RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『国家』プラトン 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

 

西洋哲学の核になる人物であり、以後の哲学者たちへ影響を与え続ける古代ギリシャの哲人プラトン。彼の師であるソクラテスを語り手とし、対話形式で進められる多くの主著のひとつ『国家』です。

ソクラテスは国家の名において処刑された。それを契機としてプラトン(前427-前347)は、師が説きつづけた正義の徳の実現には人間の魂の在り方だけではなく国家そのものを原理的に問わねばならぬと考えるに至る。この課題の追求の末に提示されるのが、本書の中心テーゼをなす哲人統治の思想に他ならなかった。プラトン対話篇中の最高峰。

 

哲学書でありながら「対話形式」で語られているため、長い長い対話を聞き続けているような構成です。非常に読みやすく理解しやすい記述となっています。当時の雰囲気や情景も思い起こしやすく、紀元前の社会へと、すぐに踏み入れることができます。語り手であるソクラテスを軸として数人の対話相手が登場します。実に自然な会話から主題へと話が進む様は、プラトン自身が目の前で近しい内容の対話を聞いていたからこそ描写できるのだと想像できます。

 

本書の主題は「正義とは何か」という問いです。この問いに対する答えは、より明確さを求められ普遍的結論を必要とし始めます。ここでソクラテスは、個人における正義の拡大された姿を、国家において見る事を提案します。ここから彼らは「正義の性質を持つ国家の創造」を論じていきます。そして、机上で構築した理想国家において「正義」を見出そうという試みです。

 

国家内に存在すべき詩・芸術は「神が神らしくある表現」に限るようにし、神が「絶対善」であるべきことに従い、「神を批判・冒涜」するような表現者はすべて追放し、民衆に触れる詩・芸術には「信仰すべき神聖」に基づいた表現に限定する必要がある、と述べます。これにより、民衆の神々への信仰心を高め、善(正しいこと)なる行為をすることが使命であり、自身を豊かにするという価値を植えつけることを定めます。また、美しいものに影響を受けた心は美しくなるという考えから、これによる善行の促進を図ります。

 

国家の善き統治と幸福をもたらす者は、国の守護者として中心に立ち、私財を持たず民衆に生かされているという考えの下、真摯に「正しき国家」へ身を捧げます。そしてこの守護者たちは哲学者として理知に長けており、守護者としてなるべき教育や環境で育てられた精鋭でなければならない、と定めます。

 

当時の哲学者は、社会において重要視されていませんでした。

第一級のすぐれた人物たちが国との関係において置かれている現状は、あまりにもひどいものなので、それと同じような状態に置かれているものなど、ほかには何ひとつ存在しないのであって、それを何かに譬えて彼らのために弁明しようとすれば、どうしても、あちこちからいろいろのものを寄せ集めてこなければならないからだ。ちょうど画家たちがいろいろのものの像を組み合せて、<山羊鹿>とか、そういった類いのものを描く場合のようにね。

この憤懣たる思いは不遇な扱いに対するものだけではなく、重宝されていた芸術家たちへの不満も込められていました。民衆との距離が近い詩人、音楽家、画家などは、「聴衆の求める喜ばしいものを披露するものが支持される」ことを突いています。そしてこの風潮は政治家にも言えることであり、「ディオメデス的強制」(必然)の効果であるとして、国家が腐食することは到って当然である、と述べています。

哲学的問答法というのはわれわれにとって、もろもろの学問の上に、いわば最後の仕上げとなる冠石のように置かれているのであって、もはや他の学問をこれよりも上に置くことは許されず、習得すべき学問についての論究はすでにこれをもって完結したと、こう君には思われないかね?
ええ、そう思われます

 

本作の最後に「エルの物語」が語られます。ダンテ『神曲』を想起させる輪廻転生論です。生前善行を重ねたものは、暮らしよい天上の世界へ導かれる。悪行を重ねれば地下の世界へ。魂はそれぞれの世界で刻を過ごし、また審判者の元へ戻ってくる。そして種々の運命を負ったありとあらゆる転生先の生物を選択する。

この物語では「生前の善行」により天上世界へ向かうことができ、「私欲を抑えた者」が幸福な転生先を選択できるという帰結へ導いています。

長い間、多くの論考を重ねてきたソクラテスたちの対話の流れを考えると、少し唐突に感じる物語の挿入です。その意図はなんでしょうか。

 

対話により構築された机上の理想国家は実現不可能ではありませんが、極めて困難であることは確かです。しかも国制における民主性が自由に向かえば向かうほど、欲による争いが増加しています。そしてこの私欲(本能あるいは理性で抑えていた欲望)を助長させる効果が詩であり、詩人たちの活動なのです。それを食い止める意思のある哲学者たちの待遇は悪く、民衆を説得するところから骨が折れることは想像がつきます。

ソクラテスはこの理想国家の実現が非現実的であることを理解していたのではないでしょうか。しかしながら、創造した国家は「理想としての範型」であり、追い求めるに値する重要な掲げるべき理想であると言えます。そしてこの理想国家は「エルの物語」における天上世界であるとも言え、そこへの到達を目指し人生での善行を重ねる人々が増えるように啓蒙しようとしたのではないでしょうか。そして、そういった人間の増加が「善行の増加」となり、現実の国家そのものが「善の多き国家」へと変革するのではないかと、ソクラテスは考えたように思います。

 

哲学者であり、文筆家であった池田晶子さんは以下のように語っています。

「正義」すなわち「正しい」ということが、自分の幸福、すなわち「善い」ということに直結するのでなければ、そんな観念に従うことに何の意味があるか。
「ただ生きることではなく善く生きることなのだ」とは、不意打ちでなければ、何がしか抹香くさい説教のように聞こえるに違いない。それが説教に聞こえるというまさにそこに転倒があるのだが、これを得心させるのは容易ではない。自分の幸福は外部条件に依存しているという強い社会通念のためである。

引用元:新・考えるヒント

この社会通念を構築する「社会」こそ「国家」であり、ソクラテスの説く「善」が受け入れられません。だからこそ巻末に「エルの物語」を添えることで、感銘を受けたものが、個人の生き方だけでも共感し、善行を促したかったのだという意思が伝わります。

 

この構築された理想国家は、生きるための社会ではなく、社会のために生きる人々による国家です。極論的な表現が目立ちますが、「正しいこと」を「自分の魂」で育むことは、現代においても間違いなく「善いこと」として受け取ることができます。

自身の行動を省みるきっかけにもなるこの作品。未読の方はぜひ。

では。

 

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