こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。
ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』です。
世代を超えて読みつがれたいとの願いから生まれたこの新版は、原著1977年版にもとづき、新しく翻訳したものである。
私とは、私たちの住む社会とは、歴史とは、そして人間とは何か、20世紀を代表する作品、ここに新たにお送りする。
フランクルはユダヤ人で、オーストリアの精神科医でした。
1941年、ナチス当局軍司令部より出頭命令を受け収容所へ向かうこととなります。
この出頭命令は、アドルフ・ヒトラーより出された「ドイツ国民と国家を保護するための大統領令」における条文「公共秩序を害する違法行為は強制労働をもって処する」に則ったものでした。
この収容所内での体験を余すところ無く、また体験したからこその生々しさを描写し、且つ心理学者としての冷静で正確な分析を、わかりやすく伝えてくれています。
なぜ、ユダヤ人が標的になったのでしょうか。
ポーランドのアウシュビッツ強制収容所において、ナチスがガス室実験を行いユダヤ人を大量虐殺したことは、あまりに有名です。
ヨーロッパにおけるユダヤ人への排斥思想はナチスよりずっと以前から持たれていました。その始まりはキリスト教徒でした。キリスト教の起源はユダヤ教にあります。ですが分離ののち、キリストを救世主と認めないユダヤ人に対し敵意を持ち、迫害を始めます。またキリストを磔にしたのはユダヤ教である、とまでされたのです。
キリスト教の拡大速度はとても速く、ヨーロッパ全土に広がりました。しだいに「ユダヤ教こそが悪」という思想が浸透していきます。この思想が色濃くなるにつれ、ユダヤ人であることから、自由に職へ就くことができなくなりました。
この思想は20世紀に入っても変わらず、人々の心に根付いていました。そんな中、第1次世界大戦に敗れたドイツ国を復興させるため、国と国民をひとつに束ねるため、「反ユダヤ主義」をイデオロギーとして提唱し、利用したのがナチス党首アドルフ・ヒトラーです。
1938年にパリのドイツ大使館で書記官が殺害されます。犯人はユダヤ人でした。ナチスによるユダヤ迫害の復讐でしたが、これがドイツ国民の怒りに火をつけました。国民はドイツ国内のユダヤ教徒、およびユダヤ人を90人以上殺害します。これがクリスタル・ナハト(水晶の夜)です。ユダヤ人が経営する商店が破壊され、その窓ガラス片が散乱している様子から、このように呼ばれます。この時に逮捕されたユダヤ人は3万人を超えますが、収容所に送られるも国外へ移住することを条件に数週間で釈放されています。
ですが、この事件こそがきっかけとなり、ドイツにおけるユダヤ人迫害に拍車が掛かっていきます。そして1939年、ドイツがポーランドに進軍し第2次世界大戦が始まります。
ポーランドには何百万人もユダヤ人が住んでいました。その為、追放という手段を取ることが困難になり迫害一択となります。自由を剥奪するため、収容所を設け、そこで強制的に労働を行わせる。ここで建てられた巨大な建築物こそ、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所なのです。
その後、収容所における労働力は戦争の人員として目され、待遇が良くなったという論もありましたが、フランクルの告発によるとそれは極々一部の上層のみであったことが見受けられます。
戦争が続き、いよいよ食料難となってきた際、ユダヤ人をソ連へ追放しようという考えに及びましたが、戦線の状況により不可能となりました。そこで決定されたのはユダヤ人を「処理」することでした。この「処理」が目的である「絶滅収容所」は規模の問題もあり、アウシュビッツもそのひとつでした。
戦時中に亡くなったユダヤ人は600万人を超えると言われています。
収容所における「体験記」は、凄惨な描写、救いの無い描写、人間の醜さ、存在の不明瞭さ、命の軽さ、命の重さ、生命力の強さ、精神力の弱さ、現実と夢、など想像する事さえ苦しくなる経験を詳細に描いています。ですが、この作品の主テーマは告発ではなく「生きる意味を問う」という内容にあります。
フランクルはこれら全てを免れる亡命のチャンスがありました。
ですが、しませんでした。両親と結婚して9ヶ月の妻だけに苦しい思いをさせることができなかったのです。
だからこその、「生きる意味」がより強く彼の心に芯として根付いていたのだと思います。いつかこの地獄から開放され、愛に溢れる時間を過ごす希望こそが「生きる意味」として。
「数え切れないほどの夢の中で願いつづけた、まさにそのとおりだ……しかし、ドアを開けてくれるはずの人は開けてくれない。その人は、もう二度とドアを開けない……。」
フランクルは一人の妹を除き、大切な家族すべてを失いました。
心の支え、人生の目的が、精神を保つ大きな要素であり、美しさや愛情が精神を潤す糧となる。どのような環境であっても、むしろ生きる環境の制限が厳しくなればなるほど精神を守るものは、生きる目的であり、存在意義であり、未来の希望である。
実際に、精神を病み、生きる希望をなくして肉体まで諦めかけていた同志を、この思想による精神療法「ロゴセラピー」で、幾人も救った演説のシーンは鳥肌が立ちました。「ロゴセラピー」は、精神を病んでいる人に人生の希望を見つける手助けをして、心そのものを治療する行為のことです。
今、塞ぎ込みたくなるこの時代にこそ、精神を健康的に保つ努力が必要ではないでしょうか。
未読の方には、ぜひとも読んでいただきたい作品です。
では。