RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『シーシュポスの神話』アルベール・カミュ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』です。
2005年改版です。

神々がシーシュポスに科した刑罰は大岩を山頂に押しあげる仕事だった。だが、やっと難所を越したと思うと大岩は突然はね返り、まっさかさまに転がり落ちてしまう。--本書はこのギリシャ神話に寓してその根本思想である“不条理の哲学”を理論的に展開追求したもので、カミュの他の作品ならびに彼の自由の証人としてのさまざまな発言を根底的に支えている立場が明らかにされている。

『異邦人』『ペスト』『カリギュラ』などで知られるアルベール・カミュの哲学論考エッセイです。表題のシーシュポスの神話における論考は8ページ程度ですが、そこにいたるまでに「不条理の哲学論考」が200ページにわたります。また、カフカ文学に関する論考も付録として添えられています。

 

カミュと不条理について

カミュの幼少期に父が戦死し、大変苦しい環境下で育つことになりました。彼は新聞記者となり、第二次世界大戦時に「反戦記事」を書き注目され、原発投下における非難を行った第一人者でした。これは自身が受けた不条理、またその不条理が繰り返されていることに対する非難であり警告でした。彼は博愛の人であり、自由を尊重する平和主義者であったのです。
その彼だからこそ、「不条理が引き起こす自殺」に悲しみを覚えます。これを乗り越える哲学を確立すること、論証することが、彼にとっての使命となり情熱を注ぎます。

人生が生きるに値しないからひとは自殺する、なるほどこれは真理かもしれない、--だが、これは自明の理というかたちの論理なのだから、真理とはいっても不毛な真理である。

彼はこの真理の否定からスタートします。

 

不条理な論証

不条理の定義としてまず語られます。形而上学的な意味での世界と、精神面における個人を結ぶ、筋道の通らない理を「不条理」と位置づけます。
この世を作り上げる要素(万物)のあらゆる全てを人間は理解することはできない。
人間は、生まれて理性が発達するとあらゆる全てを理解しようと試みる。
これが叶わないことであり、それを知ることによる絶望状態を「不条理」と呼ぶ。


この状態で人間は二つの選択を迫られます。
不条理な世界より逃避する(自死
不条理な世界を受け入れる(生きる)


この「生きる」を選択する必要性、あるいは手段を説いていきます。全能の神を存在させ、そこに生命を委ねる宗教的な解決や、世界を理解することは不可能だと断定し諦める選択は、すべて「哲学上の自殺」であると断じ、強く否定します。人間はもっと強いものであると。

不条理に反抗しつづける意思
ーー理解できないことであっても理解しようと意識を継続する
死を理解することで得る自由
ーーかならず訪れる「死」を受け入れ、だからこそ「生」を自由にする
生存中の経験を吸収する熱情
ーー得た経験から少しでも多くを理解しようと熱情をかける
これらの三つの帰結で、「不条理が誘った死」から「不条理が存在するからこその生」へと転換させました。

ーーそうしてぼくは自殺を拒否する。

 

不条理な人間

この章ではドン・ファンの社会における在り方、ドストエフスキー『悪霊』スタヴローギンの信仰と、それぞれにおける不条理性について書かれています。

ドン・ファンが行為として現実化するのは、量の倫理学であり、質に向かって努める聖者とはまさに正反対である。物事の深い意味を信じない、これが不条理な人間の特性だ。

 

不条理な創造

「哲学と小説」における不条理の創造をかなり強烈な主観と口調で書かれています。主としてドストエフスキーの作品における不条理性と潜む哲学、そして芸術性に関してです。

ドストエフスキーの小説では、人生の意義如何という問いは、極限的な解答、--人間の生存は虚妄であるか、しからずんば永遠であるか、そのどちらかだという極限的な解答しかありえぬほど激烈な調子で提起される。

 

シーシュポスの神話

あらすじは冒頭の紹介文どおりです。ここではシーシュポスの心情を読み解いていきます。与えられた不条理で彼は何を見出すのか。
彼は、自分こそが自分の日々を支配している。つまり彼の目に見えるもの、感じるもの、これらを元に彼の運命を自分自身でまた作り上げていく。現在置かれている状況を理解して受け入れ、そこから自身の継続された生を運命として創造していく。カミュは最後にこう締めくくっています。

頂上を目がける闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに充分たりるのだ。いまや、シーシュポスは幸福なのだと想わねばならぬ。

 

カミュは「不条理による自死」を少しでも無くしたかった、そのように感じる論考です。叙情的な表現でさえも断定的に強く訴える論調は、何が何でも生きるべきだと聞こえてきます。
与えられた不条理から逃避せずに受け入れることで、そこから人生が自由になり、世界を主観で捉えられるようになる。自分が個として存在し、世界の事象を自分の解釈で得ることが自分の意識の幸福に繋がっていく。「生」が「幸福」に繋がる。

 

彼は生涯、災禍やテロ、そして戦争など「多くの不条理」と戦い続けていました。
1957年に「この時代における人類の道義心に関する問題点を、明確な視点から誠実に照らし出した、彼の重要な文学的創作活動に関して」ノーベル文学賞を受賞しています。

1960年、彼は友人の運転する車の助手席でパリに向かう途中、事故死します。この事故にはさまざまな説が交わされています。

 

現代でも自死は増加しています。人生観を見つめ直すきっかけとして本書をぜひ読んでみてください。

では。

 

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