こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

川端康成(1899-1972)は、現在の大阪市天神橋のあたりで医者の長男として生まれました。父は肺を患っており、母もまた同様に感染して病んでいました。姉が一人あり、四人家族でしたが、両親の病状から二人の子を母の実家へと預け、夫婦はその近所へ転居します。母の実家はいわゆる大地主で、大変な資産家でした。生活そのものには困らず、二人の子は裕福な環境で大切に育てられました。両親の闘病生活が続きましたが、その甲斐も虚しく、川端が三歳のときに父が、四歳のときに母が亡くなります。姉は他の親族へ引き取られ、川端は一人、父方の祖父母のもとへと移り住みました。この父方の祖母の家系も由緒正しき豪族で、川端は大変豊かな生活を過ごしました。川端自身も身体が強い方ではなく、その度に過剰に看病などが与えられ、苦しみの少ない日々を送りましたが、六歳のときに祖母が亡くなり、それから十六歳になるまで祖父と二人で暮らすことになりました。祖母が亡くなった翌年、離れて暮らしていた姉が亡くなったという報せが届き、孫が先に逝ったことを祖父は大変に嘆きました。祖父と二人の生活は決して楽な環境ではなく、金銭面での余裕の無さに輪をかけて、祖父の白内障進行が深刻な問題となります。川端はこの頃より執筆を始めますが(『十六歳の日記』)、作家を目指したいという目標を祖父は理解して、必要な文芸書を自由に買い求めることを許可しました。そのために、生活が逼迫されましたが、祖父は変わらず応援し続けます。しかしながら、白内障の進行が止まらず全盲となった祖父を、川端は介護しながら生活していくことになりました。そして祖父が亡くなり、川端は遂に天涯孤独の身となりました。
川端は僅か十六歳にして、家族の多くの死を受け、悲しみと孤独を抱えることになりました。本来与えられた筈の愛情を失い、悲しみを帯びた記憶として刻まれ、川端の心の底に積み重ねられます。この心の内部に沈んだ家族の記憶は、川端の人格形成に大きく影響を与えました。まだ若い眼を通して眺めたものは、病苦や死、それに伴う苦痛や醜悪さであり、それらは川端に「現世界との隔たり」といったものを齎し、地獄のような苦しさを体験させることになります。川端は、生きるために現世界を見つめました。そこには光が溢れる天国のような輝きで溢れています。生命力、愛情、活気、華やかさ、これらの「美」は、地獄を見た心を持つ川端には、常人以上に光り輝いて映ります。その「美」を捉えて描き出そうとする憧れにも似た彼の感覚は、心の闇が反照するように現世界を非現実なほどの光で照らし、生命力に溢れた「美」を描写します。しかし、その現世界との隔たりは固く聳え立っており、彼は世界の外側から眺めて描くことで、作品には独特の輝きが齎されています。
そのような意思のもとで執筆される作品は、既存の文芸思潮に収まるものではありませんでした。川端は独創性の模索の末、一つの思潮に辿り着きます。当時、世界的に活気を帯びていた第一次世界大戦争へ反対の意思を示した芸術におけるダダイズム、またアヴァンギャルド(前衛)芸術運動などに「感覚面で感化された思潮」を、川端は必然的に生み出すことになりました。自らが1926年に「新進作家の新傾向解説」として発表した「新感覚派」と呼ばれる思潮は、文芸戦線の「プロレタリア文学」と文壇を二分する勢いにまで拡大し、賛同者を多く集めました。人間が生活するうえでの「感覚」を既存のものから変化させ、新しい文芸表現を試みようとする「新感覚派」の姿勢は、私小説のリアリズムと差別化を図る特徴を見せ、読者へ「新たな美」を強調的に示します。
自分があるので天地萬物が存在する、自分の主観の内に天地萬物がある、と云ふ気持で物を見るのは、主観の力を強調することであり、主観の絶対性を信仰することである。ここに新しい喜びがある。また、天地萬物の内に自分の主観がある、と云ふ気持で物を見るのは、主観の拡大であり、主観を自由に流動させることである。そして、この考へ方を進展させると、自他一如となり、萬物一如となつて、天地萬物は全ての境界を失つて一つの精神に融和した一元の世界となる。また一方、萬物の内に主観を流入することは、萬物が精霊を持つてゐると云ふ考へ、云ひ換へると多元的な萬有霊魂説になる。ここに新しい救ひがある。この二つは、東洋の古い主観主義となり、客観主義となる。いや、主客一如主義となる。かう云ふ気持で物を書現さうとするのが、今日の新進作家の表現の態度である。
川端康成「新進作家の新傾向解説」
現世界の事物の心象描写を、主観的で直観的な表現で見せ、自己の感覚を中心として生み出す作品には、作家たちの心底の価値観が反映し、読む者へ現世界そのもの以上の感覚的な美が提示されます。善悪、明暗、天地、生死などが、現世界の定義に留まることはなく、作家の価値観によって描かれることにより「美」もやはりさまざまな形で描かれます。この新傾向解説と同時期に発表した作品が『伊豆の踊子』でした。
