RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『若きウェルテルの悩み』ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

親友のいいなずけロッテに対するウェルテルのひたむきな愛とその破局を描いたこの書簡体小説には、ゲーテが味わった若き日の情感と陶酔、不安と絶望が類いまれな抒情の言葉をもって吐露されている。晩年、詩人は「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ」と語った。


十八世紀におけるドイツ(神聖ローマ帝国)では、西ヨーロッパでの啓蒙主義の影響を強く受けていました。従来のキリスト教に基く封建的な考え方に対して反発するように起こったもので、人間の理性を重視して合理的な幸福社会を目指そうとするものでした。哲学者イマヌエル・カントなどが提唱し、人間性の解放を促すもので、思想面でフランス革命の基礎を築いたものでもあります。民衆の精神を理想的に導くように考えられたこの啓蒙主義は、その反面で「個の抑圧」を感じる人間を多く生み出しました。理性を重視することによって個の自由感情を抑えつけなければならず、理想を追うが故に息苦しさを感じるという反発感情を持ちます。この「理性に対する感情の優越」を啓蒙主義のアンチテーゼとして作品に込めた文学運動が「シュトゥルム・ウント・ドラング」(疾風怒濤)です。諭すように押し付けられる啓蒙主義から脱却し、「個の感情」を重視し、本来の人間性を解放しようとする運動は、瞬く間に民衆に受け入れられ、激しい隆盛を文壇に見せました。フリードリヒ・マクシミリアン・クリンガーが『シュトゥルム・ウント・ドラング』の中で描いた人物の天才性は個の尊重を突き詰め、それまでの古典的な文芸の在り方を思想から否定するもので、作中で見せる人間性の解放は新たな思想を世に知らしめました。これによって文芸思潮は創造性豊かなものとなり、個の感情を重視する作品が多く生まれていきます。ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテによる本作『若きウェルテルの悩み』はこの思潮の代表的な作品として現代まで読み継がれています。


シュトゥルム・ウント・ドラング」の文学は、若い世代の作家たちによる、古典的な啓蒙主義に対する感情や自己実現への欲求を強調する抗議運動でした。彼らは純粋な合理性を批判し、感情を尊重し、個を解放することが重要であると説きます。ゲーテが本作を書き上げたのは、二十五歳という若さでした。当時の政府は神聖ローマ帝国がライン同盟によって消滅し、ナポレオンの支配下に置かれたのち、プロイセン国制改革を経て、ウィーン会議によってドイツ連邦が成立しました。この慌ただしい政治議会のなかで多くのブルジョワジー中産階級)が働いていましたが、政府中枢部は階級社会を重んじる組織であったため、どの貴族も保守的な規律に従う必要がありました。

ゲーテは帝国評議員の父親に促され、法曹会への道を歩むため、ライプツィヒ大学で法律を学びます。しかし、司法よりも文芸や演劇に対する関心が強かったため、大学では法曹関係ではなく、詩人が行う授業などに参加することが多くありました。そのような生活を送っていたなか、彼は重篤な病気に取り憑かれ、生死の境を彷徨うことになり、大学を去ることになりました。息子の教育に熱を入れていた父との関係はやがて悪化し、母親と妹に看病される生活を送ります。幸い病状がおさまり、法学を修めるためにストラスブール大学へと通います。


法律免許の学位を取得すると、フランクフルトで小さな法律事務所を開業します。彼は依頼者に対して熱意を持ち、法学そのものを人間味のあるものへと変革させたいという野心を持っていました。しかしながら、経験値の少なさと熱量の空回りによって、法曹界から叱責を受けて早々と法律事務所の経営を断念することになります。その頃、文芸への関心も同時に併せ持っていた彼は、ダルムシュタットの宮廷を介する形で作家ヨハン・ハインリヒ・メルクと知り合い、文芸の道へと徐々に歩み始めていきます。その思惑とは知らず、父は改めて法学を学ばせるために、彼を最高裁判所のある都市ヴェッツラーに転居させられました。しかしこの都市は文化豊かな土地で、多くの文学に触れる機会が多く、若い作家や芸術家が集まっている場所でした。ゲーテ自身は法学の勉強もそこそこに、幾つもの作品に耽溺し、多くの才能溢れる若者と交流を持ちます。そのようななかで出会ったのが、弁士ヨハン・クリスティアンケストナーでした。考え方が真逆のようでありながら意気投合した彼らはすぐに近付き、毎日のように交流を深めます。また、彼らは多くの社交の場や舞踏会に参加して、共に楽しみながら人脈を広げていました。そして出会った美しい女性シャルロッテ・ブフに、ゲーテは熱烈に恋に落ちます。何度も熱心に足を運び、秘めた心を伝えようと努めていましたが、やがて彼女はケストナーの婚約者であることを知らされます。絶望しながらも諦めきれず、何度も手紙を届けて気を惹こうと試みますが、決定的な告白をすることなく諦めて故郷へ帰ることになりました。


