RIYO BOOKS

RIYO BOOKS

主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『お気に召すまま』ウィリアム・シェイクスピア 感想

f:id:riyo0806:20231110194443j:image

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

本作『お気に召すまま』の種本は、トマス・ロッジ『ロザリンド』(1590)と、作者不詳の物語詩『ギャミリン物語』(1400)が用いられています。両作品に描かれる残虐な死の場面や、淫蕩で不幸な場面などはシェイクスピアによって姿を消され、おかしみや機知に富んだ会話に溢れた作品へと変化されています。シェイクスピア作品のなかで、最も甘美で、最も幸福な物語と言われています。


フレデリック公爵は兄である先代の公爵を策略によって追い出し、地位、名誉、財産の全てを簒奪しました。しかし、先代の娘ロザリンドは、自身の娘シーリアの願いにより、その側へ置くことになります。先代の公爵が敬愛していた騎士ローランド・デ・ボイスには三人の息子がいました。その末息子であるオーランドーは、長兄のオリヴァーから財産を与えられないばかりか、耐え難い扱いを日々受けていました。関が切れたように激しく怒りを露わにしたオーランドーは、鬱憤を晴らすべくフレデリック公爵が催すレスリングの試合に出場して暴れてやろうと決意します。そしてフレデリック公爵お抱えの戦士チャールズに身分を隠して戦いを挑むと、見事に打ち負かして勝利を手にしてしまいます。素性を問われたオーランドーはその身を明かすと、フレデリック公爵は気分を害し、勝者に対して不相応な態度をもって場を離れるように命じます。その最中で出会ったオーランドーとロザリンドは僅かな会話のうちに恋し合い、思いをそれぞれに募らせていきました。帰路の合間に、オーランドーは忠臣アダムより、オリヴァーが命を狙っていることを告げられ、二人共だってアーデンの森へと避難します。一方のロザリンドは、フレデリック公爵の不機嫌のままに、シーリアの願い虚しく追放を告げられます。彼女たちは策を弄し、見張りの目を掻い潜って、二人揃ってアーデンの森へと旅立ちます。そして、女性二人での森歩きは危険であるということから、ロザリンドは男装してギャニミードを名乗り、シーリアはエイリイーナと名乗って森へと進むことになりました。そしてそこには、シーリアの案で宮廷道化タッチストーンも随伴します。


森の中でロザリンド(ギャニミード)と再会したオーランドーは、素性を知らずに本人に対して、命を狙われること以上に恋に悩まされていることを告げてしまいます。ロザリンドは、自分をロザリンドに見立てて告白の練習をすれば良い、という解決策を提示して、オーランドーは知らずに本人に対して告白を繰り返すことになります。また、追いやられた先代の公爵もこのアーデンの森におり、その廷臣たちとともに、洞窟を居城として世俗から離れた牧歌的な暮らしを楽しんでいました。果物の採取や鹿狩りなど、宮廷暮らしと対を成すような生活を過ごしています。そこに空腹に倒れたオーランドーとアダムが出会い、命を救われます。その頃、タッチストーンは森で出会った羊飼いの娘オードリーと恋仲となり、ふらふらと森を歩き回って、先代の公爵の従者である皮肉屋のジェイキスと言葉を交わして楽しみます。また、ロザリンドは森の中でシルヴィアスとフィービという羊飼いの二人に出会い、恋の成就の手助けをしようとしたところ、フィービに惚れられてしまいました。


一方で、ロザリンドと共にシーリアが去ったこと、そして同時にオーランドーが失踪したことで、フレデリック公爵はオリヴァーを責め立てます。急ぎアーデンの森へと向かったオリヴァーは、あてもなく彷徨った挙句に力尽き、倒れたところへ蛇と雌獅子に襲われてしまいます。見て見ぬ振りができなかったオーランドーは、命を狙ってやってきたオリヴァーを、傷を負いながらも助け出しました。心を改めたオリヴァーは、オーランドーとともに、森の中へ命を守るために身を隠します。そして出会ったオリヴァーとシーリアは、瞬く間に恋に落ち、二人とも心が惹かれ合います。ロザリンドは、オーランドーとの恋を成就させる機会と見て、それぞれ幸福になるため、全員が結婚するという一計を案じます。


