RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『エドワード三世』ウィリアム・シェイクスピア 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

百年戦争の最中、美女の誉れ高い伯爵夫人に恋い焦がれるエドワード三世の様と騎士道の美徳を称えた歴史劇。

 

ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)は、エリザベス女王一世の統治下における宮内長官による劇団一座にて演劇台本の執筆を手掛け、数多くの作品を生み出しました。統治がジェイムズ一世となると、劇団はそのまま国王一座として受け継がれ、過去に書き上げられた作品も引き取られました。宮廷用の演劇台本として書かれた作品は匿名の状態で後世に継がれたため、現在において、幾人か存在したお抱えの作家のいずれが執筆したかが不明となっている作品が多くあります。そのような作品の中の一つである、近年まではシェイクスピア作品として認められていなかった、そして見直されてシェイクスピアが書いたであろうと考えられている作品が、本作『エドワード三世』です。

 

この作品は「史劇」です。史実を元に出来事をなぞり、登場人物たちの性格を脚色し、歴史的行為から感じ取られる主題を芸術的に盛り込んだ演劇です。「エドワード三世」はシェイクスピア作品において、幾度も名前が語られる名君として存在しています。時代の経過から追いかけると『リチャード二世』『ヘンリー四世』『ヘンリー五世』『ヘンリー六世』と続いていきます。


十三世紀初頭、フランスの一部を占領していたイギリス諸侯のジョン王は、フランス国王フィリップ二世の進軍によりその領地を強制的に奪還されてしまいます。ジョン王が支配していた土地はワインの産地、毛織物の産業として潤っていたため、フィリップ二世は全てのフランス内領土を奪還して統一を図り、フランスの発展を画策します。拗れた封建諸侯の関係は領土争いを続けていきますが、フランスが概ね領土を取り戻すこととなりました。しかし、フランス王国の正当継承家系のカペー家が潰えたことで大きな問題が勃発します。フランス王にヴァロワ家のフィリップ六世が成り上がったことに対して、当時のイギリス国王エドワード三世が継承権の主張を行います。エドワード三世の母がカペー家の出自であることから、自身が正当な継承者であると声を上げました。この主張に両者は相容れず、エドワード三世が開戦の火蓋を切って落とします。ここに英仏両諸侯による「百年戦争」が始まりました。領土問題や継承権問題は、本来であればローマ教皇による調停が為されるものでありましたが、時運悪く、「教皇のバビロン捕囚」(フランス王配下)にあったことから、イギリス側の諸侯が仲介の依頼自体を行うことができず、両諸侯の争いが発展して長期化してしまいました。


本作では、この百年戦争前半のイギリスによる猛攻を中心に描かれています。エドワード三世が戦いの衝突に至るまでの覚悟を、メタファーとして恋による心の揺らぎを描いています。現在にまで引き継がれている「ガーター勲章」(ブルーリボン)は、本来はこの戦いのために編成されたガーター騎士団の入団の証でした。ガーターが象徴とされたことには逸話が残っています。ソールズベリー伯爵夫人が舞踏会の最中にガーター(靴下留め)が外れて床に落としてしまったとき、エドワード三世が拾い上げて自信の左足に付け、「思い邪なる者に災いあれ」と発したと伝えられています。これを元にして本作では、エドワード三世がソールズベリー伯爵夫人に思いを抱くようにシェイクスピアは描いています。スコットランド王に捕らえられた彼女を、侵攻したエドワード三世が救い出し、そこからフランスへ乗り込もうとする計画でした。しかし、彼女に一目惚れをしたエドワード三世は、気概が無くなり、尊厳も見られず、人徳に反する思考になり、権力を悪用して自分のものにしようと躍起になります。それに対して彼女は命を懸けて抵抗し、王としての尊厳を取り戻すように嘆願します。その行為に胸を打たれ、我に返ったエドワード三世は、心を正の方向に向けて進軍を再開します。フランスへの侵略行為を、「正当な目的に戻った」と読者に感じさせるシェイクスピアの導きは見事と言えます。

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エドワード三世とソールズベリー伯爵夫人


物語はこうして後半に入り、当時の英雄「黒太子」(エドワード三世皇太子)の活躍を主軸として、クレシーの戦い(1346年)、ポワティエの戦い(1356年)の激戦が、時間を凝縮して進められていきます。獅子奮迅の活躍を見せる黒太子は、百年戦争期の騎士の典型として語られるように、義や礼を重んじて行動します。そして、彼が窮地に立った時、エドワード三世は冷酷とも言える決断をして、救いに向かおうとする部下たちを厳しく叱ります。そして黒い鎧を纏いながら王の元へ立派に帰還する様を見て、誰よりもエドワード三世は喜びます。騎士道精神を理解して、それを守り続けることができるようにとの、冷たい行動であったと受け取ることができます。

 

本作における主題の一つに「誓い」というものが掲げられています。

また、一貫性ということで言えば、「誓い」というテーマで作品は一貫している。前半部で、王への誓いに縛られるウォリックや、神への誓いが王の命令より優位であることを説く伯爵夫人のあり方は、後半部における、誓いによって自らを縛るヴィリエや、ジャン王の命令より自らの誓いの優位性を説く王子のあり方と呼応する。しかも、ヴィリエが誓う相手がソールズベリー伯爵であることで、《伯爵夫人の場》とのつなごりも保たれている。こうした点を考慮すれば、この作品はむしろ緻密に構成された作品であると言うべきだろう。

訳者解説 河合祥一郎

この「誓い」が信念と交わり、それぞれの登場人物の行動理念となって裏付けられています。とくに、黒太子が語る言葉には騎士道を究めた鋭く苦しい覚悟が見え隠れしています。そしてそれは、ハムレットが抱いていた死生観と呼応します。

わたしは命など少しも大切に思ってはいないし、いかめしい死を避けようとさえ思わぬ。生きることは、死のうとすることにすぎないのだから。そして死は、新たな生の始まりにすぎない。

史実において黒太子は、この激戦ののちに黒死病(ペスト)で亡くなり、リチャード二世が即位することになります。


本作『エドワード三世』では、争う諸侯たちと、煽りを受ける国民たちの感情の温度差が明確に描かれています。この百年戦争は英仏両国による戦争ではなく、継承権と領土を争う諸侯同士の戦争であることが原因です。兵士たちのいずれもが国のために戦っているのではなく、忠誠を誓った各諸侯の誇りのために戦っています。このため、フランス国民は戦争の舞台となった住んでいる土地から避難しようとする描写が見られ、災害から逃れようとする思いに似た言動さえも描かれます。だからこそ、黒太子の抱いた「誓い」、或いは死生観がより強力なものとなり、死ぬように生きようとする描写に説得性を持たせています。特にイギリス側の諸侯は教皇の捕囚により、純粋に神へ祈ることを「救い」と結びつけることができなかった中で、信ずるべきは自身であるという覚悟を持ち、自身の生き様に意味を持たせようとしたと考えられます。それぞれが行動の原理として持とうとした「誓い」は、やがて人生の「救い」へと昇華されたと言えます。


史実を見れば、黒太子の死、イギリス諸侯が奪取した領土内の農民による反乱、そしてジャンヌ・ダルクの登場と、憂き目が続きますが、物語の読後は清々しい結末で締め括られています。この点がハムレットと対比的であり、「誓い」による苦悩が報われるように描かれて、騎士道や信念の大切さを感じさせられます。

紙での入手は困難ですが電子書籍がありますので、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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