海はいつの間に暮れたのかも知らずにいたが、網代や熱海には灯があった。肌が寒く腹が空いた。少年が竹の皮包を開いてくれた。私はそれが人の物であることを忘れたかのように海苔巻のすしなぞを食った。そして少年の学生マントの中にもぐり込んだ。私はどんなに親切にされても、それを大変自然に受け入れられるような美しい空虚な気持だった。明日の朝早く婆さんを上野駅へ連れて行って水戸まで切符を買ってやるのも、至極あたりまえのことだと思っていた。何もかもが一つに融け合って感じられた。
川端康成『伊豆の踊子』
現世界から離れた川端の精神は、光り輝く現世界のなかへと入り込もうとしますが、一般が持つ現世界での「価値観や理解」を持ち合わせておらず、精神の赴くままに現世界を辿り、人々のなかへと無差別に入って行きます。この感覚は、暗い記憶によって現世界から引き離された精神が独特の勇気を見せており、例えば、「踊子」という当時は物乞いのような扱いを受けていた身分の人たちと進んで共に旅をするといった行為は、尋常では考えられないことでした。このような差別が無く広い無頓着な心は、川端の暗い生い立ちが形成したもので、いわば「地獄を見てしまった人」特有の、独特な自由性が現れていると言えます。この無頓着な心は、道徳や慣習といったものを擦り抜け、危険を帯びた思考を見せます。不道徳である貫通や罪悪などにまで寛容となる心は、内的な心が現世界を貪欲に取り込もうとするあまり、作品には異様な許容を見せる描写が綴られます。川端の作品には「怒り」の描写が殆ど見られませんが、それはこの異様な許容によるものだと考えられます。そして、「叙情」と「非情」が一つものとして織り込まれている点も、同様の理由に依るものであると言えます。
本作『雪国』は、『伊豆の踊子』と同じく、川端自身の経験を反映させたもので、温泉街の芸者との関係を綴っています。家庭のある作家島村が情熱的な性格を持った芸者駒子のもとへと通う日々を、その地「雪国」を背景に、男女の緊密な関係を感じさせながら、抒情的に描いています。
定めない人間のいのちの各瞬間の純粋持続にのみ賭けられたやうなこの小説に、もし主題があるとすれば、この一句の中にある。(中略)それは女の「内生命の変形」の微妙な記録であり、焔がすつと穂を伸ばすやうなその「移り目」の瞬間のデッサンの集成である。駒子も葉子も、ほとんど一貫した人物ですらない。一性格ですらない。彼女たちは潔癖に、生命の諸相、そのゆらめき、そのときめき、その変容のきはどい瞬間を通してしか、描かれないのである。作中に何度かあらはれる「徒労」といふ言葉は、かうして無目的に浪費される生のすがたの、危険な美しさに対する反語である。
三島由紀夫「解説雪国」
三島の指摘する「移り目の瞬間のデッサン」という表現は見事で、島村と駒子が中心に繰り広げられるやり取りでありながら、どの場面も駒子が中心的に描かれています。全篇にわたって言えることは、作中描写は駒子の能動的行為を島村が受動的に捉えていることが「島村の主観の無さ」を示しており、駒子の情念が際立つことに合わせて、背景の抒情が自然と駒子を融合して独特の「美」を示しています。本作において奔放で強引な駒子の言動が描かれながらも、「美」に反する「醜」が感じとられないということは、駒子の「焔がすつと穂を伸ばすような」言動のなかの瞬間的な「美」に焦点を合わせて描いているからだと言えます。現世界で生命を謳歌できていないと自覚する川端が、その復讐とも言える形で作中世界の描写を自由に構築し、そこに「瞬間的な美」を全面に映し出した本作では、抒情に流されない「生命力の溢れた美」が描き出されています。この正当化のため、川端は何度も駒子を「清潔」と表現しています。
川端にとっての「美」は、持って生まれた容姿や心性によるものではなく、「危機的状況」におかれた場合にこそ閃くのだと考えていました。そのため、駒子が許嫁でさえない師匠の息子の医療費を稼ぐために芸者を生業とし、真の意中の人(島村)に対して想いを実らせようとしない姿勢が備えられているのは、至極当然であると考えられます。この虚無に溢れた徒労の生活に塗れる駒子は、さまざまな場面で「瞬間的な美」を島村に見せ、そして島村が惹きつけられ続けるという描写から、読者は川端の見せる「美」を受け取ることになります。
駒子の愛情は彼に向けられたものであるにもかかわらず、それを美しい徒労であるかのように思う彼自身の虚しさがあって、けれどもかえってそれにつれて、駒子の生きようとしている命が裸の肌のように触れて来もするのだった。彼は駒子を哀れみながら、自らを哀れんだ。そのようなありさまを無心に刺し透す光に似た目が、葉子にありそうな気がして、島村はこの女にも惹かれるのだった。
川端康成『雪国』
抒情的な風景描写と駒子の瞬間的な美の描写が交互に示され、読者は自然に川端の思惑に導かれて没入していくという作品です。最終場面では、まさに「抒情」と「非情」が渾然一体となり、読後に大きな衝撃の余韻が残されます。非常に流麗な文体で、当時の文壇を二分していたプロレタリア文学とは全く違う思想が込められていることが理解できます。新感覚派の代表者である川端康成の『雪国』、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。