RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『夏の夜の夢』ウィリアム・シェイクスピア 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

妖精の王とその后の喧嘩に巻き込まれ、さらに茶目な小妖精パックが惚れ草を誤用したために、思いがけない食い違いの生じた恋人たち。妖精と人間が展開する詩情豊かな幻想喜劇。


本作『夏の夜の夢』の一つの特徴として種本が無いということが挙げられます。婚礼式典の余興として描かれていることから、貴族の結婚式で披露する目的でシェイクスピアが自ら書き上げたと考えられています。


Midsummer-dayは「夏至」を指します。キリスト教文化圏においては、この日に洗礼者聖ヨハネの誕生を祝う日として催しが行われます。それに関わる「ヨハネの聖水」という風習があり、夏至前夜に泉へ草花を浮かべ、夜に高まる月や森による自然のエネルギーを浴びせて、翌朝に豊かになった泉で顔を洗うというものです。これはキリスト教の普及以前の古代の農耕民族によって持たれていた信仰から、豊穣を願う伝統的な行いとして、聖ヨハネの祝祭が交わった形で現在でも受け継がれています。この前夜をMidsummer-night(夏至前夜)と言います。

言い伝えでは、この前夜は深い森の中で妖精たちが舞い、薬草や呪いの効果を増幅させると考えられており、恋仲の男女は関係をより深く強固なものにするため、夜通し森に篭って過ごす風習がありました。この当時では妖精(超常的)の存在が実しやかに囁かれており、信仰にも関わりを持っている時代でした。そして、どちらかと言えば呪術的な印象で恐れられている存在でもありました。だからこそ、若者たちはある種の神秘的な力を信じて(縋って)夜の森へと駆け込んだのでした。


しかし「夏至前夜の夢」と謳っていながら、舞台は五月祭(メーデー)となっています。ヨーロッパでの五月祭は古代ローマから発生した春の訪れを祝う祝祭です。花の女神フローラを崇めて成長や健康を願うものでしたが、派生して恋の成就や婚姻の加護なども求められるようになっていきました。やはり自然に由来する女神であることから、森には精霊の力が宿ると考えられ、若い男女が夜に祈りながら過ごすことが多くありました。このときの祝祭的開放感とも言える感情に当事者の若者たちは大胆な決断をできるようになり、実際にカップルが成立することが数多くあったようです。彼らは花の女神、花の精霊たちに感謝して森を後にします。

しかし、無事に森から出られる若い女性はごく僅かであると言われるほど、悪漢たちによる非道の行いも同時に頻発していました。そして、当時の妖精に対する認識は悪魔的・魔女的であり、人々に害を及ぼす印象を持たれていました。この畏怖と、前述の実際に起こる危険が潜んでいることを踏まえて、劇中における男女の行動は、試練的な危険を冒して成就を願うという意味合いが込められていたと考えられます。これを鑑みて題名を解釈すると「夏至前夜にみるような夢」と言えるかと思います。

 

高級と低級、貴族的世界と庶民的世界の混交は、カーニヴァル的世界に通ずる。『夏の夜の夢』では、現実とその異界が、正気と狂気が、理性と欲望が、人間と妖精がまざりあうカーニヴァル的世界が現出する。貴族社会からみれば、アテネの森は狂気と錯乱のグロテスクである。だが、そこにユートピア的共同体原理がある。

シェイクスピア ハンドブック』

祝祭を背景に置きながら描かれる妖精の施しは、当時の世間が抱いていた悪魔的恐怖は影を潜め、人間に滑稽さを持って跳ね回りながら迂闊な間違いで観客を楽しませます。人間と精霊、貴族と職人、対比的でありながら物語に融合していく雰囲気は、まさに祝祭的と言えます。そして開放的な雰囲気は心に留めた日常の秩序を崩壊させ、本音を直接的に相手へ発散する勇気を与えています。


進展の中心となる妖精の王オーベロンと使い妖精パックによるスラップスティック的コメディは、劇中全体を明るい空気に演出しています。中心となる四人の若者が生命を懸けて訴えるそれぞれの主張さえ、現実に靄が掛かっているような印象を常に与えて、超常現象の只中の空間に閉じ込められているように感じられます。幻想的な妖精たちの言動に、観客までもが振り回されて、夢うつつの心持ちで舞台を眺めることになります。本作におけるこういった喜劇的な妖精たちの描写は画期的であり、現代における妖精のイメージを最初に示した作品であると言えます。


また、庶民の職人たちによって繰り広げられる劇中劇の悲劇を滑稽な描写に仕立て上げている点は、先述の婚礼式典用の台本であることが理由として裏付けられます。悲劇が説く戒めを心穏やかな姿勢で受け入れることができる描写は、結婚式スピーチを聞く姿勢と似通っており、シェイクスピアが新婚の男女へ向けた温かいメッセージと見ることができます。

恋仲と婚姻という直結していながら質が全く変わる二つの要素は、今後の生涯に関わる重要な決断として強く表現されています。特に口数の多かった女性ふたりが婚姻の取り決めが為されたあと、全くと行って良いほどに語りません。これは当時の女性に求められた姿勢、或いは実際の女性の立場を現していると見られ、心を決めた描写として観るものに訴えかけます。

 

強い想像力には、つねにそうした魔力がある。つまり、何か喜びを感じたいとおもえば、それだけで、その喜びを仲だちするものに思いつくし、闇夜にこわいと思えば、そこらの繁みがたちまち熊と見えてくる、それこそ、何のわけもないこと!

契りを交わした二人に訪れる困難や仲違いに負けることなく、仲睦まじい夫婦生活を過ごして欲しいという、人生の教訓を交えたシェイクスピアなりの暖かい言葉であったのだと思います。


非常に読みやすく、心が暖まる穏やかな作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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