RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『恐るべき子供たち』ジャン・コクトー 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

 

フランスの多彩な芸術家ジャン・コクトーの代表小説『恐るべき子供たち』です。詩人であり劇作家であり、美術にも秀でている「芸術のデパート」。本書には彼の数十点もの挿絵が挟まれています。

14歳のポールは、憧れの生徒ダルジュロスの投げた雪玉で負傷し、友人のジェラールの部屋まで送られる。そこはポールと姉エリザベートの「ふたりだけの部屋」だった。そしてダルジュロスにそっくりの少女、アガートの登場。愛するがゆえに傷つけ合う4人の交友が始まった。

 

ジャン・コクトー(1889-1963)はパリ郊外の大変裕福な家庭で生まれ育ちます。幼少期より舞台に感銘を受け、感性を磨きます。早くから社交会に出入りし、数々の著名な芸術家と出会い親交を深めます。その中にはプルーストニジンスキーなどがあり、フランス文壇で開花し始めた彼は徐々に名を広げていきます。『薔薇の精』を踊るニジンスキーのポスターを描いた事もあります。

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そして1919年に運命的な出会いが訪れます。まだ幼い、弱冠16歳のレーモン・ラディゲと意気投合し、硬い友情を結びます。しかし、ラディゲはチフスにより享年20歳でこの世を去り、コクトーは恐ろしい悲しみに襲われます。この悲しみから逃れる為、彼は阿片を常用します。ここから彼の人生は阿片服用と阿片解毒治療を繰り返します。彼は生涯、4度の入退院を繰り返しました。

 

この『恐るべき子供たち』は2度目の解毒治療の入院中に、三週間で書き上げました。1929年に出版されましたが、反道徳的で慣習を無視した主人公達の言動は賛否両論を巻き起こします。自由奔放な彼らの行動に憧れる若者達、不道徳であると断ずる教育者達、悪書であるとする先人達など。いずれにしても大きな流行となり、コクトーに成功をもたらします。

 

子供にとっての子供部屋には異次元的な空間イメージがあり、その中での精神は一種の「夢見心地」になる事があります。これは私も経験がありますが、扉を閉めると現実世界から切り離された独自の精神世界のような心地に陥ります。

親を亡くした姉弟はこの世界から抜けられず、呪縛とも言える感覚世界に浸り続け成長します。しかし彼らはその世界に依存している自覚は無く、この空間を捨てて社会に出ようと試みます。その折に出会った少女を巻き込み、物語は加速していきます。

 

彼らの考えはペシミズム的で、反抗期に見られる「恐れを知らない無知」で描かれています。裕福である彼らの怠惰で、不毛で、傲慢で、そして臆病な言動が、異質な精神世界で繰り広げられます。

ラストのシーンで恐ろしい悲劇が巻き起こりますが、『ポールとヴィルジニー』の引用が出てきます。

急に、自分の夢の「丸い山」が『ポールとヴィルジニー』に出てくることを思い出した。あの小説では「丸い山」は丘のことを意味していた。

『ポールとヴィルジニー』はジャック=アンリ・ベルナルダン・ド・サン=ピエールの作品ですが、この作品のオペラ・コミック台本をコクトーとラディゲは共作しています。

「死は取るに足らないことよ。あなたは死んでいる。私も死んでいる。私たち満足よ。死んだ後には、もう死ぬことはできない。みんなが好きな場所で、いつも一緒に暮らすことができるわ。」

コクトーの死生観は「生死は裏表に存在し、同じ世界で起こる事象」であると表現されています。この死生観はラディゲも持ち合わせていたと考えられます。

 

そして『恐るべき子供たち』という作品は、自分が居ない「死側」に居るラディゲへ向けた餞の、或いは自分自身が「生側」で生きていく為の決意の解釈の意味で作り上げた、と考えられるのではないでしょうか。バイセクシャルであったコクトーは友情以上の感情をラディゲに抱いていたのかもしれません。

 

執筆した背景と同様に激しい悲劇は、読む者の意識を凄まじく引き摺り込みます。
大変読みやすく、しかし魅力を存分に維持して仕上げられた訳ですので、未読の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

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