RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『居酒屋』エミール・ゾラ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

洗濯女ジェルヴェーズは、二人の子供と共に、帽子屋ランチエに棄てられ、ブリキ職人クーポーと結婚する。彼女は洗濯屋を開くことを夢見て死にもの狂いで働き、慎ましい幸福を得るが、そこに再びランチエが割り込んでくる……。《ルーゴン・マッカール叢書》の第七巻にあたる本書は、十九世紀パリ下層階級の悲惨な人間群像を描き出し、ゾラを自然主義文学の中心作家たらしめた力作。


1852年から約二十年間続いたフランス第二帝政は、ルイ=ナポレオンが治めるボナパルティズム末期を指し、プロイセンオットー・フォン・ビスマルクの挑発に乗って普仏戦争による敗北を招き、終焉を迎えます。1830年代にイギリス交通革命から始まった産業革命の恩恵は、一部のフランス人たちへも与えられました。成り上がった者たちは資産家としてブルジョワジー階級を構築し、プロレタリアート(労働者階級)と明確な分かれ目を作ります。社会は資本主義化し、格差社会が顕著になり始め、労働者の苛立つ感情は高まっていきます。

産業革命により鉄鋼業が発展したイギリスから安価な工業製品輸入が激しくなっていきます。工場労働者たちの雇用条件は悪くなり、目に見えるように手に入る賃金が減少していきます。そして追い打つように工業機械さえも流入し始め、工場労働者たちは仕事を取って代わられることが増え、路上に失業者たちが溢れ始めます。ルイ=ナポレオンは大衆のためと掲げるボナパルティズムに則り、労働運動における団結権およびストライキ権などの保護などを率先して法改正を行いました。実際には、産業革命の波が民衆にとっての追い風となっていたため、真っ当な労働意欲さえ持っていれば貧困から抜け出す機会は多くありましたが、成り上がった者たちへの嫉妬、職を追われた憎悪、誇りを失った絶望などを理由として働く意志を削がれ、労働運動に逃げ込む人々も多くありました。


明確になった階級社会には、階級ごとの欲望、罪悪、幸福、慈善が存在し、さらに個々人による性質によって幾倍もの心の葛藤が生まれていました。エミール・ゾラ(1840-1902)は、この社会を「時代」「環境」「遺伝」という要素を通して、真実の人間を解き明かそうと試みました。ダーウィン進化論完成を加速させた精神科医プロスペル・リュカの遺伝論は、当時、精神疾患が遺伝によって継承するとしていました。この遺伝という法則、フランス第二帝政の時代、階級社会という環境、これらを要素として一貫した大きな文学実験を始めます。ある一族の人間たちを二十の物語で書き上げました。「ルーゴン・マッカール叢書」と名付けられた連作小説には、「第二帝政下における一家族の自然的・社会的歴史」という副題にある通り、一貫して生々しい人間社会が書かれています。

ルーゴン家(資産家)、マッカール家(労働者)、ムレ家(ブルジョワジー)という血の連なる一族は、それぞれの作品において中心人物となり、個の持つ性質に沿った自然の生き方を見せてくれます。「時代」「環境」「遺伝」によって生まれる個別の苦悩や葛藤には、現実的な人間の生き様が見られ、そこにこそ「真実の人間」と「真実の社会」を見出すことができます。


描写される写真のように切り取られた情景は、背景の隅々を細かく点検するように綴られ、事象や印象の大小に関わらず端的に述べられる文章が続きます。また、人称や視点が入り乱れ、登場人物だけでなく周囲の背景ごと脳内に入り込んで全体の印象を強制的に読み取らせられます。このような観念的な描写がない、或いは観念が入る余地がない文章でもって、目の前で繰り広げられる断片を一文一文に書く作風を「自然主義」として、ゾラは世に掲げて賛否を齎しました。

意想が真であるか否かを疑問とするやうになる。クロオド・ベルナアルによれば、懐疑者こそ真の科学者なのである。何となれば、懐疑者は、自分自身について、自分の解釈については疑ひをもつけれども、一つの絶対的原理、即ち、現象の決定性をかたく信じてゐる。これを信じないでは、疑問も起りはしないのである。而して、この意想、及びそれに対する懐疑、並びにそれをたしかめるための実験のしかた等は、全く個人的なものであり、そこには芸術家の創意の余地が十分に存するのである。芸術家は決して写真師ではないのである。

