RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『お月さまへようこそ』ジョン・パトリック・シャンリィ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

映画『月の輝く夜に』でアカデミー脚本賞を受賞したジョン・パトリック・シャンリィ、初の戯曲集。ニューヨークを舞台にして、人間同士の心のかよいあいを中心にくりひろげられる現代のメルヘン。

 

南北戦争第一次世界大戦争を経たアメリカ合衆国は、ヨーロッパ諸国からの移民に溢れます。イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、アイルランドなどから先住民たちを数で凌ぐほどの勢いで移り住みます。軍需だけでなく、イギリスに起こった産業革命の影響として、科学や工業製品の流入を伴いながらやってきました。現代のアメリカ人口の九割がこれらの移民の末裔であるという説もあります。

移民により流入された技術は、鉄鋼業や鉄道開通などの重鉄鋼から、飛行機や自動車、高層ビルや大規模商業施設、出版業を中心としたメディア産業など、国を一から作るほどの文明的変化を起こしました。経済が急速に膨らみ、農業大国を世界一の産業大国へと押し上げました。この経済成長に危険性を持たず傍観していたアメリカ政府に、世界恐慌という経済崩壊が訪れます。安定していた大衆の富は瞬く間にもぎ取られ、貧困生活を余儀なくされます。もちろん移民たちも同様に生活が苦しくなり、荒んでいく心に併せて、彼らの住んでいる地域はスラム化していきます。


アメリ東海岸の中心地ニューヨークにあるブロンクスは移民の街として知られています。地下鉄の急速な開発の影響で移民が移り住みやすい環境であったことが大きな要因です。イタリア系、アイルランド系、ユダヤ系が多く、禁酒法時代にはギャング全盛期となり治安が不安定な地域とされていました。

また、文化的にはヒップホップミュージックの発祥の地でもあり、伝説的DJのグランドマスター・フラッシュや、社会派リリックのラッパーであるメリー・メルなど、苦境生活における娯楽を商業文化に変えた天才たちを輩出した街という側面も持っています。


ジョン・パトリック・シャンリィ(1950-)は、このブロンクスの街で生まれ育ちました。両親ともアイルランド系の移民で、街もアイルランド系やイタリア系の移民たちで溢れていました。ニューヨーク大学へ進学すると劇作に出会い、自身の求めた表現方法が見つかったとばかりに、この時から戯曲の執筆に励みます。本作『お月さまへようこそ』が1982年に発表され、遂に劇作家として認められるようになりましたが、それまではバーテンダーから運送屋まで、さまざまな職に就きながら執筆をしていました。


シャンリィの作品には「月」がモチーフとして用いられることが多くあります。スラム街を行き交う人々の表情や心は荒み、争いが常に視界に入っていた日々の中で、彼にとっての心を表す対象は空にありました。夜の暗闇に星と共に輝く月は、日毎に形を変え、天気によって印象を変え、月の光が消える日には宇宙を直接見るような感覚を得ていました。この神秘性は思考を深く沈め、「人と宙」という視点へと辿り着きます。


孤独を生きる多くの人は繋がりを求めています。しかし、人と人との衝突を恐れるあまり、第一歩の接触を拒んでしまい、人の温もりを得られない孤独者は心が荒み、より一層に孤独の殻で心を覆います。覆われた心は宙の月を希望の光のように眺めて、他者との接触に憧れます。そして互いに切っ掛けを介して、遂に心と心の接触を行います。憧れや希望が先行した感情同士は、夢のような歓喜をそれぞれに与えますが、やがて本当の心と心の接触が行われ、悲嘆や悲哀に襲われて苦悩してしまいます。

孤独の寂しさは感情の壁を何重にも建てているために、真の心へ接触するためには対話を必要とします。このときの会話による理解、触れ合いによる愛情、真の心の交流が成り立ったとき、より大きな歓喜が互いに与えられます。


孤独者たちの媒介となる月、或いは宙は、シャンリィの生み出す作品の希望の光として効果的に演出されています。本作『お月さまへようこそ』に収められた六篇の戯曲は、彼自身の思想、体験、希望、解釈を、出来うる限り曝け出して執筆されています。青春や貧困時代、絶望や希望などの感情が読む者に直接的に伝わります。そして彼は孤独者たちへ希望の媒介を伝えようと試みます。

 

見知らぬ者同士が会話を通してお互いを知っていく。そして、心が通じ合えた時に、あたりは満天の星空になる。それは遠い昔から存在し、これから先も永遠に存在し続けるものなのに、人間はその美しさに気が付かないまま時を過ごしてしまう。愛する者と満天の星空を楽しむ喜びーーこれは人間が生きていく上で最も必要な「愛」と「自由」を象徴しているのではないだろうか。

訳者解説で鈴木小百合さんが、第三話「星降る夜に出掛けよう」に関して述べている箇所ですが、シャンリィの作品全般に言えることで、とてもわかりやすく表現されています。


切なくて美しい読後感は、自然に空を見上げたくなります。それぞれ独立した六篇ですが、一貫した価値観を持っていて、シャンリィの感情が強く伝わってきます。戯曲が得意でない方もぜひ、読んでみてほしい作品です。

では。

 

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