RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『ペドロ・パラモ』フアン・ルルフォ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

ペドロ・パラモという名の、顔も知らぬ父親を探して「おれ」はコマラに辿りつく。しかしそこは、ひそかなささめきに包まれた死者ばかりの町だった……。生者と死者が混交し、現在と過去が交錯する前衛的な手法によって、紛れもないメキシコの現実を描出し、ラテンアメリカ文学ブームの先駆けとなった古典的名作。


1846年にアメリカの領土侵略によって、アメリカ=メキシコ戦争が勃発しました。当時のメキシコの約半分の土地を奪ったアメリカは、その後、南北戦争を引き起こします。メキシコの州知事であったベニート=フアレスは、この領土割譲を批判すると、政府より知事の任を解かれ、アメリカへ追放されてしまいます。サンタ=アナ大統領の軍国主義的政権に対して、フアレスは真っ向から戦いを挑み、メキシコの真の独立を目指しました。サンタ=アナ政権が倒れると、彼はメキシコ初の民主主義的憲法の制定に尽力します。しかし、カトリック教派と地主権力者たちによる保守派が私欲のために、フアレスに対して激しい妨害を行い、それが内乱へと発展してレフォルマ内戦が起こります。そして追い打つように、フランスのナポレオン三世が介入し、保守派の勢いを後押ししました。それでも戦い抜いたフアレスらの改革派は勝利を収め、彼は正式にメキシコ大統領に任命されました。メスティーソであった彼の就任は、ラテンアメリカにおける真の独立という意味合いも持ち、メキシコの近代化、民主化を目指したことによって彼は「メキシコ建国の父」と呼ばれています。しかしその後、フアレスの長期的な政権を批判したポルフィリオ=ディアスが台頭し、フアレスの急死後、後続政権を軍力をもって倒し、強引に選挙を行って大統領に就任します。彼は権力を振るい、憲法を都合よく変えて任期を伸ばし、三十年以上ものあいだ君臨し続けました。ディアスは鉱工業に重きを置き、鉄道網の整備、市場の統一と活性化、他国との貿易など、メキシコ経済の発展に貢献しましたが、反面、フアレスが広めた民主主義を抑え込み、長期間の軍国独裁政治を継続しました。


ディアスの独裁に対し、フランシス=マデロは「公正な選挙と再選反対」を掲げて立候補します。誰もが政権交代を諦めていたなか、彼の蜂起は忽ち国民に支持されました。メキシコ全土を演説して周り、民衆への同意を求めます。しかし選挙の一ヶ月前になると、ディアスは政府転覆の嫌疑でマデロを投獄し、何事も無かったかのように不正選挙によって大統領の立場を守りました。選挙を終えて国外追放されたマデロは、メキシコ国民へ革命を呼び掛けます。これに応えたのが小作農出身のならずものエミリアーノ=サパタ、正義感の強い貧農出身の盗賊パンチョ=ビリャたちです。彼らは農民軍として組織し、不動の独裁政権に対して反抗の口火を切りました。1911年に政権を打倒してディアスを国外へ追放し、マデロは大統領へと就任しました。こうしてメキシコ革命は動き始めましたが、この革命政権は長続きしません。マデロは民主主義政治を目指していましたが、サパタやビリャは農民そのものの解放を目的としていたため、後援を地主権力者に置いていたマデロとは意見を違うこととなり、最終的にサパタは革命政府への反乱を起こします。元ディアス配下のヴィクトリアーノ・ウェルタ将軍と協力して、マデロを大統領府へ監禁し、最期には殺害してしまいます。こうして再び不安定な国政となったなか、農民解放を目指す急進派、立憲政治を目指そうとする穏健派、革命そのものを反対する地主権力者たちによる反動派、などが武力を用いた争いを続けます。


ウェルタ将軍が加わった急進派はその武力の振るい方が顕著で、1913年には大規模なクーデターを起こします。これに強く対抗したのが穏健派のベヌスティアーノ・カランサです。マデロに国防相に任命されていたカランサは、護憲を掲げて急進派と対峙します。この護憲軍の猛攻により、急進派に加担する軍を打ち破り、ウェルタ将軍をスペインに亡命させ、カランサは暫定大統領として就任します。その後、反乱を続けるサパタ、ビリャを打倒して、1915年にカランサは正式に大統領へと就任しました。カランサは政教分離を推し進めます。特に「国家が宗教に優先する」という内容は、当時のカトリックには大きな抑圧で、多数の教会や神学校が閉鎖されました。1924年にプルタルコ・エリアス・カジェスが大統領へ就任すると、無神論者である彼は教会を敵視し、カジェス法という厳しい取り締まりのうえ、教会財産を没収していきます。これに堪り兼ねた信者たちは、遂にグアダラハラ武装蜂起し、クリステロ戦争という内戦へと発展しました。カジェスの傀儡が暗殺され、多数の司祭が殺害されるなど、激しい内戦によって互いに被害を増やして、教会側は州に一人も司祭が存在しないといった状況を生み出すほどでした。カジェスは大統領の任期を終えても、自身の傀儡を次々と挿げ替え、影で大統領を操り、国政全般を支配し続けました。それは、1934年にラサロ・カルデナスが大統領に就任するまで続きました。メキシコでは、現在も政府による宗教団体が管理され、国に認められた行為しか活動はできない状況にあります。