平林初之輔『エミイル・ゾラの文学方法論』

社会を「時代」「環境」「遺伝」で描きながら、そこに創意を込めて作品を生み出します。


本作『居酒屋』は、産業革命の進行に伴い、世に資本主義が浸透していく中で、貧困に襲われ鬱屈した精神を持ちながら排斥されていく、プロレタリアートの苦しい生活が生々しく描かれています。原題『L’Assommoir』は「悲惨を齎すもの」という意味がありますが、これが転じて世間では「偽造酒を出すような低俗な居酒屋」に対する通称となりました。酒に溺れて翌日に後悔をするという揶揄から来ています。この題名から連想できるように、本作ではアルコール依存者による碌でもない行動が溢れています。男尊女卑社会での巷に溢れていた悲劇が何度も繰り返されます。女性に家事を押し付けながら飲み歩き、手に入る金は全て酒に変えてしまう、酒場では管を巻き、帰宅すれば暴力に明け暮れる。フランス第二帝政下においては、パリ=コミューン発足前であり女性の参政権など認められていなかったことから、国全体の印象として女性蔑視の生活が根付いていたと言えます。そこに酒の力が加わり、貧困による苛立ちが加わり、ブルジョワジーに対する嫉妬が加わり、その全てを集めて家庭内へ暴力で発散するという悪循環が毎日のように女性へ与えられていました。


本作では、マッカール家の血筋にあたるジェルベーズという女性が主人公です。彼女のささやかな願いは、ひとりのブリキ職人によって叶えられます。しかし事故をきっかけに生活が少しずつ軋んでいきます。その軋みを悪化させるように過去の男が押し掛けてきて、寄生虫のように彼女の元に住み着きます。彼女の周囲の人々も善人ばかりではありません。憎悪、嫉妬、暴力、嘲笑、哄笑が溢れています。また、挿話的に語られる少女ラリーの話には胸を抉られ続けます。貧困が蔓延していたパリの下町は、生きるのも精一杯な社会を呪いながら酔っ払う現実逃避者たちを多く生み出していました。

物語における救いとなる鍛冶屋グージェの存在は、読者を何度も希望の光で包みます。酒に溺れず、真っ直ぐにジェルベーズを慕う優しさは大きな癒しとなっています。この癒しを受け入れる勇気を彼女はなかなか持つことができません。この抵抗は本能的とも言え、無自覚な意志の態度に感じられます。遺伝的に染み付いているアルコール依存にジェルベーズ自身が立ち向かう義務を感じており、グージェの救いを避けてまでも、身内の酒乱者と向き合おうとすることが「彼女の真に生きようとする姿勢」のように受け止められます。倫理ではなく使命で拒絶する描写は苦痛に溢れています。

いいえ、いいえ、もうたくさん。恥ずかしくてたまらない……。後生だから!立ってちょうだいな。跪ずきたいのはあたしのほうよ
でも!どうにもならないわ、あたしにはわかっているの……。さようなら。さようなら。こんなにしていると二人とも苦しむばかりだもの


ゾラによって「自然主義」で書かれた本作は、真実の濃淡を鮮やかにして、プロレタリアートの抱える苦悩を鋭く読者に突きつけました。そして、その鋭さゆえに世間を賛否両論の意見で埋め尽くしました。しかし、賛否双方の共通する意見は「直接的」であることでした。当時は古典主義からようやく抜け出て、革命の影響を受けたロマン主義、善悪双方に着眼点を当てる現実主義などが世に出始めたばかりで、ゾラの自然主義は衝撃的すぎました。何より、大衆よりも批評家たちが面食らってしまいます。古典作品に慣れた批評家たちは、目線に観念を通すことが前提となっていたため、ゾラの直接表現を受け付けませんでした。しかし、前述のように文章に観念を織り込まないことで読者に直接的に伝わるため、理解しやすく、どの時代のどの人間が読んでも作品を理解できるという間口の広さを持っています。そしてゾラの作品は、本質的な大衆における共感性、親和性を含んでいると言え、プロレタリアートの本質的、実際的な苦悩を世に伝えることに成功しています。

労働者階級を描いたわたしの絵は、ことさらの陰影もぼかしもつけずに、描きたいと思ったとおりにわたしが描いたものです。わたしは、わたしの見たものを口にし、見たものを言葉にするまでのことです。そこから教訓を引きだす仕事は、道学者先生におまかせするのです。わたしは上層部の傷口を裸にしました。下層部の傷口をかくすこともしないでしょう。わたしの作品は、党派的なものでもなければ、プロパガンダでもない。真実の作品なのです。

「アルベール・ミョーへの手紙」

フランス第三共和制下でのスパイ冤罪を引き起こした「ドレフュス事件」で、大統領を糾弾した『私は告発する』(J'accuse)という公開状に連なって残した言葉は、ゾラの思想を貫くものとして強く残っています。

「いまや、真実が歩みだしたのだ、もはや何ものもこれをとどめることはできない」


「ルーゴン・マッカール叢書」は全二十巻ですが、どの作品も独立した物語として読むことができます。頁を捲るごとに当時を生々しく感じることができ、同時に現代にも通じる幸福の在り方を読者の我々に全ての行間から問い掛け続けます。複雑な表現が少ないながら情感豊かに描かれる世界に、一気に引き摺り込まれる作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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