RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『タイム・マシン』ハーバート・ジョージ・ウェルズ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

 

時間飛行家は八十万年後の世界からもどってきた。彼が語る人類の未来図は、果して輝かしい希望に満ちたものだったろうか?──文明への苦い批評をこめて描く、ウエルズ不朽の古典的傑作。


ハーバート・ジョージ・ウェルズ(1866-1946)はロンドンで商人をしていた父のもとに生まれました。しかし、立地や商材に恵まれず、父は庭師をする傍らでプロのクリケット選手として不安定な収入を得て暮らしていました。下層の中流階級に位置していた家庭は、決して裕福ではなく、ウェルズ自身も早々に呉服屋や科学者の見習いなどで働くという、厳しい生活を強いられることになりました。このような中で、彼を夢中にさせたものは、図書館に並ぶ書物でした。プラトン、トマス・モア、メアリー・シェリーなど、幅広く読み漁り、彼の文学性を育んでいきます。その頃、彼は科学方面の見習いを繰り返していたことで、後のインペリアル・カレッジ・ロンドンとなった科学師範学校への奨学金を獲得し、独学ではなく本格的に学ぶことが可能となりました。そこで師事したのが生物学の権威であるトマス・ヘンリー・ハクスリーです。ウェルズは卒業後も科学教師として勤め、科学的進化理論を師とともに研究します。ここで学んだダーウィンの進化論は、彼に強い影響を与えます。人間社会と進化論を融合させた彼の思想は、後に生み出される作品の根源となりました。やがてウェルズは非常に保守的な教師の世界が徐々に苦痛となり、教育論などを学び直しますがやはり適さないことを感じ、遂にその世界から離れてしまいます。しかし彼の内には、進化論による人間社会への疑問、全体主義への疑念、社会階層の不幸などが蟠り、やがて自身で執筆するという形で発散させていきます。


ウェルズは書き始めると止まらずに、多くの作品を書き上げていきました。雑誌へ次々と寄稿していきましたが、自身の署名を明らかにしなかったことによって、現在では彼が書いたという初期の作品を確認することはできません。しかしこの、主に短篇であった多くの執筆経験によって彼は長篇小説を書き上げることができました。その最初の作品こそ、本作『タイム・マシン』です。これは世に見せた最初のタイムトラベル(時間の流れから逸脱して過去や未来へと移動する)の物語であり、サイエンス・フィクション(SF)における一つのジャンルを確立させたと言われています。


本作は、時間飛行家(タイム・トラベラー)がタイム・マシンを発明し、それに乗って遥かに遠い未来へ行き、そこで出会う世界を語るという物語です。時間飛行家は空間を移動するように時間を移動する装置を発明し、過去にも未来にも、稼働レバーのみで航行できる機械を作り上げます。彼は、未来へとレバーを傾けると、緩やかに景色が時の経過として動き出し、振動と不快感を覚えます。気分が悪くなって耐えていると、示す時代は遥か未来にまで進んでいました。漸く移動を止めて辿り着いた未来は「紀元802701年」です。見たこともない形状の高層ビルや宮殿、牧草が広がる丘や山々、社会的な活性は見られない牧歌的な空気が、時間飛行家の目の前には映っていました。立派なビルや建物は老朽化しており、退廃的な事物と美しい自然が共存する不思議な世界です。ここには「エロイ」と呼ばれる美しい進化した人間が居ました。働くこともなく、ただ戯れ、据えられた果物を食べ、自然のなかを走り回ります。言語も簡易なものだけで成り立ち、時間飛行家が短期間である程度会話できるようになる程度のものでした。情報を収集するためにエロイと接触を試みていましたが、気付くとタイム・マシンは消え失せていました。

地面から突き出た幾つもの井戸の口は、地下世界に繋がっていました。中では機械が動き、エロイたちの衣服を製造しています。これを管理しているのがもう一つの進化した人間「モーロック」です。彼らは非常に凶暴ですが、身体そのものは軟弱で光に弱い眼を持っていました。そのモーロックがタイム・マシンを隠したのでした。時間飛行家は取り返すためにマッチを片手に奮闘します。