フアン=ルルフォ(1917-1986)はメキシコの地主の家系でした。彼が生まれた世界は、革命の激しい時代であり、暴力と荒廃が埋め尽くしていました。地主側であった彼の父親は1923年に殺害され、それを追うように1927年に母親が亡くなると、ルルフォは祖母に引き取られ、州都グアダラハラのあるハリスコ州に移ります。さらに一族の不幸は続き、1928年に叔父二人が亡くなりました。そして彼は孤児院へと移り住みます。その後、グアダラハラ大学への進学もストライキに阻まれて叶いませんでした。メキシコ革命、クリステロの反乱が彼の周囲を奪っていきます。ルルフォにとって、家族や生活を奪う革命は、暴力的な側面しか見せなかったと言えます。彼は不条理の中を生きていました。取り巻く不幸を何度も思い返し、次第に会うことができなくなった家族を想ううち、漂う死者たちの魂との対話を思い描き始めます。


本作『ペドロ・パラモ』は、そういった霊魂の会話が主となって描かれています。文体に見られる乾いた響きと景色は、ルルフォが突きつけられた世界の渇きが現れており、情熱よりも諦めが勝るような表現が多く見られます。そして、霊魂の会話を用いることによって現実と超現実を融合させ、神話的な印象を持たせています。構成としても、幾つもの断章の時系列を不規則に配置したことによって、読み手を作中世界に没入させ、霊魂という不可思議な存在を真に受け入れさせています。また、結末と冒頭を円環的に繋ぐことで神話的な印象をも強めています。


メキシコ革命の混乱のなか、略奪によってコマラという町の権力者となったペドロ・パラモと、その3人の息子が主軸に描かれます。父を探索する者、フアン。父に突き放される者、アブンディオ。父に護られる者、ミゲル。時系列が前後に混在しながら進められ、それぞれの行動がゆっくりと紐解かれていきます。暴君の如き言動によって富や権力を捥ぎ取り、全ての女性を自由に扱ったペドロでしたが、唯一愛したスサナという女性からは愛を受け取ることができません。自分の手中に入れるため、スサナの愛する人、スサナの父親などを次々と手に掛け、自分の懐に収めます。当然の如くスサナは心を開かず精神を病んでいきます。自身の奮った暴力が愛するスサナの心を破壊することになるということが理解できず、ただ闇雲にペドロは愛を求めます。スサナが死を迎えると、ペドロは抜け殻のようになりました。そして護ろうとしたミゲルは護ることができず、突き放したアブンディオに生命を奪われるという結末を迎えます。略奪者は全てを失い、呼応するように町にも荒廃が広がっていきました。そして荒廃は全てを奪い去るように、このすべての物語が「とうに終わったこと」であること示して円環的に冒頭へと帰結します。


作中の「生命の糸」という表現からも伝わるように、生命の関わり、生命の繋がり、生命の交錯が、死というもので変化し、それは荒廃へと向かっていくことを見せています。そこに霊魂との対話によって、何かが補われ、何かが明らかとなり、何かが変わるのではないか、というルルフォの願望とも言える想像が作中に働いています。彼にとって、身近な存在の死が多すぎたことが原因でもあり、彼が見ていた不条理による荒廃に溢れた景色が思い描かせたとも考えられます。

構成される七十の断章は、別の時、別の声、別の意思であり、それらを糸で繋げたような本作は、コマラに漂う幾つもの霊魂の声です。断章が始まるごとに前の断章の余韻と重なり、エコーのように脳内に入り込んできます。

 

さあね、何年も顔をあげなかったもんだから、空のことなぞ忘れちまったよ。ま、空を仰いだって、どうにもなりゃしなかっただろうよ。天はうんと高いし、目もずいぶん弱ってたから、わしにゃただ地面だけ見えてりゃ言うことはなかったからね。それに、天国へはもう決して行けない、遠くからだって見られやしないってレンテリア神父が言うもんだから、もうどうでもよくなっちまった……。わしの罪のせいさ。でもな、神父様はそんなことなぞ言わなくてもよかったのさ。生きるってことだけで、もういいかげん苦しいんだから、死んだら別の世界へ行けると思うからこそ、足を動かす力も湧いてくるってもんだろう。天国から門前払いを食わされちゃあ、あとは地獄の門をくぐるしかない。それじゃあ生まれてこなけりゃよかったってことになる……。なあ、フアン・プレシアド、わしにとっての天国はここさ。わしが今いるここだよ。


逃れたいほどの荒廃と無が広がる世界が天国であるならば、死者はどこに浮かばれるのか。死後に何を見出して現在の生を守ろうとするのか。地獄と天国の境はどこにあるのか。生による幸福は存在しないのか。ルルフォが生き抜いた不幸の連鎖の日々を天国と認めることは不条理としか言えません。しかし、彼はそれを「霊魂」と「幻の町」という手法で、渇きと荒廃の中にも幻想的な面影を作品に残しました。


ガブリエル・ガルシア=マルケスは本作を愛し、暗記するほど耽読し、文学表現に強い好感を持っています。『百年の孤独』で描かれるマコンドは、本作のコマラから連想して生み出されました。ラテンアメリカ文学を大きく発展させた本作『ペドロ・パラモ』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

 

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