RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ 感想

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こんにちは。 RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

名刺の住所は「旅行中」、かわいがっている捨て猫には名前をつけず、ハリウッドやニューヨークが与えるシンデレラの幸運をいともあっさりと拒絶して、ただ自由に野鳥のように飛翔する女ホリー・ゴライトリー。彼女をとりまく男たちとの愛と夢を綴り、原始の自由性を求める表題作をはじめ、華麗な幻想の世界に出発し、多彩な作風を見せるカポーティの作品4編を収める。

1918年に迎えた第一次世界大戦争の終結から、アメリカではロシア革命に端を発するボリシェヴィキズム(暴力革命を掲げる過激派共産主義)が広がり、統制の取れた革命思想を持つ労働者たちが無政府共産主義的な運動を政府に向けて起こし始めます。戦後の物価高による労働者の反発、人種差別による他民族の反発が、この気運によって拍車を掛け、「赤の恐怖」(Red Scare)と呼ばれる激しい労働運動の恐怖が大衆に広がっていきます。しかし、国として見た側面では戦後の特需と貿易の発展により徐々に景気が回復し始めたため、労働運動も1920年には落ち着きを取り戻し始めました。数年間続く好景気に政府は保守的な態度を取り続け、民間企業への支援を中心に経済維持を図ります。これにより、実際に経済の多くを支えていた海外貿易の利潤は軽視され、ヨーロッパ諸国に対してアメリカに有利な貿易条件を提示し続けます。健全な貿易は発展せず、株式市場が不活性化して、遂には貿易利潤も崩壊して世界恐慌へと導かれていきます。


第二次世界大戦争を経て、アメリカはまたも戦争特需に見舞われます。甚大な被害を受けることのなかったアメリカは発展に特需を充当することができました。復員兵援護法(GI法)を皮切りに多くの大衆は恩恵に与り、中流階級の潤った生活を取り戻します。しかし、恩恵に与ることができなかった人々は、やはり労働運動を発起します。そこに国際的に拡大していた共産主義運動が労働運動に手を貸す形で蔓延し、再び「恐怖の赤」が再燃します。共和党上院議員ジョセフ・マッカーシーは自身も被害を受けたことから共産主義に対して反対姿勢を声明し、共産主義者を排斥しようと尽力します。メディアを活用して国民の理解を募るなか、右翼を煽って共産主義排斥運動「赤狩り」を押し進めます。ロナルド・レーガンウォルト・ディズニーなどの右派から密告を受け、次々に過激な排斥行動をとっていきました。党として国民の支持を得るために共和党マッカーシーの言動を露出させていましたが、国民はやがて行き過ぎた煽動者と見るように変わり、党もろとも失脚を免れない状況に陥りました。国民感情は過激派労働運動から、本質的な権利の主張へと変遷し、アメリカン・アナーキズムは無政府平和主義へと形を変えていきます。そして1960年に入ると民主的社会を目指す学生を中心としたニューレフト(新左翼)が活性化し、言論主義、環境保護、性差別撤廃、人種差別撤廃など多くの主張が高まりました。この主張手段として文化や芸術を用いたことからカウンター・カルチャーへと発展していきます。


1958年に発表されたトルーマン・カポーティ(1924-1984)の中篇小説『ティファニーで朝食を』の中で「いやな赤」という表現が幾度も繰り返されます。舞台は1943年の秋、第二次世界大戦争の真っ只中。語り手の「私」が翻弄されながらも親愛を深めていく魅力的な女性、ホリー・ゴライトリーが二人の会話の中で発する言葉です。

ダイヤなんて、ほんとうに年をとった人がつけないと、ぴったりしないもんよ。それに危険でもあるし。マリア・オウスペンスカヤみたいに。皺だらけで、骨ばって、白髪頭だと、ダイヤもひきたつのね。あたしそんなになるまで待てないわ。あたしがティファニーに夢中になっているのは、宝石のためじゃないの。よくきいて。あんただって、あのいやな赤がはびこった頃のことおぼえてるでしょ?

当時のアメリカに根付いた共産主義の象徴的意味合いを持った「赤」ではあるものの、ホリーの発言からは「押し付けられた主義」のような印象を受けます。単純に共産主義を拒否する感情ではなく、自己を失うことから逃れたいという願望が見えてきます。これは当時に活性化していた女性の社会進出、権利保護といった気運さえも彼女は「思想の束縛」と捉えて、それらもやはり拒否しようとする姿勢が見られます。


ティファニーで朝食を食べる」という表現も、ティファニーにダイニングなど無かったことから、彼女の希望の象徴表現であると言えます。「ティファニー・ブルー」というブランドカラーは駒鳥の卵の色から発想を得ています。イギリスでは春を告げる駒鳥を「幸せを呼ぶ鳥」と言い、真実や高潔の象徴とされています。

「いやな赤」から逃れて自由を求め、「ティファニー・ブルー」の自身にとっての真実の幸せを夢見る、そのような憧れが込められています。この一貫した志を持った女性としてホリーを捉えながら読み進めると、奔放で身勝手で自虐的な言動も一つの主義のもとに行われていることが伝わってきます。


また、飼い猫に名前をつけない、或いは鳥籠に小鳥を入れることを許さないという信念は、ホリーの束縛を拒否する意志表現です。そして属するものを持たないように人から離れることも、家族という束縛から逃れようとする考えからと受け止められます。世間から見た「当然の幸福」さえも、彼女の自我にとっては枷でしかなく、本能とも言える個の意志を尊重しようと行動していきます。郵便受けの名刺に記されたトラヴェリング(旅行中)という文字は、安住を拘束と捉えている彼女の主張に他なりません。

映画スターになることと、大きな自我を持つこととは並行するみたいに思われてるけど、事実は、自我などすっかり捨ててしまわないことには、スターになどなれっこないのよ。といっても、あたしがお金持になり、有名になることを望まないというんじゃないの。むしろ、そうなることがあたしの大きな目的で、いつかはまわり道をしてでも、そこまで達するようにつとめるつもり。ただ、たとえそうなっても、あたしの自我だけはあくまで捨てたくないのよ。ある晴れた朝、目をさまし、ティファニーで朝食を食べるようになっても、あたし自身というものは失いたくないのね。


カポーティは女性の社会進出ではなく、女性の「真の解放」を求める姿勢を本作で描いています。男性の補助的な立場、家庭内で務めを果たす存在といった風潮は、市民運動が活性化しても大衆の持つ女性に対する印象を劇的に変化させることは困難でした。目に見えない「個としての束縛」から逃れようと自己を持ち続けて、ただ思うように生きようとした姿がホリーの言動に投影されています。映画女優としての成功、上流階級の妻となる幸せ、安息を得られる機会を悉く逃すように見える彼女の奇行は、心に抱く個の尊重が齎したものとして得心がいきます。


社交界で道化のように振る舞い、世間へ話題を振り撒き続けたトルーマン・カポーティ。そしてゲイという緻密で繊細な心の持ち主だからこそ、「女性の本質的な自由」を求める希望に共鳴できたのかもしれません。切ないながらも希望を失わない物語は、読むものの心に強く響くものが含まれています。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

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