RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『ある奴隷少女に起こった出来事』ハリエット・アン・ジェイコブズ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

好色な医師フリントの奴隷となった美少女、リンダ。卑劣な虐待に苦しむ彼女は決意した。自由を掴むため、他の白人男性の子を身籠ることを──。奴隷制の真実を知的な文章で綴った本書は、小説と誤認され一度は忘れ去られる。しかし126年後、実話と証明されるやいなや米国でベストセラーに。人間の残虐性に不屈の精神で抗い続け、現代を遥かに凌ぐ〈格差〉の闇を打ち破った究極の魂の物語。


1492年のクリストファー・コロンブスによるアメリカ大陸発見から始まったスペイン・ポルトガルによる新大陸の支配は、原住民アメリカン・インディアンへの激しい侵略行為から始まりました。彼らは新大陸を植民地化するため、広大な土地を奴隷化させた原住民に労働を行わせようとしましたが、誇りと命を懸けた反抗を受けたために抑圧し、原住民人口を減少させてしまいます。スペインは植民地を維持させる労働力を確保するために、今度はアフリカの黒人奴隷を船で運び移住させることを始めました。これが大西洋の奴隷貿易となり、多くの黒人奴隷がアメリカ大陸へと渡ります。そして隷属的な労務によって耕された農園は、食糧や商材を生み出して支配国へと供給される大規模な「プランテーション」が構築され、使役するプランテーション奴隷制度が定着します。

しかしながら、西欧諸国がこの新大陸の植民地化を傍観することはなく、イギリスやフランスを中心にこの新大陸へと介入していきます。そして原住民を含めた植民地戦争が頻繁に起き、結果的にイギリスが優位に支配を進めていきました。この怒涛のイギリスの戦争勝利はイギリスの財政を圧迫させていったため、戦争費用の負担を植民地側の徴収負担で賄おうとします。すると植民地側の支配者たちによる強い反発を受けることになりました。植民地側の支配者たちは団結し、大陸会議を開いて支配本国との縁を切って独立国家を目指します。そして1775年のアメリカ独立戦争、翌年の独立宣言を経てアメリカ合衆国が形成されました。


その後、独立したアメリカ合衆国は西部を中心としたフロンティア開拓へと進み、原住民から土地を略奪して領土を拡大していきます。また、国家成長が進むにつれて政党の対立が起き、民主共和党(現民主党)と国民共和党ホイッグ党)の二大政党が政権交代を行う時代となりました。後者のホイッグ党は、政府の強化や最高裁判所の権力維持といった権威主張を主とした政党でしたが、政策のなかに逃亡奴隷法を認めるものがありました。これは南部のプランテーションから逃亡した黒人奴隷を元の所有者へ返還させるというものでしたが、奴隷制度に反対する運動家から激しい反発が起きて、黒人奴隷解放運動を活性化させることになりました。このような奴隷制度批判はアメリカ合衆国全土の問題となり、奴隷プランテーションを経済の糧としていた南部と、国家としての自由成長を望む北部との対立が明確に現れます。そして起こった南北戦争によって北部の主張が通され、産業を中心とした発達を目指す近代国家としての歩みは保たれ、黒人奴隷は法的に解放されました。


この1865年に制定された合衆国憲法修正第十三条によって黒人奴隷制度は廃止され、黒人を含めたすべての人に自由が認められました。しかし、この法律には意図した欠陥がありました。この条文には「犯罪者に罰を与える場合は除く」という例外規定があり、罪人に対しては本人の意思を無視して使役させることができるというものでした。これを悪用するように南部の元支配者たちは、自由を手にした元奴隷の黒人たちをありとあらゆる理由で逮捕して犯罪者に仕立て上げ、法的に刑に服させました。この頃には「囚人貸出制度」というものがあり、受刑者が民間企業に派遣されて労働力となるもので、炭鉱作業や道路整備などの危険な作業を中心とした長期労働を与えられました。

