こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
科学の進歩によって膨大な規模となった第二次世界大戦争は、空想でしか思い描くことがなかった恐ろしい荒廃の広がる戦禍を齎しました。人々に与えた恐怖は、その物理的被害だけではなく、戦禍を生み出した全体主義やファシズムそのものが持つ危険性も明るみにしました。このような現実は娯楽的存在であったサイエンス・フィクションという文学区分に強い影響を与え、「思想」を盛り込んだ濃度の高い文学作品を次々と世に発表していきます。非現実として切り分けていた大規模な恐怖や未知の冒険は、人間の支配欲や征服欲が備わったものとなり、現実世界での未知を描くように変化していきます。そこには作家たちの持つ主義や思想、或いは諷刺が込められて、読む者へ共感や啓蒙を意識した作品が多くみられました。恐ろしい戦争から1960年代にかけてこのようなサイエンス・フィクションの成長がおこりましたが、特にこの風潮を牽引した三人の作家がいます。戦時中に務めたイギリス空軍技師の経験と知識を活かして、近未来の科学的進歩を中心に作品を描いたアーサー・C・クラーク、科学や歴史など脅威の知識量で幅広い作品群を生み出したアイザック・アシモフ、娯楽的位置付けにあったサイエンス・フィクションを文学へ導こうとしたロバート・A・ハインライン(1907-1988)、この三人が活躍した「真のSF黄金時代」によって、サイエンス・フィクションの常識とされていた風潮を打ち壊し、新たな(そして現在へと繋がる)時代を築き上げました。
この時代の大きな盛り上がりを見せるサイエンス・フィクションは、専門雑誌を多く生み出して、所謂SF作家を多く輩出します。作中で繰り広げられる規模や科学はエスカレートを続け、良し悪し問わず、さまざまな世界を舞台にした作品が量産されました。そのような風潮のなか、ハインラインは一般誌(サタデー・イヴニング・ポストなど)に連載し、あくまで「文学の土俵」を貫こうとしました。そこには奇抜な着想や空想妄想の迫力だけではなく、登場人物たちが繰り広げる物語や思考に作品の核が置かれています。また、その執筆姿勢は非常に好戦的であり、政治問題を諷刺的に描くことで世に衝撃を与えることも多くありました。当然ながらサイエンス・フィクションに備えられる科学の基盤や未来予測は扱われていますが、彼はそのような点に重きを置かず、登場人物たちの思惑や対話に重点を置いて「人が主導」となる作品を描いています。
本作『夏への扉』は、1957年に発表されました。舞台は1970年と2000年という現在と過去で構成されていますが、発表当時は双方ともに未来を描いたものでした。
素晴らしい発明の才能を持ったエンジニア技師ダンは、親友の弁護士マイルズとともに家庭用家電の開発販売会社を設立して順調な成長を見せていました。そこへ美しく敏腕な秘書ベルが雇用され、二人の関係は引き裂かれていきます。もともと開発と販売の点で衝突し合っていたダンとマイルズに付け入るような形でベルが介入し、ダンと婚約関係を結んでいたにも関わらず、マイルズを唆して会社を乗っ取り、ダンを追い出してしまいます。愛猫ピートと幾許かの金銭だけが残されたダンは、開発もできずにアルコールへと逃れます。現在に希望を見出せなくなったダンは、逃避的思考からコールドスリープ(冷凍睡眠)をして、三十年後の未来へ行こうと決意します。出発前にやり残したこととして、会社を追い出されて手元に残っていた株券を自分を慕ってくれていたマイルズの継娘フレデリカへと譲渡し、マイルズにベルの危険性を忠告するために対峙しようと向かいます。しかし、そこにはベルも待ち構えており、危険性を明るみにしようと半ば想像で話し始めたことが的中し、ベルが本性を表してダンに危険な薬物(思考を放棄させるもの)を注入しました。愛猫ピートの奮闘によりマイルズとベルは傷だらけになりましたが、ダンは正気を取り戻すことはなく、自白させられたコールドスリープ計画を悪用されて、朦朧とした意識のまま三十年後へと送られました。2000年に目覚めた彼には金銭も無く、変化した社会のなかを当ても無く過去の繋がりを探します。しかし、未来に広まっていた万能型ロボットはダンの構想と非常に似通っており、持ち前の開発の才能を奮起させて未来でも立ち回っていきます。未来の技術を研究するうちに、幾つもの開発製品が自身と同名の人間が特許を持っていることを突き止めます。そして友人が漏らした言葉からタイムトラベルが現実(未来の)に行われたということを聞き、一つの仮説を組み立てました。そして、過去へと戻り時間を辿る計画を立てて実行しようとします。