ウェルズは当時のイングランド社会が背負っていた資本主義、或いは共産主義、更には全体主義の側面を風刺しています。当時における利便性を追い求めたあらゆる科学の進歩は、「発明狂の時代」とも言えるほど多くの機械を生み出しました。ジュークボックス、自動香水販売機、自動チョコレート販売機、自動写真装置、自動体重計、自動給水機など、世に発明品が溢れていました。また、自転車の原型もこの頃に完成して、国民の生活に新しい風が幾度も吹いているような時代でした。こうした利便性の追求は、人間をより怠惰にさせて思考を停止させるという危険性を、ダーウィンの進化論から着想を得たウェルズは、エロイという未来の人類で表現しました。科学が進歩し、競合というものが無くなり、怠惰のみを貪るようになった利便性に囲まれた人類は、やがて思考を失い、力を失い、ただ生きているだけの存在となってしまいます。

また、それに対するモーロックは労働者階級の成れの果てとして描き、(エロイよりも)物理的な力を身に付け、食用肉を無くした彼らは反逆的にエロイを飼い始め、食用として扱い始めます。恐らく、元々はエロイの奴隷であった人々が、堕落したエロイに対して逆襲的な立場の転換を見せ、飼い慣らし、闇夜の襲撃者として成り代わったのだと見せています。これは資本主義を追求した結果の社会を危惧したウェルズによる「退化論」とも言える描写です。


本作に限らず、その後に発表された『モロー博士の島』(改造人間)、『透明人間』、『睡眠者が目覚めるとき』、『神々の糧』(合成食品)などには、共通してウェルズの持つ「科学を根源としたサイエンス・フィクション」の考えが通底しています。このような思考は、ダーウィンの進化論と人間社会の関係性といった考え方を元としています。トマス・ヘンリー・ハクスリーにウェルズ同様に師事を受けていた生物学者レイ・ランケスターは、人間社会の生物学的な退化論を展開し、ウェルズも同調していました。このことから、ウェルズは「あくまで科学技術の進展が及ぼす危険性として」のフィクション作品を描いており、物語性を豊かにしようという発想の起点ではなかったことが窺えます。この点は特に、同時代のもう一人の「サイエンス・フィクションの父」であるジュール・ヴェルヌと明確な違いとして見て取れます。そして、このような基盤を宿していながら、現代のサイエンス・フィクションの普遍的に使用される題材を幾つも生み出したウェルズには、いかに想像性が豊かであったかということに驚かされます。


そして前述のように、「発明狂の時代」の最中に居たウェルズは、多くの発明品に感性を刺激されたと考えられます。スティーブンソンの蒸気機関から始まった発明の数々は、イングランド産業革命を齎し、資本主義社会へと傾倒させている激しい時流の波が国内を畝っていました。その波は国内を何処へと導くのか、と言った不安と疑問を抱いたウェルズは、持ち前の想像力で多くのサイエンス・フィクションを生み出すことになります。


ウェルズは各作品に或る一つのサイエンス・フィクション要素を物語の核に据え、現実社会の詳細を盛り込むことによって、説得性を持たせた奇異な世界を作り上げます。その何れもがウェルズ自身の持つ社会を見る政治的な見解や、(当時の)現代社会における矛盾や不安や疑念を含んでおり、各物語の行末が社会への警告的な結末という形で締め括られています。本作で言えば、豊かさを追求するがあまり、階級を維持したまま、一部の人間が怠惰に身を委ねたことが、結果として労使関係の逆転が起こり、本質的な幸福を見失うという頽廃世界を構築したと提示しています。また、本作の終盤では更に先の未来を覗かせますが、そこには惑星規模の頽廃世界が映し出され、宇宙規模の退化論が示し出されます。ここには端的なペシミズム(厭世主義)を訴えるだけではなく、生物学を根元に置いた頽廃論が呼び覚まされ、進化は退化をも引き寄せるということを提示しており、読者は深く考えさせられます。ウェルズは、科学が生み出す明るい希望には、暗い絶望や怠惰、悲哀、破滅などが裏側に存在し、それらに目を背けることなく現実の社会を捉え続けました。こういった点から、ウェルズの現実社会に対する真摯な姿勢を、強く感じ取ることができます。

 

多面的な知性というものは、変化、危険、困難と引きかえに、人類が得たものだという自然法則をぼくらは見のがしている。環境と完全に調和した動物は完全な機械だ。習性と本能が役に立たなくなったときに、はじめて知性が必要になる。変化も、変化の必要もないところに知性は生まれない。さまざまの変化と必要性に、適応しなければならない生物だけが知性を持つのである。


サイエンス・フィクションの父と呼ばれるウェルズの名声を打ち立てた長篇処女作は、未だに新鮮味を帯びて読者を魅了します。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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