RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『犬と独裁者』鈴木アツト 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

革命時代のソ連を生き、小説『巨匠とマルガリータ』を遺したミハイル・ブルガーコフは死の前年、「モスクワ芸術座」の依頼で、独裁者スターリンの評伝劇を書き上げるも、上演禁止の告を受けた。この史実をもとに、文学者が独裁者の評伝劇を書き上げるまでの葛藤を、想像力豊かに描出した戯曲。


1917年の十月革命より、ロシアではレーニンが導くボリシェヴィキが独裁を実現させ、世界最大の社会主義政権であるソヴィエト連邦が発足しました。このときにレーニンの片腕であったヨシフ・スターリンが書記長となり、その後、レーニンから権力を継承する形でソ連の独裁的権力を握りました。「一国社会主義論」を掲げるスターリンと、「世界革命論」を主張するレフ・トロツキーが、共産党の主導権を争って国政を不安定にさせていましたが、スターリンは対抗勢力を次々と排除して党の主幹を支持するもので固め、1929年にはスターリン政権と言われる独裁政権を確立しました。スターリン社会主義国家建設のため(世界大恐慌という経済改善の必要性もありましたが)、第一次五カ年計画、第二次五カ年計画と十年にわたる「工業や農業の集団化」を目指しました。これに反対する政治家や団体は徹底的に排除され、批判的な意見を持つ一般人も投獄されていきます。やがて処罰は激しくなり、シベリアへの強制収容による労働や死刑が与えられました。やがてスターリン政権は国政から崇拝へと変えられ、1936年にはソヴィエトにおける社会主義化の完了を告げる「スターリン憲法」が制定されました。


1939年にドイツがポーランドへ侵攻して第二次世界大戦争が勃発した際、ドイツと不可侵条約を結んでいたソヴィエトは国軍を送って支援しましたが、1941年にドイツは東方への勢力拡大のために突然ソヴィエトとの不可侵条約を破り、両国での戦争が始まりました。この経緯によりソヴィエトは、イギリスとアメリカへ連携を図り、連合国へと加わって終戦を迎えます。ドイツの降伏による領土分割にソヴィエトは参加して東ドイツ社会主義政権として樹立させましたが、アメリカ側の資本主義政権との対立を明確にしたことで、東西の主義相違による「冷戦」(冷たい戦争)が長く続くことになりました。


国内において、第二次世界大戦争の終結は圧迫された心身を解し、政府より抑圧され続けたプロパガンダによる強制やスターリン政権の崇拝から解放されたように錯覚しました。奴隷のような社会主義生活から、思想の緩和が図られるのではないかという「自由への憧れ」が高揚しました。しかしながら、冷戦におけるソヴィエトとしての姿勢を改めて表明するために、スターリンは1946年の公式演説のなかで「資本主義との対決姿勢」を改めて表明し、戦前のイデオロギー回帰、つまりは社会主義政権への崇拝を共産党としての方針として打ち出しました。これによって、国民の思想はより一層に厳しい統制が敷かれるとともに、反思想的または反体制的な言動は立場に関わりなく厳しく処罰されていくことになりました。


この思想の統制は当然ながら芸術に影響を強く与えます。スターリンの「資本主義との対決姿勢」表明を受けて、党中央委員会が決議し、文化政策担当政治局員のアンドレイ・ジダーノフが演説を行いました。まず糾弾されたのは文学でした。文芸サークル「セラピオン兄弟」の代表諷刺作家ミハイル・ゾーシチェンコと、銀の時代「アクメイズム」の代表的詩人アンナ・アフマートワが名指しで槍玉に挙げられ、「無思想で頽廃的な体制に対する反動文学」であると批判します。しかし実際としては、もともと「セラピオン兄弟」は政府のプロパガンダ文学を拒否した作家たちによる活動であり、「アクメイズム」もオシップ・マンデリシュタームなどに見られる芸術としての自律性を追求した活動であったため、ジダーノフが「プロパガンダを受け入れずに己の芸術性を尊重する姿勢」を徹底的に否定しようとしたのだと考えられます。そしてジダーノフは、「文学は社会主義思想の建設において、青年の士気を高めるものであらねばならぬ」という社会主義としてのリアリズムを国民へ強制しました。


