RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『パリ左岸のピアノ工房』サド・E・カーハート 感想

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こんにちは。RIYOです

今回はこちらの作品です。

 

記憶の底からよみがえる、あの音。鍵盤の感触、どこでピアノのことをわすれてしまったのだろう?愛情あふれるパリの職人に導かれ、音楽の喜びを取り戻した著者が贈る、切なくも心温まる傑作ノンフィクション。

 

アイルランドアメリカ、二つの国籍を保有しているカーハート。アメリカ空軍将校の息子として生まれ、幼少期をアメリカ、フランス、東京などで過ごしました。大学では人類学を修め、のちに国務省の通訳として従事します。カリフォルニアではエンターテイメントビジネスのコンサルタントとして活躍。以後ヨーロッパに渡ってApple社にて勤務しますが、五十歳を機にフリーライター兼ジャーナリストへと転身しました。

 

デビュー作である『パリ左岸のピアノ工房』は、人物設定に多少の脚色はあるものの実話であり、二十四章の物語として描かれています。

Apple社ではヨーロッパを股にかけたコミュニケーション部門を担当していました。ライターとして出発する際、繋がった縁を元にアプローチをかけていた出版社のひとつであるChatto&Windus。連載記事のアイデアとして持ち込んだものが本書の発端でした。著作として出版された本作は英国、米国で忽ちベストセラーとなり、現在では十二以上の言語で翻訳されています。

ここからは推測ですが、ファツィオーリという新鋭ピアノメーカーを取材した章が収められていますが、これこそ持ち込んだアイデアだったのではと思います。その内容はジャーナリストらしい細かな取材魂が感じられる章となっています。

 

本作ではフランス地元の関係性や人物の慎み深さを丁寧に、とても丁寧に描かれています。カーハートが感銘を受け、感動し、感激した深い思いが強く、優しい筆致で描かれています。

パリに住んでいると、シャンゼリゼ通りやルーブル美術館を訪れることは多くありません。それらは日頃見る景色に大きな印象を与えていますが、現地人の生活はそこではない場所で繰り広げられています。そして、この「そこではない場所」は、実際的にパリの隠れた場所であり、観光客が訪問する場所と同じくらいの魅力を持っていますが、そこではない場所へ訪れることは非常に難しい。巨大なドアがあり、中庭を抜けた先に聳える高い壁の奥には、途方もなく魅力的なパリが存在します。強い絆で結ばれた隣人、昔から培われた古風な人と人との結び方が今でも存在し、独自の関係性が大切にされています。

彼はインタビューでこのように答えています。信用や信頼で長い時間をかけて構築された関係性が街いっぱいに広がっており、ひとつの風土として完成された地域性に魅力がたっぷりと詰まっています。ひとたび中に入ってしまうと、魅力の渦が次から次に連なって、二度と抜け出す事ができない。そんな「そこではない場所」を多くの会話や出来事で楽しく切なく描いています。

 

『パリ左岸のピアノ工房』の作品名通りにピアノの職人が登場し、カーハートとの対話の中心に存在します。まさに職人気質で、繊細で頑固で見る目のあるリュックはピアノの売買を生業としています。そこにはピアノへの愛と尊敬が常に言葉に含まれています。

ピアノはフルートやヴァイオリンみたいに押入にしまっておく楽器じゃない。あんたはピアノといっしょに暮らすことになるし、ピアノのほうもあんたといっしょに暮らすことになる。ピアノは大きいから、無視することはできない。家族の一員のようなものだ。だから、ふさわしいものでなければならないんだ!

