RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『はつ恋』イワン・ツルゲーネフ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です

 

イワン・ツルゲーネフ『はつ恋』です。1800年代のロシア・リアリズム文学におけるドストエフスキーの好敵手です。

16歳のウラジーミルは、別荘で零落した公爵家の年上の令嬢ジナイーダと出会い、初めての恋に気も狂わんばかりの日々を迎えるが……。青春の途上で遭遇した少年の不思議な〝はつ恋〟のいきさつは、作者自身の一生を支配した血統上の呪いに裏づけられて、不気味な美しさを奏でている。恋愛小説の古典に数えられる珠玉の名作。

恋愛小説の古典的名作として有名です。ですが、恐らくイメージと違った内容に驚く方も多いのでは。この作品は終始「憂愁」を帯びています。

 

ツルゲーネフは「最後のロシア貴族」と表現されることがあります。彼は地主貴族の子として1818年に生まれました。農奴解放令が制定されたのは1861年です。つまり、彼は貴族として生まれ、成長に合わせてロシア地主貴族文化が廃頽していったのです。この荘園貴族文化の崩壊に抗いながら、詩的哲学を一貫して生涯を過ごしました。

思想的な立場から言えば、青年時代から晩年に至るまで、終始かわらぬ西ヨーロッパ的知性の確固たる信奉者ーーいわゆる西欧派であったのです。

解説で神西清さんはこう述べています。
この作品では特に悲哀に満ちた憂いが、どこか上品で、そして美しい文章で、内容以上の「淡さ」を持っています。これこそ「貴族の品位」と「西欧の表現」であると考えられます。


『はつ恋』はテーマと相まって「淡い文章」が、それぞれの読者が経験した「青春」を、まだ「恋」を知らぬが「恋」に焦がれる感情を、ノスタルジックな情景と共に思い起こさせ、また主人公の「青春」を覗くこととなります。

 

この物語はツルゲーネフの「半自伝的作品」です。
父親、母親、主人公、初恋相手、経験、背景。
トラウマもののこの物語が、多感な青春のこの時期に、事実として経験してしまったのならば晩年のニヒリストへ成長する事も納得せざるを得ません。

自分が恋を恋ともわからず、恋したと思い込んだのは、「初めて器量の良い異性と接近出来たから」だけだったのです。その相手は父親が浮気相手として掻っ攫ってしまいます。この時、主人公のウラジーミルは「父に憎しみを抱きません」。それを知った後も紳士的に尊敬を続けます。
ここで読者は違和感を抱きます。普通は憎むのが自然です。尊敬の念は薄れます。

 

半自伝的作品ですが、創作が無いわけではありません。つまり実際のツルゲーネフは憤慨したものの「表に出すことが出来なかった」だけなのでは。それをそのまま書くことを「貴族的自負心」が許さず、少し捻じ曲げてしまったのでは。そう感じます。

この場面に限らず、随所にそのような「自負心」が影響されている箇所が見受けられます。特にヒロインであるジナイーダの描写は顕著です。

 

ジナイーダの女王的な振舞い、或いは高慢は、没落前の貴族的生活により培われたもの。彼女は現実を受け入れることを無意識に拒み、美貌により褒めそやされる事を貴族的扱いをされていると紛い、若さと白痴で地に足が着かないところを、年季の入った伊達男に唆される。
散々美しさを描きながら、読後に世間知らずな滑稽さを彼女の印象に残させるのは、ツルゲーネフの受けた心の傷を少しでも癒そうと、持てる文芸力を注いだ結果だと読み取ることが出来ます。

そして、ジナイーダの生の終わりを非常に無味乾燥な表現にしているところは「独りよがりな因果応報論」を押し付けているようにさえ感じます。

 

ツルゲーネフは生涯独身を貫きました。
ですが、子はもうけていました。家族を欲していながら妻を得ることが出来なかったのは、過去の心傷が原因ではないでしょうか。起因したのが自身の父であるならば、時代の流れにおける父親世代、つまり農奴解放へと導いてしまった世代、地主貴族を没落へと導いた世代とシルエットは重なり、彼の中でニヒリズムを構築してしまったのは当然なように思います。

 

中篇で読みやすい文体ですので、未読の方はぜひ読んで苦悩を体感してみてください。

では。

 

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