RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『サー・トマス・モア』ウィリアム・シェイクスピア 他 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

サー・トマス・モア(1478-1535)は十六世紀に法律家として活躍した思想家です。ロンドンの法律家のもとで生まれ、裕福な環境のなかで育てられました。オックスフォード大学で古典の哲学や文学を学びましたが、家業に倣って法律家を目指すため、法律学校へと移ります。法学を修めると、その才覚はすぐに芽生え、多くの人々の支持を得ます。その後、二十代にして下院議員に当選し、政治家としてもその手腕が認められていきました。四十代に至ると国王ヘンリー八世の寵愛を受け、幾つもの外交政治における要職を任され、その活躍も認められて、官職の最高位である大法官の地位を与えられました。それでも彼は、持ち前の賢明さと善良さを常に崩すことなく、国王や民衆の期待を裏切ることはありませんでした。また、彼は熱心なカトリック信仰の持ち主で、キリストの教えを尊重し、欲望に走ることなく生きることを自分に課していました。


モアが大法官に任命されたころ、ドイツでは宗教改革が広がっていました。ローマ教会がドイツで販売した贖宥状(買った人間は現世における罪が許され、天国に行くことができると言われる免罪符のようなもの)に対して、マルティン・ルターが投げ掛けた公開質問状「九十五ヶ条の論題」が発端となり、カトリック教会への批判が爆発的に高まっていました。この改革は国境を越え、イギリスでもその風潮は広がっていきます。しかし、ヘンリー八世はルターの主張を認めず、その改革の波を弾圧し、カトリックを擁護したことから、ローマ教会より「信仰の擁護者」という称号を与えられました。信仰の厚いモアは、ローマ教皇から信仰擁護者とされたヘンリー八世を当然ながら支持し、カトリックが唯一の正当なキリスト教であるという立場を守ります。ところが、国王の離婚問題によって事態は大きく変化します。


ヘンリー八世の皇后であるキャサリン・パーは、スペイン国王フェルナンド五世とイザベルの娘で、もとはヘンリー八世の兄であるアーサーの妻でした。アーサーは婚儀直後に急死したため、国政上の問題でヘンリー八世と結婚することになりました。しかし、この二人の間には女子しか生まれず、イギリス側の王位継承問題が浮上したため、ヘンリー八世は離婚を決意します。この背景には、ヘンリー八世が宮仕えのアン・ブーリンと恋に落ち、彼女を皇后へ迎えたいという考えがありました。これにより、ローマ=カトリック教会との関係が複雑化し、国政問題にも発展して大きな問題へと進展していきます。もともと兄嫁と結婚すること自体がカトリックでは許されないことでしたが、まだ国力が弱かったイギリスはスペインとの良好な関係を維持する必要があったため、ローマ教皇から特別に許可を受けていました。そこに同じ理由で、今度はその離婚のために特別赦免を願うという要請があったため、ローマ教皇の逆鱗に触れます。ヘンリー八世はキャサリンとの離婚、懐妊がわかったアン・ブーリンとの結婚を合法化させるため、「宗教改革議会」というものを開き、カンタベリー大司教の力を借りてそれらを叶えました。そうして生まれたのは女子であり、後のエリザベス一世でした。また、ローマ教会側は一連の流れを受けて、ヘンリー八世を破門にし、ヘンリー八世は「国王至上法」(首長法)を発布して国教会制度を整えたことから、ローマ教会とイギリスは決定的に絶縁しました。


このイギリス宗教改革と言える国策は、徹底したものでした。教会や修道院を次々に崩壊させ、その財産を議会のジェントリ層が掠め取っていきます。このカトリック弾圧は当然ながら国政にも影響し、政治家たちも強制的にこの考えに賛同させられました。これは、モアにも突き付けられます。しかし、聖者でない者が教会の首長となることは不可能であるとして賛成を求める書面に署名をせず、大法官を辞任することになりました。ヘンリー八世は、モアの行為を反逆罪に当たるとして、ロンドン塔へと投獄し、死刑の判決をくだし、1535年に断頭台で処刑されました。


本作『サー・トマス・モア』は、彼の伝記的史劇となっています。もともとシェイクスピア外典シェイクスピア執筆と思われるが根拠の少ない作品、或いは贋作とされた作品)のなかに含まれていましたが、科学の進歩によりシェイクスピアの執筆であると判断された作品です。真贋鑑定が複雑になった理由の一つに、本作の元原稿の筆写者(下書きを演劇の形式に整える浄書を行う者)を、シェイクスピアから見て英国作家としての先輩であるアントニー・マンデイが引き受けたことにあります。未熟な劇作家や無名な作家が執筆した作品を戯曲に仕上げる浄書という作業を、シェイクスピアは何故か依頼しました。そしてこの作品には、五人の加筆手跡が確認され、うち一人がシェイクスピアであると断定されました。奇異とも言えるこの作業分担には深い意味があります。『サー・トマス・モア』は、「カトリック殉教者」を主人公にした戯曲であり、そこには賞賛の色が濃く映し出されています。しかし、当時の英国では、前述の通り、カトリック教徒に対して激しい弾圧行為が齎されていました。さらに思想だけではなく、劇中でロンドン市民の蜂起といった事柄も描かれ、政治的に見ても検閲によって厳しく罰せられる対象となる内容でした。つまり、本作を発表する作家は危険を共にすることであったと言えます。この政治的、世間的な状況を鑑みたシェイクスピアは、先輩作家マンデイに浄書を依頼して、或る種のカモフラージュとして、厳しい検閲から逃れようとしたと考えられます。


