RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『イワン・デニーソヴィチの一日』アレクサンドル・ソルジェニーツィン 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

アレクサンドル・ソルジェニーツィンイワン・デニーソヴィチの一日』です。ソビエトの「雪解け」時代、スターリニズム批判、ノーベル文学賞受賞。
真にロシアを思い、強いキリストへの信仰心を持った文学者です。

1962年の暮、全世界は驚きと感動でこの小説に目をみはった。のちにノーベル文学賞を受賞する作者は中学校の田舎教師であったが、その文学的完成度はもちろん、ソ連社会の現実を深く認識させるものであったからだ。スターリン暗黒時代の悲惨きわまる強制収容所の一日をリアルに、時には温もりをこめて描き、酷寒に閉ざされていたソヴェト文学にロシア文学の伝統をよみがえらせた名作。

1941年、ソルジェニーツィン大祖国戦争独ソ戦)の開戦で召集され戦地に向かいます。1945年前線より友人へ送った手紙が検閲にて「スターリン批判にあたる」とされ逮捕、モスクワの収容所に連行され、懲役8年を受けることになります。
イワン・デニーソヴィチの一日』はこの時の収容所経験をモデルにした作品です。

1953年に8年の刑期を終えると、釈放されずにカザフスタン北東部へ永久流刑が決定。
投獄と追放の10年間で彼の思想に変化が起こります。マルクス主義であった彼はこれを放棄し、哲学的クリスチャンへ転向。このあたりはドストエフスキーの投獄中の思想変化と非常に似通っています。

1956年2月に第20回共産党大会においてフルシチョフ首相が「スターリン批判」の演説を行い、「雪解け」の時代に入りました。ここでソルジェニーツィンは流刑から解放されます。
1961年10月、第22回共産党大会の決議によってレーニン廟に眠っていたスターリンの遺骸を廟外へ追放。この事で一般大衆にスターリン批判が広がり始めます。期を見計らったかのように、『イワン・デニーソヴィチの一日』が1962年にフルシチョフの後押しで世に発表。ソビエトの教材に使用されるほど世に広まります。

しかし、順風満帆な作家生命ではありませんでした。
上記が原因のひとつとなり、1964年にフルシチョフ失脚。その後保守派によるソルジェニーツィン迫害が始まります。

1969年にはソビエト連邦作家同盟より「反体制的な皮肉の修正」を求められ、作品の発表を全て発行停止、最終的には反ソ的イデオロギー活動を理由に作家同盟を追放されました。1970年にノーベル文学賞を受賞するも授賞式には出席できる状況ではなく、1974年に国外追放された時に賞を授与。その後長い期間を国外にて過ごすことになります。
1985年にゴルバチョフ政権が誕生し、1990年8月の大統領令によってソ連の市民権が復活しました。

 

イワン・デニーソヴィチの一日』では、収容所内における一日の過ごし方が、とんでもないリアリズムで描かれています。体験を基にしているからこその景色・心理描写・温度など。疲れの取れない寝床、満たされない空腹、マイナス30度の酷寒で行う行軍・作業。
語り手イワン・デニーソヴィチ・シューホフの、皮肉やユーモアを交えながら、また心情を吐露しながらの軽妙な語りは、内容と相反して暗い雰囲気になりません。スムーズにページを捲ってしまいます。
8年間の収容所生活で得た経験・勘・知恵・処世術を、惜しげもなく我々読み手に教えてくれます。

足は靴をはいたまま決して火に近づいてはいけない。これはぜひとも心得ていなければならない。それが編上靴なら皮に割れめができるし、フェルト長靴なら、ジクジクしみてくる。湯気がたちのぼるだけで、ちっともあたたかくならない。そうかといって、もっと火のそばに近づければ、焼けこげができてしまう。そうなったら、春まで孔のあいた靴をはいていなければならない。かわりなんか、どうせ貰えないんだから。

実経験があるからこその描写が、その知恵の存在感に圧倒されます。
また、皮肉も随所に現れます。

「しかしですね。芸術とは、なにをではなくて、いかに、じゃないですか」
「そりゃちがう。あんたのいう『いかに』なんて真っ平ごめんだ。そんなもので私の感情は高められやしませんよ!」

ソルジェニーツィンは「なにを」書くか、「なにを」書いて伝えるかに向き合っていました。

徒刑ラーゲルのいいところはーー言論の自由が「たらふく」あることだ。

 

ドストエフスキーの有名な一文「人間はどんなことにでも慣れる存在」を証明するかのような内容が起床から就寝まで始終続きます。

いつ、どんな不幸が降りかかってもおかしくない状況下で、それを跳ね除ける精神を守っているものは、自分にとっての「幸福」を理解して大切にしている心であると思います。
先日のヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』でもありましたように、「精神を守るための幸福」が生き抜く活力であり、保てないものが排除されていく社会であると改めて感じました。
作中で「家に帰りたい」という願望が垣間見られます。
その願望は心の深層に、或いは表層に常時存在しているものの、その思いを振り払おうとしている様は、「願えば遠のく夢」と確信しているとともに、叶う可能性が薄いため「精神を守るための幸福」にしてはいけないと戒めているようでもあります。

 

訳者の木村浩さんは解説で以下のように述べています。

この『イワン・デニーソヴィチの一日』は、長らくスターリンの個人崇拝という酷寒に閉ざされていたロシア・ソビエト文学の復活を告げる記念すべき作品となった。

ソルジェニーツィンの文学は、スターリニズム批判という面だけではなく、純粋な文学としても充分に愛されるものです。想像を絶する過酷な環境下における「人間性の美」を描いた「人間賛歌」の作品ではないでしょうか。
つまり、スターリニズムとは人間性の否定であって、それに抗う人間の美しさを描いた作品と言えると、そう思います。

 

ソルジェニーツィンはインタビューで以下のように話しています。

「社会が作家に不当な態度をとっても、私は大した間違いだとは思いません。それは作家にとって試練になります。作家をあまやかす必要はないのです。社会が作家に不当な態度をとったにもかかわらず、作家がなおその使命を果たしたケースはいくらでもあります。作家たる者は社会から不当な扱いを受けることを覚悟しなければなりません。これは作家という職業のもつ危険なのです。作家の運命が楽なものになる時代は永久にこないでしょう」

 

同じロシアの作家で不当な扱いを受けたウラジーミル・ソローキンも同様の覚悟を持っていました。社会へ「なにを」伝えるかを真剣に考えた作家が増えることを望むばかりです。

では。

 

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