RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『方法序説』ルネ・デカルト 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

すべての人が真理を見いだすための方法を求めて、思索を重ねたデカルト。「われ思う、ゆえにわれあり」は、その彼がいっさいの外的権威を否定して到達した、思想の独立宣言である。近代精神の確立を告げ、今日の学問の基本的な準拠枠をなす新しい哲学の根本原理と方法が、ここに示される。

 


ルネ・デカルト(1596-1650)は、フランスのトゥーレーヌ州ラ・イェでブルターニュ議会議員の父のもとに生まれました。虚弱体質ではありましたが、不自由なく育てられ、貴族の息子として、イエズス会系ラ・フレーシュ学院に入って人文学とスコラ学を学びます。その後に、弁護士を志すように父から希望されてポワティエ大学で医学と法学を学び、法学士号を取得しました。しかし、彼は「知識」を増やすごとにその吸収に懐疑的になり、やがて勉学を放棄しました。そして志願士官として、オランダ、ドイツへ向かい、将校となる道を思い描いて歩み始めます。軍隊での出会い、そして宮廷での経験は、勉学では得られない感覚経験となって彼の思想を豊かにしていきます。

この頃、神聖ローマ皇帝フェルディナント二世が帝国領内をカトリック教派へ信仰統一をしようと動き出すと、北ドイツのプロテスタント諸国が対抗したことで抗争へ発展した三十年戦争が起こります。勃発年の1618年に、デカルトプロテスタントのオランダ軍にて確立された軍事工学の研究に参加すると、数学や物理学の明晰性に決定的な価値観の変化を与えられ、後の彼の哲学へ強く影響することになりました。1619年にはバイエルンカトリック公マクシミリアンのもとで、白山の戦い(ボヘミア王国を支配していたハプスブルク家神聖ローマ皇帝ボヘミア国王へ即位させたことで、ボヘミア王国プロテスタント貴族が反発した戦い)に参加しました。その駐屯中に病に倒れると、聖マルティヌスの日(11月11日)に数学的方法論を哲学に応用するということを示す天啓的な夢を見ます。これにより、彼は数学の明晰性を持って哲学を構築していきました。


十六世紀初頭からマルティン・ルタージャン・カルヴァンによって隆盛したプロテスタント(聖書のみを信仰する教派)が起こした宗教改革を弾圧するため、ローマ教皇が起こした対抗宗教改革では、見せしめとも言える激しい断罪の嵐を生みました。宇宙論によって地動説を説いた修道士ジョルダーノ・ブルーノを火刑に、太陽中心説によって地動説を唱えたニコラウス・コペルニクスの著書が全て禁書目録に登録され、神の不在を唱えたジュリオ・チェーザレ・ヴァニーニを焚刑に、カルヴァン派プロテスタントの王宮詩人テオフィル・ド・ヴィオーを焚刑に(のちに追放刑に減刑)、そして地動説を世に説得性を持たせて広めたガリレオ・ガリレイを断罪するなど、多くのプロテスタントおよび科学者たちを瀆神として挙げ列ね、教皇と教会の存在を絶対的なものであると知らしめました。

デカルトが辿り着いた哲学には、新たな宇宙観や人間観を持っていたことで大きな危険を孕んでいました。このような理由から、彼が突き詰めた哲学研究の著作『世界論』は生涯公刊はしませんでした。しかし、その哲学に辿り着いた方法論を収めた本書『方法序説』(方法叙説)には、彼の苦悩と貫く意志が至るところに見受けられます。


いずれ大陸合理主義の基礎となる本論が世に出ると、デカルトは後世に「近代哲学の父」と称されるようになりました。後に汎神論(万物は神の現れ)を提唱したバールーフ・デ・スピノザと並んで、合理主義的哲学体系を誕生させて近代の西洋思想全般に影響を及ぼしました。彼らによって提起された「人間意識の在処」は、十七世紀後半に始まった啓蒙時代の発端となって世の認識論への関心が高まり、多くの哲学へと枝分かれしていきます。

デカルトの示す方法論には、普遍的な学問の方法、学問の基礎、哲学の根本原理、探究の意味が、「人間意識」が、起点となって説かれています。哲学の出発点として突き詰めた「コギト・エルゴ・スム」〔ワレ惟ウ、故ニワレ在リ〕は、不確かなものや疑わしきものを全て排除して、思考における明晰なものを追究した考え方です。この考える自己を主体とする理解は、人間理性の原型とも言え、神によって生かされ、神によって召されるという人間が客体であるという当時の常識を覆すものでした。そして、この考え方に賛同した哲学者たちに支持されて近代合理思想の中心原理となっていきます。信仰を持つものだけが真理に辿り着くことができるという常識を覆し、思考の基点を定めることで「人間意識」の目醒めを世にもたらしました。


デカルトは知の探究者でした。人文学、スコラ学、医学、法学、数学、物理学だけでなく、思想、歴史、魔術、錬金術など、数多の書物を吸収します。しかし、彼は知識を増やすほどに「無知が増す」と感じました。先人たちの思想の失敗や不確かな根拠による魔術などは「真の知識」と考えられなかったためでした。白山の戦いでドイツに滞在していたとき、彼はそれらを思案しながら一人で瞑想を始めました。曖昧で無根拠な知識は知ではない、では明晰性のあるものだけを一から築き上げてみてはどうか。今まで蓄えた膨大な知識を全て排除して考えを構築していきます。この絶対的に明晰なものを見つけようとした試みは、実在から離れて自身の意識の中へと進みます。この「絶対的に確実なもの」を追究した行為そのものが「わたしは考える」という真実に辿り着かせました。そしてその行為と自己を結びつけた絶対性が「われ思う、故にわれ在り」という命題です。


この命題は、近代そして現代における全ての哲学の基盤となっています。デカルトは世に蔓延る誤った多くの知識や研究者に「正しい方法によって生まれる正しい知識」の増加と向上を真に求めていました。そして、時代を覆うローマ教皇の「信仰」による哲学や科学の歪みを正そうと思い描いていました。しかし、ガリレオ・ガリレイの断罪を含めた教会の意に背く哲学啓蒙による報復を鑑みて、涜神的とされていた「真実」の強い訴えは生前に成すことは出来ませんでした。それでも、僅かな望みとして「思索の方法論」を遺します。

 

このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。


知の探究さえ自由にできなかった時代に、そして環境に屈することなく、一人の疑念と思考によって辿り着いたこの命題は、近代哲学を大きく発展させました。全ての哲学の基礎となる命題を収めた本作。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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