RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『氷山へ』ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

2008年にノーベル文学賞を受賞したル・クレジオの思考と実践に大きな影響を与えた孤高の詩人アンリ・ミショー。彼の至高の詩篇「氷山」「イニジ」について、ル・クレジオが包括的かつ詩的に綴った珠玉の批評-エッセイ。

 

1963年に『調書』で華々しくフランス文壇デビューを果たしたジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ(1940-)は、ルノードー賞を受賞し、ゴンクール賞にも候補として選ばれました。当時のフランスで中心的な風潮を持っていたアンチ・ロマンとは一線を画す描写で、作家としての立場を確立させました。1966年よりフランスの義務兵役代替としてタイやメキシコなどでフランス語の教鞭を執っていました。フランスを離れて過ごしていくなか、徐々に中南米に対して興味を抱き始めます。


1970年から四年間、パナマで原住民インディオ(エンベラ族)と共に生活しながら執筆活動を行いました。その後、メキシコ文化に傾倒して、ヨーロッパ諸国によるアメリカ先住民への掠奪を研究し、宗教性や信仰性に強く惹かれていきます。魔術的な儀式や独自の信心を学び、実際に体感して、ル・クレジオの精神と価値観に大きな変化を与えます。これは彼の放つ著作にも強く影響しており、作風の変化が明確に表れています。そして非理知性、西欧近代的思考の呪縛から逃れようとする意志は、元来影響を受け続けてきたアンリ・ミショーの詩が大きく開け拡げることになりました。


アンリ・ミショーの詩には相反する孤独が浮かび上がると、ル・クレジオは唱えています。一方は自身を消失させようとする「受動的な孤独」、もう一方は喜怒哀楽を全方位に放つ「積極的な孤独」。ミショーは他者との心の交流を全否定します。しかし、それこそが詩を書く条件であり、外部から影響を受けない真のままの心の放出であると読み手は受け取ることができます。そして、ミショーの詩『氷山』から滲む寒色の感情は二つの孤独に挟まれた生が確かに存在します。


ル・クレジオは非文明的神性への目醒めを、『氷山』から受けた感銘から辿りながら、明確にエセーとして書き記しています。それが、本作『氷山へ』です。

目に映る虚構、いわゆる文明の恩恵や利己に端を発する欲望を覆う社会の表面から、生や心を護るための逃避的な旅立ちを試みます。耳から流れ込む虚飾からの精神的な脱皮、或いは毒に犯された心の救済を目的とした神々への祈りとも言える行為に憧れを抱きます。

天に召すごときの神性を纏った死、神のもとへ帰す行程的で工程的な死、これが生の中心に芯として存在しており、浄化を目的とした憧れを抱きます。現実から真現実へ、自分が存在している虚飾に塗れて作られた社会から、世界の本質的な人間の在りうべき理想とする真現実を夢見るように精神を飛翔させていきます。それは文明社会から〈北〉へ、という表現で終始描かれ続け、白く輝く神々しい極北へと向かって飛んでいきます。

生命の始まりから最期の瞬間まで、ぼくたちは神々の通り道にいる。ぼくたちが詩の声を聞いているとき、あちこちに、極北の楽園は出現する。重たくじめじめした灰色の空を切り開く晴れ間、霧を貫通する白と青の雷光、それらは影のなかで輝きを放つ。生命の中心に、こうして声が戻ってくるたび、ぼくたちの心臓はゆっくり脈打ち、かろうじて呼吸する。


2008年に、新たな旅立ち、詩的な冒険、官能的悦楽の書き手となって、支配的な文明を超越した人間性とその裏側を探究したとしてノーベル文学賞を受賞しました。

どこまでも飛び続ける羽根を広げて、〈北〉へと向かうように読み進めることができる本書の読後感は、二つの寒色の孤独を感じ、白く輝く聖性を纏って帰ってくるような気持ちになります。


詩の批評ではなく、ル・クレジオの書き方、読み方、飛び方を感じることができる素敵な作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

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