こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

ノルマンディ公ウィリアムのイングランド征服より長く続いていたイギリスとフランスの領地問題は、王位継承問題を口実に、イギリス王エドワード三世が本格的な実戦闘を開戦させます。1339年の北フランス侵入に始まったこの戦争は、1453年の終結まで百年以上も続き、「百年戦争」と称されます。仕掛けたイギリスの優勢に始まり、エドワード黒太子(エドワード三世の皇太子)の活躍と続きましたが、ペスト(黒死病)の蔓延による両軍の疲弊、バビロンの捕囚と教皇大分裂による調停能力の不在が戦争を長期的なものとさせてしまいました。1400年台に差し掛かると、フランスではブルゴーニュ派とオルレアン・アルマニャック派に別れた権力争いによる貴族同士の内乱が勃発します。その混乱に乗じたイギリスのランカスター家ヘンリー五世は、軍を持って相手の両派閥を一掃しました。このアジャンクールの戦い(1415年)によって力を示したヘンリー五世は、ブルゴーニュ派と結びつき、シャルル六世の娘と結婚します。そしてヘンリー五世の治世ののち、彼の死をもってイギリスとブルゴーニュ派はまだ幼いヘンリー六世をイギリスとフランスの両国を統べる王として即位させました。しかし、これに対抗してアルマニャック派はシャルル六世の王太子をシャルル七世として同様に即位させ、フランスの王位はイギリス側とフランス側に分裂することになりました。
本作『ヘンリー六世』は三部作です。執筆されたのは1590年から1591年ごろとされています。当時のイギリス国民は、自国の歴史に関心が高まっていたと言われています。理由のひとつに、1586年に起こった「アンソニー・バビントンの陰謀事件」が挙げられます。スコットランド女王メアリー・スチュアートが罠に掛けられて非業な死を遂げるという事件は、国民に内乱の恐怖を与えるのに充分な出来事でした。また、1588年にイギリスがスペイン無敵艦隊を破った「アルマダの海戦」も理由に挙げられます。結果的には1604年に制海権を死守したスペイン側の有利で終わるこの海戦も、当時のイギリス国内では愛国心を高めるのに強い役割を担っていたと言えます。このような内乱や戦争の興奮が冷めやらぬままに、そしてイギリス国内の愛国心を刺激する題材として、歴史的な百年戦争、後に続く薔薇戦争の演義を世に提供したことは、シェイクスピアの執筆技量と観察眼の賜物だと考えられます。
幼少のヘンリー六世が不安定な治世に翻弄されながら死を迎えるまで、凡そ五十年もの年月が流れますが、その間の出来事を凝縮させて展開する物語は、歴史の羅列になっておらず、一貫した主題を確立して進められます。『ヘンリー六世』三部作には、秩序の崩壊によって露呈する「貴族の愚かな野心」と「愛国精神に溢れる騎士道」という相反する思想を対立させて作中に込められています。第一部にて活躍する英雄トールボットは、貴族が私欲に溺れる様子に対照して一本の槍のように愛国と正義を見せます。しかし、私欲と驕りの犠牲となったトールボットは、再会した息子とともに敵に囲まれて非業の死を遂げます。この象徴的な英雄の死をもって愛国心、騎士道、秩序の崩壊が示され、第二部、第三部へと続く貴族の欺瞞と堕落が膨らんでいくことを示唆しています。同様にテンプル法学院でのランカスター家(赤薔薇)とヨーク家(白薔薇)の対立も、のちの激しい薔薇戦争が芽吹く様を表現しており、不穏な雰囲気を演出しています。つまり、第一部は、ヘンリー五世による安定した治世から、愛国心や秩序の崩壊をトールボットの死によって表現し、それを引き起こした貴族の私欲と堕落が膨らみ続けて薔薇戦争へと発展する第二部や第三部へと繋げる役割を担っています。
本作は、葬送曲の流れる重い空気に包まれたヘンリー五世の葬儀から始まります。イギリス諸侯が集まり故人を悼むなか、幼少の新国王ヘンリー六世が国を統治できないとして、グロスターが摂政に任命されます。このような場にありながら、ウィンチェスター司教はグロスターと諍いを起こし、互いに軋轢を深めます。棺が運び出されると、使者がフランスからの悪い報せを届けます。保持していたフランスの領地を奪還されたというもので、場の空気はさらに重く悲痛なものとなります。何の奸計が働いたのかと問い詰めると、そのようなものはなく、イギリスの諸侯が派閥争いによって連携を取ることができていないことが原因であると指摘され、使者は貴族たちに愛国心をもった団結を求めます。そして使者の報せは続き、フランス王太子シャルルを国王にさせたということ、そして剛将トールボットが味方の裏切りにより捕虜となったことを伝えられました。フランス領摂政ベッドフォードは、急ぎトールボット解放へと向かい、諸侯も各々の役割を果たすべく持ち場へと移ります。
