解して道徳的に見定め、現在を生きる自身のために「私欲」を満たす努力をすることが、より良い人生に近づくと訴えています。そして、自己は権力者に都合よく作られた社会に屈することなく、意思を貫き保つことができると作品で描いています。「アンセム」(anthem)とは「神的存在への賛歌」という意味です。神への、あるいは国家への絶対的存在に向けた賛歌として語られた本作は、集団主義を徹底的に批判したものと言えます。そして描かれている大衆に含まれるコンフォーミズム(絶対的なものへの順応性)は、ロシアの辿ったスターリンによる強制社会主義を批判していると考えられます。

人間にとって命とは、兄弟全員のために被る労苦にしか存在しない。だが兄弟たちのための労苦に服していたとき、われらは生きてなどいなかった。ただ消耗しているだけだった。人間にとって喜びとは、兄弟全員と共有する喜びの他に存在しない。だがわれらに喜びを教えたのは、われらが創り出した針金を通る力と、〈金色の人〉だけだ。どちらの喜びも、われらだけに属している。どちらの喜びも、われらだけに由来する。兄弟たちとは何の関係もない。兄弟たちは何の関心もない。だから、わからなくなる。


人間の存在、自己の意味、人生の目的、これらをオブジェクティビズムによって強烈に描かれた本作は、読後に本当の「私欲」を見出すことの大切さを教えてくれます。非常に読みやすい作品となっていますので、未読の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

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