RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『サロメ』オスカー・ワイルド 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

妖しい美しさで王エロドの心を奪ってはなさぬ王女サロメ。月光のもとでの宴の席上、七つのヴェイルの踊りとひきかえに、彼女は預言者カナーンの生首を所望する。幻想の怪奇と文章の豊麗さによって知られる世紀末文学の傑作。ビアズレーの挿絵をすべて収録。


オスカー・ワイルド(1854-1900)は十九世紀末に隆盛を始めた耽美主義を率いる代表者の一人です。アイルランドのダブリンに住む、イギリス系の敬虔なプロテスタントの父と詩人の母の元に生まれました。彼の秀でた能力は多言語の習得だけでなく、古語と詩作を中心に才能を開花させ、オックスフォード大学を優秀な成績で卒業します。長詩『ラヴェンナ』を出版して評価を受けると、アメリカやカナダへ向かい、「新芸術における英国ルネサンス」について講義します。確かな審美眼と美の追求心は受け入れられましたが、言葉遣いや蔑んだ態度に批判を受け、あえなくロンドンに向かいました。そこでは、ジャーナリストとして精力的に活動する傍ら、詩篇、戯曲、随筆などを書き上げていきます。1890年に発表した唯一の長篇小説『ドリアン・グレイの肖像』は、退廃と耽美が見事に入り交じり、十九世紀末の代表的な作品として、オスカー・ワイルドの代表作として、世に広まることになりました。


翌年の1891年に執筆された本作『サロメ』は、フランスのパリ滞在中にフランス語で書き上げました。紀元一世紀の古代イスラエルが舞台である新約聖書の第六章「マルコによる福音書」を基にした物語です。「斬首されたバプテスマのヨハネ」を脚色し、戯曲を書き上げました。そこにはワイルドが持つクィアネス(時代の社会理解を踏まえた性的マイノリティ)の価値観を織り込みながら、近親相姦やネクロフィリアが耽美的に描かれています。しかし、イギリスにおいては1642年の内乱を発端としたイギリス革命(名誉革命ピューリタン革命)の余波により、未だ演劇において「聖書の主題」を描写することは禁止されていました。そのため、『サロメ』のイギリス出版が叶わずに意気消沈しましたが、尊敬される作家を目指すべく、『ウィンダミア卿夫人の扇』『理想の夫』などの社交喜劇を発表してロンドン一の作家と評されるまでに成功しました。


ワイルド自身は同性愛者の側面を持っていました。彼には妻も子もありましたが若い男性のパートナーが存在して、その生活によって耽美的な感性や描写をより濃いものへと作品を昇華させています。その相手の父親に関係を知られて、互いを訴訟し合う泥沼の関係へと発展しますが、「同性による性行為」が重罪であったイギリスにおいてはワイルドの抵抗も虚しく有罪判決を受けることになりました。二年間の投獄生活は重労働と不自由で埋め尽くされ、やがて健康を冒された挙句、財産をも失って晩年はアルコールだけを頼りに暮らし、遂に病に倒れました。


本作には「真善美を求めるが故の攻撃性」が、脚色を超えた個性として現れています。預言者カナーンヨハネ)を「神に触れた者」として畏怖し、水槽へ閉じ籠めるエロド王ですが、妻エロディアスにヨカナーンの生命を奪うことを求められます。頑なに反抗するエロド王は、時折さけび声をあげるヨカナーンを恐れます。宴の最中も構わずにさけび続ける声を紛らそうと、妻の連れ子であるサロメに、気持ちを変えるための踊りを求めます。エロド王を毛嫌いしていたサロメはその元から逃れるため場所を離れると、さけび声に誘われるように近付いていき、ヨカナーンの姿を認めるに至ります。ひと目、ひと声で恋に落ちたサロメは、ヨカナーンを求めますが、「忌まわしい子である」として強く突き放されます。どうしても思いが途絶えぬままエロド王の元へ戻ると「望むものを何でも与える」という約束を取り付けて踊ることを承諾します。「七つのヴェイルの踊り」を、一枚一枚脱ぎ捨てるように官能的に踊りきった彼女は王に約束を求めます。そこで所望したものは「ヨカナーンの首」でした。


カナーンの斬首は成り、銀色に輝く盆の上に乗せて運ばれてサロメの元へ届きます。ここで見せる口付けの描写は頽廃と官能美が溢れ、醜悪と恍惚が併存しています。サロメが年端もいかない少女性を感じさせるところから、高い地位にいるが故の不自由、受動的に与えられることばかりであった人生で、初めて、唯一、自ら望んだ存在がヨカナーンであったのではないかと考えられます。そこには、世間的な、一般的な、限度や歯止めなどはなく、本能的とも言える執着でヨカナーンを欲したのだと捉えると、彼女の猟奇性は純真性へと転化されます。この感情を暴力的に表現したことで、サロメの欲望を爆発的に印象付けています。

斬首ののち、エロド王は恐れが止まぬまま、今度は兵士たちにサロメの生命を奪うように指示します。駆け付けた兵士たちは彼女を盾で踏み潰し、圧死させてしまいます。サロメネクロフィリア的行為は、ファム・ファタル(破滅へ追い込む魔性の女性)の様相を帯び、そうして劇中での恐怖を一手に背負ったなかでの彼女の処刑は、安堵と頽廃の空気を満たして幕を下ろします。ヨカナーンを愛す行為は、「禁止された情愛」と見ることもでき、クィアネスであるが故に社会に苦しみを覚える人々、つまりワイルド自身の苦悶を間接的に、そして直情的に描いているとも言えます。


エロド王が兵士へ命令を下す際、「その女」を殺せ、という言い回しで他者であることを強調しています。これは劇中に王が耳にした「翼の羽ばたき」への恐れが見られます。これは神の羽ばたきを表現していると見られ、恐るべき業を背負ったサロメとは自分は無関係であると訴えています。これは、当時のクィアを排斥しようとするイギリス王の姿勢を現しており、信仰心の在り方へのワイルド自身の問題提起と解釈できると思います。

 

あゝ!見ろ、あの月を!赤くなつてきたぞ。血のやうに赤くなつてきたぞ。あゝ!あの預言者の預言は本當だつたのだ。あの男は預言した、月が血のやうに赤くなると。


輝く月は赤く染まり、血に染まる床を金の目を持つサロメが踊る。暗示的に描かれる月と翼は、美しさ以上に圧迫感を与えて、その重々しさがサロメの一途な純粋性を猟奇的に導きます。そこに含まれる純真は本質的に悪なのか、否か、考えさせられる作品であると思います。

耽美と頽廃で描かれた本作『サロメ』、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

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