本作は「六週間戦争」という核兵器を用いた戦争後の世界を舞台としています。アメリカの東部は荒廃し、国民の多くは首都を西部デンヴァーへと移して暮らしています。コールドスリープの技術は多くの軍人を蓄え、戦争勃発の際に即時戦場に投入できるようにするためのものでした。また、ベルが用いた思考を放棄させる薬物は、戦時中に尋問する強力な自白剤として開発されました。この自白剤には思考を停止させ、命令を強制的に受け入れさせる効果を持っており、つまり、この薬物を注入されたものはコールドスリープさせられて備蓄兵として活躍させられるという、恐ろしい軍事作戦がこの未来では行われていたことを示唆しています。
描かれた物語の主題は復讐的ではありますが、ダンの言動からはその側面以上に「未来へ自分の人生を取り戻しにいく」という意思が強く見られます。タイムトラベルには必ず現れるパラドックスの問題がありますが、その点も考慮しながら描かれており、そのような矛盾などに煩わされることなく物語を楽しむことができます。また、かなり苦しい立場に追いやられるダンですが、全体を通して楽観的な空気が漂い、前向きに歩もうとする姿勢を感じさせてくれます。
過去を変えて未来を望むように改変しようという試みはタイムトラベルの中心的な主題ですが、本作は未来に合わせるように過去(現在)を導こうとする考え方で過去へ向かいます。自分が事象を改変するという近い未来の事象を半前提的に捉えて、その後改変されていく事象の連なりを時間的な意味での未来に委ねるという行動は、パラドックスを逆手に取って望む未来へ現在を促しているようにも感じられます。時間を遡ることが技術的に可能となったことで未来から見た過去も、過去に未来が干渉する(或いはした)事実によって、当時の現在から未来を予測した事態と未来からその現在までの過去とは、大きな変化が生じているとしても不思議ではありません。つまり、未来へ辿り着いたからこそ、その時点での技術の「可能性」を踏まえた過去が出来上がり、過去からでは想像でき得なかった未来が創造されている、という考え方ができます。
この物語の終幕で重要な役割を担うダンとフレデリカの恋愛関係ですが、当時はこの倫理観において文壇では物議を醸しました。ダンにとっては元親友マイルズの継娘は擬似姪のような感覚だという独白がありますが、実際的には完全な赤の他人であり、フレデリカは十一歳です。二十歳近く離れている少女に対して、真剣に愛を感じ、真剣に愛を求め、求婚して未来で結ばれることを約束する行動は、純愛的な美しさを感じられるのかもしれませんが、当時の時代背景を鑑みてもやはり違和感を覚えます。まだ心が成熟していない少女に近付き、強制的な愛を押し付けていると捉える読者が多くあったことは致し方ないと言えます。
とは言え、ハインラインの未来予測を読むという意味では、本作の読書は大変楽しませてくれます。現代において実現されたルンバや食器洗い乾燥機を、1957年の時点ですでに予測していたことには驚かされます。また、2000年には風邪という病気が無くなるといった考えは、大きく現実とかけ離れており、ハインラインの独創性を楽しむことができます。本作は読み物といった点で非常に優れており、読む者をすぐに物語の世界へ引き込み、臨場感たっぷりに満足を与えてくれます。そして、当時の時代、当時のサイエンス・フィクション熱を伝える、いわば「タイム・カプセル」のような印象を持っています。現在から見ると2000年さえ過去になりましたが、本書は我々に大きなインスピレーションを与えてくれます。ハインラインの未来予測が当たっているか否かではなく、その予測を現在の我々が見て(読んで)、我々自身の持つそれぞれの世界観を広げ、現代を生きる糧とすることが最も意義があることのように思われます。
ぼくはかつて共同で事業をした、そしてものの見事に騙された。が──なんどひとに騙されようとも、なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。まったく人間を信用しないでなにかやるとすれば、山の中の洞窟にでも住んで眠るときにも片目をあけていなければならなくなる。いずれにしろ、絶対安全な方法などというものはないのだ。ただいきていることそのこと自体、生命の危険につねにさらされていることではないか。そして最後には、例外ない死が待っているのだ。
どれほどの技術や科学の進歩があったとしても、人間同士の関わりというものは消えるものではなく、その関係に対して自分がどのように向き合うのか、向き合っていくのか、ということが最も重要であると諭すのと同時に、それを前向きに持っていこうとするハインラインの筆致には、最終的な感動を裏付けする力強さが備わっています。非常に読みやすい作品である『夏への扉』、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。