RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『グレート・ギャツビー』F・スコット・フィッツジェラルド 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

F・スコット・フィッツジェラルドグレート・ギャツビー』です。

ロストジェネレーションの盛衰を、公私共に歩んだ作家の代表作です。

豪奢な邸宅に住み、絢爛たる栄華に生きる謎の男ギャツビーの胸の中には、一途に愛情を捧げ、そして失った恋人デイズィを取りもどそうとする異常な執念が育まれていた……。第一次大戦後のニューヨーク郊外を舞台に、狂おしいまでにひたむきな情熱に駆られた男の悲劇的な生涯を描いて、滅びゆくものの美しさと、青春の光と影がただよう憂愁の世界をはなやかに謳いあげる。

1920年代に活躍したアメリカの作家たちは「ロストジェネレーション」(邦称:失われた世代)と呼ばれます。ヘミングウェイ、フォークナー、そしてフィッツジェラルドが有名です。

彼らは青年期からの生涯を「第一次世界大戦争」「世界大恐慌」「第二次世界大戦争」を経験するという、過酷な運命の中で執筆を続けます。彼らの作品に表れる喪失感、絶望感などは、構築しては破壊される世界が与えた「虚無の価値観」に基づいています。フィッツジェラルドをはじめ、軍に入り、戦争に参加した経験は、人間による破壊や絶望が、希望を見失わせることになりました。この事から「失われた世代」は「迷える世代」と訳されますが、こちらの方が本来の意味に近しいと感じます。

 

第一次世界大戦争」を戦勝国として終えたアメリカは、その後の悲運を予期せぬ時期、世界最大国家となり国内は浮かれていました。
ジャズ・エイジの物語」というフィッツジェラルドの作品があります。この作品で「ジャズ・エイジ」という言葉は定着しました。「ジャズ」はアメリカで生まれた純粋な文化であり、この頃から芸術の絢爛さへ憧れ、メッカであるフランスのパリへ訪れる人が急増しました。映画『ミッドナイト・イン・パリ』は、まさにその時代の話です。


また、1920年に女性が参政権を得たことにより「自由」が与えられ、世に出始めます。ちょうど時を同じくして、アルコールが犯罪を助長させているという理由から「禁酒法」が施行されます。
しかし、サルーン(酒場)は急増します。いわゆる「非合法な酒場」が世に溢れ、これを運営するギャングが栄え、女性たちは髪を短く切ってタバコを片手にサルーンへ飛び込みます。カクテルを飲み、男と話やダンスをする女性を「フラッパー」(おてんば娘)と呼びました。
結局、ギャングの成長を止めることは「禁酒法の廃止」しか考えられず、結果的に犯罪抑止のための禁酒法は失敗に終わりました。しかし、世界大恐慌に嵌っていた国は酒税により恩恵を受けるという皮肉な結果に陥りました。

 

このような時代に生まれた文学をアプレゲール文学(戦後派)と呼びますが、前述のような「虚無」「喪失」「脆さ」「崩壊」などを特徴としています。
今回の『グレート・ギャツビー』はこの特徴が顕著な作品です。
先代より上流階級として苦労なく育った人間の醜悪な価値観や、成り上がり者の抱く脆い夢、貧しい人間の事なかれ主義であり絶望を受け入れている生活、などが一つの物語で無駄がなく、自然に紡がれています。

 

語り手である「ニック」と中心人物の「ギャツビー」は、「俯瞰」と「主観」のそれぞれのフィッツジェラルド自身だと言えます。ギャツビーの執着と情熱を、理解しながらも不毛であると考えていた、彼自身の二つの精神が描かれています。

私はただ、「ジャズの時代の桂冠詩人」と謳われ「燃え上がる青春の王者」「狂騒の二〇年台の旗手」と祭り上げられたフィッツジェラルドが、そうしたレッテルを貼られるだけの絢爛奔放な生活を派手に展開したことは事実だけれども、そうした外観の底にそれを批判的に見るもう一人のフィッツジェラルドがひそんでいたことを強調するにとどめたい。

訳者の野崎孝さんの解説文です。
フィッツジェラルドもまた、成り上がり、「ロストジェネレーション」の中心人物として一時の成功を収めるものの、望まない不摂生や暴飲により、公私ともに急降下していきます。満を持したこの『グレート・ギャツビー』もハッピーエンドを求めていた「浮かれた若者の支持者」には受け入れられず、不発に終わりました。世界的文学として認められたのは、ずっと後になってからでした。

 

この受け入れられなかった重厚なストーリーは、彼が感じた上流社会の不毛さであったり、それを正当化する詭弁に腐敗を感じ、むき出しに描いたところが特徴的です。育った環境により育まれる価値観は歪み、醜悪である自覚を持たない豪奢な絢爛豪華さは、まさに不毛であると断定しています。

ぼくは彼をゆるすことも、好きになることもできなかったが、彼としては自分のやったことをすこしもやましく思っていないこともわかった。何もかもが実に不注意で混乱している。彼らは不注意な人間なのだーー

ニック(俯瞰)から見たこの「彼ら」にはフィッツジェラルド自身も含まれていたのかも知れません。

 

華やかさだけではないニューヨーク郊外の、上流社会の、男女の、歪んだ価値観がぶつかり合う様を、上品で激しい筆致で読ませてくれます。
映画化もされている作品ですが、未読の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

 

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