RIYO BOOKS

RIYO BOOKS

主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『華氏451度』レイ・ブラッドベリ 感想

f:id:riyo0806:20230718220836p:image

こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

 

焚書官モンターグの仕事は、世界が禁じている〝本〟を見つけて焼き払うことだった。本は忌むべき禁制品とされていたのだ。人々は耳にはめた超小型ラジオや大画面テレビを通して与えられるものを無条件に受けいれ、本なしで満足に暮らしていた。だが、ふとした拍子に本を手にしたことから、モンターグの人生は大きく変わってゆく──SFの抒情詩人が、持てるかぎりの感受性と叡智をこめて現代文明を調刺した不朽の名作。


1918年の第一次世界大戦争の終結後、アメリカではロシア革命より勢力を現したボリシェヴィキズム(暴動による革命を目指す過激派共産主義)が広がり始めます。戦後の物価高による労働者、人種差別を受けた他民族などが、過激な思想を持った共産主義に賛同して、大きな運動のうねりを作ります。この労働運動を「赤の恐怖」と呼び、一般的な大衆は苦しめられることになりました。しかし、アメリカ国内での経済は戦後の特需によって潤い、景気が回復するにつれてこのような労働運動は影を潜めていきます。民間企業への支援を強め、政府はより一層の保守的な態度を示していきます。これは海外との貿易利潤を軽視することに繋がり、アメリカ優位の海外政策を進めていった結果、アメリカの株式は崩壊していきました。こうして起こった世界恐慌は、全世界を巻き込み、世界経済を混乱させていきます。ヨーロッパの資本主義国、或いは帝国列強諸国はこの混乱により対立を強め、それを凌駕するために軍国主義ファシズムが台頭して第二次世界大戦争へと向かっていきました。


第二次世界大戦争が終結すると、甚大な被害を受けることのなかったアメリカは、戦後の特需を国内の発展へ潤沢に注ぎ込みます。特に参戦した兵士に対して復員兵援護法(GI法)を始めとして、多くの国民を中流階級の暮らしへと押し上げました。家屋、自動車、衣服、ラジオ、テレビなど、生活を潤わせる産業が目まぐるしく発展し、大衆の生活は安定した豊かなものが齎されました。しかし、この恩恵に肖ることのなかった人々の生活は苦しく、社会に大きな格差が生まれていきました。この不満を抱えた国民は、ボリシェヴィキズムによる労働運動の再燃に加担して、更なる「赤の恐怖」を呼び起こします。以前よりも世界的に広まっていた共産主義思想は、格差社会の被害を受けた人々とすぐに結びつき、労働運動はより大きく、より激しく行われていました。この運動の参加者、及び支持者たちに対する取り締まり運動を推し進めたのが共和党上院議員ジョゼフ・マッカーシーです。自身も被害を受けたこともあり、共産主義に対する反対声明を出して、徹底的に共産主義者の排斥を進めます。メディアを用いて国民へ訴え、右翼を煽って共産主義者の密告を募ります。右派であるロナルド・レーガン(俳優であり政治家)、ウォルト・ディズニープロパガンダ映画製作)などは熱心に密告を行い、行動を起こしていない共産主義者にまで範囲を広げていきました。この「赤狩り」は、過去において社会主義共産主義を容認するような行動や発言をした者さえ対象となり、現職の官僚や学者たちまでもが密告されることになりました。この「マッカーシー旋風」は、映画、絵画、文学などの作品にまで及び、映画監督や作家などはもちろんのこと、一般大衆にまで「取り締まられるのではないか」という恐怖の感情が芽生えていきます。


このような行き過ぎた取り締まりと言える「赤狩り」に対して、否定的な感情を強く持ったのがレイ・ブラッドベリ(1920-2012)でした。政府が自らの思想に反する者を徹底的に排斥しようとする密告や処罰は、まさに全体主義的であり、ドイツのナチスが行った取り締まりと何ら違いはないという意見です。全体主義が生み出したドイツでのホロコースト、日本への二発の原爆投下、この再来を自国の全体主義社会が導くのではないか、そのような懸念を抱いて書き上げた作品が本作『華氏451度』です。国家の思想に背く書物を燃やす「焚書」を物語の中心に据えて、全体主義による国民意識の退廃を描いています。