また、実際の生活で見ると、解放された黒人たちは「公的自由」を手にしたものの、保証や福祉がある訳でもなく身体ひとつで社会に投げ出されたため、奴隷としてのプランテーション労務から失業という状態の自由を与えられた状況にありました。綿花を中心としたプランテーションは地主によって維持されていたため、結果的に元奴隷たちは「シェアクロッパー」(利益を分けられる労務者)として出戻ることになりました。このため、元奴隷たちは自由による地代や徴税により貧困は免れず、結果的に彼らが描いた「自由な」生活は与えられませんでした。そして南部の白人たちは、プランテーションが実質的に元の形を取り戻し、社会全体の奴隷解放で盛り上がった風潮も落ち着きを見せたころ、黒人への締め付けをより厳しくしていきます。


1870年ごろに南部で広まった州法「黒人取締法」(ブラック・コード)は、奴隷解放後の混乱を収めるとともに解放奴隷の社会的地位を「規定」するためのものでした。黒人専用車両、黒人専用席、黒人専用居住地など、明確な差別を州が認めて実行し、公共機関だけでなく民間企業にまで派生して社会に定着しました。特に1890年以降はこのような差別的州法が次々に制定され、黒人は職業や居住地、さらには教育などの自由を奪われ、選挙などの権利を実質的に剥奪される状態に陥ります。そして追い打つように、白人至上主義者(クー・クラックス・クランなど)による暴力的な抑圧と、「隔離しても平等」というアメリ最高裁判所の新たな法的根拠によって、二十世紀に入ってもアメリカでの黒人差別は続きました。


第二次世界大戦争後に、世界的な植民地解放の動きに合わせてアメリカ黒人の中に新たな解放運動として始まったのが、1950年代後半から隆盛した「公民権運動」です。これは黒人に対して、選挙権、社会保障、福祉、教育といった合衆国憲法に記されている市民として権利「公民権」を与えるように要求するものでした。これを牽引したのがキング牧師を含む聖職者たちです。そして1964年に公民権法が実現しました。南部諸州の「ジム・クロウ法」(1896年にアメリ最高裁判所が「隔離は差別ではない」という判決を基にした公共機関などでの黒人隔離や黒人の権利剥奪を認める法)は無効となり、政府には黒人を含む全てのアメリカ市民の権利を保護する権限と義務があることが認められました。その後、黒人の参政権も回復され、南部諸州でも多くの黒人が公職に選ばれることになりました。しかしこれには背景があり、特に冷戦下にあった政府による人種差別の社会容認は、民衆あるいは世界各国を共和主義へと傾倒させ、親ソ運動を活発化させる恐れがありました。この時、形式的に国が人種差別を撤廃しようとする姿勢を見せる必要があったため、奴隷解放を認めたという側面があります。

そのため、公民権法を支持した白人の多くは、法的平等を約束したこの法律の成立によって果たされたと考えました。彼らは黒人に対するこれ以上の差別解消は、自らの持つ白人の特権が薄れる可能性を感じ、これ以上の「法的平等」を望みませんでした。つまり、多くの白人は社会における自らの優位性を維持するため、社会、経済、教育、居住、就職などの面での「黒人の立場の向上」を望まなかったと言えます。


このような社会風潮を政府が煽動したため、「実態的な黒人差別」は解消されるどころか助長され、立場の格差はより一層激しく開いていきます。1980年ごろになると、白人は居住地や学校を黒人と明確に区分し、貧困により疾病が蔓延するといった劣悪な環境が構築され、やがて黒人の住む街はスラムへと変化していきます。黒人スラムを取り締まる白人警官は「レイシャル・プロファイリング」(人種を基に嫌疑をかけて捜査する差別行為)によって黒人を多く検挙します。特に黒人の間で流通する固型コカインの使用による刑罰は、他のドラッグの使用よりも重い罪となっており、長期間服役しなければならないという点からも黒人に大して政府が差別を容認しているということが窺えます。また、囚人による労役はアメリカにとって経済的に利潤を多く生みます。囚人が増えて刑務所を建ててそこで雇用を生み出し、刑務所を誘致する州には助成金が与えられ、刑務所の運営に民間企業も参加し、囚人は労役によって国に利潤を与ええています。「産獄複合体」と呼ばれる形態ですが、この利潤に必要な囚人を警察は「黒人を狙い撃ちして」検挙しています。1865年のころと同様に、「犯罪者に罰を与える場合は除く」という条文を、現在でも黒人に対して国そのものが実行していると言えます。奴隷制度によって崩壊した優位な白人の道徳観は、現在にも受け継がれて被害を生み続けています。