ロザリンドはギャニミードとしてフィービに結婚を承諾しますが、何らかの理由で結婚できなかった場合に、シルヴィアスと結婚することを約束させます。オリヴァーはシーリアと、タッチストーンはオードリーと、そして、ロザリンドはギャニミードの変装を解き、オーランドーの前へ現れて結婚を承諾(何度も告白されているため確信がある)するという計画です。そして父である先代の公爵の前でロザリンドは男装を解いて現れ、婚姻の神ハイメンの名の下に皆が契りを結びます。さらにフレデリック公爵がアーデンの森へ踏み入ろうとした際、老僧に説かれ、心を入れ替えて全権威と全領土を先代の公爵へと返還するという報せが届き、全てが大団円となって幕を下ろします。


唐突な恋心の芽生えや、急激な改悛、そして童話的な大団円と、観客は勢いのままに物語に引き込まれていきます。この現実性の無さに整合性を持たせているのが、アーデンの森が持つ「魔力」とも言える効果です。アーデンの森は厭わしき現実の世界に対置された桃源郷として描かれています。中に踏み入る者へ、改悛と安寧を与える「魔力」が働きます。あれほどの簒奪者であるフレデリック公爵が、即座に自身の行いを悔いて位を退く事態は、もはや異世界とも言えます。この「仮象の世界」にあるからこそ、オーランドーがギャニミードをロザリンドであると気付かない点や、オリヴァーの目まぐるしい感情の変化を、読者は得心が行って進むことができます。

「アーデン(Arden)」は、種本にも登場する語ですが、一説には牧人の楽園アルカディアArcadia、Arkadia)と理想郷エデン(Eden)の造語と言われています。しかし付け加えて、シェイクスピアの母親の旧姓がアーデン(Arden)であったことから、ここに偶然性を見出し、特殊な「魔力」を持った森を創造したと考えられます。そして結末が訪れると、森の中の人々の改悛が済み、幸福を手にして現実世界の現実社会へ戻るため、アーデンの森の「魔力」が切れ、簒奪者フレデリック公爵に追いやられていた「はず」の人々が、本来の宮廷へと戻されます。これは、いずれ描かれるロマンス劇の傑作『あらし』(テンペスト)で、万能妖精エーリアルの魔法が消え、大団円となった人々がナポリへ戻される事態に呼応します。


オーランドーはアーデンの森に入ると、「魔力」によって恋の病に包まれ、多くの者に認められていた真に強く勇ましいさまは、全く見られないほどの人物へと変化します。これは、オリヴァーの急激な人間性の変化にも同様に言え、いわば解決すべき問題の意識が「魔力」によって高められているとも考えられます。しかし、その「魔力」に影響されていない人物がロザリンドです。そればかりか、最終的にはロザリンドが皆の運命の決定者となり、幾人もの運命を掌握する姿は、正しく魔女的であると言え、劇そのものを動かす支配者となっています。

 

見よ神は造化に命じ給いき
一人を選びてその身内を充たすべし
世にあるなべての美徳もてと
造化はただちに神意を受け美女ヘレンの心を捨て
その艶なる頬を
クレオパトラの荘厳を
アタランタの軽き足取りを
痛ましきルークリースの貞節を……
かくてロザリンドに諸々の美は集まりぬ
天なる神々、力を協せ給い
あまたの顔、あまたの瞳 あまたの心を因に
絶妙の神技をこの世に示さんとなり……

