RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

32歳になっても、幼児の知能しかないチャーリイ・ゴードンの人生は、罵詈雑言と嘲笑に満ちていた。昼間はパン屋でこき使われ、夜は精薄者センターで頭の痛くなる勉強の毎日。それでも、人のいいチャーリイは少しも挫けず、陽気に生きていた。そんなある日、彼に夢のような話が舞いこんだ。大学の偉い先生が、頭をよくしてくれるというのだ。願ってもないこの申し出に飛びついたチャーリイを待っていた連日の苛酷な検査。検査の競争相手は、アルジャーノンと呼ばれる白ネズミだ。脳外科手術で超知能をもつようになったアルジャーノンに、チャーリイは奇妙な親近感を抱きはじめる。やがて、脳外科手術を受けたチャーリイに新しい世界が開かれた。だが、その世界は、何も知らなかった以前の状態より決してすばらしいとは言えなかった。今や超知能をもつ天才に変貌したチャーリイにも解決しがたいさまざまな問題が待ちうけていたのだ。友情と愛情、悲しみと憎しみ、性、科学とヒューマニズム、人生の哀歓を、繊細な感性で描きだす感動の1966年度ネビュラ賞長篇部門受賞作。

1950年代のアメリカは第二次世界大戦争における無傷の戦勝国として、経済面を中心に世界を牽引していきます。大統領のハリー・S・トルーマンは燻るソビエト連邦を冷戦で封じ込める政策と同時並行して、国内の安定と成長を見据えます。世界の指導者としての裏付けにもなる爆発的な経済効果は、公共支出の特需が後押しした形で豊かな国を作り上げました。国民の大多数が中流階級となり、自動車、テレビ、家など文化や娯楽に満たされた生活を送ります。しかし、そのような恩恵を受けることなく人権を排除され続けたアフリカ系アメリカン達は蜂起し、公民権運動を起こします。この運動にトルーマンは理解を示し、国政でできることはないかと模索します。彼の主な政治理念はフェアディール政策に織り込まれました。これに提示した二十一ヶ条は、経済の発展と社会福祉に関する行動に重点を置かれました。トルーマンが演説で述べた有名な言葉です。

まともな住宅を持つ権利、教育を受ける権利、満足な治療を受ける権利、価値ある仕事に就く権利、投票を通じた公的な意思決定に対する平等な機会を持つ権利、公正な法廷で公正な裁判を受ける権利を、あらゆる人が持たねばならない


1950年に改正された社会保障法は、戦争に起因する身体障害者を中心に幅広い保障を受けることができるようになり、デンマークより広まったノーマライゼーションの理念がアメリカ国内でも浸透し始めます。しかし精神疾患においては、精神衛生法の制定により医学研究の幅は広がったものの、福祉の直接的な恩恵は少なく、施設運営も限られた予算にて行われている状況にあり、満たされた保障とは言えませんでした。第二次世界大戦争が終わっても、抱えた精神疾患は癒されることはありません。50万人を超える精神疾患者を収容する国立の精神病院の数は、わずか350箇所程度でした。

作中で「ワレン」と訳されているウォレン養護学校も保健教育福祉省に帰属する施設のひとつでしたが、実態として、当時の養護学校とは「障害者コロニー」と言われる隔離施設でした。そこに一度入れば出てくることはなく、最期までここで生涯を過ごします。いわゆる「墓場」のような扱いで、障害を持った家族を入所させるのでした。


1930年代の医学研究において精神疾患の改善手術が開発されます。神経学者ウォルター・フリーマンと神経外科医ジェイムズ・ワッツによる前頭葉切除術「ロボトミー手術」です。二人はこれを「フリーマン・ワッツ術」と名付けます。

一定の精神安定が見られたこの手術は、戦後に増加した精神疾患者たちに比例して症例が積み重なり、世界へと広がっていきます。しかし失敗の症例も多く、早い段階で危険性を訴える声が上げられましたが医学会内では黙殺されることとなります。


その後、1961年にジョン・F・ケネディが大統領に就任しますが、彼の妹であるローズマリーケネディロボトミー手術による失敗で脳機能障害をおこしていました。ウィスコンシンの修道校セント・コレッタで隔離されながら暮らしました。妹のユーニス・ケネディ・シュライバーは十年間ものあいだ、ローズマリーの居場所や生死を知ることができませんでした。

この事実が公になるとケネディ大統領は「妹を墓場へ放り込んだ」と糾弾されます。国民の支持を維持するため、大々的に精神障害者施設を支援することを表明します。そして、1963年に「精神病及び精神薄弱に関する大統領教書」いわゆる「ケネディ教書」を発表し、福祉政策を具体的に実現させました。この効果は、精神障害者をコロニーに隔離するといった隔離政策から、脱施設化へと方針が転換されることになりました。


ダニエル・キイス(1927-2014)が執筆した本作『アルジャーノンに花束を』はサイエンスフィクションですが、環境がどこまでも現実的で実世界との境界線を見失うほどのリアリティです。そして繰り広げられる作中世界も現実世界と状況がリンクします。神経学者ウォルター・フリーマンと神経外科医ジェイムズ・ワッツの二人組は、作中のニーマー教授とストラウス博士、そしてユーニスがローズマリーの生死を知らされない点は、チャーリイの妹ノーマと結びつけてしまいます。

作中で提起、あるいは想起される問題は現実でも問題視されている事柄であり、サイエンスフィクションであるからこそ、問題として仮定された恐怖を読者に与えることができる秀逸さを持っています。そして読後に抱く感動は、恐怖と問題意識を蘇らせ、自己、自我、自立、自意識などを改めて考えさせられます。


1960年代にエド・ロバーツが牽引した「自立生活運動」は障害者の主体性を尊重するもので、介助や温情を受けて責任や義務から解放される生活を良しとせず、人間として自立し、個人を尊重することを目指す目的とした運動です。ここで掲げられる理念「自立とは自己決定である」は、チャーリイの最後の決断からも感じ取ることができます。自分で判断出来なかった彼は、最後に自立できたと言えるのではないでしょうか。


本作では、社会に適応する「利口さ」を身につける教育ではなく、適応が困難な精薄者へ「歩み寄る社会」を構築することが必要であると感じさせます。そしてその社会が精神障害者に生き甲斐を見出させ、社会における役割を果たすような生き方を可能にすることをこそ重要視するべきであると思います。

また、知識を得る教育とともに、道徳を育ませる教育の必要性を訴えているように感じられます。

知能だけではなんの意味もないことをぼくは学んだ。あんたがたの大学では、知能や教育や知識が、偉大な偶像になっている。でもぼくは知ったんです、あんたがたが見逃しているものを。人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんてなんの値打ちもないってことをです


名作であり、今もなお色褪せない鮮やかさを保ったサイエンスフィクション作品は、未だ解決に至らない福祉的な問題、精神自立的問題、コンプレックス的問題を問い続けています。

未読の方はぜひ読んで、考えさせられてみてください。

では。

 

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