後世の研究においてまず疑問符が立てられたのが、国政のカトリック弾圧に女王より功績を与えられたほどの強固なプロテスタントであるマンデイが、なぜカトリック信仰を擁護するような作品を執筆したのか、という点でした。1757年に偶然に見つかった、シェイクスピアの生家の屋根裏に五枚の冊子が発見されました。それはシェイクスピアの父であるジョン・シェイクスピアの署名が入ったカトリックの「信仰上の遺言書」でした。これは謂わば、カトリック信仰告白の書と言えるもので、父ジョンは密かにカトリック教徒であったことが明らかにされました。また、シェイクスピア自身が通ったストラトフォードのグラマー・スクール「ヘンリー六世校」に通っており、これはローマ・カトリックが創設に携わっています(ヘンリー六世という校名にはヘンリー六世との関わりが無い)。さらに、シェイクスピアの三人の子供たちである、スザンナ、ジュディス、ハムネットが「国教忌避者」の名簿に記載されているという事実があります。前述のイギリス国教会の礼拝に出席しない者をこのように呼ぶことから、シェイクスピアの子供達もまたカトリックであったことが理解できます。これらのような事柄からシェイクスピア自身がカトリック信仰であった可能性が非常に高いと考えられ、本作のカトリック讃歌を描いたことも頷けます。


「伝記劇」と呼ばれる演劇形式は、エリザベス朝時代に人気のあったものでした。シェイクスピアが描く演劇は、登場人物たちによる出会いや事件によって、その世間における社会性を浮き彫りにし、詩性や文芸性を込めたものが数多く、喜劇、悲劇、史劇、ロマンス劇(悲喜劇)と分けられています。しかしながら、この伝記劇は、主人公が繰り広げる社会での行動に物語が沿うことで、その主人公の人間像を浮かび上がらせるものであり、そこに劇的な緊張や感動を求めるものではありません。端的に言えば、社会を描くか、人物を描くか、と言った違いがあります。それ故に、伝記劇には美しい詩性や、大きな感動などはあまり無く、人物の個性や振る舞いが強く前面に描かれます。


本作において浮かび上がるモアの人間像は、賢明であり、善良であり、慈悲に溢れた性格の人物です。対比的に、ハムレット、オセロー、リア、マクベスといった四大悲劇に挙げられる主人公を筆頭に、シェイクスピアが描く中心人物は比較的「過誤」な性格を帯びて描かれていることが理解できますが、これらに照らし合わせると、モアは終始、特異な「善の人」として描かれています。実際に生命をかけて国王のイギリス宗教改革に反対するという史実からも窺えるように、実に信念の強い人物であったことは間違いありません。真の信仰擁護者と言える彼の言動のなかに見える偉大さを、シェイクスピアは描き出そうとしたのだと考えられます。


当時はイギリスの国力の弱さから、フランスやスペインからの移住者たちは、イギリス人を差別的に扱い、利益を強奪し、性行為の強要などを当たり前にする時代でした。その扱いに業を煮やしたイギリスの民衆はロンドン市長の元へ集い、武力行使で蜂起します。これを収めるために招集されたのが、民衆の支持が強い善の人モアでした。

 

諸君は、やけっぱちにこんなことをしでかして、諸君の魂をどうするつもりなのだ。諸君の汚れた心を涙でもって清めたまえ。また、謀反人よろしく、平和に反対してふりあげたその手を、平和のためにさしあげたまえ。そして、諸君の不敬の膝を、諸君の足とするがいい。諸君は騒乱を秩序だと心得ているのだろうが、戦などおっぱじめるより、陛下の御許にひざまずいてお赦免を請うほうが、どれほど安全かわかりはしない。


モアは、民衆の命も等しく尊いものと考え、いかなる損失も望んでいませんでした。このような信仰を元にした善の言動は、清々しいほどに快く、また徹底した徳の行いに強い信念を感じます。これは劇中劇『「才気」と「知恵」の結婚』において、モアが「良き助言」役を演じる際、特別に演技をするわけではなく、元来持ち得ている善良な思考による発言を披露するという場面からもわかるように、ここでもモアの信念の一貫性が見えてきます。


本作が記録的に映し出す、或いは想起させるモアの人生に込められた複雑な主題感情は、終幕において最高潮に達します。モアを敬い、モアを偲ぶ、そのシェイクスピアの姿勢は、モアの処刑によって作品が含む殉教的な主題が完成します。そこには悲劇性ではなく、殉教の精神が打ち出されています。

 

奥よ、元気を出しなさい。みんなもそうです。みなはわたしが出世したとき喜んでくれたが、かといって転落のときになくものではありません。さあ、中へ入ろう。よろこびの日々が後悔の日々で終るからには、せめて親しい者同士が、ここで楽しく過そうじゃないか。卓越した人間の曙光は歓喜をもって迎えられるが、しばしば真昼にみなにあざけられて沈むものだ。


「完全なる善の人」を描写したように感じられる『サー・トマス・モア』。その善の人が殉教しなければならなくなった理由が国政にあるという、当時のイギリスにおける最も危険な主題を込めた作品です。ドラマチックな紆余曲折が複雑に絡み合うような場面はありませんが、じっくりと滲み出てくる作者の強い思いと、当時のイギリス宗教改革に対する否定的な眼差しが印象に残る作品です。少し読み応えの違うシェイクスピア作品、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

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