RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『赤い花・信号/他』フセーヴォロト・ガルシン 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

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ロシアにおいて絶対的な善を抱き、社会に苦悩し、短い生涯を終えたフセーヴォロト・ガルシンの代表作『赤い花』です。他に5篇が収録されており、この旺文社文庫には『ナジェジュダ・ニコラーエヴナ』という彼の作品で最も長い中篇が収められています。

精神病院に入院した体験をもとに、人間の狂気と正義感を凝視した『赤い花』、善なる魂の勝利をうたい上げた『信号』など、三十三歳で自殺したロシアの天才作家ガルシンの名短編集。全六篇を収録。

 

ガルシン1855年に祖母の領地である現ウクライナの土地で生まれ、貴族の家柄で育ちました。祖父は当時の典型的な貴族地主らしい性分で農奴にきつく当たり、百姓を暴力的に支配していました。散財家でもあり、その子(ガルシンの父)には僅かな遺産しか残さず、貴族とは言えない環境下でガルシンの父は家を継ぎます。父の性格は祖父の真反対とも言える実直家で、国のために軍に入り、部下に慕われる良き軍人として尊敬されました。そして大変に正義感が強く、法科を学び、祖父より継いだ農奴たちにも紳士らしく接しました。ガルシンはこの祖父の「悪」を知り、父の「善」に感銘を受け強烈な「正義感」が構築されました。


ガルシンは持病である「精神病」が17歳で発症し始めます。この頃は快方に向かい数ヶ月の入院で済みましたが、その後彼の人生に付きまといます。文学の道を歩んだ彼は、美術評論にも幅を広げます。彼は絵画を「人道と祖国に奉仕するもの」という視点で眺め、多くの作品に込められた意思を読み取ります。その中で画家ヴァレンチャーギンの作品に出会い、大きな意識改革を受けます。

いかに戦争の結果が輝かしいものであっても、戦争はその悲劇を帳消しにすることはできない、戦場で流された血は、そのためにそれが流された国民のひとりひとりの頭にふりかかってくる性質のものであり、すべての人間がこの不幸をともにになわなければならないのだ

ここを起点に彼の「絶対善」の心は強く育っていきます。そして露土戦争(ロシア・トルコ)に参加し、戦場を駆け回ります。この経験を活かした作品はいくつかあり、本書に収録されている『四日間』もそのひとつです。

 

帰国後、彼はロシア文壇の道を改めて歩み始めます。しかし、帝政ロシアによる社会の弾圧は、ロシア・インテリゲンチア(貴族層の知識人)たちの苦悩する時代であり、文学の弾圧は彼らの執筆活動に影響を及ぼします。ガルシンも例に漏れず、陰鬱な気持ちが続き、持病である精神病と共に生きていきます。

心を病みながらも執筆を続けていきますが、悲痛な事件が目の前で起こり、巻き込まれていきます。大通りを歩いていると、売春の容疑を受けたひとりの少女を、ふたりの門番が「警官の指図で」小突き回しているのを目撃します。ガルシンの正義感が触発され、即座に警察へ抗議に赴きます。共に門番を制止した数人と出頭しましたが、警察はこの抗議に耳を貸さず、ガルシンを含めた抗議者の全員を、公務執行妨害と騒擾罪で告発したのでした。そして裁判が開かれましたが、ガルシンが持ち前の正義感と人道を説き、無事に無罪となりました。この事件を振り返り、「この悪を生み出すにいたった社会制度」に対して悲しみを表明しました。

彼は悲痛に暮れ、心は疲れ、ついに自殺未遂を行います。家の屋上から身投げをしました。一命を取り留めましたが、心も身体も衰弱し、ついには移された病院で亡くなりました。

 

彼の「絶対善」は作品にも描かれています。『赤い花』の精神病患者が行動原理として胸に抱いた「無償の善」は、善の狂信者として描かれ、社会への嘆きを強く訴えます。また、『ナジェジュダ・ニコラーエヴナ』でも善の狂信者として「シャルロット・コルデ」をモデルにし、描かれています。

この善の狂信者は、帝政ロシアの強制性が与えた「強迫観念」と「正当性」が、真に人間の持つ「正義」との違和感をあらわし、危険性を説きます。しかし「正義」を貫いた者に抱かせる満足は「安らぎの死に顔」として描かれます。それと対照的に、棕櫚が主人公の「アッタレーア・プリンケプス」は、欲望のままに行動を起こした結果、非業の終わりを遂げるように描かれ、人間との区別、人間の大切なものとして「社会における正義」を描いていることが理解できます。

 

ナロードニキ運動(人民の中へ運動)にも見られるように、貴族文学士たちはガルシンに限らず「社会における正義」を人道的な立場で訴え、そして絶望していきました。

ロシア人たちが、私たちよりはずっと多く、深く持っていると思われる、痛いほどの「良心」や「愛情」も、すべて、まったく、無力である、という絶望をくれてよこすのであった。

劇作家である村山知義さんは、当時のロシア文学に関してこのように述べています。そして、以下のように締めくくっています。

今ではそうでない。私たちは新しい、科学的な世界観を持っている。邪悪と悲惨は、まだ人生に充ち満ちているが、私たちはそれに打ち克ち、それを減少させ、やがては絶滅させる希望を持っており、私たちが自分を鍛えさえすれば、それを実現させるための勇気を持つことができる。

ガルシンが抱き続け、苦しみ続け、当時の社会に適応できなかった「絶対善」の思想は、現在であれば実現できるという「希望」を持つことができます。そして彼の無念を晴らすには各人の「善の心」を見直すことが必要なのかもしれません。『赤い花』の主人公の最後の安らかな顔は、「絶対善」の思想実現を描いていると、そう感じます。

 

理想に生き、理想に死んだ、フセーヴォロト・ガルシンの代表作『赤い花』、ぜひ読んでみてください。

では。

 

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