失意の底にあったゲーテは帰郷しても心を癒すことはできず、絶望に打ちひしがれて命を断とうとまで思い詰めます。そこにヴェッツラーでの友人カール・ヴィルヘルム・エルサレムの訃報が届きました。この人物はゲーテケストナーと面識のある人物で、中産階級出身のブルジョワジーでした。彼もすでに婚約していた伯爵夫人に恋焦がれ、失恋の感情を苦にしたことで拳銃自殺をしてしまいました。このときに使用されたのがケストナーの拳銃でした。この奇遇とも言える巡り合わせを一つに紡いだ悲劇を構想し、「シュトゥルム・ウント・ドラング」の思潮である感情の尊重と解放を詩的に綴り上げたものが本作『若きウェルテルの悩み』です。ゲーテの実体験とその側で起こった拳銃自殺事件を「叶わぬ恋」で紡いだ作品であるとも言えます。


この書簡体小説は若き弁護士ウェルテルについて描かれています。最初の手紙の日付は1771年5月4日で、1772年12月24日となっています。ウェルテルは親族の財産相続の問題を解消するために小さな町に引っ越し、そこで彼はすでに婚約しているロッテ(シャルロッテ)と恋に落ちるという物語です。殆どの事柄における感情の起伏はゲーテ自身の実体験によるものであり、心情の生々しさや激しさが書簡体で記されるため感情がより近くで感じられる効果を生み出しています。また、ウェルテルの精神がロッテの好意に満たされているときは定期的に手紙が書かれている点や、法曹界や封建的な貴族社会に対する冷淡な視線などを記している点は、ウェルテルという人間性如実に描かれ、実存的な感情の激しさを受け取ることができます。


ウェルテルの苦悩が強まり、命を断とうと思い詰めていく切っ掛けには、自身のなかでの猜疑心が存在しています。ロッテとアルベルトが婚約を経て結婚に至ったとき、自分は二人と交友を続けてはいるが、実は障害となっているのではないかと思い始めます。当然、ウェルテルがロッテに対して行う「恋愛としてのアプローチ」が露見していくにつれて、アルベルトはロッテにウェルテルを遠ざけるように指示するほどには障害となっています。そして、その猜疑心が最高潮に達したとき、ウェルテルは身を引いてアルベルトの拳銃を借り、自殺に至ります。ここに、感情が全てに優先し、尊重されるという主張が見て取れます。

また、ロッテは、ウェルテルが拳銃を借りるために寄越した使いの者へ拳銃を手渡したのはロッテ自身だという事実と、直前にウェルテルと二人で過ごした危険な時間に見せた永遠の別れの予感が合わさって、彼女は「罪なき罪」に永遠に苦しめられる不幸を背負うことになります。


本作の強烈な「個の尊重と解放」は時代の思潮に適合していたこともあり、爆発的に受け入れられました。そして、その影響は止まることを知らず、読者を命懸けの共感へと導きます。ウェルテルの感情解放に強く感化された読者が次々と自殺するという「自殺の波」現象を起こしました。また、当時の道徳観念において危険とみなされる書物を好んで読む「読書中毒」という若者が、本作を大きく支持するという現象も起こりました。これらの受容により、ゲーテの名は瞬く間に広がりました。しかし、古典的な啓蒙主義を支持している人々からは「悪書」であるという強い批判と、自殺を肯定するとしてキリスト教徒からも強い反発を受けることになりました。これにより、激しさが強く打ち出された初版に対して、熱量を落とした改訂版が次々に発表され、刺激性が薄らいだ作品が版を重ねて刷られていきました。

しかし、それでも読者の大半はこの小説を熱狂的に支持し、若者の間ではウェルテルを崇拝するような人々も現れ、作中で描かれた彼の服装、真鍮のボタンが付いた青い燕尾服、黄色のベスト、茶色のトップブーツ、丸いフェルト帽がウェルテルファッションとして模倣されました。

 

ウィルヘルムよ、こういうものなのだね。いまさら何を嘆くことがあろう。人生の花は幻にすぎない。ただ一つの痕跡をも残すことなく、どれほど多くの花がうつろいすぎることだろう!とはいえ、熟れた実のいくつかはある。それだのに──おお、友よ!──それを顧みもせず、蔑(な)めし、味わわぬままに腐らせてしまうことが、よもあっていいものだろうか!


若者をそれ程までに惹きつけたウェルテルの魅力は、等身大の人間でありながら社会に迎合しない自己主張の強さや、自己陶酔と叶えることのできない無力さ、瞬時に沸き上がる反感熱と耐えきれない心の弱さなど、相反する矛盾的感情を持ち得ていることであり、世間から押し付けられる啓蒙主義に対する発散として強く受け入れられたのだと考えられます。現代の社会でも、周囲の世界と自身の力量に乖離を感じることがあるように、時代を超えてゲーテが当時に抱いていた「深い悩み」を直截的に伝えてくれる作品であると言えます。感情の激しい揺らぎが、徐々に読者自身に対して書かれているのではないかという強い感情を持つ本作『若きウェルテルの悩み』。未読の方は、ぜひ読んでみてください。

では。

 

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