RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『ジョヴァンニの部屋』ジェイムズ・ボールドウィン 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

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キング牧師と同様にアメリカの公民権運動(人種差別撤廃)に参加し、その後フランスのパリにて「失われた世代」の系譜としても活躍した、黒人作家ジェイムズ・ボールドウィンの同性愛劇を描いた『ジョヴァンニの部屋』です。

パリに遊学中のアメリカ青年のデイヴィッドはふとしたことから同性愛者の世界に踏み込み、ジョヴァンニと知りあう。2人は安アパート《ジョヴァンニの部屋》で同棲生活を営む。やがてヘラとの結婚によってこの異常な生活は一応終わるが、デイヴィッドの歪められた性への強い執着に妻は去って行く。

 

ジェイムズ・ボールドウィン(1924-1987)は黒人街ハーレムで生まれました。父に会ったことは無く、継父に育てられました。継父は街頭説教師であり、それに倣い説教師を目指します。しかし、教会の中に「神の愛」を視ることができなかった彼は、文壇を目指す思いが強くなり、反対されながらもその道を歩み始めます。

私は教会には愛は存在しなかったということを言いたいのだ。教会は憎悪や自己嫌悪や絶望を隠す仮面だったのだ。

黒人の「白人に対する憎悪」が「神の愛」を消滅させていることに対して逃げるようにアメリカからフランスへと渡ります。当時の作家は「失われた世代」がパリに集っていた時期で、文壇を目指すには絶好の場所でした。

 

しかし、現地のフランス人から差別を受けます。「黒人差別」ではなく「アメリカ人差別」です。ボールドウィンに衝撃が走ります。人生の隅々まで問題意識としてこびりついた「黒人と白人」を、フランス人は「まとめて差別」をするのでした。

彼の中で「黒人の無実性」と「アメリカの無実性」が感情として沸き起こります。しかし同時に「フランス黒人に対する反発」と「アメリカ白人に対する反発」という、自身の無実性の中にある有罪性を見出します。人種差別と国外差別の入り混じった思考に、彼は「神の愛」を探します。

 

『ジョヴァンニの部屋』は愛について追求した作品です。そして登場人物は「愛情と憎悪」を必ず抱き合わせるように描かれ、交錯する感情と、巡り合わされる運命に翻弄されます。また、この作品では全てが白人で描かれています。

フランスのパリでは、男娼のバー、モンパルナスの笑婦街、セーヌ川、どこにでも「愛」は存在し、「性」は自由に飛び回ります。しかし、主人公デイヴィッドは自身を同性愛者と認めることはできません。祖国において同性愛が罪であるからか。自身の恋人ヘラとの結婚が迫っているからか。人類の生産性からの見地か。

相手のジョヴァンニも、祖国イタリアでは妻帯者でした。そこで起きた不幸は彼の心を押し潰し、何もかもから逃れるようにパリへやってきました。その彼の愛は、離れようとするデイヴィッドを引き止める説得に、狂気性として現れます。

いや、きみはだれも愛してはいない!いままでに、だれを愛したこともないし、今後も愛することはないだろう!きみはきみの純潔を愛しているんだ、自分の鏡を愛しているんだ

 

デイヴィッドがある決意をした後、自分を見直す場面で心情が現れます。

ぼくは、ついに、鏡から立ち去り、そして、裸をおおいはじめる。たとえ、その裸が、どんなに汚れているとしても、それでも、ぼくは、それが神聖であると考えなければならない。そして、ぼくは、それを自分の命の塩で、不断にみがいて洗わなければならない。

読後、余韻に浸りながら「愛」や「自己」について考え込まされます。


人間の中に「神の愛」を見出す困難さ、あるいは「信仰による救い」の困難さを、情熱的に描いた作品です。

現在では入手が困難かもしれませんが、機会があればぜひ。

では。

 

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