RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『死霊』埴谷雄高 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

1895年、日本は日清戦争終結し台湾の統治権を得ました。以後の約五十年間、日本の植民地として扱われました。日本の統治を阻む台湾住民は五年のあいだ抗います。そして一万人以上の現地人が虐殺されました。

埴谷雄高(1909-1997)はこの台湾で生まれ育ちます。家庭内で穏和な親が現地の人間に向ける蔑視に不快と矛盾を感じながら過ごします。

「日本人が嫌い。でも自分も日本人。だから自分も嫌いになる。」

こう語る埴谷さんは徐々に哲学へ造詣を深めていきます。

 

社会の矛盾を感じて存在論を深掘りする中で、日本に移住すると矛盾を強く感じるようになります。学生時にウラジーミル・レーニン『国家と革命』で記される「国家の消滅」に希望を抱き、革命構想を拡げ始め、マルクス傾倒主義となった彼は日本共産党へ入党し思想を描く中心的人物へと頭角を現していきます。

全農全会派(小作人を中心とした独占資本及び国家への対抗運動組織)が行う地下活動で活躍していましたが、警察に張り込まれ治安維持法(思想犯取り締まり)により逮捕されます。

 

閉じ込められた独房にて彼は思考を奥の奥へと沈めていきます。

この荒涼たる部屋ーーそこに凝っとしていると不快に呻く気配がそこに聞えてくる部屋。そのなかに凝っとしていること、それだけですでに、俺が或るものになっているのだ

不合理ゆえに吾信ず

「(刑務所の)壁を見ていると無限を考えざるを得ない」

国家或いは世間に対して行う直截的な活動を阻まれた事で違う手法を模索し、ついに筆を取る事に考えが至ります。時間、空間、自己にとらわれないものを書きたい、世界を拡げに拡げて俯瞰し無限の果てを描こうと考えます。一度自身の精神意識を霧散させて感情の外から存在を見ようと試みます。こうして辿り着いた存在とは、引力、時間、空間に左右されないもの「死霊」であり存在論をこの目線で描いていきます。

「日本はうんと殺して、うんと死んだ。」

生き残ったものは同等のエネルギーを一冊に込めなければならないとする決意および使命感により埴谷さん自身だけでなく、『死霊』の登場人物たちにも多くの霊を背負わせて観念の権化と見られる人物像を創造します。

「精神のリレー、死んだもののリレー」

獄中で強くドストエフスキーに感銘を受け、カントの哲学を吸収していきます。ギリシア哲学まで遡り、現在に至るまで手渡され続けてきた思想のリレーを、埴谷さんは戦争と革命を経て構築した新しい宇宙論および天文学を踏襲した新たな存在論で受け取り、次代へ紡ごうと決意します。

1933年に獄中で診断されたことを初めとして、結核療養のため入退院を繰り返します。長いあいだ病室に閉じこもった彼は、孤独に無限、存在、虚無を考え続けます。

 

1959年に端を発する日米安全保障条約への対抗学生運動安保闘争」で埴谷さんは再び政治への関わりを強めます。『不合理ゆえに吾信ず』をはじめとした著作は学生運動参加者に広く読まれるようになりました。学生運動の派閥が分かれ、非共産党学生運動の内部紛争が起こったとき、双方を諫めようと声明を出しました。目的を同じくする者を敵視することは政治に踊らされている、敵を生み出し敵を討てと煽る者こそ政治であると、本来見据えるべき相手を諭します。

安保世代とされる当時の若い世代にとって埴谷さんは雲の上の存在で、彼の思想に強く惹かれていました。文筆家として新人作家の発掘、安部公房北杜夫倉橋由美子、らを育成し日本の文壇に大きく影響を与えました。

 

『死霊』(死靈)は観念的議論が長広舌で繰り広げられる日本において初めての形而上小説とされています。

1935年ごろの彼が体感した左翼からの転向期を時代背景として、刑務所から出てきた三人の青年を中心に数人で繰り広げられる作品です。物語のような形式では描かれていますが、精神に左右された背景描写と、登場人物たちの観念の鬩ぎ合いと言える対話を中心として、意識存在から無限存在、存在から虚在へと精神の自由を求めて説き合います。この特性を受けて日本における唯一の思想小説とされています。1976年に『死霊』(定本全五章)は日本文学大賞を受賞しました。

埴谷さんは晩年、『死霊』が未完に終わるであろうことを随所で述べています。本作は五日間の出来事を描くと予告されていますが、三日目の昼で記述は終わっています。しかしながら最終章をもって「虚体」の思索を終とする意思が章題「《虚体》論ー大宇宙の夢」と命名されていることからもわかります。

 

主題「自同律の不快」は埴谷さんが終生において囚われ続けた命題です。

存在が存在であること、私が私であることの法則を自己の唯一必然な法則であると認めたがらないところのこの種の情熱的で逸脱的な姿勢は、さて、その姿勢の徹底化がもたらす思いもやらぬ《異った思惟形式》の凄まじい一点に到達して、見らるる限りの自然の、また自己のなかの自然の、思いがけぬ種類の忽然たる変革をもたらさねばやまないことになるのでしょう。

