RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『外套・他』ニコライ・ゴーゴリ 感想・読み比べ

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちら。

 

ニコライ・ゴーゴリ「外套」です。この訳本はもう手に入らないかもしれません。個人的にこの講談社文芸文庫が一番楽しむことができました。訳者は吉川宏人さん。名訳です。

 

“我々はみなゴーゴリの<外套>から出てきたのだ”とドストエフスキイが言ったと伝えられる名作「外套」

故郷ウクライナの高等中学校を卒業後、「国家(ロシア)に有為の人物となるべく」首都ペテルブルグに上京。ウクライナ民話風の作品集「ディカーニカ近郷夜話」によってロシアの文壇に事実上のデビューを果たしました。

当時のロシアはウクライナへの文化的、未開的興味が高まっており、相まってゴーゴリという文士とその作品が大きく受け入れられました。

 

「外套」という作品はあまりにも有名で、主人公のアカーキイ・アカーキエヴィチの名前さえしっかり頭に記憶されているファンも大勢います。ただ、意訳や解説もさまざまであり、文芸ではなくただのエンタメだ、という解釈さえあります。これを受けて、読み比べて、しっくり来ない点が多々ありましたので、思いをまとめていきます。

 

もちろんエンタメとしてなら、どのような意訳でも構わないと思います。ただ、ロシア文学は単なるエンタメではなく、思想発散、啓蒙、警告など、国内における文学で可能な国民への発信は限られ、その中で表現する手法として小説という形に至ったのであると考えています。薄い水面のストーリーが笑い話に感じられ、それを面白おかしく現代風に意訳するという事は、水の深いところにある思想・思考を無視し、作者の本当に伝えたいことが消えてしまっているように思います。

 

この外套では「幸福と自尊心」がテーマに含まれています。大きな贅を得ると、自尊心・自意識が生まれることを絶妙な筆致で表現しており、人生における自己に対する価値観の浮き沈みが、たった一つの贅でその人間の人生観までガラリと変えてしまうことを、表現し警告しています。

自分の住む世界がいかに小さくとも、大きな幸せを感じることはできる。むしろ小さな世界に住んでいるからこそ一つの幸福が大変大きく感じることができる。このフォーカスの当て方が秀逸です。アカーキイの世界を極度に小さくすることで、その感情の動きを巨大なものにする。自分自身に目的を持った人間として変化していく生活と感情の動き。その目的に向け生活を制限し、精神の糧を食んだ事で理想が膨張し、その贅を明確に認識した時点でもう元には戻せない価値観。このように一つ事にのみ没頭できること自体、幸福と言える。しかし、比較できるものを何も知らないとするなら、人はきっと、何をやってもそれなりに幸せと感じるのかもしれないが、知ってしまうと元の価値観に戻すことはできない。

 

また、新しい外套は、かつて抱いたことのないような性的好奇心を呼び覚ます。生まれてはじめての感情・価値観が開くと、もはや元には戻れない、あるいは戻らないということをこの僅かに短い物語の中で警告しています。

 

物語だけを見ればうだつのあがらない男が新調した外套を追いはぎに会い、その後わらをも縋る思いで助けを求めた先でひどい失望を受け絶望し命を失い、霊になって自分が追いはぎになる。たしかに簡単なストーリーで、ともすれば笑い話にもなりますが、ただそれだけと割り切ってしまうのではいかがなものかと思います。なにより、ゴーゴリの「ロシアにとって有為な人間になる」という志が無視されているからです。

 

ロシア文学は時代背景と国の弾圧が相まって、貧困な描写や荒んだ描写が多いのですが、それは今自分が恵まれた環境で暮らしているからそう感じることで、その描写のような環境が常だった人々の思想・思考はこういった作品でしか感じることはできないのだと改めて思った作品でした。

 

この講談社文芸文庫には他に、「鼻」「狂人日記」「ヴィイ」が収められています。このどれもが大変に面白かったので、いずれまとめていきたいと思います。

 

どの訳でもよいですが、興味のある方で未読の方はぜひ読んでみてください。

感じた内容も教えていただきたいです。

では。

 

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