RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『赤い髪の女』ヤン・ウォルカーズ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

ソロモンの雅歌にある輝く小麦のあいだに茶色の豆を置いたようにそばかすの散らばる彼女の胸部は、なだらかな曲線を描き、その下で少しへこんでから、ふたたび少女の小さな乳房のような弾力のある丘をつくっていた。そしてミルク色のジュースをしたたらせたわれめのある熟した赤毛のばら色の果実。ぼくは両手を彼女のうしろにまわし、彼女のからだを僕に近づけ、その濡れた溝に舌を差し込んだーー

燃えるような赤毛の女、オルガと、若き前衛芸術家の、残酷な悲劇で終わる愛の生活を描き、そのストレートな性表現で、ヘンリー・ミラーの作品や、「ラスト・タンゴ・イン・パリ」と比較された、オランダの異才、ウォルカーズの本邦初訳作品。

 

ヤン・ウォルカーズ(1925-2007)はオランダのウフストヘーストで生まれました。青年期に第二次世界大戦争を迎え、人間と神の在り方に考えを深めて戦後を過ごします。そして、世界的に広がったヒッピー文化に同調し、人間そのものの解放を主軸に芸術活動を行います。彼の描く絵画は「自分自身との孤独」において対話を行い、生み出されています。心の中に抱く広大な海原に漂い、静寂から創造される人間性を具現化して、目の前に彫像を作り上げていきます。彼の認知は1956年に受賞したブロンズ彫刻によって広まり、数々の記念碑を制作しました。ガラスを多用した彫像は印象的であるとともに、ヴァンダリズム被害(過激主義による破壊行為)も多く受けました。中でも、アムステルダムにあるアウシュヴィッツ記念碑は何度も破壊されています。このようなガラスを多用した彫像作品や、野生味に溢れる絵画などを生み出す多彩な芸術家であるヤン・ウォルカーズですが、文学作品も多く世に発表しました。オランダ戦後文学においても重要な位置を占める彼の作品は、自身の体験の断片を元にしたフィクション小説を書き上げることが特徴的で、その生々しさに多くの賛否を得ました。近年、セルジュ・ドゥブロフスキーが命名したオートフィクションという文学の先駆けとも言える彼の作品群は、精密な性描写が織り込まれています。このオートフィクションは自己の無意識を表現するのに適しているとされていますが、彼は明確に描く主題を念頭に置いているため、それらとは一線を画しているとも言えます。また、彼の筆致は強烈に視覚的であり、情景が鮮明に描かれていることで感情の起伏を豊かに表現しています。

 

前述の通り、ウォルカーズの文学作品の多くは自伝的な要素が随所に散りばめられています。その根源には、敬虔で厳格な父親からの抑圧、家族の死、神への疑念、そして作中でも描かれる「湧き上がる性衝動」などが存在しています。彼は 1958 年から僅かな期間だけアンネマリー・ナウタという女性と結婚していました。彼女は本作『赤い髪の女』のヒロインであるオルガのモデルで、赤裸々なまでに細かな性描写が展開されます。また諸外国への渡航経験も活かされ、文化的相違を他民族であるが故の疎外感や、粗暴な行為を揶揄する描写で表現しています。このような直截的な攻撃力を持った筆致には視覚芸術家の感性を強く感じさせられます。そして、視覚から嗅覚、触覚、味覚へと伝播してより鮮やかな臨場感が広がります。さらに彼は性描写だけではなく、対を成すように「腐敗と死」について同等に描いています。精神の醜さと性衝動は、ともに重苦しい空気を漂わせて読む者の感覚を鋭敏に刺激します。

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ヤン・ウォルカーズ「アンナマリー・ナウタ」

 

繰り返すように描写される「生々しい性欲」と同じように、「病を表す青」の表現が重ねられます。オルガの父親の病的表現やオルガ自身の病など、性欲と隣り合わせであるかのように病の印象を与えます。これは最終章に訪れる悲劇を予見させるとともに、その悲劇が自分に与えられる罰として受け止める説得性をも含んでいます。また、一貫して抱き続けるオルガの母親に対する憎悪は、二人の関係を「毒殺された」と描くほどに感情を込めていながら、終始冷静に対話を続けて直接吐き出さないところに真実の人間性を見ることができます。オルガに対する「性衝動」と、オルガの母親に対する「憎悪」もまた対比的に展開され、双方に垣間見える虚飾と愛の欠落も、それらの感情に紐づいて綴られていきます。さらに、動物と人間の対比も度々描かれている点から、動物の持つ「純粋性」によって、人間の持つ「性衝動」と「虚飾」が、滑稽であると同時に真の人間性を表現しています。

ぼくがある夜遅く帰宅すると、スタジオのドアの脇に白い影のように立つ彼女の姿があった。ぼくはとても驚き、かなりの時間がたってからやっと、鋳造所が用済みの石膏像を送りかえし、家に人がいないのでドアの脇にそれを置いたのだと気づいた。すべての感情が静まるまで、充分な力が出るまで、ぼくは長いあいだ像にもたれて自分のからだを支えた。そして像をスタジオのなかのもとの位置に運んだ。像はいまもその位置にある。

 

鮮明に描かれた性描写は、卑猥というより生々しいものであるという印象を与えて、極限まで張り詰めた熱量を持って人間が根源的に持っている野生的な衝動を引き摺り出します。人間であるからこそ持つ欲情や憎悪は、野生味を持った純粋性を帯びています。そして、性と醜に溢れた奥に見えてくる人間性の根底には深い愛が確認できます。相手が身体から離れ、生活習慣と老いで衰えても、変わらぬ最愛を貫き通して描かれます。そして、最愛の感情こそ真の人間らしさとして浮き上がってくる描写は、ウォルカーズの客観的な視線と芸術性をもって際立たせていると感じられます。


本作は、山田詠美が海外文学作品の中でベスト1として挙げていることでも知られています。

社会の底辺に位置する少年と少女が愛し合い、一方が死ぬ。ストーリーは「世界の中心で、愛をさけぶ」みたいだけど、読むと全然違う。読者をうっとりさせる恋愛小説ではなくて、書き手の冷静な目が働いているからだ。

山田詠美 活字の学び「活字文化公開講座」より

読み手を選ぶほどの鮮烈な描写ではありますが、その奥底に見える人間の愛は感動を覚えさせられます。実体験による生々しさと、感情の率直さを特異な芸術性で見事な作品に仕上げられた本作『赤い髪の女』。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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