このような「ジダーノフ体制」(文化統制政策)はスターリンが亡くなるまで(1954年)継続され、音楽、演劇、絵画などの芸術全般に締め付けを与え続けました。この姿勢は徹底したもので、西側の文化影響を受けた作品は全て排斥され、ソヴィエト独自の文化を尊重するように抑圧し、その認められるソヴィエト文化はプロパガンダに迎合したもののみを優遇しました。この排斥の手段は強硬的で、一方的な迫害であり、多くの芸術家は「迎合か強制労働か」の二択を迫られます。これに反対したマンデリシュタームはシベリアへ流された上に殺害され、多くの作家は逃避するように亡命しました。また、スターリンとジダーノフはともに音楽に精通していたこともあり、作曲家や演奏家も大きな被害を受けます。偉大な交響曲作曲家ドミートリイ・ショスタコーヴィチ全音階の旋律を描くセルゲイ・プロコフィエフなどは「社会主義的な音楽ではない」(明快で理解しやすいものではない)という批判を受け、活動を継続するためにプロパガンダ作曲家としての汚名を担ぎ、表面上は迎合しているように見せかけて活動しました。さらに、シュプレマティスム(至高主義)の先駆者で「黒い正方形」などで知られる抽象画家カジミール・マレーヴィチも、ポーランドとドイツへの旅行で嫌疑をかけられて投獄、その後は政権讃歌の具象画を描かされました。そして、このような反コスモポリタニズムは矛先をユダヤ人へと向け、多くのユダヤ人芸術家が謂れの無い迫害を受け、投獄や処刑を与えられました。


芸術が国民へと伝える主義の解放を危惧したスターリンは、裏を返せば芸術の持つ力を理解していたと言えます。「スターリンは無知な指導者」という印象が一部には残されていましたが、これは共産党の主導権争いを行ったトロツキーによる印象操作によるもので、実際にはスターリンは教養深い知識人であったことが明かされています。スターリンは20,000冊の蔵書から毎日本を読み耽り、その文芸性などへの理解や追究も徹底していたと言われています。アレクサンドル・プーシキンニコライ・ゴーゴリなどのロシア黄金期文学はもちろんのこと、ギ・ド・モーパッサンオスカー・ワイルドなどのフランス文学などにも深く理解を示して好んでいました。また、スターリン自身も若いころ、出身地で用いられたグルジア(現ジョージア)語で詩作を行い、認められたという経緯も持っていました。さらには音楽にも造詣が深く、演奏会には足繁く通い、演奏家たちの楽屋へ訪問しては意見を交わしていたと云います。そして、スターリンは演劇場にも足を運んでいました。なかでも特に好んでいたのがミハイル・ブルガーコフの作品でした。


喜劇『ゾーイカのアパート』(1925年)、戦争劇『逃亡』(1926年)などを好み、ブルガーコフの作品は欠かさずに観に行くというほどの熱の入れようで、民衆にもブルガーコフは評判となりました。しかし、ジダーノフ体制が広まるにつれて、社会主義に対する皮肉や諷刺は認められなくなり、作家には民衆が理解しやすいリアリズムを求め、ソヴィエト讃歌を込めるように圧力が掛かります。これに迎合できないブルガーコフは、このような体制下にありながらも独自の姿勢を貫いて創作を続けますが、当然ながら演劇上演も作品出版も、検閲で全て却下されてしまいます。八方塞がりとなったブルガーコフは、スターリン政府に対して書面で「国外への移住」か「演劇の仕事の斡旋」を請願しました。これを受けてスターリンは直接ブルガーコフに電話をして、ゴーリキー記念国立モスクワ芸術アカデミー劇場(MKhAT)へ雇用申請するように伝えました。それでもやはりブルガーコフは「創作の自由」は与えられず、文学的苦境もしくは演劇的苦境にあり、苦悩が絶えない日々を送ります。我慢のならなくなったブルガーコフは1930年に再びスターリンへ書面を認め、「国外への移住」か「モスクワ芸術座 (MXAT)での雇用」を求めました。またもやスターリンは自ら電話をして、ブルガーコフにモスクワ芸術座に雇用申請をするように伝えました。


しかし、いくら雇用先を変えようとも「創作の自由」が真に与えられることはなく、ブルガーコフは閉じこもるように執筆を続けました。出版することができない作品を、自身の信念に則って只管に書き続けるという活動は、苦悩に包まれた日々であったと考えられます。この間に執筆が続けられていた作品が『巨匠とマルガリータ』です。

先の見えない執筆生活を何年も続けていたある日、ブルガーコフに「スターリンを題材とした演劇台本」の執筆依頼が舞い込みます。取材や研究を徹底的に行うブルガーコフにとって、この作品は「スターリンを愛さなければ」書き上げることができない題材でした。自身の作家人生を苦しめ続ける独裁者をブルガーコフは愛すことができるのか、書き上げて成功すれば再び作家人生の道が開かれるという究極的な依頼に、ブルガーコフは依頼を受けて執筆を始めます。そして戯曲『バトゥーム』を書き進め、スターリンの故郷グルジアへと仕上げの取材に向かうとき、政府より演劇制作中止の電報が届きました。その瞬間からブルガーコフは身体に不調をきたし、激しい勢いで視力を失い、重度の腎臓病と診断をされました。激しい痛みに耐えるためにモルヒネを用い、そのような闘病のなかでも妻の協力で『巨匠とマルガリータ』の完成を目指しました。


