
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
1939年、アドルフ・ヒトラー率いるドイツ軍がポーランドへと攻め込み、首都ワルシャワを占拠してドイツ支配下としました。国政に「反ユダヤ主義」を掲げるナチス党は、自国で起こした「水晶の夜」を繰り返すようにユダヤ人を排斥する政策を推し進めていきます。ドイツはユダヤ人を労働力として奴隷のように扱う計画で、「ゲットー」と呼ばれる強制居住区域へ押し込めました。ユダヤ人たちは、一部屋に十人以上が居住する異常な状態で不衛生や飢餓に悩まされます。その後、ナチスの方針は使役から絶滅へと変更され、1941年より強制収容所にて大量虐殺「ホロコースト」が行われました。この非人道的な絶滅政策では、ヨーロッパに存在していたユダヤ人の約3分の2にあたるおよそ600万人が殺害されました。
「ホロコースト」という言葉は、ユダヤ教での「燔祭」を意味し、この場合では丸焼きの供物が示され、神前に供えられるものを表します。戦後には「ジェノサイド」(意図を持った大量殺戮)が用いられていましたが、アメリカを中心として流行的に「ホロコースト」が用いられるようになりました。これは、ナチスがユダヤ人を生きたまま火で焼き殺していたことに起因しています。この言葉を用いることに批判も多く、アウシュビッツ強制収容所からの生還者であるイタリアのプリーモ・レーヴィなどを筆頭に、「ユダヤ人が神への供物であればナチスは祭司か」と、ユダヤ人虐殺を肯定的に捉えているとして怒りを見せる人も多くありました。現在では「ショアー」という言葉が用いられることもありますが、語源はやはり「人為的に焼いた供物」という意味であり、「人為的な惨事」という解釈が見られます。
本作『内なるゲットー』は、ナチスがポーランドへ侵攻する前にアルゼンチンへと亡命したユダヤ人ビセンテ・ローゼンベルグを主人公とした小説です。新天地で結婚し、子供に恵まれ、友に恵まれ、仕事に恵まれて幸福を掴んだころ、祖国はナチスに支配され、ユダヤ人が排斥されるという恐怖に見舞われます。ポーランドには、母と兄を残してきました。アルゼンチン社会では、遠く離れた異国の戦争(アメリカ大統領ルーズベルトが南米へ参戦の圧力をかけましたが、イタリアやドイツの枢軸国と友好関係にあったアルゼンチンは中立を貫きました)として捉えられていたため、新聞記事も小さく、ビセンテはユダヤ人が受けている被害の詳細は把握できない環境にありました。ひと月以上も遅れて届く母からの手紙は、開くたびに苦労の大きさや劣悪な生活が感じられ、ビセンテはゲットーのなかで苦しみながら暮らしている母と兄の様子を窺い知るのみでした。十年以上も前に移住したビセンテは、なぜ強く母をアルゼンチンへ亡命させようとしなかったのか、なぜ迎えに行ってでも移住させなかったのかと、日を追うごとに後悔を募らせます。その思いと並行して焦燥が、いつ暴力を受けるとも、殺されるともわからない焦燥が身にまとわりつき、思考は遠い祖国へと向かいます。しかし、目の前には幸福な生活が広がっており、優しい妻ロシータに可愛い子供たち、温かい食事に心地の良い寝床、好景気の恩恵を受けた仕事までが手中にありました(アルゼンチンは中立を貫いてはいましたが、参加を余儀なくされたブラジルやチリへ軍需を供給しており、経済的には貧困差はあるものの国全体は潤っていました)。頭のなかを巡り続ける後悔、焦燥、幸福によって、ビセンテに芽生えた「罪悪感」は心を暗く満たしていきます。家族の前で笑うこともできず、友の前で語ることもできず、やがてビセンテは全てを閉ざす「沈黙」を選びます。誰にも何も語らない、ただひたすらの沈黙に逃避します。
なぜ今まで過去を話さずにいられたのか?どれだけポーランド人と自負していたかを、なぜ話さなかった?どれだけドイツ人にあこがれていたかを?なぜ大学のことを話さなかった?ワルシャワのことを?入学した年、ポーランド人学生からユダ公呼ばわりされたあの恥辱を?激怒をうわまわるあの強烈な恥辱のことを、なぜ話さなかった?
人間は、日々の幸福に包まれている時間には幸福の原因を見出そうとしないのに対し、不幸な環境を与えられたときに不幸の原因を追求しようとします。この原因が不条理であるほど、人間は言葉を失います。幸福のときに、不幸を想定して避けようとする行動は、脳裏にさえ浮かびません。不幸になったとき、それは後悔と罪悪感が募る一方です。これを晴らすのは、不幸の終わりが見えたときです。話すことに、意味など見出せません。不幸の終わりが見えないとき、罪悪感が人間の限界を超えたとき、人間は完全なる沈黙を求めます。しかし、ビセンテは休戦の知らせを聞きます。そして、小さな勝利の女神が光となって現れました。
作者のサンティアゴ・アミゴレナ(1962-)は、フランスの映画監督であり、作家でもあります。エピローグで知らされるように、ビセンテは彼の祖父であり、本書は伝記をもとに小説化されています。アルゼンチンは物語の結末以降、苦しい暴力の時代に入り、その後は軍事独裁政権、「汚い戦争」など、激しく荒れ狂います。アミゴレナの母親エルシリアは家族で亡命し、フランスに腰を落ち着けました。アミゴレナは祖父の「沈黙」という記憶と事実、そして曽祖母から届いたゲットーからの手紙をもとに、「沈黙」の答えを一つの解釈として本作を書き上げました。作中での悪夢は「沈黙」という壁のメタファーであり、また、曽祖母の捉えられたゲットーの壁でもあります。この沈黙の壁から、アミゴレナは文学という手段で出口を見つけ出しました。
私にとっては、忘却は記憶よりも多くの生命をもたらすという、かなり単純で、明白でさえある考えがあるからです。ですから私はよくこう言っています。私の祖父は、ホロコーストについて沈黙を強いられた理由を言葉で表現しようとはしませんでした。私の両親の世代、特に私の母と彼女の二人の姉妹は、みんな精神分析医でしたが、話すことよりも聞くことに全生涯を捧げました。そして、私の世代では、少なくとも二人の従兄弟がこの祖父と彼の沈黙について書いています。私たちの世代は言葉を探しています。もしかしたら、言葉を見つけるのは私の世代ではなく、私の子供たち、あるいはその次の世代かもしれません。しかし、これはすべて、もはや言葉を探す必要さえない世代が来ることを願っているからです。
Tenoua「courage persons interview」より
ユダヤ人というアイデンティティは、ナチス党の戦略における犠牲対象の印が押され、本質的な価値を強制的に排除されました。もっと言えば、ユダヤ人という区別は人種ですらなく、宗教的な区分としての主張として存在するべきであったはずです。独裁政治の被害者を「神への供物」と呼ぶならば、独裁者を「神」と呼ぶことに等しく、その表現にさえ嫌悪を感じます。独裁者を神と崇めるゲシュタポ(秘密警察)に銃を突きつけられ、強制収容所へ押し込められた人々は、壁に囲まれて沈黙しました。沈黙することしかできませんでした。彼らの無念と沈黙を、アミゴレナの筆が出口へと導いたのであれば、それはほんの僅かな報いへと繋がっているのではないかと思います。サンティアゴ・アミゴレナ『内なるゲットー』、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。