本作『ある奴隷少女に起こった出来事』は、このような黒人奴隷制度の被害者であるハリエット・アン・ジェイコブズ(1813-1897)による自伝作品で、1861年に出版されました。プランテーション奴隷制度全盛期から、奴隷解放運動隆盛の時期を描いたものです。自らが体験した「人間を売買する」という嫌悪されるべき行為と、与えられる理不尽な環境での苦しみ、譲ることのできない自らの誇り、苦痛のなかでも繋がり続ける家族の愛が、辿々しい文章ながらも切実に描かれています。


奴隷を主軸にした作品は、身体的な残虐行為やリンチの場面が多く描かれ、読者へ激しい衝撃を与えるものが多くありますが、本作では「精神的な苦痛」に焦点を当てています。ジェイコブズ自身、美しい容姿によって主人フリントに気に入られたため、過酷な肉体労働や理不尽な殴打などは受けません。ですが、彼女はフリントに性的隷属を求められます。そして、他の女性奴隷はそのような隷属を受け入れ、身体的にも奉仕します。もっと言えば、彼女の周囲にいる家族を含む奴隷も、基本的人権はもちろんのこと、法的な人格保護は与えられていません。奴隷である以上、恋愛の自由、結婚の自由などは無く、家族とともに住むことすら幸せで恵まれた環境にありました。それに対して、ジェイコブズは奴隷制度そのものが歪であると理解して嫌悪します。彼女は恋愛の自由を求め、貞操を守り、家族の愛を大切にします。しかし、これらの彼女の守りたいものを、フリントは彼女を手に入れんがために脅かし、精神的な苦痛を与え続けます。理不尽な暴力の代わりに、精神的な隷属をさまざまな手を使って強要してきます。ここには社会から見た「ジェイコブズの人間性」は完全に無視されています。奴隷制度は身体的残虐性だけでなく精神的残虐性も同等に備えていたと感じられます。また、奴隷制度は支配する白人側の思考や倫理を崩壊させるといった面の記述もあり、当時のホイッグ党による逃亡奴隷法を認めた姿勢にも批判を与えていることが理解できます。

 

身内のどんな腐心も徒労に終わったが、神は見知らぬ人々の中で、友をわたしに授けてくださった。そしてその友は、ずっと願いながら得られなかった貴重な恵みを、わたしにもたらしてくれた。友!それはありふれた言葉で、安易に使われすぎる言葉である。世にあるほかの善い、うつくしいものと同様に、ぞんざいに扱うとかがやきを失ってしまう言葉である。だが、わたしがブルース夫人を友と呼ぶとき、それは聖なる響きを持つ。


彼女の堅固な理性と誇りは、結果的に彼女を幸福の光が見える場所へと導きました。しかし、その幸福とは「基本的人権」の範疇にあるものであり、差別が無ければ彼女は生まれながらに手にしていたものでした。

2020年にジョージ・フロイドという黒人男性が、白人警察官によって不適切な拘束方法で殺害されました。解放され、自由を手にしたはずの黒人は、いまだに差別を受け続けています。真の平等社会を求めることが困難なことを改めて感じます。本作は、差別に関して考えなおすきっかけとなる作品でした。『ある奴隷少女に起こった出来事』、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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