フランスのオルレアンではトールボットは捕えられたものの、イギリス軍による包囲は継続されていました。王太子シャルルは、大将を失った兵の粘り強さに不安をおぼえます。そこへ「聖なる乙女」と呼ばれる女性がシャルルのもとへ連れられ、魔力をもってイギリス兵を追い払うことができると紹介されます。聖なる乙女ジャンヌ・ダルクは神の母の啓示を受けたと話し、魔力と策略を用いて今夜中にこの状況を打開すると宣言します。
一方のイギリスでは、摂政グロスターとウィンチェスター司教がロンドン塔に格納されている武器の使用に関して激しい衝突を見せ、その亀裂は互いの誇りを傷つけ合うほどのもので、修復が困難なものとなりました。
フランス領主の捕虜たちと引き換えに解放されたトールボットは、その後もオルレアンを巡ってジャンヌと一進一退の攻防を繰り広げますが、最終的な奇襲によってその地を取り戻し、結果、彼は愛国心と騎士道を両国に示しました。
イギリス国内では、テンプル法学院で多くの領主が庭園で法論議を行い、諍いが明確に大きくなっていきます。ヨーク家プランタジネット(白薔薇)とランカスター家サマセット(赤薔薇)が完全に決裂し、他の領主たちもそれぞれの派閥へと参加する意思を示します。プランタジネットはロンドン塔に幽閉されている叔父モーティマーと対話し、そこで歴史的な意味でのプランタジネットの権力における正統性を諭され、自らの長子権を自覚します。
グロスターと司教ウィンチェスターの争いは、ヘンリー六世の介入による強制的な和解を与えられ、まずは国力増強に専念することを、表面上ではありますが互いに約束します。また、テンプル法学院でプランタジネットを支持したウォリックの進言により、ヘンリー六世はプランタジネットの要望を叶え、ヨーク公の称号を与えます。その後、グロスターはフランスでの戦力増強を図るため、王による現地での指揮を求め、ヘンリー六世はこれを認めます。
パリに到着したヘンリー六世のもとへ訪れたトールボットは、戦況の報告を行い、王からの称賛を受けたのち、使者よりフランス指導者ブルゴーニュの裏切りを知らされます。これはジャンヌの謀略でしたが、トールボットは事実を確認するため、そして説得するために、ブルゴーニュのもとへと向かいます。そしてヘンリー六世はフランスでの戦力増強のために、ヨーク公をイギリス軍司令官に、サマセットを騎兵隊の指揮官にそれぞれ任命し、トールボットの支援を行うように指示しました。
ボルドーへと攻め入るトールボットでしたが、シャルル七世の軍に挟み討ちにされて困難な局面に立たされます。トールボットは軍司令官ヨーク公に援軍を要請しますが、ヨーク公のもとにはすでに増援に出すことができる兵はありませんでした。サマセットが騎兵隊の進軍を故意に遅らせたことが原因であると推察したヨーク公は、トールボットの状況を嘆きます。トールボットよりヨーク公へと向かわされた使者は、その足でサマセットのもとへと向かい、状況を説明します。すると、サマセットはそのような兵力の薄い状態でヨーク公がトールボットに進軍させたことは、トールボットを亡き者にして自身がその剛将の地位を得ようとしたのだろうと嘆きました。この貴族の醜い争いの犠牲となったトールボットは、死地に希望を見出そうと獅子奮迅の勢いでシャルル軍を薙ぎ倒し続けます。そこへトールボットの息子ジョンが現れ、感動的な再会もそこそこに、我が子を救うためにこの場から逃れるように指示します。しかし、愛国心と騎士道を受け継いだ息子ジョンは、そのような誇りを捨てる行為はできないとして父のもとを離れずに奮闘します。親子の愛の押し問答が繰り広げられながらも戦闘は続き、結果的にジョンは戦死、そしてあまりの悲しみを与えられたトールボットもその場で死に至ります。こうして、イギリス軍は敗北を喫します。