ラジオやテレビが目まぐるしく情報を与える時代、個人の意見や思想は薄められ、民衆は脳内を受動的な思考へと変えられています。「海の貝」と呼ばれるイヤホンを常時付けて、家では壁一面の大型テレビが待ち受けています。与え続けられる情報には感情を刺激するだけの空虚がただ込められており、常時情報を受け続ける大衆は抜け殻のような存在になっています。書物という存在は悪であり、保有するだけでも国家反逆と見做され、保有者を突き止めた者は国家へ密告しなければならないという社会には、焚書官という職業が存在しています。密告を受けると焚書官は急行し、即座に問答無用で全ての書物を焚き上げていきます。この焚書を行う一人であるガイ・モンターグは、自分の職に何ら疑うことなく、書物を焚き上げる日々を楽しみながら過ごしています。しかし近所に引っ越して来た不思議な感性を持った少女と言葉を交わすうちに、彼女の着眼点や考え方、憧れや幸福についての話に心が騒ついていきます。感受性が豊かで、好奇心が旺盛で、幸福について考える、モンターグのなかで存在していなかった感情が少しずつ芽生えていきます。そのような或る日、焚書官として急行した家屋に住む老婆の行動に、彼は彼の持つ価値観を根底から揺すぶられます。どのような脅しにも屈さず、自分の生命を賭して書物を守ろうと、書物が持つ思想や哲学と運命を共にしようと、自らの手で、自らごと、その家屋を燃やし尽くしてしまいます。モンターグは、咄嗟に握り締めた書物を手にしたまま、老婆の行動を目の奥に焼き付けながら、自分の価値観を振り返り、悩み苦しみ始めます。そして、その悩みの根源を明かすものこそ書物ではないのかと考え、禁断の「読書」を始めることになります。


モンターグは、書物の底から得られる思想や哲学に感化され、恐らく失われていたであろう価値観を呼び覚まし、自己の思想を明確にさせていきます。しかし、それは焚書官に許されることではなく、そしてそれに勘付いた上司ビーティの手によって、国家より追われる立場となってしまいました。指名手配されながらも逃げ延びた先は、以前に偶然出会った書物を守ろうとする思想を持った老人のもとでした。モンターグは助けを乞うと、老人の仲間たちが田舎に集い、書物を守る活動を行っていることを教わります。彼は生命を狙われながらも、必死になって辿り着くと、そこには書物を丸暗記した人々が数多く待ち構えていました。彼らは、社会が戦争によって文化の根底が危機に陥り、生き残った人間たちが行く末も見失ったとき、文化の導き手となるために、各人が「一冊の書物」として存在し続ける決意を持って、その到来を待ち侘びていました。


執筆当時に、思想における全体主義が蔓延った近未来を描くということは、第二次世界大戦争での出来事を踏襲していると連想できます。ナチスによる主義の暴力、ソビエト連邦による主義の排斥、国民は国家に反する主義や思想を持つことは許されず、ただ従うことを強いられました。まさにこれと同義の運動をマッカーシーは起こし、国民自らが主義や思想を持つことができない「赤狩り」を遂行しました。ブラッドベリは、彼のような思想を持った作家や社会に訴える映画監督たちを排斥しようとする姿勢に、強い憤りを感じたのでした。そしてマスメディアを悪用した啓蒙と主義排斥の取り組みは、アメリカを全体主義ファシズムへと導き、他国との交戦を予感させます。実際、本作の舞台はジェット機が飛び交う戦争直前の社会です。それにも関わらず、国民は溢れくる娯楽的情報に溺れ、心を空虚なものへと育て上げています。知力の低下と無知の形成は国家の望むものであり、好奇心、感受性、思考、主義を取り上げてしまいます。このマスメディアの隆盛は書籍の需要をより一層無くしていき、国民は書籍自体に関心を持たなくなることで、焚書官の存在を肯定的に受け入れる社会が構築されています。裏を返せば、書籍には、作家の主義や思想が込められており、読者が思考して思想や哲学を育むものであるとも言えます。


描かれる社会で特に恐ろしいと考えられる点は、書物の排斥が特に大きな理由を提示されることなく、そこに住む国民が受け入れているということです。脳内を刺激する娯楽が溢れ、情報が飽和状態にあり、夥しい広告の数に目を奪われ、戦争にさえ関心を持たず、伴侶の死を安易に受け入れることができる「個人」を失った世界。量と速度で押し寄せるテクノロジーの悪用は、自然と国民の意識を空虚なものにし、主義や思想を手放すことに抵抗を無くしてしまいます。本作ではそのような全体主義社会の行く末を、実に直截的に描き、ブラッドベリの抱いた危機感を強く表現していると言えます。

 

ぼくたちが幸福でいられるために必要なものは、ひとつとして欠いていません。それでいて、ちっとも幸福になれずにいます。それには、なにかが欠けているにちがいありません。考えてみますに、ぼくたちの手からなくなったものといえば、この十年か十二年のあいだ、ぼくたちの手で焼きつづけてきた書物だけです。そこで、考えました。この不満を補ってくれるのは書物ではないかと


出版不況と言われ続けて久しいですが、幸い、現在は書物が手に入りやすい環境にあります。しかし、書物に「込められていたもの」は近来では薄れているようにも思えます。焚書という形ではなく、それらが「消滅」してしまうことが無いように祈るばかりです。非常に読みやすく、書物の在り方を考えさせられる本作『華氏451度』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

riyoriyo.hatenablog.com

riyoriyo.hatenablog.com

riyoriyo.hatenablog.com

 

privacy policy