RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『北回帰線』ヘンリ・ミラー 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

〝ぼくは諸君のために歌おうとしている。すこしは調子がはずれるかもしれないが、とにかく歌うつもりだ。諸君が泣きごとを言っているひまに、ぼくは歌う。諸君のきたならしい死骸の上で踊ってやる〟その激越な性描写ゆえに長く発禁を免れなかった本書は、衰弱し活力を失った現代人に最後の戦慄を与え、輝かしい生命を吹きこむ。

ヘンリ・ミラー(1891-1980)は、アメリカのブルックリンにあるウィリアムズバーグの移民地域で幼少期を過ごします。人種や言語が無差別に入り混じる街中で「人間」に対する観察力が強く養われていきます。文化の統一が見られない街では成長期の価値観に与える影響は大きく、好奇心も強まって育ちます。彼は大学を二か月で辞め、未開の西部へ放浪します。彼の好奇心は、想像力と探究心から多くの文化を持つ世界へと視野を広げていきます。しかし、職について得た初任給「自由にできる金銭」が好奇心を「性」へと方向転換します。奔放な性生活は好奇心を満たすだけでなく、性への執着をも強めていきます。


1917年、第一次世界大戦争にアメリカが参加すると、ミラーは陸軍省で暫く勤め、経済調査局へと移ります。しかし職務に好奇心を持てなかったために職を転々として、なかなか定職に就くことができず、漸く1920年に電信会社に入社しました。仕事に人生を集中させることに拒否感を持っていた彼は、元来愛していた読書に耽ります。ヘンリー・ライダー・ハガード、ヘンリク・シェンキェヴィチ、マーク・トウェインなどを愛していた彼は、フョードル・ドストエフスキーの作品に出会い、強く感銘を受けました。これらが彼の文芸土壌となっていったと言えます。休暇を利用して執筆していた彼は、1922年に処女作『切られた翼』を遂に書き上げます。これを機に執筆に専念するという大義名分で定職から離れます。

 

世間の評価が食べていけるほどのものではなかったため貧困に苦しみますが、大変美しく頭脳も明晰なタクシー・ガール(職業ダンサー)のジェーンという女性が生活を支えました。気性の激しい彼女との生活においては、不和と熱愛を繰り返します。遂には苦悩による死をも考えていた中で、ミラーは「書くことが生きること」という考えを見出すに至ります。そして妻も家も責任も全てを放棄し、1930年に友人に借りた十ドルを片手にロンドンを経由してパリへと移ります。しかし、海を渡ると間も無く世界恐慌の煽りを受け、貧困に輪を掛ける生活を余儀なくされました。

 

1930年代のパリは、耽美と退廃が覆い尽くし、性と娯楽の境界が曖昧な夜を繰り返していました。「夜のパリ」としてこれらの風景を写真芸術として収め、大きく評価されたハンガリーの写真家ブラッサイは、フランスで出会ったミラーの大切な友人の一人でした。友人を作る才能が飛び抜けていたミラーは散財と無心を繰り返しますが、孤独になることはあまりありませんでした。彼の内に秘める芸術家としての血液を感じ取り、才能の端々を見逃さない人たちに生命を繋ぎ止められます。サルバドール・ダリパブロ・ピカソ、アルベルト・ジャコメッティアンリ・マティスなど、フランスに凝集されていた芸術活力の中心地にいた芸術家たちに囲われて文学芸術家ヘンリ・ミラーが存在していたのでした。そして文学においては、友人を介して小説家アナイス・ニンと知り合います。恵まれない生い立ちからの経験によって、性愛に対する哲学的思考が強かった彼女は、性愛に広い関心と探究心を持つミラーに惹かれていきます。


アナイス・ニンの序文を添えて出版された本作『北回帰線』は文筆家たちから多くの批判(小説として成り立っていない、性描写が多過ぎる、など)と、文学者達から輝かしい評価を得ました。ジョージ・オーウェルジョージ・エリオットオルダス・ハックスリーなどが、奇才とも言える作者に大きな賞賛を与えます。詩人ブレーズ・サンドラールはミラーを的確に評価した言葉を残しています。

「ミラーの作品は小説とは言えないかもしれない。しかしそれはまぎれもなく文学とよぶしかないものである」


「虚無の価値観」を持って語られる独白はロストジェネレーション(失われた世代)の血脈を感じさせられます。ニヒリズムが随所に感じられる筆致には、苦悩、苦悶、苦痛、嫉妬、皮肉が溢れています。本作『北回帰線』は、日常の現実的描写から脳内の妄想描写へと変化し、緻密な性描写から観念の探究へと変化して、読む者を独自の世界へと引き摺り込んでいきます。ここにミラーの哲学が織り込まれています。


幅広く使用される語彙から受ける作品に込められた芸術性は、シュルレアリスムキュビズムダダイズムアナーキズムフォーヴィスムなど、パリで活性化され、変遷されていった芸術混沌を内包していると言えます。しかし、彼は随所に「破壊と創造」を込めています。彼が筆致から感じさせる「虚無感」には、対を成すように「再構築」が掲げられます。それは「絶望の先の希望」を決して失わないとする姿勢であり、芸術作品に込めるべき思想という絶対的な信念であると言えます。彼は、生きることは芸術家であること、そして文芸家であることを徹底して追求し、訴え続けます。

「世界は秩序づけられるべきものではなく、実現された秩序である」

芸術とは真実を語ることである、創造ではなく再建であり現実である、と唱えるミラーは、既成概念や日常から精神を解放することで「真現実」に達するというシュルレアリスム的芸術論を文学で体現しようと取り組んでいました。『北回帰線』は顕著にそれを成した作品の一つであると言えます。

われわれの誰もが自分に対して希望をいだけないのかもしれない。だが、たとえそうであっても、最後の苦悶を、血を凍らせる怒号を、反抗の悲鳴を、闘いの雄叫びを、絶叫しようではないか!歎くことをやめよ!悲歌、挽歌を追放せよ!伝記、歴史、図書館、博物館を追放せよ!屍肉は死せるものに食わせろ!われわれ生けるものは、噴火口のふちで踊ろうではないか、最後の絶息の舞踏を!だが踊りは踊りなのだ!


決して逃避でない「脱自己」による文章は、俯瞰以上に自身の観念を眺め下ろして「現実における幸福」を再建しようと思惟します。そこには性愛も存分に盛り込まれ、神仏的な理想以上に「人間の幸福」を突きつけます。

小説とは言えない「文学」に込められた芸術性を、未読の方はぜひ体感してください。

では。

 

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