このような戦局にあるイギリスとフランスの両軍勢に対して、教皇から和平を促す提案が行われました。しかし、戦闘は続いており、シャルル七世の軍はサマセットとヨーク公の攻撃を受け、乙女ジャンヌは捕縛されます。一方、その戦いのなかでサマセット側のサフォークは、フランス側ナポリ王レニエの娘マーガレットを捕えます。あまりの美しさに心を惹かれたサフォークは、彼女の心を自分のものにしようと考えますが、自身に妻があることから謀を巡らせます。この美しい娘をヘンリー六世の妻とし、彼女の心を掌握して、王と王国そのものを自分の意のままにしようと企みます。
捕えられたジャンヌは、イギリス諸侯より訊問されます。彼女は、乙女とは思えないほどの虚偽を撒き散らし、悪の魔力による脅迫さえも見せたことで、魔女と判断されて火刑の審判を与えられました。ジャンヌは連行される間際までもイギリスを呪い続けました。
一方で、ウィンチェスター司教は教皇からの提案を果たすため、ヘンリー六世とシャルル七世との和平を結ぼうとします。シャルルは一方的なイギリス優位の条件に対して難色を示しますが、のちに反故にすれば構わないという言葉に乗せられて同意します。その後、サフォークがロンドンへ到着し、ナポリ王レニエの娘マーガレットとの婚姻を提案します。マーガレットの美点を並べられたヘンリー六世はすぐに同意し、結婚を決めようとしますが、すでにグロスターが進めていたシャルル七世の血縁にある娘との婚姻を反故にすることになり、グロスターは和平の弊害となるのではと進言します。しかし、和平と富を目的とした婚姻は不誠実であるという主張のもと、ヘンリー六世はマーガレットの婚姻を押し進めるようにサフォークへと伝えました。こうして、サフォークの悪意を帯びた野心が観客に伝えられて、第一部の幕が降ります。
フランスでの領土を拡大させた英雄ヘンリー五世の葬儀は、その安定と強さが崩壊することを示しており、冒頭からイギリス諸侯の野心と混乱が渦巻きます。そのなかを、古き良き愛国心と騎士道を貫こうとするトールボットは対照として描かれ、ヘンリー五世の血と意思が受け継がれているように感じられます。しかしながら、この英傑の非業の死は、イギリスにおける騎士道の終焉を象徴し、第二部、第三部へと繋がる薔薇戦争での混乱を示唆しています。これは、イギリス諸侯の自己中心性だけが原因となっているわけではなく、ヘンリー六世の指導力の弱さも大きな理由であり、その様子は優柔不断な言動や誤解を招く浅はかさ(赤薔薇を胸に付ける点など)からも表されています。
ジャンヌ・ダルクは徹底して「悪の魔女」として描かれています。当時のイギリスではこのような解釈が基本的なものでしたが、悪霊を用いるという演出は、本作にも大きく活かされています。特に、オルレアン争奪戦においてはその魔力が強大であったにも関わらず、窮地に陥った第五幕第三場でのジャンヌによる悪霊召喚の場面では、悪霊たちはジャンヌが何の犠牲を示しても力を貸さず、結果、フランスはおろかジャンヌ自身さえも救うことはありませんでした。聖処女としての象徴的なジャンヌ・ダルク像とは掛け離れた醜悪を晒す彼女は、イギリスの愛国心と騎士道の精神的な象徴と言える剛将トールボットの死と対比的な印象を与え、より一層に観客の愛国心を高める効果をもっています。
ヘンリー五世の死は、国内秩序の崩壊を呼び起こしました。作中では、貴族諸侯の私利私欲によって起こる内部対立、そこから発展を見せる薔薇戦争の芽が徐々に育っていく様子を理解することができます。また、英雄の意志を継ぐ愛国心と騎士道の体現者トールボットの死は、イギリス国内(政治)における騎士道精神の喪失を表現し、内外双方からイギリスを危機に晒すことを示唆しています。そして、第一部最終幕で描かれる婚姻話は、本来は喜劇となり得る要素でありながら、諸侯の策謀に包まれた不穏な空気を残すことになり、第二部、第三部への重苦しい襷を繋ぐ役割を果たしています。
槍を取ってはあれほど勇猛な兵士はなく、宮廷を治めればあれほど高貴な心の持ち主はなかった。だが王であれ強大な君主であれ死ぬのが定め、それが人間の悲惨の終わりなのだから。
イギリスとフランスの場面転換は頻繁ではありますが、話の筋は理解しやすく、読み進めやすい演出となっています。また、私利私欲に走るイギリス諸侯の思惑も、それぞれの立場を反映したものとなっており、個性が現れていて飽きさせません。そして物語に影を落とす最終幕も、歴史を思い起こしながら展開を想像することが楽しく感じられます。
そして、記事は第二部へと続きます。