RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『飛ぶ教室』エーリッヒ・ケストナー 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

孤独なジョニー、弱虫のウーリ、読書家ゼバスティアン、正義感の強いマルティン、いつも腹をすかせている腕っぷしの強いマティアス。同じ寄宿舎で生活する5人の少年が友情を育み、信頼を学び、大人たちに見守られながら成長していく感動的な物語。ドイツの国民作家ケストナーの代表作。


アメリカの株式崩壊を発端に起こった世界大恐慌が人々の生活を脅かすなか、第一次世界大戦争の責任を全て押し付けられる形で終えたドイツでは、失われた国の誇りを取り戻そうとする、アドルフ・ヒトラー率いるナチスへ国民は期待を強めていきます。政権を奪取した1933年から怒涛の内政改革を行い、軍事強化を中心に抗戦体制を整えていきました。1939年のポーランド侵攻によって始まった戦争は世界を巻き込み、空前の規模で戦火が広がります。ヨーロッパを中心に行われていた激闘は日中戦争と交わり、アメリカが参戦したことで太平洋にまで及びました。長く続いた争いは攻撃の手を激しくしていきます。1945年にイギリス・アメリカ両空軍によって行われたドイツ東部のドレスデン爆撃は、アメリカ兵さえも巻き込んだ甚大な被害を生み出しました。ドイツ軍は追い込まれ、「国民突撃隊」と称して、少年と高齢者を徴兵するまでに至ります。それでも戦況は悪化し続け、ヒトラー防空壕内で自殺し、ドイツは連合国へ降伏しました。


1933年からの内政改革を行うナチス政権下において、自由主義及び民主主義を唱え、ファシズムを非難した作家エーリッヒ・ケストナー(1899-1974)は、当然に思想犯として活動に制限を与えられました。しかし、当時すでに児童文学を中心に文筆家として名声が高まっており、漸く民衆の支持を得たナチスにとっては、強行的な拘束や取り調べを行うことは民衆の意思が離れる危険を伴っていました。反ナチスの思想が込められた著書を一斉に焚書に処した際も、彼の生んだ児童書のみは免れていました。しかし、世界大戦争が活性化するにあわせて、執筆制限や行動制限をかけられます。それでもケストナーはそれに反した活動を行い、ゲシュタポ(秘密国家警察)に逮捕されることになりました。彼自身が受けた罰は、同様の作家などに比べると遥かに緩いものでしたが、同じ場所で行われた実態や被害者の会話は胸に留められ、ナチスに対する反発心をより強固なものへと変化させていきます。本作『飛ぶ教室』の作中でディクテーション・ノートが相手学校に燃やされ、拘束された仲間が十分置きに六発の平手打ちを喰らう描写は、そのようなナチス政権の弾圧を批判したものとなっています。


ケストナーの持つ固い意志はナチス政権下に対して決して屈しません。伝聞による域を越えませんが、父親がユダヤ人医師であったとされる説があります。彼が受けた蔑視は「自身はドイツ人である」という考えをより強いものへとさせていきます。ゲシュタポの取り締まりが厳しくなり、度々の逮捕を受けても他国へ亡命しなかったことは、ここに原因が見られます。亡命はしないがナチスに屈しない、つまり内的亡命として政権と戦い続ける道を選びます。これはドイツの未来を見据えた選択でした。戦禍が広がる苦しみの世界をこれから生きていかなければならない若い子どもたちへ、住み良い世界を切り拓こうとする原動力を持つことができるように育てようとする考えです。彼は「国を変えるためには子どもを変えなければならない」という思考の元で児童文学を書き続けました。本作の主な登場人物は九年制ギムナジウム(日本の中高一貫に近しい)の五年生で、高等学校一年生に該当します。前述したように1944年にナチスが戦況悪化に陥った際、高齢者(六十歳以上)と同時に十六歳以上を「国民突撃隊」として徴兵しました。現在になって読むと、ケストナーが当時の数年後の未来を見据えたかのように感じる設定です。


彼が子どもたちに与えようとした価値観、伝えようとした思いは本作に凝縮されています。それは登場する大人が語りかけます。「正義さん」と呼ばれる尊敬すべき舎監、「禁煙さん」と呼ばれる懐の深い理解者、彼らは親身になって子どもの辛さ、苦しみ、痛み、もどかしさを汲み取ってくれます。諭すように話す言葉には、大切に思うからこその子どもとしての扱いであり、子どもの持つ苦悩を尊重して優しく話しかけてくれます。そして、その言葉はケストナーの生の思いの声が込められています。元気を出せ、打たれ強くなれ、ガードを固めろ、これらは大人へと成長し、大人の社会に入ったとき、絶望せずに立ち向かって人生を謳歌するための大切な言葉として心に響きます。そして、子どものときに感じる喜びや悲しみは、大人と比べて小さいものでは決してなく、大人になったときに心を支える掛け替えのない価値があると訴えています。

 

ただね、大切なことに思いをはせる時間をもった人間が、もっとふえればいいと思うだけだ。金や、地位や、名誉なんて、子どもっぽいものじゃないか。おもちゃにすぎない。そんなもの、本物の大人なら相手にしない。どうだ、ちがうかな?


目の前の生活を過剰でも印象でもなく、直截的に見つめたケストナーは、ドイツの文芸評論家のマルセル・ライヒラニツキに「希望にあふれたペシミスト」と称賛されます。児童文学だからこそ織り込むことができるユーモアは皮肉や風刺の意味合いだけでなく、反面教師として受け止める側面や、抱く理想と現実社会のズレを上手く受け止めさせてくれる効果を発揮しています。そしてその受け止め方を若い世代へ「生きるための学び」として伝えようと児童文学という形で表現しています。

 

自他ともに理解することが必要だ。といっても、理解することは納得することではない。すべてを理解することとすべてを許すことは、決して同じではないのだ。なにがあったか知るだけではだめだ。学び方を変えなければならない。

エーリッヒ・ケストナー終戦日記一九四五』


物事を冷静に、そして注意深く受け止めて、自分の価値観を守りながら学びを糧としていく。未来を作る若者へのメッセージは、とても強く重い言葉を美しい物語で優しく伝えてくれています。そして、その言葉は大人に強く突き刺さります。自身の生き方を見直させられながらも、暖かい光を心に当ててくれます。心地よい読後感のクリスマスの物語、ぜひ読んでみてください。

では。

 

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