RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『罪と罰』フョードル・ドストエフスキー 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ドストエフスキー罪と罰』です。トルストイと並ぶ19世紀ロシアのリアリズム文学代表作家。1866年にこの作品は世に出ました。
 
鋭敏な頭脳をもつ貧しい大学生ラスコーリニコフは、一つの微細な罪悪は百の善行に償われるという理論のもとに、強欲非道な高利貸の老婆を殺害し、その財産を有効に転用しようと企てるが、偶然その場に来合せたその妹まで殺してしまう。この予期しなかった第二の殺人が、ラスコーリニコフの心に重くのしかかり、彼は罪の意識におびえるみじめな自分を発見しなければならなかった。
 
革命者が背負ういくつかの殺人は、その何百倍もの民を救う恩恵により罪悪ではなくなるという理論を構築した若い青年。この思想は自己特別視が引き起こしたものであると考えます。
 
大人になるかならないかの多感な時期に、穴だらけではありながら斬新な理論を思いつくことは稀ではないと思います。ただこのラスコーリニコフは非常に頭脳が明晰でした。それが悪い方向に働き自己の中で一つの納得できる理論として構築してしまった。その構築した理論と、自己特別視が合わさり、恐ろしい計画が出来上がった。そしてこの恐ろしい計画に自身でも慄き怯えていたところへ、何の因果か同じ理論で同じ計画を口に漏らす人間に居酒屋で出会ってしまった。恐怖が使命に変わり、そして実行に移す。
 
この小説にはいくつもの要素を含んでいると、工藤精一郎さんが解説で仰っています。
推理小説的な要素
・社会風俗画的な要素
・愛の小説の要素
・思想小説の要素
見る視点によって見えてくるもの、感じるものが変わる作品であるからこそ、何度も手にとって読んでしまうのですね。
 

社会風俗画的な要素に関して

1861年農奴解放開始。数十年間にわたり行われ1917年のロシア革命にて完了(結果しなかった)で進められました。基本的人権を尊重し各個人が束縛より開放され人間らしく生きる、そんな名目でしたが中身は国のためでした。
本来は土地を付与した状態で農奴を解放する、という進め方でしたが、1861年時点では土地が無い状態で開放のみされました。土地は国から分割で購入することになりました。その土地は地主から国が買い上げます。農民に与えられた土地の利率は年6パーセント、これを49年間。
地主は国から土地代を債権で支払われたが、換金率は額面よりはるかに安かった、つまり農民も地主も農奴解放という名で国に搾取され続けたわけです。農奴解放令の後、多数の一揆や暴動が発生しました。農民も地主も貧窮した中で、共産主義者が革命を起こすため公約したのが「土地を農民に返す」。これを唱えたのがレーニンでした。
 

思想小説の要素に関して

この時代背景だからこそ、もっと言えばこんな生活を日々を送っているからこその思考、感情により導かれる結論、思想というものがこの一冊に凝縮されているように感じます。ソーニャの愛としてのシンボル、スヴィドリガイロフのニヒリズムとしてのシンボル、ドゥーニャの家族としてのシンボル、それぞれが抱く「思想の良さと危険性」を彼なりの帰結をもって表現し、農奴解放の甘い名目で浮き足立つ世間に、多角的に多面的に危険性を警告しています。
愛、死、家族、信仰、友、心。大切にすべきもの、見失ってはいけないものを前面に取り入れ、小説として完成されました。
 

小説として読むだけでも、自然と思想が染み込んで来るように感じられますので、未読の方はぜひ読んでみてください。

 

では。
 

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