本作『犬と独裁者』はブルガーコフの評伝劇であり、「創作の自由」を奪われて部屋に篭って『巨匠とマルガリータ』の執筆に取り組んでいた最中に、「スターリンを題材とした演劇台本」の依頼が舞い込む場面から、『巨匠とマルガリータ』の完成を目指すまでの物語です。スターリンの物語を引き受けたブルガーコフのもとに、犬のような言動を見せる少年が現れます。言葉も上手く話せず、獣のような立ち回りでブルガーコフを困惑させますが、この少年はブルガーコフにしか見えません。政府からスターリンについて「書くべき内容」を含む資料がなかなか届かず焦るブルガーコフの前に、言葉を覚えて詩を生み出す才能を少年は見せ始めます。驚くべき速度で成長を見せる少年はブルガーコフを幻想世界へ連れて行き、やがてボリシェヴィキズムの思想家として活動し、部下を使って銀行強盗を働かせます。そして少年は独裁者として姿を変え、社会主義の世界を宣告します。この少年こそ、若き日のスターリンであり、ブルガーコフとの意識の繋がりによって目の前に現れたのだと考えられます。


実際にスターリンレーニンの片腕として活躍していた際、ボリシェヴィキの資金獲得において銀行強盗や売春宿経営などを行っていました。少年のころは治安の悪い農奴地区で育った様子を見せ、言葉が上手く通じなかったのはグルジア語を用いていたからだと理解できます。「詩作」に喜びを見出していた少年は、ツァーリ体制打倒を目指すレーニンの革命に感化され、ボリシェヴィキ独裁から社会主義独裁体制へと、その思想を変化させて行きました。詩性に溢れる犬と呼ばれた少年は、世界革命という「詩」、社会主義独裁という「詩」、ソヴィエトという「詩」を描き上げようとする独裁者へと変貌します。

そして『バトゥーム』という作品を書き上げたブルガーコフグルジアへと取材に向かおうとした矢先、政府より制作中止を告げる電報が届きます。体調を崩し、失意のなかにあるブルガーコフは、視力を失って妻エレーナに支えられながらも『巨匠とマルガリータ』を完成させる決意を見せて幕が下ります。


ジダーノフ体制下に置かれた芸術家は、例外なくこのような強制を与えられました。シベリアへ流刑される者、処刑される者、亡命する者、迎合する者、迎合したと見せかける者など、絶望的な選択肢だけを提示され、それでも芸術家としての誇りを胸に最後まで生きました。ブルガーコフは優れた才能を持っていたからこそスターリンに注目され、生み出す作品に注意を払われ、スターリンが手放さないようにソヴィエトに居続けることを求められました。繋がったブルガーコフスターリンの意識、そして電話は、作家と独裁者という関係性を超えた繋がりを感じさせ、それでもブルガーコフは「創作の自由」を求める姿勢を崩さないという点が、本作では力強く描かれています。スターリンは詩を「書く目」を捨ててツァーリ体制崩壊という「革命」を目指しました。ブルガーコフは作品を「書く目」を失い、妻と口述筆記で『巨匠とマルガリータ』を書き上げました。まさに、社会主義からの解放を望む「革命」的な作品でした。

 

暗闇に目を凝らすからこそ、見えてくるものがある気がするんだ。俺の「書く目」は暗闇でこそ輝くんだよ。春の満月が夜の闇の中でこそ煌々と光るように、この目を失ってからのほうが、「書く目」は鋭くなった気がする。


巨匠とマルガリータ』は1966年、ブルガーコフの死後26年目に妻エレーナの献身的な努力によって文芸雑誌「モスクワ」に掲載されて大きな話題となり、ブルガーコフへ現在の世界的な名声を与えるに至りました。この作品は時代を跨ぎ、悪魔ヴォランドが多くの場面を飛び回るという非常に複雑な世界観の「幻想小説」ですが、主題には「救済」が込められており、自己の救済、思想の救済、芸術の救済など、さまざまな角度からの救済が表現されています。

 

精神的受難者の救済というテーマは、奇想天外な物語と魔術の軽やかさによってひじょうに楽しい物語に仕上がっており、さらに、二つの対照的な舞台を設定することにより構成上の厚みを確保している。この非日常的な映像に彩られた幻想の物語を執筆していた作者の境遇に思いを馳せるとき、真の救済は想像力によってのみなされる、という作者自身の信念を見いだすことができる。

『はじめて学ぶロシア文学史』ミネルヴァ書房


本作でも「幻想」を効果的に用いて、思想の対比や意識の繋がりを見事に表現しています。また、ブルガーコフが貫いた真の救済は想像力によってなされるという点が、終幕で目の前に広がる闇を「自身のインクだ」と宣言し、ブルガーコフの芸術性とその表現意志が潰えていないことを表明するという形で、大きな感動を与えています。時代背景をある程度把握しておくと、芸術性の追求とその困難さに苦悩するブルガーコフの心情が、非常な熱量をもって描かれていることが理解できます。

劇団印象の主宰鈴木アツトによる熱い戯曲『犬と独裁者』、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

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