RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『夢みる宝石』シオドア・スタージョン 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

家出少年のホーティがもぐりこんだのは、普通でない人間たちが集うカーニヴァル。団長のモネートルには奇妙な趣味があった。宇宙から来た不思議な水晶の蒐集と研究だ。水晶たちが夢をみるとき、人や動物や植物が生まれる―モネートルはそれを利用して、己の野望を果たそうとしていたのだ。そのことを知ったホーティやカーニヴァルの団員は、恐ろしい運命の渦に巻きこまれていく。幻想SFの巨匠がつむぎだす珠玉の名品。

 

1840年代のアメリカはサーカス興行が盛んでした。広大な国土は、巡業して各地の民衆を楽しませてまわる業態に適していました。また多くの人種による多様な価値観や境遇が溢れていたことも一因と言えます。当時のサーカスには同行するサイドショーの見せ物小屋が併設されていることが多く、こちらも人気を博していました。自然に異形を持って生まれた人々(freaks of nature)が集められ、観客に向けてさまざまな演目を披露する「フリークショー」です。これは、小人症、多毛症、四股欠損など、現代では障碍と認識されている人々によって提供する娯楽的見せ物でした。


1865年に甚大な被害を出したアメリ南北戦争を終えると、世界の科学、工業の発展に伴い農業大国から工業大国へと変化していきます。その利潤は中流階級の大衆たちの生活を潤わせ、実業家が次々と成功し、アメリカ経済を莫大なものへと膨らませていきます。貧困に追われず、生活にゆとりを持ち始めると、民衆は次第に「娯楽」を渇望し始めます。バスケットボールや野球などのスポーツ観戦、ジャズやカントリーと言った音楽鑑賞、そして1900年代に入ると映画が大きく受け入れられ始めます。これを満たす一つの楽しみがサーカスであり、フリークショーでした。

特に映画の発展は目覚ましいもので、大衆の心を強く掴みます。芸術性を備えた娯楽として一つの文化となり、現代にまでもその熱量は変わらずに受け継がれています。反対に、商業的な影が差し始めたサーカスやフリークショーは、興行を維持するために科学を利用した模造の異形を演出し始めます。過剰な演出や衝撃的光景は一定の支持を得ることができました。この模造演出(フェイク)は、現代のマジックショーなどに影響を与えた文化変遷の一要素として認識されています。


しかし、1929年に「暗黒の木曜日」から始まる世界恐慌アメリカを発端に起こります。第一次世界大戦争復興におけるバブル期が弾けた格好でした。工業を中心とした発展は勢いが衰えていきます。そしてそれに伴い、大衆に向けた娯楽文化に変化が起こります。アミューズメントパークやバーレスクツアーの人気に火が付き、華やかな世界を夢みるような演出で溢れていました。大衆は、経済的苦境を跳ね返そうとする熱量を求めていたとも言えます。新たな産業がアメリカ経済を維持していくこととなりました。

またも苦境を強いられたサーカスやフリークショーは、第二次世界大戦争後に、決定的に維持が困難となる出来事が起こります。ハリー・S・トルーマンによるフェアディール政策です。福祉政策を中心とした人権維持の風潮に対して、特にフリークショーは真反対の位置にある娯楽でした。遂には法整備がなされ、フリークショーの存続自体が困難となり衰退していきました。


ニューヨークの作家シオドア・スタージョン(1918-1985)は1950年に本作『夢みる宝石』を発表しました。養父に虐待を受ける主人公ホーティが家出の道中にフリークショーに拾われて物語は進み始めます。赤子の頃から身に付けていた不気味な表情をした玩具は二つの宝石の目を持ち、これに危険が及ぶとホーティ自身にも苦痛が及ぶ不思議な関係を持っていました。この宝石は生命体であり、意思もあり、愛を持っていました。この神秘的な力を悪用しようとする科学者であるフリークショー団長と、その野望を阻止しようとする美しい心を持った異形の者との関係に、ホーティは当事者として巻き込まれていきます。


本作では異形者たちの強く生きる姿勢が前面に見られると共に、苦悩や望みが痛々しく感じられる場面が丁寧に描かれています。しかし同情的な感情よりも、神秘性や美しさが強く前に出されていて、憐れみや悲しみよりも、強さや希望を多く感じることができます。そして物語には愛が込められ、性愛を超えた種族愛へと昇華されていきます。

地球で生まれた生命はすべてひとつの命令にしたがって行動している。それは、「生きのびよ!」という至上命令だ。人間精神はそれ以外の基本原理に思いおよばない。


宝石のみる夢の産物が異形者であるという発想は、当時の社会が抱いていた異形者たちへの憐れみを真っ向から否定するものでした。別の世界、別の価値観を持った美しい生命を肯んじた視点として描かれた思考は、現代のノーマライゼーション思想に通ずる尊重がそこにはあり、個としての尊厳を本質的に守る考え方で描かれたと言えます。

そして本作では美しい心を持った異形の者が、そうではない者たちの世界を守るために自らが犠牲となり、愛する者を救おうとする献身が、読む者に対して強い清らかな印象を残してくれます。


実際にフリークショーの舞台に立っていた異形者たちは、大変な人気だけではなく、活躍に応じた報酬を充分にもらい、観客にいた多くの大衆よりも豊かな生活を送り、社会的にも自立した存在でした。福祉政策による国の姿勢はとても大切なことであり、その政策によって生命を繋ぎ止めることができた人々も多くありました。しかし、そのような異形を持った者の中でも、社会に出ようとして、活躍し、成功した人々がいたことも事実であり、彼らの努力を美しいと感じることは決して間違った感覚ではないと思います。本作は異形者たちに対する社会の風潮や同情心に対して、尊厳的な意味での疑問を投げかけた作品であると捉えることができます。


サイエンス・フィクションとしても読みやすく、次々と場面が展開される物語は、読者を引き摺り込んでいきます。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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