 

ピアノが現在の姿に至った時期はごく最近です。十八世紀前半までは、ピアノの前身であるクラヴィコードハープシコード鍵盤楽器として存在し、バッハやヘンデルなどはこれらの楽器で曲を作り上げていました。クラヴィコードは3〜5オクターブで強弱を奏でることはできましたが非常に音が小さな楽器でした。ハープシコードは4〜5オクターブで大きな音を出す事が出来ますが強弱はつけられませんでした。1709年にイタリアのハープシコード技師バルトロメオ・クリストフォリが現在のピアノの原型「ピアノ・エ・フォルテ」を製作します。ハンマーアクションを備えたことにより、大きな音に強弱を鍵盤でつける画期的な楽器が生まれたのです。5オクターブ半まで広がった音域の中でモーツァルトは作曲します。やがて機械的な進化と改良を重ね、7オクターブまで広がった音域でベートーヴェンショパンシューベルト、リストなどが多くの楽曲を生み出します。それでも音楽家は表現性を追求して、ピアノ技師に要望します。もっと音の表現を豊富にしたい。現在の八十八鍵に至るまでには、音楽家の情熱と技師の努力が想像もつかないほど注がれた結晶であると言えます。

 

これほどまでに広がった表現性を持つ八十八鍵の音域でも、ピアノでは表現が困難である側面もあります。制限されている音による無限性の困難さです。ドはドであり、レはレである点です。弦楽器のようにドとレの間を表現出来ない為、和音や奏法で多くの音色を表現します。

これは偉大な音楽家が生み出した楽曲の解釈にも通じます。演奏者の発想記号の受け取り方で全く違う楽曲に聴こえることもあります。

そして本書で何度も登場するメーカーによる音の違い、時代による音の違い、個体による音の違い、環境による音の違い、などが合わさり同一の演奏が生まれることは無いと言えます。寧ろ、これこそが個性であり、醍醐味であるのだと感じます。

何世紀をも経てたどり着いた技術の結晶である其々のピアノと、何世紀にもわたって残されてきた偉大な楽譜に込められた芸術性に、現代の演奏者が表現する努力と進歩の結晶は、常にただ唯一の音楽として奏でられます。

 

2007年、老舗ベーゼンドルファーが日本企業のヤマハに買収されました。当時、この決定を受けてオーストリアでは指揮者のニコラウス・アーノンクール、ピアニストのルドルフ・ブッフビンダーなどが強く反対しました。「音が変わることは免れない」不安と恐れから出た意見でした。しかしながら、経営面を中心とした企業改善を行なったことにより現在は黒字化。さらに両社の技師同士は交流さえ無いほど互いの技術は守られているため、大きな損失は起きていないようです。

現在においてもピアノは変化を続けています。新しい音が生まれ、消えていっています。良いものを残そうとする専門家の努力は情熱によって支えられています。

 

蘇る音楽から与えられる感動と、聴くものが感じる共通性は、感性と感性が繋がり合って共有する大切な価値観が出来上がります。一台のピアノと演奏者を囲み、身体を寄せながら同じ空間で共有した記憶は人と人とを結びつけます。

 

「そこではない場所」には多くの人が住んでいます。強い地域性が建設する大きな壁は他者を容易に近づけません。しかしながら、ひとたび糸口が開き情熱が受け入れられたとき、家族のように歓迎します。誇りや自身の感性を大切にする人々は魅力に溢れ、互いを尊敬し大切にし合います。

「家にピアノがあるからといって、アトリエに顔を出しちゃいけないってことはないんだよ」と、彼は軽く笑って付け加えた。「それから、忘れないでほしいのは、いまやあんたはわたしの客だってことだ。だから、信頼できる友人を紹介してくれてもいいんだよ」


ベーゼンドルファースタインウェイ、エラール、プレイエル。多くの国の、多くのメーカーが登場します。弾いたことも見たこともなくても、とても丁寧で細やかな筆致は、読みやすく想像を駆り立てられ、音が聞きたくてたまらなくなります。

心が暖まり、切なくなり、ひと休みできる本作。未読の方はぜひ、堪能してみてください。

では。

 

記事冒頭に触れたファツィオーリのホームページで第二十二章「ファツィオーリ」を読むことが出来ますので紹介しておきます。

m.fazioli.co.jp

 

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