RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『ママ・アイラブユー』ウィリアム・サローヤン 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

あたしの名前はキラキラヒメ。ニューヨーク・ジャイアンツのエースを日指す九歳の女の子。パパと別れてプロードウェイのスター女優を夢見るママ・ガールに連れられて、ある夜突然、カリフォルニアからニューヨークへやってきたの。気まぐれなママ・ガールは、興奮したり悩んだりで大忙しだけど、あたしはそんなママ・ガールが大好き。この街で一緒に、夢を追いかけてゆくの……。

 

第二次世界大戦争を経た1950年代のアメリカは、戦争被害が比較的小規模であったことから、世界各国が戦禍からの快復を進めるなか、戦争で得た特需を存分に国家成長や経済発展に注ぐことができました。元軍人たちには復員兵援護法(GI法)を中心に衣食住を豊かに与えて、中流階級の暮らしを支援します。大多数の国民はこの恩恵に恵まれ、国家の経済的な成長と訪れた平和を味わいながら、幸福な生活を堪能することができました。しかしながら、その恩恵を与えられなかった人々と大きな社会格差が生まれてきます。病人や怪我人などの戦地へ軍人として向かえなかった者、肌の色によって人種差別を受けていた者、男女差別を受けていた者、抱く思想によって排斥されていた者、劣悪な労働環境による貧困に苦しんでいた者など、多くの人々が経済成長が齎らした格差に不満を募らせていきます。特に顕著であった要因は「GI法の人種差別的な態度」です。同じ退役軍人でありながら、アフリカ系アメリカ人をはじめとする有色人種の人々は、白人と同等の報酬を与えられませんでした。現在にまで及ぶアメリカで拡がる社会格差は、この時にさらに広げられました。この問題は、経済格差という側面から「人権の尊重」という方向へ発達して、第一次世界大戦争以前から存在する人権社会の問題へと波及していきます。同時期に発達したボリシェヴイキズム(暴力を伴う革命を目指す共産主義)運動とも問題は重なり、移民たちの迫害、男女差別などと「人権を政府へ求める」という共通の思想が巨大な労働運動となって現れました。


黒人の人種差別問題において指導者となったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアキング牧師)の率いた公民権運動では、白人も含めた支持者が溢れ、「人権」についての国民の見方が変化していきました。国民は各地で行われる労働運動に恐怖することもありながら、「個の尊重」という意識を強く持ち始めていきます。アメリカ黎明期に掲げられた「アメリカン・ドリーム」の真の意味での実現を望む風潮が強まりました。このような思想は芸術にも影響して、国民へ向けた作品が多く生み出されました。


ウィリアム・サローヤン(1908-1981)の両親は、アルメニア大虐殺が行われる少し前にアメリカへ移民してきました。父を早くに亡くし、移民であることから頼る先も少なく、貧しい家庭であったことで孤児院へと預けられます。五年後、缶詰工場の女工となった母に迎えられると、十二歳から電報や新聞の配達などを行って働きながら暮らします。彼は母親に見せられた父親の著作を見て、作家という職業への志を抱き、執筆を試みて雑誌への投稿を始めました。そして二十六歳のときに、同名の十九世紀の歌から書いた『空中ブランコに乗った若者』が認められて、一人の作家として歩んでいきます。数年後にはブロードウェイで成功を収め、『君が人生の時』(The Time of Your Life)でピューリッツァー賞を受賞しました。しかし、サローヤンは商業が芸術を評価するべきではないとして、受賞を辞退しました。この当時の彼の作品には世界恐慌による苦難を受けた「絶望感」や「倦怠感」に溢れていました。彼の作品には詩的に飾られた自伝的要素が多く散りばめられています。彼が抱いた苦悩や試練が印象派のような散文で描かれ、やがて「サローヤン風」と称されるほど読者に認められていきました。


サローヤンは若い作家へのアドバイスとしてこのように語っています。「深呼吸を身につけなさい。食べるときは食べ物の持つ真の味を味わい、寝るときは深く眠るように。できるだけ全力を尽くして余力を残さぬように生きるように努めなさい。そして笑うときは、身が捩れるほど笑いなさい。」

物事を自分が主体となって、どのように受け止めて、どのように感じるのか、そしてそれが自分にどのような影響を与えるのか、といったように、自身の感受性を重視して物事を流さず、流されないように努めていました。そのようにして育まれた観察眼が、時代を切り取ったような物語とその描写を生み出し、自伝的な要素を含めながらも詩的な散文が出来上がっていきました。