不合理ゆえに吾信ず

自己(現自己)と自己自身(本自己)に差異が生じることによる不快感は「自分も嫌いになる」の発言を根源として深い深い心の底へと考えを及ぼして辿り着いた一つの考えです。現在の自己は時を経るに伴い心身ともに社会や環境や人に影響されて構築された精神であり、経験による心の正負を含めた感情の成長で形成されています。本来の生まれ持って所持していた自己は、資質的な先天的な能力の可能性によるもので本質的な精神の核とも言えます。双方の自己がちょうど合致することはまず無いと想像できますが、不一致であることで感じる不快に自己精神が持つ譲れない価値観が存在すると解釈できます。

 

また、安保闘争にて読み拡げられた革命論も、実際に起きた共産党リンチ事件を帯びさせて述べられています。

ーー革命を自らのために利用することのないところの真の革命家なるものは、これまでも、これからも、革命の装われた歴史の表面に絶対に現われてくることはない。輝かしい歴史についに報われることのないもの、それが真の革命家であり、革命の歴史に現われる革命家のすべては、必ず、革命の簒奪者となり、革命の自らへの利用者にほかならなくなるのだ。

作中『自分だけでおこなう革命』

「社会革命だけではダメだ、存在革命でなければならない」

組織である以上、社会性が生まれる。社会性は単独者を霞ませる。『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』にて描かれる「個別の十一人事件」で語られた「単独者による組織が起こす革命」の思想のように、社会性が生まれると地位が存在し、各単独者の尊厳が薄まってしまう。だからこそ、単独者が単独者内で意識の革命を行い「自分だけで革命をおこなう」価値観を持つ必要があると説いています。人の手に頼らず、自分自身だけで革命を起こすにはどうすればよいかとの問い掛けです。しかし、各単独者の尊厳を尊重するという点を誇張して読み手に捉えられたために、学生運動の参加者たちは分裂してしまいました。

 

これらの内容を観念の掛け合いとして描かれる登場人物たちの言動や対話から汲み取ることができるように、彼らからは血や肉や骨を感じることが出来ません。「太りに太った身体」「しみだらけの頬」等のくどい程の形容はむしろ非現実的な発言や表現に受け取られます。つまり現実的肉体を持たない存在「死霊」を連想させ、登場人物たちの発言は霊魂から発せられる観念の主張として聞こえてきます。

自分はもう死んでいるということ、埴谷さん自身が「自同律の不快」を感じることから辿り着いた思考の土壌。その中で自身の観念のみ存在する意識世界で思考を巡らせ続けた動機とも言える理由は、やはり自分は戦後に生き延び、生き続けているということを自分自身で許す行為であるように感じ取ることができます。突き詰めると、人生を意味付ける意味での欲は持たず、自身で自己を許すことのみに特化した思考が本作を生む原動力となったと言えます。

 

詩人である吉本隆明さんは『死霊』の現在的意味について、このように述べています。

その意味合いというものは何かと考えていきますと、やはり現在というのは、みなさんが実感的にわかるわけで、まじめならばよく感じているわけだと思いますけれども、つまりまじめじゃなくてもいいんですけれど、実感していると思いますが、要するにどこにも心棒がないということがあるでしょう。

『死霊』の登場人物には肉や骨が無く「観念」が意識を持ったように創造されているとしたうえで、登場人物たちがそれぞれ弁舌を交わす場面を「観念同士」の論議、つまり埴谷雄高の脳内思索と受け取っています。それは、全ての登場人物は埴谷雄高の中にある複数の観念であるという見方ができます。中心的観念は「自同律の不快」を抱く者でありますが、周囲を取り巻く観念同士の主張のどこに読み手が影響を受け心棒を立てるか、ということに本書が与える意義が存在していると考えられます。

 

私達がいまそのなかにある暗い悪徳のすべてはやがて必ず克服されるだろうというのがそのぼんやりした、しかも恐ろしいほど確信された予感なのであって、そして、そこでまず克服されるだろうものの第一を挙げれば、殺人ということになるらしい。

『墓銘と影繪』

数千年の歴史を経た現在は、過去の悪徳による悲劇は必ず克服されてきた結果の積み重ねであることから、現在に蔓延する深い悪徳の闇は必ず晴れると根拠なく、若しくは過去の結果を根拠として予覚され、明るい未来が必ず訪れる予感を埴谷さんは確実に信じていたと感じ取ることができます。

 

日清戦争後の植民地を発端として、二つの大戦争による被害を垣間見ながら国家への不信と宗教への疑念、そして孤独に孤独を重ねた末に無限における存在論へと辿り着いた思想は、虚体という形而上的な概念に執着するものの、一方で世が好転するという希望を無自覚に抱いていた観念が残した前向きな思想を次の世代へのバトンとして精神のリレーを託そうとしたのだと考えてしまいます。

 

苦痛から生まれた先人たちの論考は、現在にまさに生きている者が受け取り、感じ、思考を巡らせて自己意識を見直す必要があると思います。

古書でも入手しづらくなっていますが、電子版もあるようですので、ぜひ一読ください。

では。

 

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