第三幕第二場


牧歌的で遊戯的な劇において、追いやられた先代の公爵は「魔力」に包まれ、このような生活こそ幸福だと、真に感じながら説きます。ここに現実性が見られない以上、劇には対比的な批評者が必要となってきます。その役割を担うのが、先代の公爵に仕えるジェンキスと道化タッチストーンです。皮肉屋であるこの二人もまた、森に惑わされない人物であり、劇中の「魔力」を反面的に演出しています。

ジェンキスは純粋な瞑想家であり、社会全体の観照者です。彼は常に考え、常に訝しみますが、行動には移すことなく、結果的に何もしないという人物です。彼は他者が環境に流され、溺れ、振り回される様子を見て、人間は如何に在るべきかを説きはしますが、その目的は自分を楽しませることに集約しており、単純に黙考することができる環境を好んでいるだけです。

他方のタッチストーンは、実にシニカルな哲学者であり、正に生きる道化であると言えます。愚かしさを知恵に、知恵を愚かしさに切り替える様子は滑稽でありながら、多くの知識と深い考慮の基に築かれており、非常な早さで回転する舌は、様子に反して理知的な言葉が綴られていきます。また、調子に反して徹底的に宮廷人であろうと振る舞い、森の中での生活に否定的な印象を抱きます。

いや、全く、羊飼殿、これはこれとして結構な暮しと言うべきだ、しかし、それがあくまで羊飼の暮しであるという点は一向面白くない。人附合いせずに済むのは大いに気に入った、だが、淋しいという点では、とても堪らない暮しだね。それに田園生活というのは実に楽しい、だが、宮廷の華やかさが無いという点では全く退屈きわまる。つましい暮しというのは、正直の話、俺の気性にぴったりだ、が、万事、在り余るという具合に行かないので、時々腹の方で音を上げるという訳さ。

彼ら二人は、静謐で孤独な筈の森の生活に高尚さと情熱を輝かせる公爵たちに懐疑的な視線を投げ掛けるとともに、宮廷生活者たちの目線で「牧歌的な幸福は真か」という考えを代弁します。


また、アーデンの森で魔力の影響を受けていないもう一人の存在が、オーランドーの忠臣アダムです。初公演でシェイクスピア自身が演じたと言われています。メタ視点で「唯一魔力に惑わされていない存在」と言え、根本的に現実の存在となっています。実直さ、誠実さ、忠心の塊であるアダムは、一心にその忠義を遂行します。その視点には、自身の幸福や欲望などは介在せず、ましてや森の牧歌的な理想生活や、豪奢な宮廷生活などに溺れることはありません。ただ己を律し、「精神を平静に保つ」ことで、どちらの生活環境にも侵されず、自らの役目を全うします。アダムの目線にはどちらの世界も欺瞞に溢れていることが見えており、環境ではなく自身の忠義を果たすことができます。

 

シェイクスピアはこの戲曲の中でアーデンの森を變貌させて第二のアルカディアにしてゐる。そこでは人々が「黄金時代そつくり」に「何の煩ひも無く時を過してゐる」のである。これは、この作者の全作品の中で最も理想的なものである。これは牧歌的なドラマであつて、その興味は人物たちの行動や情󠄁緒や性格に由來してゐる

『お氣に召すまま』批評集より ウィリアム・ハズリット


シェイクスピアは、ギリシャ神話における牧人たちの楽園「アルカディア」を描きました。それは理想に過ぎないかもしれませんが、目的は、その理想を見ることによって心身が癒されることにありました。執筆時期は喜劇時代の成熟期です。『ハムレット』『マクベス』などを既に構想していたシェイクスピアにとって、この喜劇時代を終わらせ、その後に訪れる重い悲劇時代を迎えるため、その訪れの前に「理想郷」を創出して憩いを求めることが必要不可欠であったのだと考えられます。だからこそ、作品自体には「理想に過ぎないアーデンの森」を描き、理想的な幸福物語を描いたのだと言えます。

アーデンの森へと踏み入った後から登場人物が次々と変貌していくさまは、のめり込むと一挙におかしみが増大します。愉快で幸福な物語、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

privacy policy