1943年にサローヤンは女優のキャロル・グレイスと結婚します。数年の結婚生活で二児をもうけましたが、サローヤンの賭博とアルコールに溢れた暴力的な性格が理由となって、一度は復縁するものの、結果的に離婚しました。このキャロル・グレイスはトルーマン・カポーティティファニーで朝食を』のホリー・ゴライトリーのモデルとなった人です。彼女の、自己を重んじ、束縛を嫌い、欲しいものを欲しいと唱え続ける性格が踏襲されて描かれています。そして本作『ママ・アイラブユー』では、主人公キラキラヒメ(Twink)の母親であるママ・ガールも、彼女をモデルとして描かれています。本作はまさに、彼の自伝的要素が詰まった作品であると言えます。


キラキラヒメとママ・ガールは二人でカリフォルニアで暮らしています。ママ・ガールの別れた夫パパ・ボーイとキラキラヒメの兄ピートはパリでそれぞれ音楽活動を行っています。ママ・ガールは鳴かず飛ばずのテレビ女優で、大女優になることを夢見ています。彼女たちは或るきっかけから大物プロデューサーへ売り込みにニューヨークへ向かうことになりました。そこで気に入られたのはキラキラヒメ。心底から喜ぶことができないママ・ガールでしたが、彼女は才能ある新人作家に気に入られ、二人揃っての大抜擢となります。そこから彼女たち二人の舞台へ向けた奮闘が繰り広げられていきます。僅か九歳のキラキラヒメは、舞台に立つこと、演技すること、成功させたいと願うこと、全ての努力はママ・ガールに喜んで欲しい一心で直向きに取り組みます。キラキラヒメの言動には常に母親への愛が溢れ、読む者へ爽やかな心地よさを与えます。


本作で幾度となく発せられる「自尊心」という言葉は、登場する人々の核となる重要な価値観であり、自らも最も大切にしている生きる標となっています。「個の尊重」を誰もが重視し、その個を認められたいという思いが様々な角度から訴えられています。それは、子である前に、親である前に、何より自分であるという考えであり、度々彼女たちも「友だち」という表現で語り合います。それは、子であるから親を愛す、親であるから子を愛す、ではなく、個が個を愛するという強い意思が、自他ともに諭すように語られています。パパ・ボーイとの関係性も、個を重んじるが故に別れ、個を重んじながら関係を継続する、そのような家族の在り方が描かれています。しかし九歳のキラキラヒメにはその思考は理解に至りません。やはりひとつ屋根の下に家族四人で暮らしたい、もっと家族が増えるといい、そのような願いを吐露する場面は、ママ・ガールへの愛に挟まれた切ない感情が滲み出ています。また物語後半でのパパ・ボーイのキラキラヒメへの愛情表現は実に美しく、紳士的で父親的です。これはサローヤン自身が自己を正当化したいという思いも垣間見えますが、物語は劇的に進行して、見事な読後感を齎してくれます。

 

誰だって病気のときは、自分をなくしてしまう。ほんのちょっとの間だけね。それが病気ってものなんだ。いきなりきみがいなくなるから、きみはほしがる……いろんなもの、なにもかもをね。……だけどきみが、ほんとうにほしがってるものは、いつも、きみ自身だ。きみが愛を持ってたら、それだけでいい。……きみ自身と愛だ。


アメリカという国の成り立ち、文化の進み方、それらが与える国民個人への影響は、「個の尊重」という価値観を強く根付かせています。アルメニア系の移民であったサローヤンは、この文化による苦悩を多く受け取っていました。その生い立ちからも、差別的な苦心を探ることができます。他民族国家であるからの問題は、個人の意思を強く持ち、個人の理想を強く唱えることが必要です。本作に登場する人物たちは、多種多様に主張します。それは、個の発散とも言え、当時の社会において国民すべてが強い熱量で持っていたのだと考えさせられました。

 

英語で育てられるということは生ま易しいことではない、と私は思う。どんなにやさしかろうが、物判りがよかろうが、それは親が自分の自我を小さくして子供と一体化してくれるということではないのだ。親と子供の間といえども、ことごとにアイやユーが立ちはだかる、差異と対立の世界であり、父親はそのような言語の世界の代理人であるがゆえにこそ、その存在そのものが、母親と幼児を容赦なく引き裂くものとして機能するのだ。

伊丹十三 訳『パパ・ユーア クレイジー』訳者あとがき

 

演劇の舞台裏やその事情や関わる人々の心情が、現実的に、それでいて詩的に描かれており、興味深く読むことができる作品です。「個の尊重」を爽やかに描いた本作『ママ・アイラブユー』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

 

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